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九章#25 大掃除助っ人☆☆

 ベッドに押し倒してしまうという、またしても入江先輩には言えないことをした点を除けば、部屋の掃除は割と順調に進んだ。


 大河の部屋が片付かないのは、片付けができないというより物が捨てられないせいらしい。要らなそうなものはちゃんと捨てるように叱りつけると、大河は素直にゴミをゴミ袋に詰めていった。


「あとは雑誌系だな」

「ですね」

「なんか、思うけど。女子って雑誌好きだよな」


 ずらりと詰まれた雑誌を眺めながら俺は呟く。

 が、大河はいまいちピンとこなかったらしい。はてと首を傾げる。


「むしろ最近は出版不況と言いますし……あまり雑誌を買う同級生を見ないような気もしますが」

「そうなのか? 澪の部屋には、結構雑誌があったんだが」

「……澪先輩の部屋に入ったんですか」

「間が怖ぇんだよなぁ」


 怒っているわけではなさそうだが、フラットな感情でもない。何とも形容しがたい雰囲気がひしひしと伝わってきて苦笑していると、冗談ですよ、と大河は笑った。


「澪先輩の部屋に入ったくらいで何も思いません。羨ましいな、と思うことはありますが……嫌ではないですから」

「……それ、どういう感情?」

「どういう感情なんでしょうね。私にも分からないです」

「さいですか」


 そんなことを笑顔で言われると、こちらもどう反応すればいいのか困ってしまう。怒って、詰って、夏みたいに言い咎めてくれた方がよかった。

 零れそうな言葉をじゃりじゃりと噛み砕いて、代わりに俺は話を進める。


「で、どうするこれ。そこそこ数あるけど、まとめて捨てるか? それとも整理して取っておく?」

「ええっと……そうですね。捨ててしまおうと思います。もう全部読みましたし、付録目当てのものもあったので」

「あー、なるほど。了解」


 付録かぁ、そういうものあるんだなぁ……と若者の行動に驚くおっさんみたいなことを心中で思いつつ、俺は頷いた。


「じゃあ上手いこと分けとくから、ビニール紐持ってきてもらっていいか?」

「了解です。すみません、大変なことをお任せしてしまって」

「気にすんな。頼られたら嬉しくなるタイプの先輩だからな」

「ユウ先輩の場合、かなり自虐ネタですよね」

「……それな」


 メサイアコンプレックスを一度意識してしまうと、笑いごとではなくなるから困る。誰かに診断されたわけでもないし、勝手に自覚しているだけだけど、直さなきゃいけない部分であることには違いないからなぁ……。

 苦笑いしながら、一人残った部屋で作業をする。


「ファッション雑誌とか、読んでんのか……」


 手に取った雑誌を見て、つい呟いてしまった。

 こうして人の部屋を漁ると、色々と意外な一面が見えてくる。晴彦たちが俺の部屋を漁りたがった気持ちもちょっと分かる気がした。あいつらが求めてたものは当然どこにもないんだけど。


「ま、ジロジロ見るのはやめとこう」


 大河がオシャレに無頓着ではないことは、普段着ている服や以前のなんちゃってファッションバトルで分かっている。今更驚くことではない。

 大河がファッション雑誌を眺めている姿はちょっと萌えるけど……プライバシーに関わるので、想像するのはやめておく。


 ファッション雑誌、料理雑誌、ファッション雑誌……。

 一応重要なものが挟まっていないかパラパラ確認しつつ纏めていると、雑誌と雑誌の隙間に何かが挟まっていることに気付く。


「ん……?」


 手に取って、それが写真立てだと気付いた。

 何故こんなところに、と思いながらも中に入っている写真を確認してみる。


 どうやらそれは、家族写真のようだった。

 小さな二人の女の子と美人な女性。それからハンサムな男性が並んでいる。おそらく女性の方が大河の母で、男性の方が父なのだろう。


「そっか……やっぱ、あの子なんだな」


 二人の女の子のうち、小さい方が大河だ。

 見覚えがある。微かな記憶の解像度が少し上がった。そうだよ、この子が髪を突然切ろうとした変な子だ。

 くすくす笑っていると、きぃ、と扉が開く。


「お待たせしましたユウ先輩……って、それ、どこにあったんですか?」

「おかえり、大河。この写真立てなら、雑誌の間に挟まってたぞ。失くしてたのか?」

「失くしてたというか……特別探してもいなかったんですが、どこにあるのかな、とは思ってました」


 また言い訳を。

 そんな風に思いながら大河の表情を窺うが、どうも嘘をついているわけではないらしい。写真にそこまで興味がなさそうな素振りを見て、少し違和感を抱いてしまう。


「悪ぃ、あんまり見られたくなかったか?」

「いえ、そういうわけでは。ただ……その写真は多分、あっちで撮ったものなので」

「あっち?」

「父方の祖父母の家です」

「ああ」


 なるほど。言われてみれば、後ろの景色には見覚えがある。


「だから、好きじゃないんです。顔も笑ってないですし」

「ん……まぁ、そうだな」


 大河の言う通りだった。

 大河だけじゃない。写真に映る四人全員がちっとも笑っていない。まるで笑って写真を撮るなんてふざけていると言わんばかりの、息苦しさのある真顔の家族写真だった。


「ごめんなさい、変なこと言ってしまって。写真立てが見つかったのは嬉しいです。この前球技大会で撮った写真、プリントアウトしようと思っていたので」

「そっか」

「だから……気になさらないでください。それより、どうぞ。ビニール紐です」


 ふるふると首を横に振ると、大河は作り笑った。

 痛ましいその笑顔を見て、そうか、と気付く。

 入江先輩が俺を呼んだ理由を、遅ればせながらようやく気付くことができた。つまりはそういうことなんだろう。


「気にするなって言うなら、気にしない。俺には責任が取れないからな」

「……はい」

「でも話したいなら聞く。話すだけでも楽になるかもしれないぞ」


 だって、俺がそうだから。

 この想いを口にできなくて、灼けそうなほど胸が苦しいから。

 そんな言葉を飲み込んでいると、大河は顔を僅かに歪めた。


「別に、大したことじゃないんです。ただ……父方の親戚には、少しステレオタイプな考えの人が多くて」

「うん」

「ステレオタイプというより、過度な古風さ、と言うんでしょうか。両親が結婚するときも、母が外国人だからという理由で渋ったらしくて」

「うん」

「昔から姉や私の髪色が金髪なのを見て、渋い顔をするんです。何か失敗したら、母のせいにされてしまって」

「うん」

「最近はそちらの面ではあまり酷くないんですが……やはり、過度に厳しいというか、ステレオタイプでして。女は大学に行かなくていいとか、いい婿を見つけろとか、そんなことを言うんです」

「……うん」


 俺には分からない世界だ。

 いや、別に特殊な世界というわけではないのだろう。上流階級の、雲の上の世界ってほどのことではない。おそらく今も日本のどこかにはあって、誰かが鬱屈な気持ちになっている。そういう家庭状況だ。

 ただ――俺には経験がない、というだけの話。


「だから今も小さい頃も、あの家が嫌いなんです。だからそんな嫌いな場所で撮られた写真も、あまり見られたくありませんでした」

「そっか」


 明確な問題がある、というわけではない。

 ただ厳しいというだけ。しかも両親ではなく、あくまで親戚だ。一番近い相手でも祖父母だろう。

 だから、とりたてて深刻なことではない。


「大変なんだな、色々と」

「そうなんです。私がユウ先輩を好きだなんてバレたら、ユウ先輩と面会させろって言って聞かないかもしれません」

「うわぁ……それはマジで大変だな」


 大河のからかうような言葉に枯れた笑みを零す。

 少なくとも、そうやってからかえるぐらいには余裕ができたみたいだ。


「ま、面倒な家は面倒だろうしな。俺たちも年末年始はあっち行くし、隙見つけて逃げて来ればいい」

「……そうですね。帰省が面倒なのは慣れっこですから」

「おう。んじゃまぁ、作業再開するか」


 はい、と明るく笑う大河。

 受け取ったビニール紐で雑誌を縛ろうとしていると、あのっ、と大河が声をかけてくる。


「ごめんなさい、何度も中断させてしまって」

「いや、別にいいぞ。どうかしたのか?」

「えっと……」


 聞けば、大河は迷うように口を『あ』と『お』の間で彷徨わせた。

 空中遊泳した視線は、やがて俺の視線とばちっと重なる。大河はきゅっと俺の服の裾を摘まんできた。


「さっきみたいに、頭撫でてもらえませんか?」

「えっ?」


 唐突な申し出に、間抜けな声が出る。

 あぅ……と可愛らしく声を漏らすと、ぶんぶんと首を振って大河が続ける。


「もちろんあっちに行っても遊びたいんですけど……多分、夏ほど好き勝手にはできないと思うんです。姉も大学進学しますし、年末年始なので」

「そ、そうか。まぁそうだよな」


 夏休みは海に夏祭りに、割と好き勝手やっていた。俺たちも年末年始は遊んでばかりってわけにはいかないのだから、大河もそれは同じだろう。


「なので……元気、ください。何か辛いことがあるとかじゃないですし、ただ時間が過ぎるのを待っていればいいんですが……それでも、あの家は息苦しいんです。だからチャージさせてください」


 甘えるようなその声に、心が揺れる。

 そんな風に言われて、断れるわけないじゃないか。


「俺でいいのか?」

「好きな人ですから」

「っ、頭を撫でればいいのか?」

「さっき、とても落ち着いたんです」

「そ、っか」


 これ以上の問いは無粋だろう。

 大河は勇気を出したのだ。その勇気には応えるべきだと思う。胸に抱える『好き』を口にできない、せめてもの罪滅ぼしとして。

 そっと触れた大河の髪は、ふんありと柔らかかった。

 ゆっくりと丁寧に頭を撫でる。


「ユウ先輩……好きです」

「……うん」

「大好きです」

「…………うん」


 俺もだよ、と言いたいのに。

 折角『好き』を見つけたのに。

 言えないことがもどかしかった。



 ◇


 ――夜、大河宅にて。


「今日、ユウ先輩に家のこと少し話した」

「……そう。彼はなんて?」

「大変だな、って」

「彼らしいわね。おそらく彼は、何となく事情を察していたのだろうし」

「うん」

「けれど……本当に言うべきは、彼じゃないでしょう? 四人でいたいのなら、逃げちゃダメ」

「…………うん。話すよ、ちゃんと」

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