八章#37 スタートライン
長い話になるから、家に帰って話したい。
俺の提案に、雫は優しく頷いてくれた。代わりに言われたのは、澪と大河と四人で話そう、ということ。
澪はある程度は事情を知っているし、大河も時雨さんと何かあったってことは察しているだろう。けれども時雨さんと何を話したのかは、二人にさえ伝えられてはいなかった。
伝えられる、はずがなかった。
文化祭と選挙。
俺はどちらも、真剣に向き合ってきたはずだ。澪が自分できちんと向き合うことに意味があると考えたのは本当だし、大河と本気で選挙に挑んだことで生まれたものもある。誓って、手っ取り早い解決策に気付いていたのにあえて見てみぬふりをしたことはない。
けれども時雨さんが言っていることは事実で。
だから言えるわけがなかったのだけれど――
「なぁちょっと待て! かなりシリアスな空気で行く予定だったのにどうしてまた捕縛されてんの俺?!」
「え、だって友斗先輩が逃げそうなんですもん」
「ユウ先輩がすぐに話さないから信用を失うんです」
「そゆこと。諦めな」
――俺は今、いつかのように手足を縛られていた。
手首には手錠、足首にはタオル。まさかあの圧倒的なコメディ会がここで伏線のように回収されるとは思ってもいなかった。
冬星祭の準備を終えて、帰宅して。
雫が「ちょっと手を出してもらえますか?」と言ってきたので、特に何も考えず手を出したらこれだ。
手を揺さぶると、かしゃかしゃと軽い音が鳴る。
「なぁマジで待とうぜ雫。このノリでいくの? 学校でのちょっとセンチメンタルでエモめの発言はどこいった?! 感動回まっしぐらだったよなっ?」
「んー? わたしぃ、何言ってるか、分かんないですっ♡」
「くっっっっそむかつく!!!!」
まさかこうなるとは思いもしなかった。
バタバタと暴れてみるけれど、変に暴れて三人を蹴ってしまうのも怖い。結果、まな板の上の鯉みたいなしょぼい暴れ方しかできなかった。
「まぁまぁそう言わず。今日は大天使・シズクエルによるプレクリスマスイブパート2です。一週間前ですからね。やっぱり一か月前、一週間前にはやっておかないと」
「クリスマスってそんな計画的なイベントだっけ……?」
「そーなんです。友斗先輩はクリスマス検定三級を合格できませんよ」
「合格しなくてもいいんだよなぁ」
と呟きつつ、何となく三人の意図を察する。
別にふざけてるわけではないのだろう。俺が話しやすいように、そういう空気を作ってくれてるんだと思う。
敵わないよな、ほんと。
「さあ話してください。この前と同じように……今日話したことは、この場限りのことにしますから。友斗先輩が抱えてる秘密を――教えてください」
「…………分かったよ」
雫だけじゃない。
澪がいて、大河がいて。
三人は以前、この場できちんと胸の内を明かした。でも俺はあのとき言えることがなくて、代わりに三人分の罰としてこちょこちょを受けたのだ。
なら今夜こそは、ちゃんと打ち明けるべきだろう。
本当の意味で、四人になるために。
大切な三人の隣にいてもいいって自分で自分を許せるように。
「昨日さ」
俺はまず、そう話を切り出した。
三人はソファーに座って、めいめいに相槌を打つ。
「時雨さんと話したんだ。あの人は……俺と同じように、美緒の死と向き合えてない。そう思ったから」
「どうして、そう思ったんですか?」
大河の問いに、澪の唇が僅かだけ震える。
俺は澪と目配せし、包み隠さずその問いに答えることにした。
「話せば長くなるんだけど……時雨さんは澪と大河を、美緒の代わりのように扱ってたんだよ」
「えっと……それって――」
「続きは、私から説明する。私も、友斗には協力してたし。雫にも説明するって約束したからね」
と、澪が口を開いた。
雫と大河の視線がそちらへ向く。俺はこくと頷き、澪に説明を任せた。
「具体的な説明は省くけど……私とトラ子はどっちも、霧崎先輩にお膳立てされてたんだよ。私が友斗の義妹になったのも、文化祭で二冠を取れたのも、トラ子が友斗に踏み込んだのも、選挙でああいう結果になったのも、全部があの人の企みだった。そして逆に、あの人は雫が私と大河に対して後ろめたさを覚えるようにも誘導した」
「……っ!? どうして、そんなことを?」
「おそらく、私とトラ子が美緒ちゃんに似てるから。私は容姿で、トラ子は性格。それぞれ別の部分が美緒ちゃんに似てた。だからあの人は、私たちが友斗の隣に立つように糸を引いた」
それは、ともすればこれまで俺たちが歩んできた日々の解釈をまるっきり変えてしまう話で。
けれども雫は、んー、と明るい声を漏らした。
「それはちょっと違うんじゃないかな、お姉ちゃん」
「え?」
雫の一言に、澪は首を傾げる。
ふんありと雫はお日様みたいに笑って、あのね、と続けた。
「お姉ちゃんと大河ちゃんは美緒ちゃんに似てて、それで霧崎先輩は色々としたのかもしれない。でも全部が企みだなんて、そんなことはないよ」
自分の胸に手を添えて、澪と大河を見つめながら言う。
「お姉ちゃんはお姉ちゃんがしたいようにして、大河ちゃんも大河ちゃんなりに必死に頑張って。その結果がたまたま霧崎先輩の思惑通りになっただけだよ」
「それは……」
「ごめん、話の腰折っちゃって。本筋がここじゃないっていうのは分かってるんだ。あくまでお姉ちゃんは、霧崎先輩のことを説明しただけだもんね」
でも私は、と囁く声は本当に雫らしくて。
「私たちの日々は、私たちのものだって思う。私が後ろめたく思ったのも、悩んだのも、その結果今みたいになれたのも、全部私の。それは大切にしたいな、って」
おそらく雫は、澪の声にこもる怒気に気付いたのだと思う。
それが自分を守るためのものだと考えて。
それでこんな風に言えてしまうんだから、どうしようもなく眩しい。
「雫は……本当に雫だね」
「です、ね。雫ちゃんは凄いなぁ」
「えへへ。ありがと」
三人寄り添う姿を見て、俺は笑みを零す。
「えっと……話を元に戻すぞ?」
だいぶ脱線した話を戻すと、三人は苦笑交じりに、はい、とか、うん、とか答えた。
俺はそっと目を瞑り、ほぅ、と息を吐いてから続ける。
「もしも美緒の死と向き合えてないなら、俺が言うべきだと思った。そんなことをしても意味ない、って。美緒の死と向き合って、今は美緒に叱られないように前を向いて生きていくべきだ、って」
「「「…………」」」
「でも言われて、気付かされた。そんなことは俺もできてない。俺は美緒の死と向き合いはしたけど……美緒の生とは向き合ってないんだ」
情けない痛みが胸に広がり、俺はごくんと唾を飲み下した。
かしゃ、と手錠が鳴る。
「俺は小さい頃から、美緒を守ることで自分の存在を許せてた。キラキラ眩しいあの子を守ってるから、輝いてない自分にも生きていていい。そう思えてた」
俺は時雨さんや美緒のように凄くなかった。
もちろん凄くなくても、生きてたっていい。そんなのは当たり前の話だけど……それでも俺は、自分を許せなかった。
美緒も時雨さんも凄くて、周りの大人だってキラキラしてて、俺だけがそうじゃないように思ったから。
「俺は今もまだ、美緒の生と向き合えてない。向き合えてないまま、美緒は死んだから。だから俺はその分、誰かの力になることで自分を認めてた。澪を、大河を、雫を。やり方は最低だし、実際には助けられてなかっただろうけど――それでも、手を差し伸べた事実に救われてた」
涙は、流れなかった。
泣く資格なんてないんだから当たり前だ。
だから、と俺は強く言う。
「俺はあの人に、何も言えない。俺自身がまだ答えを見つけられてないのに、あの人に答えを示すことなんて、できるわけがなかったんだ」
――キミが美緒ちゃんの兄としての生き方以外を知らないように、ボクはあの子とキミのお姉さんとしての生き方以外を知らない。それが悪いことだなんて思わない。思ってやらないよ
あの人の言葉が、頭の中で残響する。
話は終わりだ、と脱力して見せる。
三人はどう反応するだろうか。目を瞑ったまま返事を待っていると、
「友斗先輩……超今更すぎて、何の驚きもないんですけど」
「だよ、ね……? ユウ先輩が頼られたがりで過保護な人だなんてこと、みんな知ってると思いますよ」
「へ?」
思っていた三倍くらい軽い、というか若干小馬鹿したような言葉が降ってきた。
目を開けば、くすくすと笑う三人の姿が見えた。
いや笑われるとは思ってたけど……そんなに笑う? っていうか澪、お前は笑いすぎだろ。お腹抱えてげらげら笑ってるんじゃん。
「え、いや、それはそうだけど……俺ってそんなに過保護?」
「過保護です。そもそも私のことを毎日のように送ってくださるのだって、過保護以外の何物でもないじゃないですか」
「だよね、大河ちゃんっ! 友斗先輩って、私が頼るとちょー嬉しそうにしますし!」
「うっ。それは……そうだな」
そう言われると、そうじゃん! 俺って割とデフォルトで過保護だし、頼られたらほぼ断らないし、何なら雫が風邪を引いて駆けつけたときに堂々とエゴだって言ってた!
畳みかけるように、っていうかさ、と爆笑中の澪が言ってくる。
「要するにヒーローぶって霧崎先輩に突っ込んだのに、あっさりと返り討ちにあった、って。それだけじゃないの?」
「いや、それだけじゃなくてさ。そもそも俺があの人に言えることはなかったっていうか――」
「そんなの、私たちにだってなかったでしょ。私に何か言う資格はあったの? トラ子や雫には? それこそ上から目線でしょ」
澪は手を銃のようにして、銃口をこちらに向ける。
じぃと見つめながら澪は続けた。
「資格も、謂れも、道理も、筋も。何にもなくてうっっざい説教パートかましてきたんじゃん。下手な鉄砲をゼロ距離で撃つ。それが私の好きな友斗なんだけど?」
「っ……」
ばーん、と指でっぽうを撃って。
私からは終わり、とソファーの背もたれに寄り掛かる。
じゃあ次は、と身を乗り出したのは大河だった。
「ユウ先輩の気持ち、分からないわけじゃないんです。身近に凄い人がいて、だから自分はダメだ、って思う。その気持ちはよく分かりますから」
大河は言葉を探すように視線を泳がせ、そしてきゅっと唇を引き結び、当て所ない視線を俺にぶつけた。
「私は、それでも姉に挑みました。諦めたくないって思って、今も挑んでます。ユウ先輩はきっとそうじゃなくて……端から戦わなかったんですよね」
「……ああ」
「だったら――そんなの、負け犬にもなりきれてないじゃないですか」
そうだったな、と思う。
俺は大河に言ったのだ。負け犬の遠吠えをしよう、と。
でも俺は、負け犬ですらない。端から美緒に挑みもせず、守ることを決めたのだから。
「戦ってくださいよ。私の、先輩なんですから。一緒に戦った仲間なんですから。生き方が見つからないなんて甘えたことを言わないで、必死に戦ってください。まだ何も、終わってないですよ」
……ッ!?
ずん、とど真ん中を行く言葉が心の奥底にぶつかる。
かはっ、と喉から息が零れた。
雫はふっと微笑むと、ソファーから立ち、俺の近寄る。かしゃかしゃ、と音が鳴ったかと思うと、雫は俺の手錠を外してくれた。
「ミオリールさんとタイガエルさんの啓示は済んじゃって、もう大天使・シズクエルちゃんの出る幕はない感じがしますね」
くすっと快活に笑った雫は、ツインテールの先っちょを手で弄りながら俺を見つめる。
んー、と迷うように指で口もとに触れると、ぺろっ、と唇を舌で舐めた。
「私からは最後に一つだけ」
その指先を、今度は俺に向けて、
「先輩の~♪ ちょっといいとこ、見てみた~い♪」
「ぶふぅぅぅぅぅっ!?」
全身全霊でネタに振り切った。
流石にここでそのネタを口にしてくるとは思わなくて、勢いよく噴き出してしまう。
「むぅ……汚いですよっ! ヒロインに唾かけるとかどーなんです?」
「今のは雫が悪いよな?! そのネタを急に出されたら誰だって噴くわ!」
「え~? そ~ですかね~?」
くっそぅ、全力でとぼけやがって……。
俺は雫を睨むが、雫はてへぺろっと舌を出して誤魔化す。
「まぁもうメンドーなので結論だけ」
ぺしん、と両頬を手で叩いて、雫は言った。
「――悪い子のままじゃ、サンタは来てくれませんよ?」
「……っ、そう、だな」
このままじゃ、クリスマスを迎えられない。
まだ何にも終わってはいないのだ。
俺の答えも見つかってないし、時雨さんにどうぶつかればいいのかも分かってはいない。でも分かっていないだけで、終わったわけじゃないのだから。
メサイアコンプレックス上等だ。
答えが見つかるその日まで、俺は俺がやりたいようにすればいい。人助けへの依存なら誰も困らないんだし、別にいいじゃないか。
「考えてみるよ。ありがとな……三人とも」
「はいっ! ――って思いましたけど。足首をタオルで縛られたままそんなこと言ってもかっこ悪いだけですよね~」
「さっきまで手錠を嵌めてたことを考えると、変態に見えてきます」
「ん。潜在的なMっ気でも出てきた?」
「あほみたいなやり方で尋問されたうえにこの終わり方は酷いっ!?」
とか言いつつも。
俺は足首を縛られて、ごろんとカーペットに寝転がったまま。
素敵な三人の女の子の顔を、ぼーっと見つめていた。
暖房でくらくらするけれど。
そのせいで冬は嫌いだったけど。
今は、その居心地の悪さが俺には心地のいいものに思えた。




