八章46 想いと想い
「さぁ! キュンキュンでステージが埋め尽くされてきましたが! 残る特別パフォーマンスは二人ですよ~っ!」
特別パフォーマンスは、恙なく進んでいた。
なかには途中で恥ずかしくなってリタイアする参加者もいたが、大抵がきちんとこなしている。そもそも参加してるのはそれなりに顔がよくて人気な男子なので、それなりには黄色い歓声も起こっていた。リアルカップルも幾つかあったっぽいし。
特別パフォーマンスに異論を唱えていたのは、完全に間違っていたってことだ。うちのお祭り学校度を舐めていた。
残るは、俺と入江先輩。
或いは俺たちと、入江先輩&時雨さんペアと言うべきだろうか。
「当然、脚本は時雨さん?」
「ボク、というか、壬生聖夜かな」
「さいですか」
時雨さんの不敵な答えに、顔をしかめざるを得ない。
時雨さんはまだ知らんだろうが、壬生聖夜ってじきにプロデビューする予定なんだぜ? しかもよくよく考えてみたら、壬生聖夜に目を付けた編集長って、ラノベ界隈だと割と有名な人だし。下手すれば来年の今頃はラノベ作家としてかなり名前を知られている可能性がある。
そんな人の脚本とか……こっちは〈水の家〉でさっき軽く打ち合わせただけだぞ? あとは澪の演技に俺が合わせる形なんだからな?
「大人げねぇ……」
「ふふっ、かもね。でも勝ってくれるんでしょ?」
「まぁね」
「なら、ボクらも負けないから。恵海ちゃんには王冠の方が似合うしね」
「それは言えてる」
でも、ここまで来たら勝ちたい。
入江先輩も俺も、観客の印象には残ってるはずだ。入江先輩がインパクトMAXな登場をしたため、俺のやりすぎなヤバさが程よく見えている。
問題は、俺と入江先輩、どっちが先かだが――
「次は――25番! 飛び入り参加の入江恵海先輩の出番ですっ!」
そうなったか。
ま、演技力では勝ち目がないだろうし、大トリになれた方がマシか。
そう思っている間に、時雨さんと入江先輩がステージに出た。ちなみに、ステージの下にはカメラが用意されており、会場のところどころに設置されたスクリーンでこの絡みを見ることができたりする。
生徒会が作った即席の壁がすすすーっと出された。なるほど、二人は壁ドンを選んだか。入江先輩のめちゃかっこいい感じだとそっちの方が合うだろうな。
それでは、まずは状況説明から。
如月はひと際落ち着いたトーンで言ったのち、マイクを土井に渡す。
すぅ、と土井は息を吸ってから読み始めた。
『季節は冬。女性には、どうしても忘れられない恋があった。相手は年下の女の子。決して届くことのない恋は、ある日、女の子に恋愛相談をされたことで終わりを告げる。女の子と女の子の意中の相手をクリスマスデートへ送り出した女性は、一人、街を歩いていた。そんなとき、彼女の親友が現れる』
かひゅっ、と喉から息が零れた。
女性のバックグラウンドをより緻密に描くことで、時雨さんを『相手役』から『ヒロイン』へと仕立てて見せた。否が応でも、観客の視線は時雨さんに向かう。『ヒロイン』の好きな人は、女の子だった。ここに同性愛の要素を入れるが、しかし、親友の性別を描きはしない。
主体たる入江先輩の役についての情報がない理由は――ただ一つ。
語るまでもなく、演じてくれるからだ。
「時雨……どうかしたのか?」
「ううん、何でもないよ。こんなところで会えるなんて、奇遇だね」
「ああ、俺はケーキを買いに来たんだよ。時雨は?」
声、体の動かし方、視線。
何よりオーラが、役の情報を伝えてくる。
性別は男。多分、不器用で優しい男だ。開口一番「どうしたのか?」と言うくせに、その声はちょっと震えている。『ヒロイン』のことは好きなのに、思いを持て余して、どう接すればいいか分からない。まして、クリスマスに出会ったのだから余計に。
「すご……あれが、演技なんだ」
「だな。演技だけで戦ったら絶対勝てねぇよ、あれは」
「ん。悔しいけど、そう思う」
澪のやっているのは、剽窃でありコピーだ。
しかし入江先輩は生み出している。時雨さんが生み出した『男』を咀嚼し、解釈し、表現しているのだ。
演技は続く。
『ヒロイン』は曖昧に笑う。
「私も、おんなじだよ。クリスマスに家で一人っていうのも、ちょっぴり寂しいから」
「それは……でも」
「じゃあ、もう行くね。メリー、クリスマス」
立ち去ろうとする『ヒロイン』の手を掴む『男』。
そんな、と絞り出すように『男』は言う。
「そんな寂しい『メリークリスマス』なんて言うなよっ! 家で一人が寂しいなら、キラキラした街に一人でいるのはもっと寂しいだろ」
「っ、そんなこと――」
「ある! だから俺は、声をかけたんだ! 『クリスマス一緒に出かけよう』って。たったその一言すら言えない俺が、街で会えたからって声をかけられるわけなくて……それでも好きな女の子が寂しそうにしてたら! そんな男のプライドなんてどうでもいいって思ったんだよ!」
空気が、震えた。
入江先輩の目からは情けない涙が零れていく。
『男』はかっこよくはないかもしれない。でも『ヒロイン』のことは好きで、だから一生懸命になれる。
そういう『男』を表現していた。
「好き……? それって――」
「っ、そうだよ。好きなんだ。霧崎時雨を、愛してる。悪いかよ」
「……ダメ、だよ。私は、だめ。私は……女の子が好きで。男の子を、好きにはなれないから」
ここに、ストーリーと演技と常識との倒錯が生じる。
『男の子が好きだから、女の子とは付き合えない』。その流れは、だいぶ古びてはいるものの、同性愛を描くうえで切って切り離せないものだ。同性愛が間違っていなくとも、その人が異性愛なのであれば、同性愛を押し付ける理由にはならない。
が、このストーリーはその逆を行く。
『女の子が好きだから、男の子とは付き合えない』。この時点でも充分に倒錯しており、物語上で間隙が生まれる。
だが演技として見た場合。
その『男』を女である入江先輩が演じている、という更なる倒錯が生じるのだ。演技だからこそ、この物語は更なる深みを獲得する。しかしそれには、入江先輩が『男』を演じ切るという信頼がなければならなくて。
化け物かよ、と素直に思った。
「だったら! 時雨は、女の子なら誰も好きになるのかよっ?!」
「それは……っ、それは違うっ! 私は、あの子だから好きになったんだっ!」
「っっ、それなら……ッ! 性別なんて、関係ない。俺を好きか、嫌いか、だろ」
どん、と優しくも強く壁ドンされる『ヒロイン』。
涙で濡れた顔を拭って、『男』は言う。
「男とか、女とかじゃなくて。今は好きじゃなくてもいいから……寂しい時雨と、クリスマスを過ごさせてくれ」
それは、よくイメージされるクールな壁ドンではなくて。
項垂れるような、堪えきれなくなったような、そんな壁ドンだった。
「…………一緒に、いて、くれるの? こんな私と、一緒に」
「そんな時雨が、大好きだから。こんな俺と一緒にいてくれるなら」
――そして、入江先輩と時雨さんの演技が終わった。
端的に言って……趣旨を捻じ曲げてるよなぁこれっ?!
◇
これでも勝てるかしら?
そんな風に入江先輩に囁かれたのちに、俺の番が始まる。
舞台に立つのは、澪一人。
マフラーを巻いた澪の姿を舞台袖から見つめた俺は、会議室でのやり取りを思い出す。
『俺は――澪に、美緒をやってもらおうと思ってる』
俺の唐突な発言に、当然だが澪は渋い顔をした。だが俺にも考えがある。まぁ昨晩思いついたんだけど。
『考えたんだけどさ。演技でも「好き」とか、そういう言葉を澪に向かって言うのは違うと思ったんだ。今度澪に向かってそう言うときがくるなら……それは、心からの言葉にしたい』
『っ、それは割とポイント高いけど……でも、流石にそういうこと言わずに済ませられないでしょ、これ』
『分かってる。だから、美緒なんだよ。今はまだ、心から好きだって言えるのは美緒だけなんだ』
それは、最低な提案だったと思う。
俺を好いてくれる子に、俺が好きな子の演技をしろと言うのは、あまりにもクズだろう。それでも俺は、『好き』を大切にしたかった。
『ほんと、友斗らしいよ。最低で最高』
『……ダメ、か?』
『ん、ダメじゃない。いいよ。私にしかできないことだし』
それからの杉山クンとのやり取りは、今考えてみると杉山クンどんまいって感じだが。
あのやり取りの後、俺は澪と打ち合わせをした。
特別パフォーマンスで、確実に勝つ方法を。
「それでは、最後の特別パフォーマンスです。状況説明から、どうぞ」
如月の合図で、今度は花崎が俺の渡した文章を読み始める。
『あるところに、二つ年の離れた兄妹がいた。兄は大学一年生、妹は高校二年生。二人は、あるときから互いのことを異性として意識しあうようになった。しかし、二人の恋は認められない。結婚もできない。それでも二人は想いを抑えることができず、家の外でだけ、恋人をしていた。
季節は冬。クリスマスだから、家に帰れば兄妹に戻らなければならない。少しでも長く、恋人でいられますようにと祈って、妹は人気のない駅で兄を待っていた』
ステージのど真ん中、《《美緒》》が立っていた。
『髪、短くするのは無理だからマフラーと服で上手くごまかす。あとは、妄想で補完して』
言われなくとも、と俺は思う。
そこに立っているのは、紛れもなく美緒だった。演技なんて意識することもなく、俺は舞台袖から駆けていく。
そして――
「みーおっ! お待たせっ」
後ろから、抱き締めた。
バックハグ。
シャンプーの匂いが、ふんありと漂ってくる。細くて小さな体は俺の体で簡単に包み込めてしまえて、ちょっと、泣ける。
美緒は煩わしそうに僅かに身をよじると、諦めたように言った。
「兄さん、急に抱き着くのはやめて。大声もダメ。周りの迷惑になるでしょ」
「っ、……でも、美緒に会いたかったから。それに周りに人なんていないし」
「言い訳は聞きたくないよ」
「はい」
ぴしゃりと注意されて、本気でばつが悪くなる。
腕を離そうとすると、だめ、と小さな手で俺の腕を持った。
「兄さんが遅れたせいで、体が冷えたんだよ。責任を取って温めるのは人として当然なんじゃないかな」
「けど、抱き着かれるの、嫌なんだろ?」
「急に、って言ったでしょ。兄さん、文学科に言ったんだよね? そういう一つ一つの言葉を大切にするのが文学じゃないのかなぁ」
「うっ、痛いところを」
とく、とく、とくとくとく。
頭の奥が、びりびりと痺れる。心臓が甘くはねる。
これが『好き』なんだ、と強く思う。
俺はやっぱり、美緒が好きだった。心から愛していた。時雨さんが、贖罪をする必要なんてなかったんだ。
「温めるよ。美緒の体は小さいもんな」
「む……そうやって女の子の体について言うのはどうかと思う。デリカシーがないんじゃないかな」
「感じたことを正確に残すのも、文学の役目だし」
「っ。人の言葉を一つ一つ覚えていちいち――」
と、美緒が言葉を続けようとしたそのとき。
――とぅるるるるるるっ
ひと際大きな着信音が、会場に鳴り響いた。
俺と美緒のやり取りは、いわば『静』だったから。
その大きな音に、観客は意識を奪われる。
「ええっと、演技中はマナーモードか電源を切って――」
花崎が慌てて注意喚起をするけれども。
彼女が言い終えるより先に、
――ダーンっ
と、大きな音が鳴った。
観客は、音が鳴った方向――即ち、ステージに注目する。
そして、えっ、とか、きゃー、とか、それぞれに反応を見せた。
何故ならステージでは、俺が美緒に床ドンされていたから。
とっく、とくとくとくとくとく――ッ!
心拍がどんどん速くなる。分かってはいた。これは全て、俺たちの打ち合わせ通りだったのだから。
でもこんなに胸に来るとは……やばい、ドキドキする。
「あっ、ごめんなさい。びっくりして、倒れちゃって……腰、痛くない?」
「痛くないけど……でも、知ってるか? 嘘をつくのはよくないんだぞ」
「嘘って……? 私は、別に――」
俺たちは、何を話すかを決めてはいない。
ただ何をするかだけ、《《四人》》で話し合ったのだ。
美緒からの床ドンの次は――俺からの、床ドン。
美緒が腰や頭を打たないように手で庇いながら、俺はごろんとステージ上を転がった。
さっきみたいな大きな音を鳴らすのは気が引けるから……優しく、とん、と手をついて。
「あんな音でびっくりして倒れるわけ、ない。美緒はこうしたかったんだろ?」
「っ……別に、そういうわけじゃないもん。それに、ここ外だよ? こんな寝転がって――」
「言い訳は聞きたくないな。ここ、この時間はほとんど人来ないし。もうちょっとだけ、こうしてようぜ」
「……兄さんの、変態」
美緒が恥ずかしそうに顔を逸らす。
ぽんぽん、と優しく頭を撫でて、俺は起き上がった。
「なーんて、冗談。いつまでもこんなところにいたら冷えちゃうもんな。帰ろっか、家に」
俺は、まだ寝転がってる美緒に手を差し出す。
美緒はムスッとしながらもその手を掴んで――引っ張った。
――ダーンっ
奇しくも、三度目の床ドンが起こる。
これも打ち合わせ通りではあるが、流石に練習をしてはないので、ちょっとバランスを崩しそうになった。
何とかそれでも堪えようとした結果、美緒の顔が目と鼻の先まで近づいてしまう。
あと僅かでも動けば、キスできてしまう距離。
美緒は、言った。
「兄さんがサンタになってくれるから……私、悪い子になってもいいよ」
「~~っ!?」
美緒は、こんなこと言わない。
でも、そんなのは俺が知ってた美緒でしかなくて。
俺が時雨さんのことを知らなかったように、俺の知らない美緒もいるはずで。
だからもしかしたら、いつか美緒にこんなことを言われたのかもしれない、って思えて。
どうしようもなく、接吻したい衝動に駆られる。
けれど、あくまでこれは演技だから。
澪が、美緒を演じているだけだから。
「愛してるよ、美緒」
ここにはいない美緒に向けて、心から言った。
軽く如月に合図を出すと、ステージの幕が閉じる。
斯くして。
ミスターコンは、終わりを迎えた。
「お疲れ、《《澪》》」
「そっちこそ。よく戻ってこれたじゃん」
今度こそ二人で起き上がると、澪がからかうように言った。
アホ、と俺は澪を小突いた。
「元から引きこまれてねぇよ。演技してただけだ」
「ふぅん?」
意地悪な笑みを浮かべる澪。
ぐぬぅ……ま、一瞬引きこまれましたけどね? ドキドキがヤバかったですけどね?
でもあくまで全て、演技でしかない。本物の美緒とは、もう繋がってるから。触れあうのも、接吻するのも、全部ぜんぶ、生き抜いた後に待ってることだから。
「さ、戻るぞ」
「ん。あ、その前に一つ」
舞台袖を戻ろうとした俺の手を引くと、澪は、んんっ、と咳払いをしてから言った。
「雫とトラ子を代表して、言っとく。
そのドキドキを美緒ちゃんが独占できるのは、今日までだから」
「は……?」
こつん、と俺の胸をグーで触れて。
澪は颯爽と、舞台袖に戻っていった。




