八章#47 Common youth
「『俺たち』の中には、澪ちゃんだけじゃない。大河ちゃんと……それから雫ちゃんも。みんなが入ってたんだね」
ミスターコンは終わった。
結果は――俺と入江先輩の、同数優勝。一度目の投票だけでなく、二度目の決選投票でも俺と入江先輩は全く同じ数だけ票を獲得し、実質的なドローという形で第一回ミスターコンは終わりを迎えた。
用事があるからと三人がどこかに行ってしまい、かといって俺の仕事はほとんど残っていなかったため、今はぼんやりとステージを眺めている。
隣には、時雨さんと入江先輩。
二人に挟まれていることを『ぼんやり』と表現していいのか問題は、ひとまずさておいておきたい。
「あ、バレた……?」
当然のように俺たちの作戦を看破した時雨さんの言葉に、俺は苦笑する。
悔しそうな入江先輩は、用意されたドリンクに口をつけてから言った。
「あんなの、あなたたちを知っている人なら誰でも分かるわよ」
「とか言いつつ、恵海ちゃんぼボクが教えてあげるまでは完全に分かってるわけじゃなかったみたいだけどね」
「っ、いいのよ、そのことは。だいたい分かってたんだからいいでしょ」
「ん~? ボクのファンなのに知らないの? 大切なことは、『だいたい』から外れたところにあるものなんだよ」
「あ、それ推理モノで出てきた台詞だ」
「推理モノじゃないわ。『天才な妹の推理を代わりに披露していたら探偵体質になって事件が舞い込むようになったんですけど、どうすればいいですか?』の台詞よ。引用元をきちんと把握なさい」
「え、ああ、はい」
この人メンドくせぇ……。
苦笑しながら時雨さんを見遣ると、くすくす笑って肩を竦められた。ま、なんだかんだ上手くやっているようで何よりだよ。
「この前はキミが探偵役をやったからね。今度はボクが解答権をもらってもいいかな?」
「ん、どうぞ。でもそっちだってルール無視だったんだから、こっちの作戦も目を瞑ってよ」
「ふふっ、もちろん。可愛い後輩たちが困るような真似はしないって」
たち、とついたことに、少し嬉しくなる。
どうぞ、と目で促すと、時雨さんは楽しそうに語り始めた。
「まずキミは、澪ちゃんに美緒ちゃんをやってもらった。そして、いきなりのバックハグ。特別パフォーマンスの肝は『壁ドン』と『バックハグ』だからね。まずは美味しいところから見せて、その後、ピュアな会話を続けた」
「……うん」
「でもそうなると、インパクトが足りない。尻すぼみになれば、当然全体として見たときに印象に残りにくくなる。かと言って、ピュアな流れからインパクトを生むにはそれ相応の脈絡が必要になる。時間制限はなくとも、長台詞や冗長な展開は飽きさせる。だから電話を使って、強引に意識を一度、断ち切った」
演技中に鳴り響いたあの着信音。
あれはもちろん、こちらが仕込んだものだ。
「位置的に、雫ちゃんから大河ちゃんに電話をかけたんじゃない? 音が上手く響いてたしね」
「……正解」
「後は演技した通り。『壁ドン』と『バックハグ』のどっちかしちゃいけない決まりなんてないし、床ドンをしちゃいけない道理はない。とはいえ床ドンだとカメラに映りにくくなるから、大河ちゃんに頼んで少し位置を変えてもらった」
「そこも気付くか」
「もう一つ。雫ちゃんが率先して歓声を上げてたのも気付いてるよ。空気を上手く誘導して、キミたちが狙ったタイミングでステージに意識が集まるようにしてた」
ったく、一から十まで全部バレてるんじゃねぇか。
そうだよ、と肩を竦めて伝えると、時雨さんは無邪気に笑った。
「そっかそっか。じゃあキミは、正真正銘、四人で戦ったんだ」
「美緒を入れたら五人、だけどね」
「そう、だったね」
時雨さんは、空みたいに微笑む。
冬の日みたいな、広い空。雲一つない、海みたいな青空の顔だった。
「キミにとっては……澪ちゃんも、大河ちゃんも、それから雫ちゃんも。大切なんだね」
「うん」
「雫ちゃんには今度、謝らないとだ。ボクはあの子に、酷いことしちゃったし」
髪を耳にかけながら言うから、ああそうそう、と俺は言い足した。
ずっと言いたかったけど、なかなか言う機会がなかったのだ。今はちょうど雫もいないし、言っておくべきだろう。
「そのことなんだけどさ。時雨さんは、綾辻雫って女の子を舐めすぎだよ。雫のことを知らなかったら、分からないのはしょうがないけど」
時雨さんは、澪や大河を輝かせることで雫に諦めさせようとした。俺の隣から退かせ、澪と大河に美緒の想いを継がせようとしたのだ。
けれども――雫は、明確にその思惑に乗っていない。
だって雫は、
「時雨さんの企みは、雫には通じてなかったよ。あの子は追い詰められても……それでも自分の想いだけは曲げようとしなかった」
「……っ、そう、だったんだ」
「そうなんだよ。あの子は想いを、ちゃんと握ってられる子なんだ。関係が変わっても、キラキラしてないって思っても、どんなことがあっても自分の想いを大切にできる。そういう、素敵な女の子なんだ」
時雨さんは、言った。
俺と美緒の想いは絶対無敵だった、と。
でもそれは違う。
少なくともあのときの俺は、自分の想いを向き合えてなかった。ちっとも絶対無敵なんかではなかった。
けれども雫は――。
俺の後輩だったときも、彼女だったときも、後輩に戻ったときも、澪の気持ちに気付いても、大河の気持ちに気付いても、それでも誰かや何かのせいにせず、自分の想いを抱きしめた。
その結果が、あの夜の愚行だったのはバカだけど。
それでもあの子は、本当はとても勇気がいる『好きでい続けること』を容易く成し遂げる子なんだ。
「そっ、かぁ……あの子は、ううん、あの子も。強い子、なんだね」
時雨さんは、くしゃっ、と笑った。
すると、ふふっ、と隣から豪胆な笑い声が聞こえる。
赤い唇を動かして、入江先輩は不敵に言う。
「なに、今更知ったの? あの子は私の愛する妹の、最初の大親友なのよ。凄い子に決まってるじゃないの」
「確かに、そうかも」
俺を挟んで、こくこくと頷き合う二人。
そういうのは俺を抜きでやっていただきたい。一歩前に出ようとすると、まぁ、と入江先輩が続けて言った。
「今これだけ偉そうに言ってる十瀬くんも、あの子たちのことをまだよく知っているわけじゃなさそうだけれど」
「えっ? 何言って――うおっ」
ぽん、と背中を押された。
少しバランスを崩しそうになりながらも数歩前に進むと、ステージ進行を引き受けた如月の声が聞こえた。
『続いてお送りしますのは、「スリーサンタガールズ」さんたちによるスペシャルステージです。大切な人に向けた、心からの歌。どうかお楽しみください』
ダサくて、そのまんまな団体名が告げられたかと思うと、ステージの幕が上がった。
真っ暗な舞台。
会場中の薄暗がりと馴染んで、彼女たちの姿が現れてしまうよりも先に、月明かりか星の煌めきのようなスポットライトが照らし出した。
そこに立っていたのは――
雫と澪と大河、だった。
雫は、白いドレスを纏っていた。
二人よりも母性的なその身体のラインは、ドレスによってありありと浮かび上がっていて。なのにいやらしさは一切なく、むしろクリスマスケーキのホイップクリームのような柔らかな印象を受ける。
大河が着ているのは赤いドレス。
凛としたその立ち姿も相まって、可憐な薔薇のようにも映る。胸元がやや開いたその恰好は大河らしくないと言えば大河らしくないが、しかし、立ち居振る舞いのおかげでかっこよさと表現するのがふさわしく見えた。
澪は深緑の、透け感のあるドレス。
長い髪は丁寧に編みこまれ、そのところどころに花で飾られている。艶やかなルージュやきゅっと下がる目尻が、大人っぽくて、色っぽい。妖美という言葉では足りない。魔女の魔力が滲んでいた。
「歌う前に、ちょっとだけ」
マイクスタンドに手を触れながら、雫がそう言った。
「明日はクリスマスですね。まぁクリスマスと言うと、今日で終わりって空気になっちゃったりもしますけど……それでも! 明日はクリスマスです!」
不器用に、笑って。
澪と大河は雫を挟んで、優しく背中を押して。
話は続く。
「でも同時に明日は、私たちのライバルの誕生日でもあるんです。どんなライバルだと思います? ――って、聞くまでもないですね。そうです。恋の、ライバルです」
あまりにも直截な一言。
でも、冬星祭特有の空気ゆえか、そもそもさっきまでも似たような有志発表がちょこちょこあったから、誰も怪訝な顔をしてない――なんて、いうのはあくまで予想で。実際には周りのことなんて気にしてる余裕がないくらい、俺は三人にくぎ付けになっていた。
「そのライバルは、私たちの好きな人の心をぎゅって掴んでて。でも、諦めるつもりはちっともないんです。だから今日のこのステージは、好きな人へのプレゼントであると同時に、そのライバルへの挑戦状だったりもします」
雫は、そして澪と大河は。
はっきりと俺を見つめて、言った。
「心を込めて『好き』を歌います。ちっともいい子じゃなかったあなたへの、そしていい子すぎて悔しくなっちゃうあの子への、心からのクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントです」
音楽が流れ始める。
照明の色が変わり、魔法がかかったように世界が変わる。
「聞いてください」
誰もが知る曲名を口にして。
三人は、歌い始めた―――。
「――っ……っ」
元気のいいソプラノボイスが、キラキラ星みたいに瞬いて。
楽しげでひと際伸びのいい声が、踊るように夜を紡いで。
生真面目なアルトが、きちんとペースを守って進む。
楽器を演奏するわけではなくて、たった三人の歌唱で。
素人の域を特別に出るかと言えば、そこまでではないけれど。
小さな身振りとか、表情の変化とか、ちょっと古めかしいアイドルみたいなその所作一つ一つが、奇蹟みたいに魅力的で。
ごくごく、自然に。
唐突さは一切なく、今フラグを立てたんだからいいだろと開き直るように、胸の奥から甘い熱が込み上げてきた。
嘘だろ……?
こんな、ありきたりな展開で?
今まで過ごした幾多の時間も、貰った言葉も、向けてもらった笑顔も、全てがきっかけになりえたのに。現実はそういう日常の蓄積で、ありふれたことから恋が生まれて、育っていくのが当たり前なのに。
こんなにも、はっきりと。
世界が隠していた“何か”を見つけたみたいに、明確に。
「好きだ」
こみ上げた想いを口にすると、まるで呪文のように、熱が形になっていく。
これまで自覚してなかったわけじゃ、ないはずだ。
さっきまでは絶対に好きじゃなかった。俺の『好き』は、たった数分前まで美緒だけのものだったのに――。
「ヤバい……好きすぎて、やばい」
俺は、どうしようもなく、恋に堕ちた。
けれどもその相手は、《《一人ではなくて三人だった》》。
雫も、澪も、大河も。
三人への恋心が同時に、形になってしまった。
三人を待たせて、あまつさえ美緒への想いを隠さず、最低とクズとかっこ悪さを体現するようなことばかりしていた。
だからこそせめて最後は誠実に在りたいと、一途でありたいと願ったのに。
もうすぐ、曲が終わる。
歌い終えたら、あの三人はこちらに来るだろうか。
なら――隠さなければ。
他のことは全ては見抜かれているけれど、それでもこの不誠実さだけは、隠し通させてください。
俺はそう、星に願った。
◇
SIDE:時雨
「彼が冬星祭の準備をして、時雨のことで気を取られている間、ずっとあの子たちは準備してたのよ。好きになってもらうために、って」
ステージでは、彼の大切な子たちが歌っている。
クリスマスの歌は、まるで小さな子供の夢みたいに素敵な音色で、世界を彩っていた。
全てを知っていたらしい恵海ちゃんが、こっそりと教えてくれる。
「私とか、あとクラスメイトとか。色んな人に声をかけて、たった一人の男の子に『好き』って言わせるために歌ってるなんて……贅沢よね」
「うん、そうだね」
すっごくカラフルな世界。
彼はいつもそうだ。彼の周りにいる人は、カラフルな世界を見つけて、色づけていく。
彼は美緒ちゃんだけが凄かったと思っているのかもしれない。でも違うんだ。美緒ちゃんの世界が色づいていたのは、彼が隣にいてあげたからで。
以前、如月ちゃんが言っていた。自分の恋人が彼のことを、人たらされだ、と言っていたって。
――人たらされ
まさに、そうだと思う。
彼の周りには素敵な人が集まる。それは彼が素敵な人のことばかりを好きになって、その優しい気持ちに応えてあげたいって思うからなんだ。
ねぇキミ。
そう声には出さず、彼の顔を窺って――息を呑んだ。
だって、見たことのある顔だったから。
美緒ちゃんが彼に向けたときのような、世界で一番素敵な魔法にかかったときの顔だったから。
「……っ」
彼が、あの子たちのことを好きになったんだ、と気付いた瞬間。
ボクもまた、自覚してしまう。
皮肉な話だ。
恋に落ちるその顔を見て恋に堕ちるなんて。
それでも想いは、
「好きだよ」
口から零れて、どうしようもなく形になってしまった。
◇
欲しいものが簡単に見つかれば、誰も苦労はしない。
サンタクロースに頼めばいいのだから。
もしも貰えないのならそれは、サンタクロースがいないのではない。
欲しいものを本当に欲しいと望んでいないからなのだ。
けれども――。
見つかった“それ”を欲しがれば悪い子になってしまうと気付いたとき、人はどうすればいいのだろう。
『Common youth』END




