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九章#30 ホーム

 数か月ぶりに来た墓参りは、何だか不思議なものだった。

 毎日のように家の仏壇で美緒と話していたからだろう。他の、もっと昔のご先祖様も入っている綾辻家の墓の前に立つのは変な気分だ。


 神社の人か、或いは祖父ちゃんや祖母ちゃんか。

 誰かやったのかは定かではないが、綾辻家の墓は綺麗だった。それでも何もしないのも気が引けて、父さんと二人で軽く洗ってみる。

 水が手に染みて、ひりひりと痛む。

 けどそれも墓参りをしているという感じがして、なかなかどうして、悪くない。


 そもそも31日なんて神社であろうときに来るのはどうなんだ、とか。

 父さんと二人っきりで墓参りをするのもくすぐったいな、とか。

 そんなことを考えながら墓洗いを済ませ、今度は父さんと手を合わせる。


「父さん、何も言わないの?」

「心の中で言ってるからな」

「そっか」


 まぁ、ぶつぶつ呟く方が変か。

 二人並んでこうして墓参りをしていると、ちょっぴり可笑しくて笑えた。とんだ罰合辺りだな、と苦笑しつつ、瞑目して念じる。


 ご先祖様、今年も一年ありがとうございました。去年まではこうして感謝できなくてすみません。来年も一年お願いします。

 母さん……美緒のこと、よろしく頼むよ。いつか父さんと行くから二人で待ってて。

 そして美緒――には、今更言うことはないよな。むしろこんな風に改まってると気恥ずかしいや。


「帰るか」

「だね」


 父さんも、もう済んだらしい。

 墓洗いに使った道具を返してから、帰路につく。


「ねぇ父さん」

「ん?」

「母さんのこと、まだ好き?」


 冬の帰り道。

 黙っているのも落ち着かなくて分かり切ったことを尋ねると、ふっ、と父さんはどこが自慢げに笑った。


「当たり前だろ。超ラブだ」

「あ、ごめん。いいおっさんがラブとか言うのは引くからやめて」

「えぇ……聞かれたから答えたのに」


 それにしても限度があるんだよ、父さん。

 俺は肩を竦め、どうしてこんなことを聞いたんだろう、と自問する。話すならもっと別のことでもよかったのに。

 自分の言葉の意図を探っていると、友斗は、と父さんが聞いてくる。


「好きな人、できたか?」

「……それ、クリスマスにも言ったよね。そういうことを思春期の男子に聞くな、って」

「そうなんだけどさ」


 じゃあなんで。

 そう聞くより先に、父さんが言った。


「雫ちゃんと澪ちゃんは、お前のこと好きだろ」

「……っ」

「見れば分かる。あの二人も、隠す気なかったみたいだし。友斗だって気付いてるんだろう?」

「…………うん」


 昨日の一連の二人の行動を見ていれば、容易に気付けることだった。今になって誤魔化しても多分無駄だから、小さく頷く。

 けれど、それ以上のことは言えない。

 何を言えばいいのか分からなかったし、父さんの方を見るのも怖かったから。


「あんな可愛い二人に好かれて、友斗も大変だな。あの二人の父親としては敵視しないといけないかもだが」

「実の息子相手に『どこの馬の骨とも知れない奴が』とか言わないでよ」

「それもそうだな」


 くくくっ、と父さんは笑う。

 胸が、ちくちく痛んだ。

 あの二人だけじゃない。俺は、大河にも恋されている。それなのに宙ぶらりんな日々をもうずっと続けてしまっているのだ。


「なぁ父さん。恋って、いつ終わるのかな」


 代わりに尋ねると、父さんが歩みを止めた。


「それは……誰の恋のことだ?」

「一般論だよ」


 或いは、俺のこの恋心。

 その終着点を教えてくれるのなら、それでもいい。

 なんて、最低なことを口にはできない。

 父さんは僅かに逡巡したのち、そうだな、と答えた。


「恋が終わるのがいつなのかは、俺には分からないな。人それぞれだし、終わらないことだってある」

「……うん」

「時間が経てば終わって、忘れてしまうのかもしれないし、いつまでも続くのかもしれない」


 でも、と父さんは俺を追い抜いて言う。


「恋は終わりを待つものじゃない。終わらせるか、実らせて愛にするか、そのどちらかだよ。どちらにもならなかった恋は、きっと呪いになる」


 ずしんと父さんの声が胸でこだまする。

 俺のこの気持ちは、実らせてはいけない禁忌の果実だ。

 だから――終わらせなければいけない。さもなくば、誰にとっても呪いになってしまう。

 血がはじけるように、心の奥で鈍痛がする。

 俺はにへらっと笑って、いいこと言うじゃん、と嘯いた。


「俺、遠回りして帰るから」

「……分かった」

「昼頃には戻ると思う」

「ああ」


 一人になりたくて、その場を去ろうと歩を進める。

 そんな俺の背中に、父さんは投げかけてきた。


「友斗、あの二人のこと好きだろ」

「……っ」


 キャッチボールなんてもう、随分としていないから。

 その言葉を上手くキャッチすることはできなかった。



 ◇



 自己嫌悪が波の音に流されるのに、だいぶ時間が要った。

 ようやく気分が落ち着いて家に戻ると、澪が台所に立っている。


「よっ。お昼作ってるのか?」

「ん……友斗。違うよ、これはお昼じゃなくて明日用」

「明日っていうと……お雑煮か」

「そ。おばあちゃんと一緒に作ってたんだけど、今ちょっと別の今年に行ったから」


 澪は珍しくエプロンを着けていた。

 おそらくは祖母ちゃんに合わせたのだろう。どこか野暮ったい柄のエプロンが良く似合っていて、見惚れそうになる。

 きゅっと唇を噛んでいると、美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐった。

 美味しそうで、懐かしい。

 祖母ちゃんがいつも作ってくれるお雑煮の匂いだ。


「美味そうだな、楽しみだよ」

「ん、楽しみにしといて。百瀬家の味、覚えてる途中だから。友斗のお嫁さんになってもいいようにね」

「っ……」


 ああ、好きだ。

 そう思わずにはいられなくて、かはっ、と息を零す。

 ズルいだろ、そういうのは。

 視線を持て余していると、にやーっと澪が悪戯っぽく笑った。


「あ、ドキッとしたでしょ」

「……別にしてない」

「今の間は?」

「単なるラグだな。コミュ障だから何を言おうか考えるのに時間がかかるんだ」

「あっそ。ま、今日はそういうことにしといてあげる」


 そう言って肩を竦めると、澪は鍋に目を落とした。

 エプロンを着けた後ろ姿を見て、どうしようもなく後ろから抱きしめたい衝動に駆られる。愛してるよ、と耳元で囁きたい。

 ふるふると首を振って、代わりに俺は澪の隣に立つ。


「さてと。そういうことなら、俺も手伝うかな。雫に教わったおかげでそれなりに料理はできるし」


 腕まくりをしながら言うと、はぁ、と澪が溜息をつく。

 それから、やれやれと呆れたような顔をした。


「いや、友斗の出る幕ないから。私がおばあちゃんに教わってるの」

「そうだけどな……っていうか、おばあちゃん、か。距離縮まったんだな」

「ん? ああ、それね」


 やけに仲良さげな言い方だったので、ふと気にかかった。

 少なくとも夏はここまで馴染んではいなかったと思う。あのときも料理を教わってはいたが、まだ祖母と娘って感じではなかったはずだ。

 澪は、んー、と一瞬考えてから口を開いた。


「気持ちが固まったからなのかもね」

「気持ち?」

「そ。友斗とずっと一緒にいたい、って。家族になりたいって思ったら、自然と躊躇いがなくなった」

「……そっか」


 家族になりたい、か。

 甘くて温かいその言葉に顔をしかめていると、澪がくすりと笑った。


「っていうか、馴染み具合で言ったら雫の方が凄いよ」

「雫?」

「ん。後で見に行くといいけど……今、おじいちゃんと格ゲーしてるから」

「マジかよ」


 そりゃ、凄まじい馴染み方だ。ちょっと気になる。

 同時に、雫も澪と同じことを考えてくれてるのかな、と思った。

 もしそうなら、心がどうしようもなく痛む。痛んだところで何も変わりはしないのに。


「雫は元々、おじいちゃんっ子なところあるしね」

「そうなのか?」

「そうそう。ママの方の実家でも、それなりに楽しそうにしてた。今はもう、おじいちゃんはいないんだけどね」

「……ああ」


 懐かしむような澪の言葉の意味は、よく何となく分かった。

 俺のもう一人の祖父ちゃんだって他界しているのだ。澪たちの祖父が他界していてもおかしくない。


「パパたちの方には、もう長いこと行ってないし。こういうおじいちゃんおばあちゃんの温もりって、割と久々なのかも」

「なるほどな」


 きしきしと、心が軋む。

 雫が、澪が、そんな風に思ってくれることが嬉しいから。

 だからこそ――壊してはいけない、と強く思った。


「じゃあ、俺も雫たちのところに行ってくるかな。戦力外通告されちゃったし」

「そうしな――っと、その前に」

「ん?」


 引き止められて首を傾げると、澪はお玉でお雑煮の汁を掬い、小皿に分ける。

 それから、ん、と差し出してきた。


「料理スキルは戦力外だけど、味見ならできるでしょ?」

「それは……そうだけど――」

「――新婚みたいで、照れる?」

「……っ」


 まさに、そう思ってしまっていた。

 こうやって味見するように言われるなんて、夫婦みたいじゃないか。ただアーンをされるように、味見をしろと小皿を差し出される方がよほど心臓に悪い。

 それでも、態度に出すわけにはいかないから。

 呑み込みそうになった息を吐き出して、にへらっ、と笑う。


「まさか、これぐらいで照れたりしねぇよ」

「私のことも味見したい、と」

「一ミリも言ってないよね?!」


 べっ、と澪が舌を出す。

 そうやって唐突に爆弾を投げるのはやめてほしい。早まりそうな鼓動を抑え、澪が差し出してきた小皿に口をつける。

 ん、ん、ん……っ。


「どう?」

「んー、いいんじゃね?」

「出た、テキトー」

「適当じゃねぇよ」


 嘘です、テキトーです。

 細かく味を判別できるほど舌に余裕があるはずがないのだ。

 でもまぁ、美味かったのも本当だ。いつも食べているお雑煮とそれほど変わらない。

 美味いぞ、と改めて告げると、澪は頬を緩めた。


「ならよかった……ま、おばあちゃんに教わった通りにやってるからできて当たり前なんだけどね」

「それを言ったら俺が味見した意味がなくなるんだよなぁ……」

「そんなの、新婚ごっこがしたかったからに決まってるじゃん?」

「はいはいそうだな……じゃあ、今度こそ行ってくる」

「うん」


 心臓がバクバクいってどうにかなりそうだったので、くるりと澪に背を向けた。

 『好き』が日に日に大きくなっていく。

 どうすれば終わらせられるのか分からなくて、唇を引き結んだ。

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