九章#03 ルールとハテナ
戸締りを終えて玄関に向かうと、そこには俺の知り合いが大勢いた。
晴彦をはじめとし、如月と伊藤までいる。あと時雨さんと入江先輩がいれば全員集合だ……やだ、俺の知り合い少なすぎ?
まぁミスターコンで非情に申し訳ない感じになってしまった杉山クンや、生徒会の花崎や土井も知り合いだし、顔が狭いわけじゃないんだけどさ。
それでも俺は、深く関わっている人はとても少ないと言えるだろう。しかもその比率は確実に女子に偏っている。何か悪いことをしているような気分になって、ズキンと胸が痛んだ。
「あっ、友斗せんぱ~い! 遅いですよぅ」
俺の知り合いの中心にいたツインテールの女の子が、星屑みたいに笑って言った。
たっ、たっ、と駆け寄ってくると髪が揺れ、お月様でモチをつく兎みたいだな、と思える。
「遅いって言われてもな……こっちは仕事してたんだよ」
「それはもちろん知ってますよ? だから大天使・シズクエルのエンジェルスマイルで癒してあげてるんです」
「小悪魔なのか大天使なのかどっちなんだよ……」
「どっちもです♪」
ぶいっ、と両手でピースサインをする雫。
あー、クソ可愛いな。いや今までも可愛いのは分かってたしドキドキしてたけども。好きになる前と後では見え方が全然違う。
んんっ、と咳払いをし、俺は他のメンツに目を遣った。
すると、真っ先に伊藤が目を輝かせて言ってくる。
「ねぇねぇ百瀬くん! しずちー、いい子すぎでしょ! ウチ、めっちゃお持ち帰りしたいんだけど」
「ふぅん? うちの雫をお持ち帰り? いい度胸だね」
「目が怖いよ目がっ?! 百瀬くんに言ったのに百瀬くんの出る幕がないんだけど?!」
「当たり前じゃん。雫は友斗の妹じゃなくて私の妹なの。私だけの妹」
「お姉ちゃん、その言い方はちょっと怖い」
「雫!?」
雫の正直な言葉の後、どっ、と笑いが起こる。
夜だからか、笑い声は控えめだ。その辺りの配慮ができるところは好きよ。
三人のやり取りを眺めつつ、晴彦たちのところへ向かう。
「よっ、ミスターグランプリ。かっこよかったぜ」
「茶化すな。入江先輩と同数優勝なんだし」
「ふふっ、確かに。澪ちゃんを引っ張り出してきたのに勝てなかったってのは、ちょっとかっこ悪かったかも」
「あの大人げない二人のやりたい放題を認めたルールガン無視の運営がなんか言ってる」
堪らず、俺は如月を睨む。だが如月は涼しい顔のまま、かちゃっ、とインテリキャラっぽく眼鏡の位置を戻した。バカのくせにそういう仕草をしないでほしい。
晴彦はけらけらと笑いながら、ぱんぱん、と背中を叩いてきた。
「ま、いいじゃん? バッグハグに三連床ドン。俺でもときめいたね」
「そうねそうねっ! おかげで盛り上がったわ」
「いざとなるとあーいう恥ずかしいことでもできちゃうのが友斗って感じだわ」
「ぐぅ……うっせ」
ばつが悪くなって、俺はそっぽを向いた。
あのときはまだ澪が好きじゃなかったから、ああいうこともできた。美緒だと見立てはしても、あくまで澪だと理解していたから。
そんなことを考えていると、
「まぁ……」
「ねぇ?」
と、二人がニヤニヤと意味ありげな目配せをする。
なんだこのカップル、うぜぇ。
じっと睥睨するが、今度な、と適当にあしらわれた。
「あっ、すみません。お待たせしちゃいました」
適当に話していると、やがて職員室に鍵を返したであろう大河がやってくる。
大河が来た以上、ここで駄弁っているのも寒いだけだ。
「じゃあ今日は帰るか」
「だなぁ。またラインするわ」
「うい」
「雫ちゃん、また今度ね~」
「はいっ! よろしくですっ!」
「しずちー、ばいばい~♪」
「ばいばいです!」
…………。
「なぁ大河、人望っていうのは――」
「私も今感じたのでそういうことを言うのはおやめ願います」
「ああ」
雫ってナチュラルボーン後輩だよなぁ、と。
ちょっと思った。
◇
帰り道。
流石に四人の大所帯になると並んで歩くわけにもいかず、自然と二・二で別れることになった。
……と、ここまではいいのだが。
問題は、その組み合わせである。
「なぁ雫」
「なんですか友斗先輩」
「あの二人って、ステージの練習してるときもあんな風だったのか?」
俺は前を歩くペア――即ち、澪と大河――を指して、雫に尋ねた。二人は何やら言い争っているっぽいのだが、夜の住宅街で大声を出さないというマナーだけは守る律儀さゆえに何の話をしているのかは分からない。
隣を歩く雫は、くくくっ、と楽しそうに頬を緩めた。
「そうですねぇ。ケンカは多かったかもです」
雫は指をふりふりとしながら、ほら、と言う。
「私が友斗先輩に膝枕してもらったとき、あったじゃないですか。疲れたから、って言って」
「膝枕……あったな」
膝枕はしたことも、されたこともあった。
どちらも居心地悪くて、こそばゆくて、胸が詰まって。
今好きになって思い出すと、どうしようもなく体の芯が熱くなる。俺は誤魔化すように、ああ、と続けた。
「雫が疲れてたのって、あの二人に挟まれてたからなのか」
「半分はそーですね。もう半分は、本当に練習頑張ったからですけど」
「そっか」
頑張った。
その言葉が、チクリと胸を苛む。
毎週末大河の家に行ったり、何やら忙しそうだったりしたのを、俺は知っている。12月に入ってからの三人は、あのステージのためにたくさんの時間を費やしてくれた。
「ありがとな」
そして、ごめん。
後者の方は口の中だけで、俺は呟いた。
「はい。まあ頑張った甲斐があったっぽいので、私としては大満足です」
「それなら、よかったな」
「むぅ……そーやって、他人事みたいに言う」
拗ねたような声。
半歩分雫が車道側に寄ると、肩が触れそうな距離になる。こつんとぶつかる。ただそれだけで体温なんて分かるはずないのに、それでも触れられれば熱くなっていることがバレてしまうような気がして、一歩分車道側に動いた。
「ねぇ、友斗先輩。よく言いますよね。帰りまでが遠足だ、って」
「最近はネタ化してきてるけどな」
「帰るまでが冬星祭第二部だ、ってことになると思いません?」
こちらを覗き見るように身体を前に倒して、雫が聞いてくる。街灯に照らされたその顔は僅かな桃色に染まっているように見えた。
「……そう、なるかもな。それが?」
「だったらまだ、後夜祭は終わりじゃないわけで。ならお昼の約束、今からでも果たせるんじゃないですか?」
さっき澪とも話したことだ。
もう3分の1を結ぼう。俺が言い出して、三人は喜んでくれて、だから雫はまだ諦めずにいてくれる。
そうやって、想いの《《雫》》を決して零さぬよう拾ってくれる雫は、本当に素敵な女の子だ。時雨さんに語った通りに。
だからこそ、もう繰り返してはならない。
この恋心を貫こうとすれば、必ずまた間違えてしまうから。
「ごめんな、雫。もう無理だよ」
「……っ、どうして、ですかっ? 私たちのこと、嫌いなわけじゃないですよね?」
「嫌いじゃないに決まってる。でも――」
好きじゃないからやらない。
もしくは、好きな一人が決まったからやらない。
そう嘘を言えればよかった。でもそれはできなくて、きしきし軋む心のままに、ふるふると首を横に振る。
「――ルールは守らなくちゃ、ダメだろ」
「それは、そーですけど」
「早く行かないと、チキンとかなくなるぞ。さっさとスーパーに行って、夕食調達しようぜ」
言って、俺はずんずん歩く。
雫は一度首を傾げ、とたとたとついてきた。
ほぅ、と出した息は、冬そのものみたいに白んでいる。
マフラーに顔を埋める雫がどうしようもなく可愛くて、これ以上眺めていたら口に出てしまいそうで、俺はぎゅっと唇を噛んだ。
◇
SIDE:雫
「可愛い……」
「へっ?」
「ん、雫。どうかしたか?」
「え、えーっと……?」
?????
え、これ呟いてる自覚ない感じ?
吐く息みたいに頭の中が白くなるけど、立ち止まっているわけにもいかない。どうにもチグハグな友斗先輩に首を傾げつつ、私は歩き続けた。




