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九章#32 大晦日①

 一年の中で二番目に騒がしい夜がやってきた。

 一番目に騒がしいのはいつかと言えば、クリスマスである。性の6時間だのという話は、陰のあるSNSで入り浸っている奴ならば誰もが知っているであろう。ネット民はもうとにかくあの手のネタが好きなもので、当日になるとかなり悲惨だ。生まれた日から計算したりできちゃうからな。


「姫始め、いいよね」

「ぶふっ」


 くだらないことを考えながら歩く、大晦日の夜。

 「晴れたね」とか「寒いね」といった気兼ねのない雑談をするように、澪がぽつりととんでもないことを呟きやがった。

 堪らず吹き出してしまうと、くくく、と澪が愉快そうに肩を竦める。


「なに、意識した?」

「意識するしないの話じゃねぇわ! 唐突な下ネタはやめろっつってんだよ」

「だってネタじゃないし」


 つん、と唇を尖らせる澪。

 寒さに負けじと塗られたリップのおかげで、ぷるんと潤いが保たれている。会話の内容もあいまって雑念がヤバい。昼から色々とヤバいので、そろそろ刺激を抑えてほしいんだが……。


 何と言おうかと迷っていると、俺と澪の間にひょいっと雫が顔を出す。


「んー? 二人とも、何の話してるのっ?」

「雫……なんでもねぇよ。この場にめちゃくちゃ不適切な話題だ」

「むぅ。そう言われると余計に気になるんですけどー! ねね、お姉ちゃん教えてっ!」


 きゅぅぅぅん、とおねだりをするチワワのような目を向ける雫。

 澪の頬がだらしなく緩んだ。

 あ、これ落ちたわ。即落ち一コマだわ。


「んっとね。姫始めっていいよね、って話をしてたんだよ」

「姫始め……?」

「そう。姫始めっていうのは――」

「――新年になって最初に釜で炊いたご飯を食うことをそう言うんだよ。柔らかく炊いた米のことを姫飯って言ってな、それを食い始めるって意味で。あとは飛ぶ馬と書いて『ひめ』って読むところから、馬の乗り始めの日だったり、『姫糊始め』の意味で、女の人が洗濯とかを始める日だったりを指すこともある」


 あっぶねぇ……ギリギリセーフ!

 Google先生に頼って速攻で調べただけのことはあった。姫始めって、()()()()行為だけを指すわけじゃないらしくて助かったわ。日本語ってスバラシイナ。


 と、めっちゃ饒舌に語ると、雫が目をぱちくりと瞬かせていた。


「えっ、急にどうしたんですか……? 早口すぎて怪しいんですけど」

「怪しくないだろ、一ミリも怪しくない。そうやって人を疑ってばかりなのはよくないぞ? たまには人を信じようぜ」

「胡散臭いセリフ……」「友斗に似合わないよね」

「俺そこまで性格悪くないよねっ?!」


 確かに友達は少ないし、若干捻くれてもいるけども。

 でも人間不信でも詐欺師でもない。あくまで純真無垢な一般人だと自覚している。

 雫はむむむ……と眉間に皴を寄せると、温かそうな手袋を外し、スマホで検索をし始めた。


「姫始め、姫始めっと……あっ」

「どう、出てきた?」


 こくこくこくこく。

 澪の問いに、雫は無言で頷きまくった。ある程度はこの手の話に抵抗がついているのだろうが、白い肌はぽっと赤く染まっていた。昼間のことを思い出しているのかもしれない。

 うぅぅぅ、と可愛らしく声を漏らすと、むすっとむくれる。


「友斗先輩のえっち」

「っっ……言い出したの、俺じゃないんだよなぁ……ここの性欲魔人なんだよなぁ」

「む。友斗うっさい。女子に『性欲魔人』とか言うのはどうかと思うんだけど?」


 ギロリと二人に睨まれる俺。

 えぇ……俺が悪いの? 不服極まりないんですけど。

 全ての元凶たる澪を見咎めると、しょぼしょぼとばつが悪そうに呟く。


「一昨日から、一人でシないで我慢してるし」

「…………」


 そういう問題じゃないんだよなぁ、絶対に。

 っていうか、マジでツッコミ要員不足なんですが。俺以上の常識人である大河にご登場いただかないと、俺の疲労がMAXだよ?

 と、思っていると、


「あ、いたいた。おーい、恵海ちゃーん」


 俺たちの数歩先を歩いていた時雨さんが、明後日の方向に手を振って言った。

 へ? 恵海って、入江先輩……?

 三人で戸惑っていると、夜闇からその人が現れる。登場の仕方がかっこよすぎた。


「あのねぇ、時雨。大声で恵海ちゃんと呼ばないで、と言ってるでしょう?」

「ん~、そう言われてもね。あの三人が楽しそうだから、ちょっぴり寂しくてさ」

「む……それならしょうがないわね――ってならないわよ!?」

「ちぇっ」


 颯爽と髪を靡かせるその人は、街灯がスポットライトに変わったのだと錯覚するほどに存在感があった。

 入江先輩は、はぁ、と時雨さんの自由な言動に溜息をついている。今年最終日までご苦労様です。


「姉さん、声が大きいよ。時間をもう少し考えて」

「うっ、ごめん大河……けど仕方がないのよ。時雨が相変わらず時雨なんだもの」

「はいはい、霧崎先輩に会えたのが嬉しいのは分かったから」

「別に嬉しいわけじゃないわよ!!!!!」


 そんな入江先輩の隣に立つ少女の姿に、息を呑む。

 真っ白なコートにベージュのスカート、黒いタイツが生足を包んでいた。膝下までのブーツが上品で、見惚れそうになる。

 一昨日会ったのに、こうも久しぶりに思うのは――


「へぇ。恵海ちゃん、ボクと会えて嬉しいんだ?」

「嬉しくないって言ってるでしょう!?」

「またまた、そんなこと言っちゃって。本当は嬉しいんだね。ボクも嬉しいよ」

「~~っ、そんなことはっ!」

「姉さんは声が通るんだから落ち着いて。それと霧崎先輩も、姉さんをからかうのは控えめにしていただけると助かります」


 ――ツッコミを心から欲していたからだろう!


「大河っっ! 会いたかったぞ!」

「へっ!? え、あ、はい……ええっと。私もです。ユウ先輩に会えるの、楽しみにしてました」

「ああ、うん。本当に大河がいてくれてよかった。ツッコミ一人に対して雫と澪と時雨さんのボケ三人、いや家族含めればもっといてさ! ツッコミ人員が欲しかっ――痛いイタイ!」


 感激のあまり大河の手を握ってぶんぶんと振っていると、ぐにぃぃと強く手の甲を引っ張られた。

 冷たい空気に冷やされていたこともあり、余計に痛くてたまらない。ヤメテそれ以上摘ままないで手が裂けちゃうわ。

 見遣れば、大河はぷんすかと不満そうな顔をしていた。


「まったくもう! 何ですかツッコミ人員って! 私はユウ先輩に本当に会いたかったのに! ユウ先輩は私を漫才の相手としか見てないんですかっ!?」

「違う違う悪かったうんごめん冗談からイタイイタイイタイ!」

「ユウ先輩は少し悔い改めてください!」

「うっ……はい」


 全力で謝ると、大河は渋々ながらも手を離してくれた。

 うん、これだよこれ。

 こんな風に叱ってくれる奴が欲しかったんだ。俺たちだけだとボケボケになるもんな。


「そうやって登場と同時にツンとデレを出してくるあたり、トラ子は天然であざといよね」

「……澪先輩こそ、いきなり皮肉を言っていただきありがとうございます。年の終わりまで変わりませんね」

「あ、出た出た。いるよね、大晦日になると何でも『今年最後』とか言い出す奴」

「事実なんですからいいじゃないですか」

「あー、はいはい。二人ともその流れでケンカするのもやめような」


 安堵するのも束の間、今度は大河と澪が言い争いを始めようとする。

 知ってた。こうなるよね、うん。

 ははは、と枯れた笑いを浮かべていると、雫がぱっと顔を出す。


「っていうか、みんな流してますけど。どうして大河ちゃんと入江先輩はここにいるんですか?」

「えぇ、それはね……って、時雨? あなたに伝えておくよう頼んだはずなのだけれど?」

「サプライズの方が盛り上がるかなって思ってさ」

「あー、入江先輩。時雨さんのことはさておいて説明をお願いします」


 時刻は11時。

 まだ年明けには一時間ほどあるが、こんな道端でうだうだやっているのもおかしい。大河と入江先輩がここにいる理由もよく分かってないし、そろそろ説明してほしい。

 そうねと言うと、入江先輩は説明してくれた。


「簡単に言うとね、両親が上手いこと親戚に話してくれたのよ。それで『家族四人で初詣に行く』ってことになったの」

「それから、父と母が気を遣ってくれて……友達と一緒に行っておいで、って言ってくれたんです」


 つまり、二人の両親の取り計らいってことだ。

 厳しい家なのだし、本当ならこんな夜に出歩くのは怪訝な反応をされてしまうのかもしれない。大晦日であっても、融通が利くとは思えない。それでもこうして来れたことには……ちゃんと感謝しないとな。


「って、わけだから。ここからは一緒に行きましょう。大河も、一瀬くんと会いたくてたまらなかったようだしね」

「~~っ! 姉さんに言われたくない」

「おあいこよ、おあいこ」


 言い合いを始める入江姉妹を見て、ねぇ友斗先輩、と雫が呟いた。


「類は友を呼ぶって、結構マジですよね」

「…………分かりたくないけど、分かる」


 気付きたくないことに気付きつつ、大晦日の夜は更けていくのだった。

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