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九章#01 恋心

 酷いアイロニーだと思った。尻尾の『ロニー』は要らなかったのに、神様は愛だけを俺にはくれないらしい。

 12月24日、冬星祭。

 舞台の上で歌うサンタクロースたちを見ていると、痛いほどの動悸と妬けるほどの身体の火照りが襲い来る。


 雪が降って、しんしんと積もって、想いも罪も全部白く染めてくればよかった。春が来て溶けたら色んなものと一緒に流れて行って、跡形もなく消えてくれたなら。


 そんな最低なことを祈っている時点で神様にもカミサマにも怒られてしまうはずで。

 だから俺はこの場を逃げ出したくて仕方がなかった。


 雫、澪、大河。

 とても素敵な女の子だ、とずっとずっと思ってきた。俺を想ってくれることが嬉しくて、なのに『好き』を返せないことが申し訳なくて、いつか必ずって心に決めていた。

 けれども今――こうして、『好き』が生まれたとき。

 しかもその『好き』が一人に対するものではなく、三人に対するものだと自覚してしまったとき。

 苦しくてしょうがなくなった。


 或いは、あの子たちが許してくれるかもしれない。最低な俺を笑って許して、そんなところも好き、なんて都合のいいことを言ってくれるのかもしれない。

 だからこそ俺は、この気持ちを隠さなければならない。今持っている二つの『好き』を捨てて、たった一つの『好き』を選べる日まで――。


「そんなの……っ」


 サンタクロースの歌が終わる。

 ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち。

 波のように鳴る拍手の音に紛れて、俺は史上最低な一言を漏らす。


「できるわけ、ない」


 三つのうちの一つを選んで、あと二つを捨てるなんて。

 そんなことをできるはずがないのだ。

 そうやって捨てられる想いなら、端から抱いたりしないのだから。

 三つのうちの二つも捨てられるくせに、残り一つを捨てずに握っていられる保証がどこにあるというのか。


 ――なんて、考えは。

 あまりにも傲慢で、身勝手で、最悪だから。


「まさに墓場まで、か」


 死んで、美緒とまた出会える日まで。

 隠しきろうと心に決めた。



 ◇



「せーんぱいっ! どーでしたか~?」


 ステージが終わって暫く経ち、雫たちが俺のところにやってきた。

 恰好は言わずもがな、先ほどのドレスのままである。メイクもステージ用にしているためか、いつもよりも大人っぽさのある雫の表情にドキリとする。

 えへーっと笑う無邪気さと、エレガントさが滲むその姿。綯い交ぜになるような感覚にとくんとなる胸を、ぎゅっと堪えた。


「お疲れさん。凄かったな。まさか三人がこんなことをするとは思わなかった」

「でしょでしょ! みんなでこっそり準備してたんです。ね、お姉ちゃん、大河ちゃんっ!」


 雫の視線の先には、澪と大河が。

 澪は、うん、とチョコレートのように甘く微笑んでこちらに近づいてきた。


「衣裳の準備は入江先輩で、音楽は鈴ちゃん。他にも照明とかを手伝ったりしてもらってるからね」

「ほーん……全然知らなかった」

「そこはトラ子が上手く隠してたから。でしょ?」


 澪の色気は、もうなんというかヤバい。セフレだった頃に見たあられもない姿が否が応でも頭をよぎるし、身体の奥がじんじん熱くなる。

 きゅっと唇を噛み、代わりに大河を見遣った。

 月光の如き美しさを孕む大河は、はい、と胸を張る。


「ユウ先輩から隠すのは大変でした。有志発表のとりまとめ、ほとんどユウ先輩がやってしまうんですもん」

「あー……いやまぁ、それはすまん」

「いいえ、謝っていただくことではないです。ユウ先輩が頑張ってくださったおかげで冬星祭が成功してるのは事実ですから」

「っ、そうか」


 そうやってど真ん中で褒められると、心が揺れる。

 ぐらんぐらん揺らされて、好きだ、と口にしてしまいたくなる。くそ、もっと落ち着けよ、俺。三人は俺のことをよく見てる。今までどれだけのことを見抜かれてきたかを思い出せ。この想いを隠すなら、徹底的にやらなくちゃダメだ。


「というわけでっ! 友斗先輩、感想をどうぞっ!」

「えぇ……なんだその作った料理に食レポを求めてくる鬱陶しい友達感」

「むぅ。そーゆう誤魔化し方はよくないですよー? 話、ちゃんと聞いてましたよね? あれは私たちなりのラブレターなんです。感想が欲しいって思うのは当たり前じゃないですか」

「――……ッ、そうか」


 ラブレター。

 はっきりとそう告げられ、ぱちぱちと熱が弾ける。


 ――そのライバルは、私たちの好きな人の心をぎゅって掴んでて。でも、諦めるつもりはちっともないんです。だから今日のこのステージは、好きな人へのプレゼントであると同時に、そのライバルへの挑戦状だったりもします


 ――心を込めて『好き』を歌います。ちっともいい子じゃなかったあなたへの、そしていい子すぎて悔しくなっちゃうあの子への、心からのクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントです


 歌われたクリスマスソングは、キャラメルみたいに口の中で甘く溶けている。言われなくとも分かっていた。

 この子たちが、今のステージをやった目的。

 それは俺に『好き』を伝えるためだ、って。


 雫は、キラキラと目を輝かせて。

 澪は、不敵な笑みを浮かべて。

 大河は、どこか緊張した風に。


 俺の感想を待っている。

 それはおそらく、『好き』に対する答えである必要はない。

 けれど俺はぎゅっと拳を握り、逡巡した。


 一度告げてしまえば、止まらない気がする。

 もはや『好き』って気持ちとさっきのステージの感想は、決して切り離せないものになっている。自分なりの言葉を手向ければ、その花束には一輪の『好き』も混ざってしまう。

 なら俺は―――


「よかったと思うぞ。拍手も凄い起こってたしな。つーか、美少女が揃ってクリスマスコンサートとか、それこそ二次元かよって感じだし」


 褒めないのは違うと思った。

 頑張りも、想いも、尊いものだったから。

 でも自分の言葉を取り出すのは怖いから、せめて、と当たり障りのない言葉を告げる。いつもみたいに茶化して、コメディに。それが俺たちのやり方で、暗黙の了解だから。

 そう言い訳しながら三人の方を向くと、


「……っ、そですよねっ! ヒロインのライブシーンって萌えますし!」

「ッ、いい余興になったならよかったです」

「……ん。ま、雫が出てるのに盛り上がらなかったら焼き払ってただけだしね」


 雫も、大河も、澪も。

 終わった夏の線香花火みたいに、笑っていた。


 ――ずくん、と罪悪感が胸に広がる。


 間違えた、と自覚する。

 今のは、どう考えても違ったじゃないか。

 三人は一生懸命に『好き』を伝えてくれたんだから、『好き』を返せないにしても、コメディに茶化すのだけはダメだっただろ……っ。


「あっ、えと……」


 そんな、哀しい顔をさせたかったんじゃない。

 三人の想いは届いてて、届きすぎたから俺の中がぐちゃぐちゃになってるだけなんだ。だからやり直させてくれ――なんて、そんな望みが叶うわけはないから。

 キリキリと胸で耳鳴る切なさを星に預けて、俺は、すぅ、と息を吸った。


「悪い、ちょっと出てくるわ」

「……なら私たちも一緒に行きます。周りに人がいると話しにくいですしね」

「いや、そのドレスのまま外出るのは寒いだろ。風邪引いたら折角の冬休みの台無しになるんだしさ。ちょっと外の空気吸ってくるだけだから」


 ついて来ようとする雫に、ふるふると首を振って答える。

 こんな風に拒絶してしまえば傷つけることなんて分かっている。でももっと酷い傷をつけてしまわぬように、今はこうするしかない。

 ねぇ、と澪が聞いてきた。


「冬星祭、終わるまでには戻ってくるんだよね? 昼間の約束、まだ果たせてないんだし」


 『3分の2の縁結び伝説』の話を思い出す。

 昼間の俺はどうかしてた。三人と3分の2ずつ結ぼう、だなんて。どう考えてもクズだったじゃないか。三人がどうしたら喜んでくれるだろうって考えていたけれど、そんなのただの俺のエゴだ。

 いや、と俺は苦笑交じりに言う。


「よく考えたらあれ、ダメだと思うんだよな。三大祭だから3分の1なのに、冬星祭で一気に3分の4を結ぶって。折角の伝説を好き勝手に捻じ曲げるのは申し訳ねぇよ」

「それはそう、だけど……でも、別にそんなの――」

「じゃあ俺、行くから」


 澪の言葉を遮って、逃げるようにその場を去ろうとする。

 そんな俺の手を、大河が握った。


「っ、待ってくださいユウ先輩。さっきから様子がおかしいですよ? 何かあったなら私たちに教えてください。私たちは四人なんですよね?」

「…………っ」


 不意な優しい言葉に、心が緩む。

 気付くと俺は、ぽろりと言葉を漏らしていた。


「別に何かあったとかじゃねぇよ。ただ……なんていうか。三人が……奇麗すぎて、一緒にいるのがきついっていうか……もう、今日は勘弁して」


 っ、くっそ……これ以上はダメだ。

 三人の反応を知るのが怖くて、手を離した大河の方を見ることもせず、俺は今度こそその場を逃げた。


 体育館を出ると、ひゅぅるりと冬風が吹いている。

 けれど火照りはすぐには取れてくれそうにない。

 最低なのに、隠さなきゃいけないのに、それでも『好き』を誤魔化せそうにはなくて。


「はぁ」


 決して千切れてはくれない赤い糸に囚われて、もう俺は、動けなくなっていた。



 ◇


 SIDE:雫


「別に何かあったとかじゃねぇよ。ただ……なんていうか。三人が……奇麗すぎて、一緒にいるのがきついっていうか……もう、今日は勘弁して」


 言って、友斗先輩は逃げるように体育館を出ていく。

 ほんとの本当についてきてほしくなさそうな声だったから、私は一緒に行くのをやめて――なんていうのは、もちろん言い訳で。

 実際にはただ、追いかける余裕がなかっただけだった。


 茶化すような褒め言葉とか、やっぱり3分の2ずつの縁を結ばない宣言とか、色々と不安に思うところはあったけど。

 そんなの全部、最後の言葉で吹っ飛んだ。


「ねぇお姉ちゃん、大河ちゃん。あれって」

「ん、多分そうだと思う」

「……私も、流石に分かりました」

「だよねっ!?」


 真っ赤な顔や情けない涙目は、どう考えても限界に達したことの証左で。

 つまり……つまり……っ!


「『友斗先輩メロメロ大作戦』、成功しちゃった」


 言わずもがな。

 私たち三人もまた、限界に達しているのだった。

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