八章#20 出された難問
「立ち話もなんだし、とりあえずどこかお店に入ろうか。お昼はもう食べた?」
「えっと……まだです」
「そっかそっか。僕も忙しくて食べられてなくてね。食べながら話そう」
そう言って晴季さんが連れてきてくれたのはファミレスだった。
まぁゆっくり話すならここがベストか。お昼時より少し遅れたおかげ、待つことなく席につくことができた。
俺はドリアとサラダ、晴季さんはオムライス、それと二人分のドリンクバーを頼み、飲み物を注いで人心地つく。
「いやぁ、夏ぶりだね。あれから何かあったかい?」
「何かって……学校行事だと、あれですね。文化祭がありました」
「おお、文化祭! いいねぇ。青春って感じがするよ」
ほくほく笑顔を浮かべる晴季さん。
こうして学校のことを大人に話す機会もあまりないので、どうにも照れ臭くなる。それでそれで? と目を輝かせるので、俺は思い出しながら口を開いた。
「うちのクラスは、ミュージカルをやりまして。脚本が俺だったのでストーリー自体は割とめちゃくちゃだったんですが、役者と演出に助けられて最優秀賞が取れました」
「凄いじゃないか。時雨から聞いたけど、君たちの学校って演劇部が凄いんだろう?」
「演劇部は、そうですね。めちゃくちゃ凄かったですよ。脚本も演出も演技も、ずば抜けてましたし」
時雨さん、入江先輩のこと話してたのか……。
なんだかんだ時雨さんは入江先輩のこと嫌いじゃなさそうだもんな。
俺が首肯すると、そうだろうなぁ、と晴季さんは破顔した。
「演劇部の脚本は僕も見せてもらったけど、なかなか好きな話だったよ」
「ですよね――って、あれ? 脚本見たんですか?」
「うん。時雨にコピー機を貸してくれ、って頼まれてね。そのときに見せてもらったんだよ」
「へぇ……え?」
おかしくないか?
どうして時雨さんが脚本を持ってる? 演劇部の脚本は……確か、副部長と入江先輩の合作だったよな?
俺が首を捻っていると、あれ、と晴季さんは呟く。
「知らないのかい? 時雨は以前、脚本を書かないか友達に頼まれたそうでね。脚本自体は断ったそうだけど、アドバイザーとしてなら、ってことで力になってるんだよ」
「そんなことが……全然知りませんでした」
文出会での時雨さんは、ちっともそんな素振りを見せていなかった。
入江さんだってそんなことは一言も言っていなかったし……そもそも、あの人が時雨さんに脚本を頼むなんて想像できない。
もしかしたら、と思う。
晴季さんは俺が知らない時雨さんを知っているのかもしれない。そこには俺と澪が探っている“何か”に関わることも含まれるのかもしれない。
だとすれば――。
「あの、晴季さん。文化祭のことで、時雨さんって他に何か言ってませんでしたか?」
「うん……? 文化祭のことか……えっと――あ、ありがとうございます。とりあえず、食べながらにしようか」
「あ、はい」
話している途中で、注文したものがテーブルに届いた。
いただきます、と二人で告げ、口をつける。
中がしっかり熱いドリアに舌が火傷しそうになるけど、安定の美味しさだった。
「それで、文化祭のことだよね」
「はい。何かあれば、と思って」
「そうだなぁ……友斗くんのクラスの話とミスコンの話を主にしていたかな」
「ミスコン……」
「ああ、それと、メイド喫茶の話もしていたよ。可愛がっている子が執事服を着ていて可愛かった、とね」
「なるほど」
時雨さんもそれなりには回ってたのか。まぁあの人、楽しいこと好きだからな。気になるとすればメイド喫茶に行ったくせに大河の執事服が記憶に残ってるのかよってところだが、知り合いの方が記憶に残りやすいし、しょうがないのかもしれない。
「じゃあ――その後の選挙については?」
「選挙?」
「生徒会役員選挙です」
「ああ! そのことか」
合点がいったように頷く晴季さん。
オムライスを咀嚼し、アイスコーヒーに口を付けてから話してくれる。
「あのときは楽しそうにしていたなぁ。僕もあの頃は忙しくて、帰るのが遅くなってしまったのだけどね。夜に楽しそうにパソコンと向き合ってたよ」
「楽しそうに、ですか」
「そうそう。友斗くんと、それから可愛がっている子たちと戦えるのが楽しいって言ってたよ」
「……そうですか」
じゃあ、選挙のあれは本当に戦闘民族みたいな思考からきた行動だったのか?
好きなだけ遊んで、満足したから俺たちに逃げ道を与えた?
あの人は自由だけど、そこまでする人なのか……?
その苛烈さは、まるでこの前見た映画のカミサマのようじゃないか。
考えていると、ふふ、と晴季さんは微笑んだ。
「時雨のこと、気になるのかい? もしかして好きになっちゃった?」
「ぷふっ」
端的に、噴いた。
口の中に何もなくてよかったよ、マジで。
「けほけほっ……なに言ってるんですか、晴季さん。時雨さんは従姉ですよ?」
「うん、そうだね。でもラノベや漫画だと従姉ヒロインって別に珍しくないだろう? 結婚だってできるんだし」
「それはそうですけど――」
でも従姉だから、と言おうとして、ゾッとした。
それは違うだろ。
仮に世界中が誹ろうとも、俺は従姉弟で恋に落ちることを否定してはいけない。“関係”によって想いを否定するのは、俺と美緒の想いを否定することに等しい。
「――別に、好きとかじゃないです。時雨さんもそういう目で俺を見てませんよ」
「まぁ、そうなんだけどね」
「分かってるならからかわないでくれますかねぇ?」
「いいじゃないか。やってみたかったんだ。若い子をからかう意味深な大人キャラ」
「ラノベ編集者に染まってますね、見事に」
まぁ昔から割とそういう人ではあったけれども。
苦笑していると、
「そうだね。っと、それじゃあそろそろそっちの話に移ろうか」
と、晴季さんが話を本題に移した。
「あ、すみません。色々聞いてしまって」
「ううん、いいんだよ。色々と話せて嬉しいから。友斗くんさえよければ、いつだってうちに来ていいんだし、遠慮しないでおくれ。エレーナも楽しみにしてる」
「あはは……また、いずれ。年始には帰省する予定ですしね」
「そうだね。僕も帰省くらいは満喫できるようにしたいなぁ……はぁ」
深い溜息だった。
めっちゃ大変そうだ……。
こほん、と仕切り直し、晴季さんは言う。
「それで。時雨からは聞いていると思うけど、ちょうど今、下読みをやってくれる子を探していてね。実際に原稿を渡せるのは1月に入ってからなんだけど、もしやってくれるなら先にバイト代を払ってもいいと思ってる」
「えっと……質問しても?」
「うん、なにかな」
「まず俺が下読みをやってもいいんですかね、とは思ってて。もちろんそっち系のカルチャーにはそれなりに理解があるつもりですし、本を読むのも好きなんですけど」
うんうん、と相槌を打ちながら話の先を促してくる。
質問にはいっぺんに答えるつもりのようなので、俺は続けた。
「あともう一つ。バイト代を先に払う、っていいのかな、と。個人的には今月中にそれなりの額が欲しいので助かるんですが……」
「友斗くんは真面目だね」
別に真面目ではなく、当然考えるべきことだと思った。
親族とはいえ、あくまでこれは仕事なわけで。まして他の多くの人の人生に関わるかもしれないと思ったら、否が応でも神経質にならざるを得ない。
「その二つの質問への答えは、ここにあるよ」
言って、晴季さんはテーブルの上の紙ナプキンにするするっとボールペンで何かを書き、見せてくる。
そこには『壬生聖夜』と記されていた。
「これは……?」
「検索してみてくれるかな。そうすれば分かると思う」
「え、ああ。分かりました」
スマホを取り出し、記されている通りに入力する。
すると――WEB小説投稿サイトが一番上に出てくる。『壬生聖夜』なる者のユーザーページだった。
俺が画面を見せると、うんそれだよ、と言って晴季さんは続ける。
「その作家にね、実は目を付けてたんだ。編集長が言い出して、僕が担当するかも、って話になっている。その人の作品を書籍化するなり、新作を書き下ろすように頼むなりしよう、とね」
「そんなに凄い人なんですか?」
「はっきり言って、凄いよ。彼女を見つけた編集長には敵わないと思わされた。僕も見識を広めてアンテナの感度を高めていたつもりだったんだけどね」
WEB小説は、俺もそこそこ読む。だが作家の名前を読者が気にするようにサイトが作られていないこともあり、いちいと作者名を覚えてはいない。
はてこの名前をランキングで見たことはあっただろうか……。
投稿作品を見てみるが、タイトルがWEB小説っぽい長文にされており、『見たことあると言えばあるし、ないと言えばない』みたいな曖昧な感想が浮かんだ。
「それで、この人がどうしたんですか? っていうか、そんなこと俺に言っていいんですか?」
「もちろんここだけの話にしてもらうとして……僕は友斗くんに、課題を出そうと思う」
殊更に真剣な晴季さんの言葉を聞き、ごくり、と息を呑む。
「この作家には、致命的な問題点がある。それを指摘することができれば、友斗くんを下読みとして雇う。指摘できなくとも、課題の分のバイト代は払おう」
そうして、晴季さんが告げた課題は。
難しくも妥当に思えるもので。
しかし――後から考えれば。
世界で唯一俺には挑戦権が与えられるべきではなく、同時に俺以外には解答権が与えられていない課題だった。




