八章#31 欲しいもの
時雨さんの『致命的な問題点』は何で、それをどう解消すればいいのか。
この問題の答えはちっとも見つからない。
昨日晴季さんと話して、ここから先はバイトではない、ということになった。本来の目的がクリスマスプレゼント用の資金を調達することだったのだから、もうこれ以上のことを考える義務はどこにもない。
それでも昨晩は延々と考えていた。
壬生聖夜の作品を読んで、読んで、何度も読んで。
美緒の『ブルー・バード』がそうであったように、物語の中に何らかの意図があるんじゃないかと思い、血眼になって探した。
でも、答えは見つからなくて。
日曜日も既に夜になっていた。今は夕方頃に帰ってきた雫と澪の入浴が終わるのを待って、昨日と同じくソファーに腰かけている。
俺と美緒と時雨さん。
この三人を中心として物語が紡がれている以上、俺に無関係な話ではないと思う。美緒も登場しているわけだから、時雨さんはあの子のことを今でも大切に思ってくれていたのだろう。
でも、だからどうしたのか。そこに『致命的な問題点』は見受けられない。故人を悼み、大切に思うことは何も悪いことではないなずだ。
「せーんぱいっ」
少し考えていると、ちょこん、と肩を叩かれた。
振り向けば、風呂上がりの雫がいる。ほかほか温まりたての雫は、いつもよりも無垢で柔らかい雰囲気だった。
「よう、終わったか」
「むぅ。どーしてちっとも驚かないんです?」
「どうしてって……ドライヤーの音聞こえたし」
「ふむふむ。つまり私たちのお風呂での様子が気になって聞き耳を立てていた、と。友斗先輩はえっちですね」
「違うからねっ?!」
流れるように不本意な判定をされてしまう俺。
聞き耳を立てるとは失礼な。ドライヤーの音って結構大きいし、意識しなくても聞こえるんだよ。
と、言い訳する方が怪しい気がするので、ここで話自体を打ち切る。何か別の話題を……と考え、ちょうど聞いておきたいことがあるのを思い出した。
「なぁ雫。なんか欲しいものってあるか?」
「へ? 友斗先輩のハートですけど」
「いや、そういうことじゃねぇから――っていうか、それを言われるとかなり胸にくるんだけど」
「それはもう、たくさん胸に来てください。私はずっと片想いしてるんですから」
「――ッ……だな」
当然のように告げる雫に、つい俺は顔をしかめてしまう。
雫は、じょーだんです、とくすくす笑いながら言って、俺の隣に腰を下ろす。今はドライヤーの音が聞こえない。澪はまだ湯船に浸かっているのだろう。
「ごめんなさい。友斗先輩があんまり真剣な顔で言うから可笑しくって」
「そんなに真剣な顔してたか?」
「それはもう、すっごく」
こつん、と肩が触れ合う。
シャンプーの匂いがふありと漂ってくる。ここ最近嗅いでいたものとは違う匂いで、シャンプー変えたんだな、と遅まきに気付いた。風呂入ると自分が使うシャンプーにしか目がいかないしな。
「それでそれで! 今の質問はなんだったんですか?」
「え。あー、えっと……」
「当ててあげましょう! 私へのクリスマスプレゼントで悩んでるんですねっ!」
「うっ」
あっさりと看破されてしまった。
まぁこの時期に「何が欲しい」なんて質問すれば、そりゃ分かるに決まってるよな。むしろ分からない方がおかしい。
観念した俺が項垂れるように首を縦に振ると、えへへー、と雫は頬を綻ばせた。可愛い。
「じゃあ正解したご褒美に、とりあえず今欲しいものをもらっていいですか?」
「はぁ……いいぞ。紅茶入れてくればいいか?」
「そうやって私が友斗先輩のことを当然のようにパシるって思われてるのは癪なんですけど」
「違うのか?」
「違いますよ! まったくもう。友斗先輩は私の扱いがほんと雑なんですから」
ぷりぷりと怒った様子を見せたかと思うと、雫は拳数個分俺から離れた場所に座り直した。なんとわざとらしい怒った素振り……と思っているのも束の間、
「欲しいのは友斗先輩のお膝です」
と言って、ソファーに寝転がった。
こてん、と雫の頭が太腿に乗っかる。部屋着越しなのに雫の温もりが生々しく伝わってくるわ、こそばゆいわ、耳とか横顔がいつも以上に見えるわで、そこはかとなく照れてる。
「こ、これって……いわゆる膝枕だよな?」
「そーですねー」
「なぜ急に?」
「好きな人に甘えるのに理由って要ります?」
「…………要らないかも、しれないけど」
そりゃそうだ。嫌ならば、拒否をするべきは俺。雫が俺の心情を察して嫌がっているかを見極める必要はない。少なくとも俺と雫の間柄では、だが。
しかし、雫がこういうことをするのには理由がある気がする。
俺が雫を訝ると、彼女はたはーっと破顔した。
「友斗先輩って、そーゆうときにはほんと鋭いですよね。そーですよ。もちろん理由はあります」
「その理由ってのは?」
「とある理由で、疲れてしまいまして」
「あー、なるほど」
昨日から大河の家に泊まって何かをしてたっぽいし。
すりすりと頬を太腿に擦り付けてくるのでぺしっと頬を叩くと、雫は悪戯がバレた子供みたいに笑みを零す。
代わりに雫の頭をそっと撫でてやると、嬉しそうに目を細めてくれた。
その表情を見て、俺は呟く。
「なぁ雫。もし何か問題があったなら、遠慮なく言えよ?」
「……? 急にどーしたんです?」
「え、いやほら。澪と大河と、三人でなんかやってるんだろ? そんなこと珍しいし、俺に言ってないだけで何か困ったことがあったのかな、って」
俺は冬星祭だけでなくバイトもある。だから三人は俺に気を遣って、俺の目に入らないように大河の家で何かをしているのかもしれない。
だとすれば、少し心が痛む。
必要なことだからやっているとはいえ、気を遣わせてしまうのは本意ではない。
と、思っていたのだけれど。
雫はクスクスと可笑しそうに肩を震わせた。
「なんですかそれ! 違いますよー? 別に何かに困ってる、とかじゃないです。ただ三人で色々やってて、お姉ちゃんとか大河ちゃんのバイタリティーに押され気味なだけで」
「そう、なのか……?」
「そーですよ。そんなすぐに困ったことが出てくるわけないじゃないですか~」
え、マジで……?
俺がパチパチと目を瞬かせながら視線で尋ねると、雫は膝枕されたまま俺の方を見て、こくこくと頷いた。
マジか。完全に俺の早とちりってことじゃん。うっわ、はず……。咄嗟に顔を背けるが、雫は俺を見逃してはくれない。
「友斗先輩、顔赤いですよ~?」
「うっせぇ。じゃあ、雫たちは何をやってるんだよ」
「それは乙女のプライバシー的に内緒ですっ!」
「む……そう言われると聞きにくいけどさ」
くっそぅ。太腿の上でニヤニヤされてるとすっげぇムカつく。でもこれ以上この話を続けてもしょうがなさそうなので、こほん、と咳払いをして話を戻す。
「それで。もう隠してもしょうがないから諦めるけど……クリスマスプレゼント、何が欲しい?」
「友斗先輩との時間が欲しいです」
「それは幾らでもやるから、物で頼む」
「幾らでもくれるんですね? 言質取りましたからね?」
「はいはい取られた取られた。で、物だと何が欲しい?」
俺が雑にあしらうと、雫はむくぅと頬を膨らませた。
ぷすっと指で突いて潰す。やべぇ、ちょっと楽しい――って、違くて。
「クリスマスプレゼント……難しいですね。この前、誕生日に色々貰っちゃったばっかりですし。本とかゲームとか色々欲しいものはありますけど、クリスマスプレゼントにはしないでほしいですから」
「うん、誕生日にゲームをプレゼントする気の利かない男でごめんね?」
だからこそ、今回は流石にそういうふざけたものではなく、クリスマスプレゼントにふさわしいものを買おうと思っている。
雫にも、澪にも、大河にも。近いうちにバイト代を入金すると言ってもらった以上、本来の目的もきちんと果たしておきたいからな。
「うーん……こうして考えてみると、思いつかないかもですね。逆に、友斗先輩は欲しいものってありますか?」
雫に言われ、ふと考えてみる。
欲しいもの……欲しいもの……えと、どうだろう。
「思いつかない…………かもしれん。欲ならあるんだけどな。世界平和とか、百億円とか、好きなラノベが打ち切りにならずに済む魔法とか、好きな作品のアニメ化が失敗しない保証とか」
「後半が生々しいですね」
まぁこのご時世、色んなことがあるからな。大好きなシリーズが打ち切りになることはあるし、追いかけていた作品のアニメ化が大失敗してSNSでネタ扱いされてしまうことだってある。
色んなことが上手くいかなくて。
だから馬鹿みたいな欲は生まれるけど、いざ欲しいものと言われると分からない。
「結局、そんなものなんですよ。欲しいものって意外と見えないんです。だからこそ頭を悩ませて、それでプレゼントしてもらったものが嬉しく感じるんですから」
「そっか」
なるほどな、と思う。
或いは、欲しいものが分からないから、人はプレゼントを貰いたがるのかもしれない。だってそうだ。欲しいものがあるのならはっきりとねだればいいし、何なら現金を求めたっていい。というかその方が手っ取り早い。父さんには、誕生日プレゼントをそうしてもらってるわけだし。
「だから聞いて済ませようとしないで、ちゃーんと考えてください」
「……そうだな」
欲しいものが見えている人は、決して多くはなくて。
それでも人は、目の見えない何かを求めているんだと思う。
もしそうならば。
時雨さんにも、欲しいものがあって。
そしてそれこそが、物語に滲む『無意識』なのかもしれない。
チリチリ、と脳裏が焼けるような感覚の陥る。
だとすれば、あの人の欲しいものは何なのだろう。
たとえば美緒が、俺と義理の兄妹になることを求めてしまったように。
あの人の物語にも何か、欲しいものが描かれているのではないか。
晴季さんと話して、雫とも話して、少しずつ近づけている実感はある。それなのにまだ近づけないことが、どうしようもなくもどかしい。
――壬生聖夜。
聖なる夜を冠したペンネームなのに、あの人自身の欲しいものが見えていないことが、酷く皮肉なことに思えた。




