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九章#10 時雨さんと

「恵海ちゃんも忙しいねぇ……それでも来てくれるあたり、いい子だけど」

「まぁね。でも人望だけなら時雨さんも負けてないでしょ。冬休み、後輩に遊びに誘われたりしてるんじゃない?」

「んー、そうでもないよ。ボクの場合、特定の子と仲良くっていうのはあんまりないから」


 入江先輩がいなくなって、ハンバーガーショップでは俺と時雨さんが二人っきりになっていた。と、まぁ『二人っきり』と言うと意味深なように聞こえるが、周りには当然他の客がいるし、そもそも俺と時雨さんである。意味深になるわけがない。


 人がたくさんいるなかで駄弁っているのも申し訳ないとは思っていたのだが、ちょうど俺たちが食べている間に店内の人口が減り、多少話しているくらいなら問題ない状況に変わっている。


「そっか。部活とか入ってるわけじゃないもんね」

「うんうん。だから生徒会の子くらいだよ」

「なるほど……じゃあ、如月とかか」


 一年生とはまだ交流も少ないだろうしな。

 考えてみれば、俺も如月と休日に会ったのは数えるほどしかない。学校では昼を一緒に食ったり放課後仕事したりするが、学校以外となると別だ。

 特に二学期は何かと忙しかったもんな。文化祭に生徒会役員選挙、修学旅行と生徒総会の準備の同時進行ときて、その後に先日の冬星祭だ。一学期もそこそこに忙しかった記憶があるが、二学期はその比じゃない。


「キミも生徒会の一員だし、可愛い後輩だけどね。ついでに弟子でもある」

「それ以前に従弟だけどね……っていうか、弟子設定、まだ生きてるんだ」

「もちろん。ボクがキミに色んなことを仕込んだのは事実でしょ?」

「それは…………否定できないな」


 今生徒会で発揮しているスキルは、ほとんどが時雨さんに教えられたものだ。もちろん教えられたと言えるほどきちんと教えてもらえたわけではなく、割と見て学べの職人スタイルだったけど。

 それでも、時雨さんには色んな事を教わった。

 それは単なるスキルの話だけではなくて。

 俺と同じように生き方を見つけられずにいた時雨さんが生き方を見つける姿は、今も鮮烈に脳裏に焼き付いている。


 だが――時雨さんは、先に前へ進んだ。

 俺も追いつかなくちゃな、と思う。

 “生き方”をきちんと見つけないと。美緒に合わせる顔がない、なんてことにならないように。

 そんな風に思えたのも時雨さんのおかげだから、


「じゃあそんな生徒会OG兼先輩兼師匠兼従姉へのお礼ってことで。これ、受け取ってよ」

「うん……ありがとう」


 俺は時雨さんに用意したプレゼントを渡す。

 時雨さんはラッピングされたそれをまじまじと見つめ、小さく口を動かした。何かを言っているような気がするけれど、おそらく聞かせる気がないのだろう。声はBGMにかき消されるまでもなく、溶けていく。


「開けてもいいかな?」

「うん、どうぞ。但し気に入らなくても返品は受け付けないからそのつもりで」

「もちろんだよ。折角キミがくれたのに、返品なんてしない」

「……そっか」


 そう言われれば、悪い気はしない。まぁ時雨さんはそこまで非常識な人じゃないし、嬉しくなくても笑って受け取ってくれるとは思ったけれど。

 時雨さんは、ふっ、と頬を緩めてから包み紙をそっと開ける。


「これは眼鏡、だよね」

「うん、ブルーライトカットのね。俺と雫は持ってるんだけど、割と使い勝手がいいからさ。時雨さんもパソコン使うこと多いだろうし、ちょうどいいかなって」

「なるほど。……そっか、そういえばキミ、ボクのペンネーム知ってるんだもんね」

「あ、ま、まあ」


 時雨さんが思い出すように言うので、俺は渋い顔をせざるを得なくなる。

 ドライブのときは入江先輩が知ってたからって流れで乗っかっちゃったが、俺が壬生聖夜を知ってるのもおかしいんだよな。時雨さんへの書籍化打診もまだ行ってないらしいので、尚更事情を話しにくい。


「たまたま、ね。ちょうど目についた作品を読んだら、俺たちのことが書いてあったから」

「ふふっ、確かに。よく考えると痛いね?」

「よく考えなくても痛いから大丈夫。てか、そのナリでがんがん流行りに乗った作品書いてるっていうギャップに比べれば気にならないよ」

「むっ、見た目は関係ないでしょ? むしろ銀髪美少女が作家なんてありがちじゃないか。天才みたいで」

「……それが否定できないから口惜しいよ」


 天才なのは否定できないのだ。

 時雨さんの作品は、どれも面白い。もちろんどの業界も『いいものを作れば売れる』というほど単純ではないから、順風満帆にやっていけるかは分からない。面白さなんて所詮は主観だしな。

 でも少なくとも、時雨さんの作品は目利きには好まれるはずだ。

 ふと、俺が知るもう一人の天才のことが頭によぎる。


「今度さ」

「うん」

「美緒が書いた話、持ってくるよ」

「美緒ちゃん、お話作ってたんだ?」

「うん。小二とは思えない神作だから、ぜひ読んで。たとえ天才の時雨さんでも、美緒のことは超えられないって思い知るよ」

「キミの美緒ちゃんへの愛も大概だよね……」


 時雨さんは、微笑と苦笑が混ざった顔になる。

 うるさいやい。本当に神作なんだからしょうがないじゃないか。マジであの子は天才だからな。

 俺が視線で不服の意を訴えると、時雨さんは肩を竦めた。


「ま、それはいいとして。着けてみてもいいかな、これ」

「え? まぁ、お好きにどうぞ」


 眼鏡を指して言う時雨さん。

 度が入っているわけでもないのでここで着けても意味がないと思うが、着けてみたいのならダメだと言う筋合いもない。プレゼントした以上、時雨さんのだし。

 時雨さんはケースから眼鏡を取り出し、そのまま着けた。

 くいっ、と位置を調整する様がよく映える。


「どうかな?」


 僅かに首を傾げるその姿を見て、俺は無数に本が並んだ部屋を幻視した。少し顔をしかめたくなるほどの紙の匂いと、いつまででも物語に浸かっていられる幸福感。びよーんと水あめみたいに時間が延びているんじゃないか、って思える。

 ――そういえば、と思う。

 美緒と時雨さんは、二人で本を読んでたっけ。俺もそれなりに本を読むのが好きだったけど、それ以上に美緒に聞かせてもらうのが好きだった。なんで、どうして、って質問すると延々と考えて、美緒なりに物語を解釈して伝えてくれたから。


 あの頃から美緒と時雨さんは、物語を紡いでいたんだろうな、と思う。

 時雨さんはきっと、その世界で生きていく。兼業かもしれないし、専業でやっていく可能性もあるけど、物語を紡ぐことを生業とすることは確実だろう。


「似合ってるよ。文学少女か文豪みたいだ」

「でしょ? 文学少女で、未来の文豪だから」

「そっか」


 とっくに生き方を見つけて、進んでいる時雨さん。

 生き方もろくに分からず、そのくせ不誠実な想いを持て余している俺。

 いい子と悪い子の分水嶺が明確に見えてしまって、俺は苦笑した。


「時雨さんの本を読めるの、楽しみにしてる」

「うん、楽しみにしてて」



 ◇


 SIDE:時雨


 ハンバーガーショップを出ると、ひゅうるりと冷たい風が吹いた。

 《《友斗くん》》は身を竦め、クルクルと首元に赤いマフラーを巻いていく。見るからに新しいそれは、きっと昨日あの子たちから貰ったものなのだろう。僅かに緩んだ友斗くんの頬が、何より雄弁に語っていた。


「そのマフラー、あの子たちが貰ったんだ?」


 分かっていてあえて言うと、ぽっ、とショートケーキの上の苺みたいに頬が赤く染まる。気恥ずかしそうに視線が泳いだかと思うと、まるで何かに行き詰ったみたいに困った顔をし、そしてぷいっとそっぽを向く。どう考えても挙動不審だった。


「…………まぁ」

「よかったじゃん、よく似合ってる」

「似合ってるかな? 俺には派手過ぎる気もしてるんだけど」

「うーん……確かに派手ではあるね」


 友斗くんはベージュとか白とか黒とか、割とシンプルで落ち着いた色の服を着ていることが多い。

 だから赤いマフラーは当然目立つのだけれど……でも似合わないかと言えば、そうじゃない。まるで友斗くんとあの子たちとの赤い糸で編まれているようで、素敵に見えたから。


 昨日の夜、ぽっと生まれた気持ちと向き合った。

 ――恋する友斗くんを見て、ボクも恋に堕ちた。

 言葉にするとありきたりな叶わぬ恋で、くすくす笑えた。


 でも、この気持ちを否定するのはダメだ、と思う。

 ボクは友斗くんのことが好き。この気持ちを否定してしまえば、他の誰かの気持ちにも自分勝手な理屈をつけて否定してしまいかねない。

 だから否定はしない。


 友斗くんに貰った眼鏡は、どうしようもなく嬉しくて。

 褒め言葉も、堪らなく甘やかで。

 ああ、これが好きなんだ、と思う。


 手遅れだし、筋合いもないし、許されないって分かってもいるけれど。

 それでもボクは、


「ねぇキミ」

「ん?」

「ボク、実はクリスマスプレゼントの準備してないんだよね」

「あー、いや、別にお返しとかいらないよ。いつものお礼だし」

「ううん、それを言ったらボクだってキミにはお礼したいもん。かといって、今から買いに行くのもしっくりこないんだよね」


 悪あがきをしてみようと思う。

 もう『その気持ちは持っちゃいけないんだよ』なんて言わなくて済むように。


「だから、三つだけどんな願いでも叶えてあげるよ」

「どこのランプの魔人だよそれ……っていうか、三つは貰いすぎじゃない?」

「そうでもないよ。キミがくれた眼鏡は、三つお願いを叶えてあげたいって思うほどに嬉しかったから」

「っ、そっか。喜んで貰えて何より」


 少しは照れ臭く感じてくれたのか、友斗くんはマフラーに顔を埋める。

 にっこりと笑っていると、分かったよ、と肩を竦めた。


「じゃあ三つ、考えとく。使い切れるか分からないけど」

「何でも言っていいんだよ? 億万長者くらいにならしてあげられるかもしれないし」

「……時雨さんだと冗談じゃないんだよなぁ、それ」


 くしゃっと破顔する友斗くんと歩く街は、今までの冬より温かい。

 恋をすると世界が変わるというのは、どうやら本当らしかった。

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