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九章#37 不思議な縁

『恵海ちゃんと大河ちゃんのところにお家にいってきてほしいんだ』


 時雨さんの申し出は、別にあの人の気まぐれによるものではなかった。いやまぁ『仕事』って言ってたし、流石に気まぐれで振り回されるとは思ってなかってけどさ。時雨さんならやりかねないからな……。


 どうやら俺が考えていた以上に、入江家はこの辺では有名かつ有力な家らしかった。地主ってやつなのだろうか。土地に纏わるアレコレや地方コミュニティの肌感覚は東京暮らしには分からない。

 ただまぁ、どうやらあそこの神社と入江家はそれなりに繋がりがあるらしい。

 だから新年を祝す年賀やら挨拶の手紙やらを直接届けに行くのがいつもの決まりなのだとか。


 だがしかし、今日はお正月。

 神社にとっては一年で一番忙しいわけで、流石に神社のメインスタッフの人たちが行くわけにはいかない。そこで雑用係の中では歴の長い俺に白羽の矢が立った。俺が大河や入江先輩と知り合いであるとバレたことなどもあり、ぜひに、と話がまとまったらしい。


 ……バラしたのが時雨さんなので、やっぱり気まぐれも混じっている気はするけれども。


 しかし入江家の話は聞くに、時雨さんが行ってもあまりよく思われまい。俺が行くのがベストであることは考えるべくもないため、渋々ながら受け入れた。


 で、それから一時間ほどが経った昼時。

 一応は神社の代表として来ているため、服装は先ほどまでと同じだ。白衣と袴、その上にコートを羽織り、手には一升瓶やら茶菓子やらと共に手紙が入った大きめの紙袋を持っている。


「……すげぇ」


 そして自然と、ちょっとバカみたいな呟きが口からまろびでた。

 入江家は、家というより屋敷と呼ぶにふさわしい場所だった。THE日本家屋な平屋が、ぐるりと塀で囲まれてる。


 さて、どうしたものか。

 こうも広いと、ラストダンジョンに挑む勇者のような気分になってくる。ぐっと頬に力を入れ、「失礼します」と控えめに言って門をくぐり、玄関のベルを鳴らした。

 出迎えられるのを待つ間、周りを見渡してみる。

 なるほど、庭もかなり広い。手入れもされているようで、風流って感じだ。


 こうなってくると、使用人とかが出迎えに来てもおかしくない気がしてくるな……。

 苦笑する俺の予想は、しかし、あっさりと裏切られる。


「はい、どなたでしょう――って、え?」

「どうも。朝倉神社の代表で来た者です――あっ」


 戸を引いて出迎えてくれたのは、大河だった。

 考えてみれば意外な話ではない。彼女はこの家の人間だし、おそらく家の中でも若い方だ。若い者が使い走られるのは世の宿命である。


 むしろ目が行った、大河の服装だ。

 境内で見たほど派手ではないが、着物を身に纏っていたのである。桃色の着物には特別な柄があるわけではないが、それでも十二分に奇麗だった。


「……あ、あの。ユウ先輩?」

「あっ、わ、悪い。あんまり奇麗だったから、つい」

「っ!? そ、そういうことを唐突に言わないでいただけますか? 心臓に悪いです」

「お、おう……」


 今から言うぞって宣言する方がおかしい気がする。変なプレイみたいじゃねぇか、それ。

 と、そんなツッコミを入れている場合ではない。今日の俺は仕事モードなのだ。大河に出迎えられたのは予想外だったが、何もテンパって頭が回らなくなるほどのことではない。


「それで……どのようなご用件でしょうか」

「朝倉神社の代表として来た。年賀の贈り物と新年の挨拶を、ってな。よく分からんが、毎年やってるんだろう?」

「ああ……はい」


 大河があからさまに渋い顔を見せた。

 まぁ気持ちは分かる。本来ならば、忙しい正月にわざわざ俺みたいな奴を送らなくとも、ひと段落してから神社の人が来ればいいのだ。そうなっていないのは色々な事情があるのだろうが……あまり面白くない、大人のプライドや建前もそこには含まれていることだろう。やーね、大人の社会って。


「って、あれ。ユウ先輩、朝倉神社で働いてるんですか?」

「あ、言ってなかったっけ? 今日だけ、みんなで働いてるんだよ。時雨さんと俺は雑用で、雫と澪は巫女」

「そうなんですね…………」


 はぁ、と陰鬱な溜息を漏らす大河。

 少し胸の内が曇るが、大河は顔を上げ、話を進めた。


「そういうわけでしたらご案内します。祖父に直接渡した方がいいと思いますので」

「そうだな、頼む……いや、お願いします」


 案内してもらうのならば、あくまでここから先はそれぞれの役割に徹した方がいい。

 大河は入江家の一員で、俺はそこに挨拶に来た神社の人間。ポジショントークは大切だ。あえて敬語を強調するように言うと、大河もハッとしたように頬を引き締めた。


「では、百瀬さん。どうぞお入りください」

「ありがとうございます。失礼します」


 高校生にすぎないちっぽけな子供の、陳腐なお遊戯。

 そう思えてしまうことに苦いものを感じながらも、玄関で靴を脱ぎ、大河に案内されるままに進んでいく。

 大河が日頃過ごしているあの家よりも更に広く、雰囲気がある家だった。きしきしと軋む箇所はあるが、決して古さや脆さを感じはしない。なのに歴史は感じるのだから凄い。


「あの、ユウ先輩」


 大河が小さく、そう呟く。

 その目はどこか弱々しく、そして申し訳なさそうでもあった。


「ん?」

「……いえ、何でもないです。もうすぐ着きますよ、百瀬さん」

「……分かりました。ご丁寧にありがとうございます」


 何か言いたいことがあるんだろう、とは分かる。

 でもそれが何なのかは定かではない。

 ただ、大河にそんな顔をさせてしまうことがどうしようもなく苦しかった。


 やがて、大河は一つの部屋の前で立ち止まる。中からは話し声も幾つか聞こえ、ここに家の人がいるのだろうと察した。

 大河は俺を一瞥してから口を開く。


「お爺様。朝倉神社からのお客様がいらっしゃいました」

「……入っていただきなさい」

「承知しました」


 世界観が違うな、と第一に思った。

 俺の知る世界じゃないし、俺の知る大河でもない。

 クソ真面目だけど普通の女子高校生だと思っていた大河は、こういう世界を知っていたのだ。そう思うと、知らないことばかりなんだな、とつくづく思い知らされる。


 が、それはそれ、これはこれ。

 ふぅと一息つき、俺は大河に促されるままに「失礼します」と告げてから部屋に入る。


 部屋には、十数人ほどの人がいる。

 そのうちのほとんどが大人で、ピンと背筋を伸ばし、こちらを見ていた。ぐぬぅ、緊張する。

 その中でもひと際存在感があるのが、年配の男性だ。

 黒い着物を見事に着こなし、どしんと構えるその姿は『当主様』って感じがする。時代小説の中にでも入ったかのようだ。


 その人の前に正座をし、手荷物を体の横に置いて、まずは挨拶をする。


「あけましておめでとうございます。神主より手紙と手土産を預かっています。どうぞお納めください」


 と、言っても、あまりかしこまりすぎなくていい、とは柳さんから言われた。しきたりのある家だが、礼儀作法に厳しいわけではない……らしい――んだけど、え、何も言われないんですけど?

 うんとも、すんとも言われない。

 贈り物一式をすーっと前に差し出してから顔を上げると、年配の男性は俺をじっと見つめていた。


 いやん、そんな目で見られたら照れちゃうわ。

 なーんて、冗談を言っている場合ではない。俺はへまをしただろうか? まぁ確かに、いきなり挨拶するのは変だったかもしれん。名乗ってもないし、まずは名乗るべきだったか? でもあくまで神社の代表として来てるのにわざわざ名乗るのもな……神社の代表だってこと自体は大河が言ったからしつこくなっちゃうし。


 どうしたもんか……と、思っていると、その男性はようやく口を開いた。


「その目……まさか、孝仁の孫か?」

「え゛」


 ――孝仁。

 唐突に出てきたその名前の持ち主を俺は知っている。

 だって――俺の祖父ちゃんなのだから。

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