九章#27 温かい場所
今回は出発が遅かったので、祖父ちゃんたちの家に着いたのは夕方頃だった。
車から眺める海は、どこか薄ら怖いものがあった。
黄昏時の闇を溶かし、流し、それでも果てしなく広がっている。そう思うと、闇に吸い込まれてしまうような錯覚を受けた。
「あっ、思ってたよりあったかいですね」
「まぁ海近いしな。でも風は強いし、夜はちゃんと冷えるから。しっかり温めておかないと風邪引くぞ」
「むぅ、お兄ちゃんみたいなこと言いますね」
「うっせ。風邪引かれたら困るんだよ」
「私と一緒に楽しく年越ししたいですもんね?」
「…………まあ、そうだけど」
車から降りると、早々に雫にからかわれる。
こうもグイグイ来られるとヤバいんだよなぁ……かといって、自粛しろって言うのもおかしいし。流石に親戚一同(人数少ないけど)の前では同じことをしないと思うので、信じておくか。
「ね、友斗。荷物持って行ってくれない?」
「おう、いいけど……あれ。前、すぐそこまでだからいいって言わなかったっけ」
夏休みのことを思い出して言うと、澪は、ああ、と頷く。
あのときは俺から荷物を持とうとしたが、着替えとかも入っているから大丈夫だ、と言われたはずだ。
「ま、別に着替え持たれてもいいかな、って」
「どんな信頼だよ……」
「信頼じゃなくて覚悟だけどね。っていうか、今回は前より多めだから重いの」
「さいですか」
覚悟って法には触れないことにして、俺は肩を竦めた。
何せ五日間だ。荷物が多いのは理解できる。トランクに置かれている時点でもどっしりと重さを察することができるので、流石に持っていくべきだろう。
「あ、じゃあ友斗先輩! 私のもお願いしていーですか?」
「ん、おう。了解」
「イケメンポイント稼げて嬉しいです?」
「稼げてないし、嬉しくもない。いいから寄越せ」
「はぁーい」
そりゃ好きな子にいいところを見せられるのは嬉しいんだけども。
口が裂けてもそんなことは言えないので、こほん、と咳払いをして、二人分の荷物を受け取る。ちなみに俺は二人の荷物が持てるように今日もリュックにまとめておいた。抜かりがないからって雫がにやけてるが今回は無視する。前回のやり取りの焼き直しをしてもしょうがないしな。
「重……っ」
「大丈夫か? どっちか持つぞ?」
「……いい。父さんは義母さんの分を持ってあげて。あと、年なんだから無理しないで。ぎっくり行くぞ」
「うっ、ま、まだぎっくり腰って年じゃないと思うんだがなぁ」
どうだか。もういい年なんだし、無理はしない方がいい。
まぁ身内っていうか祖父ちゃんがめちゃくちゃ元気だし、多少の無理はしろよって気もするけど。
なんて思っている間に、父さんがピンポンを鳴らした。
どしどしどし、とやっぱり重い足音が聞こえる。
「お、太海、友斗! よくきたなァ! 美琴ちゃんに……澪ちゃんと雫ちゃんもいるじゃねぇか。がっはっは」
「……祖父ちゃん、相変わらず元気だね。うん、超相変わらずで軽くデジャブだよ」
「あったりめぇよ! 大乱闘したって俺ァ負けねぇからな!」
「今度は格ゲーにはまったんだ……」
「お、よく分かったな」
「分かりやすいしね――って、この会話もまるっきり焼き直しなんだよなぁ」
ま、変わらず元気ってことで。
格ゲーなら俺もできるし、あとでやってやろうかな。FPSはちょっと苦手だけど。
「まぁ、こんなところで話してもしょうがねェや。とりあえず中入れェ。晴季たちはもう来てるぞ」
晴季さん、か。
今は俺の上司みたいなものでもあるし、ちょっとくすぐったいな。そんなことを思いつつ、俺は家の中に入る。
なお――父さんはやっぱり、最初の一言でスルーだった。
子供より孫を可愛がるってのはほんとなのかね。
◇
「友斗くん、この前ぶりだね!」
「あっ、どうも」
「んァ? この前ぶりって、なんかあったのか?」
荷物を部屋に置いてからリビングに行くと、既にそこには晴季さんたち三人と祖母ちゃんがいた。
真っ先に晴季さんが声をかけてくるので応じると、祖父ちゃんが不思議そうに聞いてくる。
「あ、うん。ちょっと晴季さんに仕事を紹介してもらったんだよ」
「仕事なァ。そりゃいい。もう始めてるのか?」
「ん、いやまだ。1月からでしたよね?」
「うん、そうだね。1月の中旬ぐらいにデータを送る予定だよ」
「ほーん。いいないいな! 頑張れよォ!」
あんたはあれか、冒険者ギルドで新人冒険者を応援するベテラン冒険者か。
内心でそうツッコんでいると、父さんがひょいと顔を出した。
「ああ、兄貴。その節は友斗が世話になったみたいでありがとな」
「ん、別にお前のためにやってるわけじゃないからな。俺は友斗くんの人となりを判断して任せただけだし」
「ふぅん? ま、うちの友斗だからな」
「その言い方、ムカつくな……今に見てろよ。友斗くんはこっちに――」
べらべらと言い合いを始める父さんと晴季さん。
うーん、このやり取りに混ざるのは面倒そうなのでやめておこうかな。
さて、と視線をスライドさせると、いつの間にか義母さんとエレーナさんが仲良さげに話していた。
「……ねぇ友斗先輩」
「ん?」
「私たちの周りの大人、順応性高すぎませんかね」
「あー、否定できないな」
「私たちと血が繋がってるとは思えないよね」
「それね」「それな」
一人はぼっち、一人は孤高、一人は養殖型小悪魔。
決してコミュ力がないわけではないが、ちょっとこの人たちを真似できる気はしない。これが大人と子供の差なのだろうか……。
それとも―――と思っていると、隅に座っていた時雨さんがちょいちょいっと俺たちを手招いてきた。大人たちの会話に混ざると非常にカロリーを使いそうなので、三人揃って大人しくそちらに向かい、腰を下ろす。
「やあ、三人とも。一週間ぶりだね」
「どうも」
「お久しぶりです!」
「久しぶり」
三者三様の返事だった。
澪は、時雨さんのことをあまりよく思っていないらしい。当然と言えば当然だ。二学期に起きた色んなことの糸を引いていたのは、紛れもなく時雨さんだったわけだし。
無論、あくまでそれらは時雨さんの意図通りになっただけで、決断は全て俺たちがしてきたものだ。それは雫が以前口にした通り。それでも大人になりきれるところとそうでないところがある、ってことだろう。
一方の雫は、ちっとも気にしていない様子で元気よく挨拶をした。こういうところだよな、と思う。
俺は……なんだろうね。普通の従弟としての反応だったつもりだ。それ以上でも、それ以下でもなく。少しだけ心中を探られたくないって思いはあるけれども。
「ふふっ、いいなぁ。本当は大河ちゃんもいればよかったけど……うん、キミたち三人でもいいと思う」
「そう思うなら、雫に酷いことをしたことを謝ったらどうですかね」
「お姉ちゃん、そのことは話したでしょ? 別に時雨先輩が悪いわけじゃないって」
「それでもだよ。トラ子みたいになれとは言わないけど、確信犯で悪事を働いたなら謝るべきでしょ」
澪が不機嫌にそう言うと、時雨さんはくすくすと笑う。
一瞬だけ澪を懐かしむように見つめると、すぐに首を横に振ってから口を開いた。
「そうだね。澪ちゃんの言う通りだと思う。……雫ちゃん、ごめんなさい。ボクは雫ちゃんのことを何も分かってなかった。雫ちゃんは友斗くんのことを、ずっと照らしてくれてたんだね」
「えっ、あ、いやそんな風に言われることは……うん? あれ、今なんか変じゃなかったですか?」
「んっと、何のことかな?」
「ええっと……すいません。気のせいかもです」
ん? ん? と雫が首を右に左に傾げる。
だが俺も澪も、特に違和感を抱きはしなかった。分からん、と視線で雫に伝えると、雫は諦めたようにこくりと頷いた。
「これでいいかな、澪ちゃん」
「……ま、いいんじゃないですか。でも私は霧崎先輩のこと、あまり好きじゃないです。倒すべき敵だと思ってるんで……大学でも、首洗って待っててください」
「うん、そうするね。何せ今のボクは負け越してるし」
「はっ、よく言いますよ……」
戦闘民族みたいな会話を二人が繰り広げ始めると、こん、とテーブルに三人分のカップが置かれた。
見上げれば、祖母ちゃんがそこにいる。どうやら俺たちが到着したので入れてくれたらしい。
「熱いから気を付けてねぇ」
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
「ありがとう、祖母ちゃん」
いいんだよぉ、と告げると、祖母ちゃんはのっそりのっそり祖父ちゃんの隣に戻る。
カップを両手で持った雫は、中を覗き込んで呟いた。
「あっ、ココアだ……」
「うんうん。お祖母ちゃんのココア、とってもあったかくて美味しいよ」
「普通のと違うんですか?」
「ちょっと違うみたい。お祖父ちゃんと結婚する前、よく二人でお家デートしながら飲んでたんだって。お祖母ちゃんのココアに惚れた、っておじいちゃんは言ってたかな」
「へぇ……」
素敵だなぁ、と雫が漏らす。
澪も、だね、と言ってカップの中を覗く。
祖母ちゃんはあまり喋らない。けれど、いつも祖父ちゃんの隣にいて、それがとても幸せそうだって伝わってくる。きっとそれは、とても素敵な愛のカタチなんだと思う。
なら、俺は…………。
「あったかいね、キミ」
「……うん」
飲みかけのココアに口をつけた時雨さんが、そっと言ってくる。
そうだな、と思った。
この場所は、とっても温かい。
微睡みのようで、揺蕩うようで。
「あち」
低温火傷、しそうだった。




