八章#33 辿り着いた解
「けど、もっと友斗に報告したいことがあるの」
一つの推論が出来上がったところで、澪は深刻そうにそう告げた。その声にはどこか怒気が滲んでおり、俺は息を呑む。
視線で話の先を促すと、澪はんんっと喉の調子を整えてから続けた。
「今の話の後。また入江先輩と別の話になって」
「うん」
「私と雫と大河。この三人で一緒に何かをするのがおかしいと思うか、って話になったんだよ」
「う、うん」
どうしてそういう流れになるんだ、と思わなくはない。入江先輩と話すきっかけもよく分からないし、謎は多い。
だが詮索はしないと約束した。なら今は本題にだけ集中しよう。
「入江先輩は言ってた。『私は変だとは思わないわ。ただ、変だと思うだろう人に心当たりがあってね』って」
「……心当たり」
この話の流れで言えば、もうその心当たりとやらは一人しかいなくて。
でも信じがたい話だった。
それではまるで、時雨さんが――。
「もちろん聞いた。その心当たりは誰か、って。そしたら少しエピソード付きで教えてくれたよ」
「エピソード付きで?」
「そ。話は選挙が終わったときに遡る」
選挙。
俺たちにとって、最も不可解で気にかかっているのがそれだった。そのときに纏わるならば、否が応でも神経は過敏になる。
手をグーパーして自分を落ち着け、話の続きを待った。
「選挙が終わった後……二人で話したんだって。そのときに友斗の話になった」
「俺?」
「そう。選挙のときの入江先輩の目的の一つに、友斗が妹の隣に立つに値する人物かを見定めることがあったから」
「そういうことか」
それなら理解できる。きっと時雨さんが聞いたのだろう。
ボクの従弟はどうだった? みたいな感じで。
「入江先輩は言ったらしい。友斗と妹は確かにお似合いで、けど他にも二人、友斗の隣に女の子がいる。そのことにも妹は苦しんでいた。それくらいのこと、気付いていただろ、って」
「っ……他の二人っていうのは」
「言うまでもなく、私と雫」
「だよな」
まぁそれも、見れば分かることだ。
雫も澪も、俺のことを好いてくれて。もちろん内情を知らなければどういうことだと思うかもしれないが、時雨さんはある程度は知っているのだし、気付いていたはずだろう。
「そのときの返答を、入江先輩は一字一句覚えてた。だから私も、一字一句伝える。よく聞いて」
「……分かった」
澪は真剣な目で俺を捉え、告げた。
こくりと頷くと、澪は口を開く。
「『確かに澪ちゃん――ああ、妹ちゃんの推薦人をした子ね――は、彼の隣にいるね。彼のことを想っているし、隣にいる』」
息を吸って、間を置いて。
「『二人とも彼にお似合いで……ふふっ、従姉としてはちょっと複雑だね。従弟が女の子に人気者だなんてさ』」
「は……?」
それって、おかしくないか?
いやだって、会話が成立していない。
俺が怪訝な視線を向けると、澪は分かってるとばかりに首を縦に振った。
「もちろん、入江先輩もおかしいって思った。だから、二人じゃなくて三人じゃないか、って確認したらしい」
「……なんて?」
「『ううん、間違ってないよ。彼を入れて、ようやく三人』」
「――……っ」
絶句した。
つまり……どういうことだ。
時雨さんの計算には、《《雫が入っていない》》とでも言うのか?
「冗談じゃ、ないんだよな?」
「霧崎先輩のことをそう簡単に捉えることは出来ないから、何とも言えないけど。でも入江先輩は冗談だとは感じてなかった」
あくまでこれは、入江先輩の主観だ。だから本当は全てが時雨さんの冗談で、入江先輩の勘が鈍いだけだってこともありうる。
澪はコピーして言ってくれたけど、あくまでそれも時雨さんの平時の真似でしかない。話していたときはもっと軽いノリだった、ってことも十二分にある。
言葉とは文脈によって大きく変容するものだ。昨今ではSNSなどでその文脈を無視した切り取りによる問題が多数発生している。
だから時雨さんの本当の意図は分からない――と、理屈をこねくり回さないと信じられないほどに、時雨さんの発言は衝撃的だった。
「あの人が……雫を計算に入れてない? でも時雨さんは雫のこと、知ってるはずだよな?」
「それは、そう。けど一度仮定して話を進めると、辻褄が合う気がするの」
「仮定って……『時雨さんが雫を計算に入れてない』って?」
「もっと分かりやすく『霧崎先輩は雫が友斗の隣にいるべきだと思っていない』って仮定して」
そこまでなのか、と思う。それは流石に悪意がある解釈ではないか、と。
だが今は澪の言う通りに仮定してみる。
仮定。
――時雨さんは雫が俺の隣にいるべきだと思っていない。
「その仮定を踏まえて考えると。文化祭のときから、全部に説明がつく」
「文化祭?」
「ミスコン。あの人は私に明らかにスポットライトが当たるように仕向けた。インタビューでライバル視して。お膳立てされたグランプリだってことくらいは自覚してる」
「っ、ああ」
入江先輩と時雨さんが澪をライバル視したおかげで、澪の名前が浮上し、下馬評でも優位に立った。人気な者ほど目は付きやすいし、話題にもなりやすい。それゆえに澪はあの二人に勝てたとも言える。
入江先輩は俺が対立構造に持ち込んだ結果だが、それだけではおそらく足りなかっただろう。二年連続1位の時雨さんが澪の名前を出したから、あのとき大きく澪にスポットライトが当たった。
「あれは、雫に後ろめたく思わせるためだった。あの子は言ってたでしょ。私のこと、『キラキラしてる』って。私も、友斗も、トラ子も、雫のことを眩しいって思ってるのに」
だんだんと澪の語気は荒くなり、話すペースは速くなる。
それだけ時雨さんに怒っているのだ、と分かった。
愛する妹を傷つけられた。その可能性があるから。
「あの子が自分のことをキラキラしてないと思った発端は、私のあの二冠。そしてそれは――ほぼ間違いなく、《《霧崎先輩の計算のうち》》」
「……ッ」
「でも、それだけじゃない。もっと酷いのは選挙」
とん、とん、とん、とん。
澪は黒板を苛立たしげに指先で叩く。
「私は選挙の狙いは、何かしらトラ子に関わることだと思ってた。でも違った。それだけじゃなかった。おそらくあの人の一番の狙いは――《《雫の孤立化》》」
「……っ!?」
「トラ子が選挙で困れば、まず第一に友斗はトラ子の隣に立つ。二人のことが好きな雫は、ほぼ迷いなくトラ子の側につく」
ここまでは容易に想像がつく、と澪は不機嫌に呟く。
「だからあの人は、それだけじゃ勝てないように人気勝負に持ち込んだ。トラ子も雫もそれなりに人気だけど、あの二人には絶対に勝てない。勝てるとすればミスコンで1位を獲った私。そう考えるのは、ごく自然な流れでしょ?」
「それは……そうか」
そうだ。
事実、俺はそう考えた。澪だって同じように考え、俺にメッセージをくれた。雫もすぐにそのメッセージの意図に気付いていた。
ごくごく普通の、常人の思考だ。
「トラ子の性格を考えれば、私に頼むことを厭うわけがない。よって私が加入。私は当然、推薦人の枠に収まる。もう一枠は友斗と雫のどちらかになるわけだけど……これも、友斗がもう一枠に入るのはほぼ確定でしょ。雫はミスコンにも出なかったんだし」
そうなると、どうなるか。
俺、澪、大河。
この三人がセットのようになる。
「後は……雫が悩んで、自ら身を引く。そういうことか」
「そ。事実、あの子はそれで悩んだ。意図的に作られた視野狭窄によって自分が友斗の隣にいるのにふさわしくないと思い込んで」
しかも俺と澪と大河で人前に出る機会は多いから、そういう空気も出来上がる。
加えて雫と俺の別れたって話だ。これが広まれば、まるで俺が澪か大河のどちらかへ乗り換えたかのように映ってもしょうがない。
雫が誰かと付き合ってるって噂すらも、それが原因だと言えるのかもしれなくて。
だとすれば。
秋から先日までにかけて起こった様々なことは、ほぼ全てが時雨さんの計算だったことになる。
「そんなこと……ありうるのか? 数か月規模だろ。俺たちの事情だって、あの人は全て知ってるわけじゃない。なのに――」
「でも、そう考えれば辻褄は合う」
「辻褄は、確かにそうだが」
時雨さんの親切による行動だとすれば、選挙のときにあんな風に拗れるのはおかしい。時雨さんは大河と入江先輩と如月の考えをきちんと理解していたはずで。
ならもっと上手くやれた。
大河と入江先輩には、二人だけで対決をさせて。
大河と如月にはきちんと対話をさせる。
あそこまでのオーバーキルをする必要はどこにもなかったはずだ。
「忌々しいことにさ。昨日、たまたまあの人に会って。それで言われたんだよ」
「言われた?」
「うん。ミスターコンの、特別パフォーマンスの相手役。友斗の相手が私でよかった。お似合いだと思うよ、って」
「――っ!」
それは……それは、あまりにも逸脱しすぎている。
同時に、思い出す。
この前幼稚園に行ったとき、やけに時雨さんが俺と大河をからかってきたことを。
考えてみれば――あの人は、俺と大河や俺と澪の関係を異様に後押ししている。
「動機は分からない。どうして雫を友斗の傍から離れらせたいのか、理解できない。でも――この仮定は、おそらく正しい」
「そう、だな……ああ。俺もそれは理解できる」
問題は、あの人の動機だ。
何故時雨さんは、雫を認めないのか。
雫に恨みがある……とは考えにくい。
なら後は、
「澪と大河が持っていて、雫が持っていないものがある。その“何か”がないから時雨さんは雫が隣にいるべきだと思ってない。きっと、そうだよな」
「だと、思う。雫が言ってたのは『キラキラ』だけど……でも――」
「ああ。それは違うと思う」
むしろ、その差異は時雨さんが雫を弾くために顕著にしたにすぎない。
文化祭前の澪と雫にはさほど違いはなかったのだから。
だとすれば他に――あ。
「……気付いた、かもしれない。二人が持っていて、雫が持っていないもの」
世界で俺しか分からないはずのことだから、あまりにも信じがたくて。
けれど一度気付くと、もうそうとしか考えられなくなった。
「二人は――美緒に、似てる」




