八章#34 月と太陽と空っぽな空
SIDE:時雨
小さい頃のことをよく覚えている。
ボク、霧崎時雨はいわゆる天才だった。何に、と尋ねられたら、人生に、と答えていいと思える。それほどにボクは大抵のことができた。
手前みそになるけれど、でも事実なのだからしょうがない。
物覚えはよかったし、体も丈夫だった。それは成長するにしたがって頭の良さ、身体能力の高さへと変わっていった。人付き合いも得意だ。周囲の大人が何を考えているのか、子供ながらに理解していたように思う。同世代の子とも上手くやることができたし、新しいことに挑戦するのを躊躇うタチでもなかった。
だからこそ――ボクの世界には、いつだってボクしかいなかった。周りの大人も、子供も、読み取り対応すべき存在として見ていたのだ。
ボクの世界はずっと、みんなとボクの髪色みたいな黒と白で構成されていた。
楽しくなかったのだ。
できないことはなかった。新しいことに挑戦するのは、ワクワクしたからじゃない。それが正しいことで、求められる姿で、合理的だと判断できたからだ。
ワクワクも、キラキラも、ドキドキもない。
天才の傲慢な戯言だと言われてしまえばそれまで。
でも事実、ボクはそう思っていて。
一人ぼっちだと感じたのなら、それは一人ぼっちなのだ。
そんなボクが見つけた、唯一の光。
ううん、唯《《二》》、と言った方がいいかもしれない。
それが――従弟と従妹だった。
二人と出会った日のことは、今でも忘れない。
あれは夏のことだった。お盆の数日前。
彼が生まれて、あの子が生まれて。それから暫く経って、二人の両親は久々に帰省した。特に仲が険悪だったわけではなく、ただあの子の体がそれほど強くないので大きくなるまでは、と見送っていたのだ。
「はじめましてっ! 百瀬友斗です」
「ももせ……みおです。なかよくしてください」
幼稚園の、年長さんだったかな。それと年少さん。幼い二人だったけれども、小学校に入りたてのボクには同級生より二人の方が大人びて見えた。
兄として、妹を庇うように立つ彼。そんな彼の背中を信じ、その信頼で妹として兄を支えるあの子。いいバランスだ、と子供ながらに思ったことは記憶に残っている。
でも最初は、その程度だったはずだ。
いとこ相手だろうと、やることは変わらない。従姉として上手く面倒を見てあげればいい。大人たちはそれを求めているのだから。
けれど遊んでいて――驚くほどに、熱中した。
簡単なトランプとか、しっぽ取りとか、ジェスチャーゲームとか。
何の変哲もない遊びが、楽しくて。
そして何より、彼とあの子は心から楽しんでいた。
「にいさん。ズルするのはだめだよ」
「ず、ズルなんてしてないし」
「さっきカードかくしてた。せいせいどうどうやらないといみないじゃん」
「ぐぅ」
って、トランプしたり。
「みお、だいじょうぶ? むりはするなよ」
「だいじょうぶ……しっぽ、もらった」
「えっ――ズルッ!?」
「ズルくないよ。にいさんがかってにちかづいてきただけだもん」
って、笑いながらしっぽ取りをしたり。
「にいさん。もっとしんけんにやって」
「しんけんにやってるし! じゃあみおがやってくれよ。おだいはこれだから」
「おだいわかってたらクイズにならないじゃん」
「あっ」
「にいさんのばか」
って、ジェスチャーゲームでわいわいしたり。
大人びていて、子供っぽくて。
アンバランスに見えるのに、ちょうどよくて。
どうしてなんだろうと考えて、ボクはすぐに気付いた。
この二人は、ボクと違うんだ、って。
二人の世界には、二人がいる。彼の世界にはあの子がいて、あの子の世界にも彼がいて。一人ぼっちじゃなくて二人ぼっちだったのだ。
彼はあの子を守って。あの子は彼を支えて。そうして二人は、二人で生きている。片っぽがなくなったらダメになっちゃうくらいに、セットだった。
太陽と月だ、と私は思った。
美緒ちゃんが太陽で、彼が月。
二人がいれば朝も夜も寂しくない。素敵な関係だと思った。
ならボクも、その中に入れないかな。二人を包む空でいい。一人ぼっちじゃなくて三人ぼっちになれば、ボクの世界もカラフルになってくれるんじゃないか。
「いーれーてっ」
思い切って言ってみたら、彼もあの子も困ったように笑った。
「しぐれさんももうはいってるでしょ?」
「にいさんがひとりであそぶからおこったんだよ」
「え、マジで!? ごめんしぐれさん」
「ううん、気にしないで。今度は三人で遊ぼう!」
この日、ボクは決めたのだ。
二人の姉になろう、と。お姉さんとして二人を守る空になろう、と。
皮肉な話だ、と思う。
誰よりも《《空》》っぽなボクが空になろうとしているのだ。でもそれでいいと思った。だって小学校の先生は教えてくれた。人は一人では生きていけない、って。
だからボクは、愛しい二人に依存した。
成長するにしたがって、二人の存在はいっそうボクの中で大きくなっていった。というのも、美緒ちゃんが飛びぬけて優秀な子だったのだ。
本が大好きで勉強熱心で真面目。そういうタイプは他にもボクの周りにいたけれど、ボクに勝つ子はそうそういなかった。
美緒ちゃんはその、『そうそういない』うちの一人だった。
本を読んで、美緒ちゃんは自分の感想と共に物語を聞かせてくれた。
このときこの人はこうしたんだけど、私はこれこれこういう理由があったからだと思う。
そんな感じで聞かせてくれる物語は、とてもキラキラした宝石みたいで。
「美緒ちゃんはすごいね。この話がこんなに楽しくなるなんて思わなかったよ」
ボクが心から言うと、美緒ちゃんは照れたように笑った。
そして、兄さんがいたから、と続けた。
「兄さんが聞いてくれるんだ。どんな話なの、それはどうして、って。だから私はうんと考えるの」
美緒ちゃんは、ボクが見れない世界を知っていた。
その世界はとても楽しくて。
ボクは幾度と、その世界で負けた。
格好いいことを言ってしまうと、初めての負けだったように思う。
トランプ、オセロ、将棋。
色んなゲームをして、ボクは二人に負けた。負けて、勝って、負けて――勝負を楽しんだ。キラキラを、たくさん満喫した。
「時雨さん。それはダメだよ」
なんて、美緒ちゃんはボクを叱ってくれて。
「やった! 時雨さんに勝てた!」
「兄さん。私と二人でやったんだから、勝って当然なんだよ」
「うっ……じゃあ一人でやる」
「そうしたらすぐ負けちゃうんじゃないかな」
って、ボクに勝ったことを嬉しそうにしていて。
彼は考えていることが笑っちゃうくらいに分かりやすくて、逆に美緒ちゃんは表情に出ないタイプだった。
そんな二人が一緒に何かをすると、次にどんなことがあるのか読めなくて。
すっごくワクワクした。ドキドキした。世界はカラフルになって、極彩色でキラキラと輝いた。
だからこそボクはあの日。
言ってはいけないことを、言ってしまった。
折角三人ぼっちになれたのに、また二人ぼっちに戻ってしまう気がしたから。
ボクが二人の世界に入れてもらえなくなっちゃう気がしたから。
「その気持ちは持っちゃいけないんだよ。美緒ちゃんなら分かるでしょ?」
◇
終業式の放課後。
生徒会の仕事が終わり、午後6時半。
街には夜の蓋がされ、空気は寂しげに冷えている。はぅと吐いた息は白くて、冬なんだな、と改めて思わされる。
がたんごとん、と聞こえる電車の音が思いのほか大きいのは、真っ暗な分だけ街がいっそう静かに感じられるからだ。
夜に凪ぐ銀髪は、天の川のようだった。
風に身を竦めて、そして彼のことを見据える。
「それで――ボクに話って、なにかな? このシチュエーションじゃ、告白だって思われても仕方がないよ?」
お姉さんとして、ボクは言う。
夏休み、迷っていたキミを姉として導いてあげたみたいに。




