七章#41 眠らぬ街の美女
SIDE:雫
「ねぇせんぱ――って、寝てるし」
かち、かち、かち、と。
テキストを進めて、キャラたちの声をBGMだけを聞き続ける時間を、もう長いこと過ごしていた。パソコンの端に表示される時刻は既にこけっこーと朝を報せていて、私の瞼も重い。
隣でイヤホンの片側を耳にはめている先輩の方を見遣ると、心地よさそうな寝息を縦て寝ているから、可笑しくなる。
ほんと、なにそれ。
自分が夜更かししようって誘ってきたくせに。病み上がりの私とぶっ続けてゲームとか、意味わかんないこと言い出したくせに。
それで先に寝ちゃうとか、ほんとサイテー。……まぁ、私の方が、その何倍も最低だけど。
でも……あー、やだな。
寝顔は可愛くて、かっこよくて、好き。
うわ、涎ちょっと垂れてるし。跡残ってるのに……それでも好きとか、末期症状過ぎる。あれかな、私実は催眠されちゃった? 男の子の妄想を詰め込んだえっちな本みたいな展開?
――なわけないよなぁ、と苦笑する。
もしそうなら、昨日私は初めてを貰ってもらえたはずだし。
今頃下半身のジンジンと痛みに顔をしかめて、でもその痛みのおかげでちょっとは楽になれた。間違ってるかもだけど、間違いの代わりに空っぽを捨てられたはずなんだ。
でも先輩はそうじゃなくて。
むしろ急にお姉ちゃんとセフレだったとか言うし、それだけ爛れてたくせに清純ぶったこと言うし、そのあとよく分からない論理でお説教してくるし。
全然救われてなんかいないはずで。
この苦しさが先輩のせいなのだとしたら、ただのマッチポンプでしかないのに。
なのに昨日より今日、もっと好きになってる。
『………………それでも、頑張れなかったら?』
『そのときは頑張らなくていいよ。頑張らない雫も、可愛いから』
『っ⁉』
『もしも俺と雫が結ばれない未来に行きつくとしても、俺たちは家族なんだからさ。そのときは義兄として、傍にいてやる』
ズルいんだよ、あーいう言い方。
全部ぜーんぶ先輩のせいなのに、傍にいてやるとか、かっこつけてさ。それで女の子が納得すると思ってるの? お姉ちゃんとシたって言ってたけど、心は全然、ど、童貞のままじゃん。
「ん~っ」
ああ、でも。
先輩の体、温かかった。
男の子の部分は熱くて、握ってくれた手は温かくて、触れあった肩は優しくて。
言葉なんかじゃ、救われない。
駆けつけてくれても、嬉しくなんてない。
でも先輩の口から出ただけで。
駆けつけた先輩の体温を感じるだけで。
全部が救いに、なってくれた。
「『好き』を増やしていく、かぁ……」
陳腐な言葉だった。
でも、そうだよな、と思える。
先輩への『好き』とは違うけど、お姉ちゃんのことも大河ちゃんのことも好きだ。二人にも、好きでいてほしい。そのためになら……もしかしたら、頑張れるかもしれない。
ゲームも好きだし、本も好きだし、友達と遊ぶのも好きだし、他にも好きなものはたくさんある。
先輩の『好き』が私を変えてくれたから、嫌いだった現実の中にも好きなものが増えた。
なら、何もなくてもいいのかな。
その分、たくさんの『好き』があるから。『好き』をたくさん集めたら、スライムみたいに、強くなってくれるかもしれないし。
ぶるる、とスマホが振動した。
ゲームのスタミナ回復の通知でしなかったけど、それとは別に、昨晩のRINEの通知を見つけた。
【杉山:風邪引いたって聞いた】
【杉山:大丈夫か?】
【杉山:二年生、修学旅行じゃん。もしかして一人だったり?】
【杉山:もしそうなら俺、看病行くから。やましい気持ちとかなくて、ただのクラスメイトとして】
また杉山くんからのメッセージだった。
無視しちゃったのは申し訳ないけど……いや、やましい気持ちはあるでしょ。女の子一人かもって思ってるくせに看病とか、すっごくやましいって。
『好き』ってきっと、こんな風に暴走することもあるんだよね。私もどこかで暴走してて、先輩に迷惑もかけてる。
だから私が言えた分際じゃないけど……それはそれ、これはこれ。
【しずく:朝早くにゴメンね】
【しずく:一緒にいてくれる人がいるから心配しないで】
【しずく:あと、あんまり個人でライン送らないでほしい。杉山くんのこと、クラスメイトだって思ってるから】
【しずく:好きな人に勘違いされたくないから、やめて。この前も噂が出て迷惑だった】
酷い言い方だけど、しょうがないよね。
私は悪い子だし。『好き』を大切にしたいから。
「せーんぱーい。責任取らなきゃ許しませんからねー」
もうすやすや夢の中にいる身勝手な先輩に、私はくすくす笑いながら囁いた。なんちゃら効果で頭に刷り込んじゃえたらいいな、って思った。
◇
SIDE:友斗
「くあぁ……やべ、寝落ちしたか」
気付けば寝ていて、そして起きていた。まだ朧気な意識の中で数度の欠伸をし、口の中に空気を頬張る。
秋の朝特有のやや冷たい空気を吸ったら、少しは覚醒してきた。次第に昨日のことを思い出し始め、しまった、と思う。
「しずく――は、いないじゃん」
ベッドで二人寝転んでゲームをしていたはずだったのだが、雫がいるべき場所には誰もいない。
パソコンはシャットダウンされて枕元に置かれ、イヤホンとマウスがまとめられていた。完全に俺が寝落ちし、雫が呆れたパターンだ。
「我ながら最低すぎる……」
そもそも寝不足だったくせに徹夜しようとした無謀さのせいで、若干体が重い。ぐーっと伸びをしてから、とりあえずベッドから起き上がる。一瞬千鳥足になって、いよいよダメさ加減が極まってるな、と苦笑した。
そもそもである。
よく考えてみたら、頭がおかしいのだ。病み上がりの雫と一緒に徹夜でゲームとか、澪にバレたら怒られかねない。大河に知られようものなら怒られるだけじゃすまないだろう。修学旅行をサボって何やってんだ、という話だ。
そのうえ、寝落ち。病み上がりの雫を差し置いてぐっすり寝るとか、マジで最悪すぎる。これは刺される姿をクリスマスに全世界配信されるのが伝統になってもおかしくないレベル。
そんなことを思いながら時計を見て、更に居た堪れない気持ちになった。10時よ、10時。堂々と休みの日の寝方をしてしまっている。
反省しつつ、とりあえずリビングに向かう。
きぃ、きぃ、きぃと階段の音。
ぼやけ混じりの意識の中で、ふかふかと温かい匂いが漂っていることに気付いた。
「友斗先輩、おはようございますっ!」
「んあ。雫……おはよう」
「もうご飯できるので、顔洗ってきちゃってください。ひっどい顔ですよ~」
「うい」
ん……? 今、なんかいつもと違かった気がするんだが。
何が違ったかなぁと思いつつ顔をぱしゃぱしゃと洗い、ついでに水道水でガブガブとうがいをした。ふむ、だいぶ目が覚めたな。
そうしてリビングに戻ると。
エプロンを着けた雫が、食卓に朝食を運んできていた。
今日のメニューは……あれ?
「うどんって……昨日、作らなかったか?」
「むぅ。なにか文句でもあるんですかー?」
「いや、文句はないんだけどさ。連日食うのは飽きないのか、と思って」
言うと雫は椅子に座りながら、ふふんと笑う。
俺の席を指でさすので、俺はこくと頷いて座った。二人で「いただきます」と告げて、うどんを食べ始める。
雫のうどんは、めちゃくちゃ美味しかった。朝食べたくなる、程よく優しく染みる味だ。
「ふふー♪ どーですか、友斗先輩?」
「どうって……めっちゃ美味いけど」
「ですよねー」
えっへん、と胸を張る雫。
それを見て、俺は雫がうどんを作っている理由を悟った。
「つまりあれか。俺より自分の方が料理の腕が上だと証明したかった、と」
「正解です♪」
にんまりとブイサインを見せる雫。
くいくい、とカニみたいに動く人差し指と中指が可愛らしい。
そっかと漏らしてから、美味いよ、と改めて呟いた。
「あ、それと。他の誰かに一番乗りされたくないから、今言うんだけどさ」
「んー、なんですか?」
「――誕生日、おめでとう。生まれてきてくれて嬉しいよ」
雫にそう言ってもらえて、俺はとても救われたから。
その言葉すら『好き』を前提にしているのだとしても、その言葉がダメになるわけがない。むしろ更に、あの言葉を大切にしようって思うくらいだ。
しかし雫は、くすくすと笑って首を横に振った。
「残念でしたね、友斗先輩。既にお姉ちゃんと大河ちゃんからメッセージが来てます」
「なっ……そりゃ、そうか。こんな時間だもんな」
「そーですよ、こんな時間ですから。とんだ寝坊助さんでしたもん」
それは、完全に失敗した。つーか本当は日が変わるまで粘って、誕生日になった瞬間に言うつもりだったんだけどなぁ。そこまですら粘れなかったとか、我ながら情けない。
苦笑していると、
「でもね、友斗先輩」
と、呼ばれる。
そこでようやく、違和感に気付いた。
呼び方がいつもと違う。『先輩』の頭に、俺の名前がついている。
ハッとしている俺を、雫は最高の笑顔で照らしてくれていた。
「大好きなお姉ちゃんに祝ってもらえて、大好きな親友に祝ってもらったけど――それでも、一番嬉しかったですよ。大大大大大好きな先輩からの、おめでとう、が」
「……ッ」
「だから私、《《百瀬》》雫16歳はここに宣誓しようと思います。私の選手宣誓、聞いてくれますか?」
雫は胸に手を当てて、にこっ、と満面の笑みを浮かべる。
キラキラしてるに決まってるその表情からそれでも目を逸らさぬようにして、俺は頷いた。
「私、百瀬雫は今日から本気でヒロインになります。大好きなものを全部ぜーんぶ大切にして、『好き』でいっぱいのハッピーデイリーライフを送ってみせます。バッドエンドも、メリーバッドエンドも、ベストエンドすら看過せず、シリアスなんているかーって笑い飛ばせちゃうようなトゥルーハッピーエンドです」
「……っ、ああ」
「でも、私はヒロインですからね。主人公がちゃーんと辿り着いてくれないと、トゥルーエンドにはなりません。主人公がいないところでヒロインが幸せになれても、それじゃあ満足できないので」
だから、と零れ落ちる言葉は、幸せの一滴なんかじゃ足りないくらいに甘い言葉で。
「友斗先輩に『大好き』って言ってもらえるよう、頑張ります。
『大』を何度も掛け算しちゃうくらい、幸せな『大好き』を抱かせてみせます」
だからこそ、思った。
日常の雫一滴一滴を大切にして、集めたら、どうしようもなく幸せなその日に辿り着けるのかもな、って。
気恥ずかしくて、もどかしくて、歯痒くて。
それでも傍でにこにこ笑って目の前にいる雫のことを、今度は正視できなかった。
「あー、照れたー! もう、先輩ってばかっわいいー♪」
「ぐっ、うっせぇ」
「そんな私も嫌いじゃないくせにぃ」
ああ、本当に。
この小悪魔は、生意気で、いい子で、悪い子で。俺はつくづく、この子に振り回される運命らしい。




