八章#21 絡まる糸の行方は何処へ
「この作家には、致命的な問題点がある。それを指摘することができれば、友斗くんを下読みとして雇う。指摘できなくとも、課題の分のバイト代は払おう」
晴季さんは、そう課題の内容を告げた。
ずしんと重い響きで、堪らず俺は持ってきていたサイダーで口を潤す。
しゅわっと喉を通る炭酸はどこかほろ苦い。
「それが俺を下読みに任せられる理由で、12月中にバイト代が払える理由ですか」
「そういうことになる。少し、詳しく説明するよ?」
お願いします、と俺は肯う。
晴季さんはアイスコーヒーをちびりと飲んでから続けた。
「ライトノベルの新人賞とかだと、下読みの人ってあまりいい印象を抱かれないケースがあるんだよ。他のレーベルで賞を取った作品が一次選考で落ちたり、ということもあるからね」
「それは聞いたことがあります。でも仕方がないことですよね。完全に主観を排した判断なんてできるわけないですし。下読みの人に絶望的に刺さらなかった、って場合もあるわけで」
文章力など、様々な要素を数値にできれば話は早い。
しかしこの文章力ですら、様々な定義がある。分かりやすさを是とするかと思えば、流麗で文化を感じるような綺麗な文章の方がいいと思う人もいるし、その中間だったり、カテゴライズしにくいような人だっている。
俺は詳しいことは知らないが、結局のところ『客観的に見ようとした主観』の域を出ることは決してできないはずだ。
「うん、そうだろうね。でも最低限の能力は要る。読む速度や分析に必要な知識、着眼点がいいかどうか、とか」
「それも、はい、分かります。ずぶの素人に読まれて、それでテキトーに落とされたんじゃ、一生懸命に書いたのにふざけんなってなりますもんね」
文化祭で脚本を書いてみて、痛いほど理解した。
文章を書くのって難しい。文庫本一冊分約10万字を書くのが如何に大変か。
「だからこそ、友斗くんにそれが備わっているのかを見極めたい。けれど見極めるのにも労力が要るだろう? その間タダ働きというのも可哀想だし、この課題を達成してもらえることはこちらにとっても利がある。だからその分のバイト代は出す、というわけだよ」
「なるほど」
分からない話ではなかった。
普通ここまでするのかな、とは思う。多分やらないのだろう。でもこうして作品に誠実に向き合っている姿は尊敬できるから、その点については今は目を向けない。
気になるのは、どうして『壬生聖夜』なる作家の話になるのか、ということだった。
「どうしてこの人なんですか? 書籍化の打診を考えてるってことですよね? そんな人の作品をテストの課題みたいに扱うのは……」
無論、WEBに投稿された時点で著作権にさえ触れなければどんな読み方をしてもいいだろう。
しかし、書籍化検討中だということを明かしてまでこの人の作品を課題として用いる理由が分からない。
「理由は二つある。一つは……確かにこの作家はとても凄いけれど、僕は彼女を書籍化すべきでないと思っているからだ」
「その『致命的な問題点』のせいで、ですか?」
「そういうことだし、そういうことじゃないとも言える。これを考えるのも課題の一環ってことになるのかな」
「は、はあ」
意味深な言い回しだが、ふざけている様子はない。
「じゃあ二つ目は?」
「二つ目は――彼女の『致命的な問題点』をどうにかできるのは友斗くんだけだ、と思っているからだよ」
「……俺だけ?」
なんだそれ、と思った。
俺はただの素人で、特別な目があるわけではない。人よりは本を読んでいるだろうが、あくまでその程度だ。
でもやっぱり、ふざけて言っているわけではなさそうだった。
晴季さんの目に期待とも他の何かともつかない気持ちがこもっている。
「すみません。少し、この人の作品を見てみてもいいですか?」
「ああ、構わないよ。でも食べ終えてからにしようか」
「あっ……そうですね」
言われてみれば、今は食べている途中だった。
「変なところで抜けているのは相変わらずだね」
「あはは。お恥ずかしい限りです」
ほんと、お恥ずかしい。
苦笑しつつ、俺は食事に戻った。
◇
WEB小説投稿サイトのユーザーページは、ユーザーによって様々だ。自分のことを事細かに書いている人もいれば、プロフィール欄に何も書かれていない場合だってある、
壬生聖夜は後者に近かった。
プロフィール欄に書かれているのは、
『カミサマに物語を捧げます』
の一文のみ。
作家自身の情報はほとんどない。まぁ年齢や性別が分かる場合の方が稀だし、それは別にいい。
壬生聖夜が投稿しているのは、全部で12作。
そのジャンルはバラバラだった。
現地主人公と転生主人公の異世界ファンタジーがそれぞれ2作ずつ。女性を主人公にした異世界恋愛モノも2作。現代日本を舞台にした学園ラブコメディが2作。歴史要素の強い戦記モノと推理モノがそれぞれ1作。そしてSFと異能モノを混ぜたような作品が2作。
ラノベ寄りでありつつ何でも書ける人、ということだろうか。
12作品それぞれの作品情報を見て、驚いた。投稿した順に評価ポイントが高くなっており、先日完結した学園ラブコメディに至ってはランキング上位にいてもおかしくない程になっていた。これなら書籍化の話が出るのも納得かもしれない。
「少し、読んでみてもいいですか?」
「うん。読んでくれれば、分かると思う」
それなら、と俺は最新の学園ラブコメディを読んでみる。
第一話の一文目には、こう書かれていた。
『12月。それは神様が生まれた月らしい』
しかし、物語は12月から始まらない。吹雪ではなく、頭に『桜』がついたものが舞うような4月から物語が始まる。
主人公は男子高校生。顔はよく、カーストも高めで、友達もそれなりにいる。ともすれば非の打ちどころがないように見える彼には秘密があった。それが――実の妹に恋をしている、ということ。
それは禁断の恋で。
けれども諦められない想いで。
ずっと片想いしていた。
そんなある日、妹が告白されているところを目撃する。
嫉妬に駆られる主人公だったが、むしろこれで失恋できるのだ、と自分を納得させていた。
けれども、家に帰ってすぐに予想だにしないことが起きる。
妹に告白されたのだ。
その想いは兄妹に向ける親愛を錯覚したものなのか、それとも異性に対する愛なのか。
二人は周囲に秘密の恋人になり、互いの気持ちを確かめていく。
そんな内容で。
「……っ」
やばい、と思った。
俺のために書かれた作品かよ。そう思ってしまうほどだった。
だって妹だぜ? 実妹との恋愛をここまで突き詰めてくれる作品ってなかなかないもんなぁ。妹でありながらあくまで一人の女性として描いているところも悪くない。
何より――ヒロインが美緒にどうしようもなくダブった。
そうだ、ダブったんだ。まるで美緒を模写したかのように、この作品に美緒を感じる。読んでいて、懐かしくなって、つい泣きそうになるほどに。
そんなこと、ありえないはずなのに。
ここまではっきりと美緒を書くなんて、おかしいのに。
――と考えて。
そうか、と今更ながらに気付く。
これは時雨さんが書いたんだ。
壬生聖夜は、時雨さんなのだ。
そして晴季さんは、おそらくそのことを隠す気がない。
だって、端から晴季さんは年齢性別不詳の壬生聖夜を『彼女』と言っていた。演劇部の脚本のことだって、或いはヒントだったのかもしれない。
信じられない気持ちは、もちろんある。
けれど晴季さんがこくりと頷くのを見て、そうなんだな、と理解する。
では何故、はっきりとは言わないのか。
それもまた、晴季さんの言動が教えてくれる。
――今日は、これも仕事だと思っているから
――それじゃあそろそろそっちの話に移ろうか
『仕事』だから、壬生聖夜を霧崎時雨だとは見做さない。
書籍化打診が親のコネのようになってしまわないように、その建前を大事にしているのだ。つまり俺は、その建前を崩さないことが第一に求められる。
「この人の『致命的な問題点』を指摘する。それが俺の課題なんですよね?」
「うん。可能なら、『致命的な問題点』を解消してほしい」
「……解消、ですか」
「そうしなければ僕は彼女を決してプロにしてあげられない。このままではすぐに彼女は、筆を折る。13月はないんだから」
「えっ……ああ」
12作、それぞれが1月~12月をテーマにしていたから。
12作を書き終えた今、時雨さんは筆を折る。晴季さんはそう言いたいのだろう。
「できる、かい……?」
どこか縋るように、晴季さんは尋ねる。
俺は、分からなかった。
時雨さんが何を考えているのかすら分からないのに、あの人の『致命的な問題点』とやらに気付けるのだろうか。
まして――解消することなんて、できるのだろうか。
「俺は――」
できません、と告げるべきだと思った。
できなくても引き受ければバイト代は貰える。
けれどそんな生半可なやり方をしてはいけない。
そう考えた刹那、
――頑張れない兄さんのことは好きじゃないな
――かっこ悪いよ、そんなんじゃ
――かっこいい兄さんを見せて
美緒の声が、響いた。
「――やってみます。やらせてください」
時雨さんが何を考えているのかは、分からない。
美緒と二人ですら、あの人に勝ち越したことはなかった。
だからこそ挑むべきなのだと思う。
今は美緒だけじゃない。雫も澪も大河もそばにいてくれるのだから。
「そっか……やってくれるんだね」
「はい。働くのが大変なのは、何をやっても同じだって思うので」
「くくく。確かにそうだ」
働くのは大変だからこそ。
大人になって働くようになるまでに、たくさんのことに向き合わなくちゃいけないって思うから。
斯くて、俺は壬生聖夜という難問に挑むことになった。
クリスマスまで20日を切った。




