七章#34 ヒロイン
雫のために、何かしてやらねば。
そんな使命感に駆られていた俺だった――のだが。
結論から言うと、件の噂は翌週には消え失せていた。付き合っているという男子は昼休みに教室におり、付き合っているのに一緒に食べないなんておかしくね、という話になったらしい。
何もできずに終わってしまった。
そうして『しまった』とつけてしまうことは浅ましく思えるから、やめる。結果として問題が解決したのならそれでいいじゃないか。現実ってのはいつだって淡泊であっさりしているものだ。
それに、何も得なかったかと言えばそうでもない。
雫と改めて向き合うべきだ、と実感した。なるべく早く『好き』に応えなければ、とも。
けれどこれは大切なことで。
俺だけじゃない。色んな人の未来に関わることで。
そんなに大事なことを忙しさに紛れて考えるのは絶対にしてはいけない気がしたから、色んなことが終わってから考えることにした。
こうやって後回しするのは間違っているのかもしれない。そのせいで失敗したこともある。
しかし恋心だけは、時間をきっちりと取って考えるべきだと思うのだ。
だって――誰かを幸せにする以上に、誰かを傷つける選択だから。
そうしている間に、次の週も木曜日までやってきていた。
今日は生徒総会。
明日からは二泊三日で修学旅行。その後、俺と澪が振替休日である24日を使って雫の誕生日パーティーを行うことになっている。
それが終われば、向き合うことになるのだ。
「――以上で、会計報告を終わります」
舞台上では、会計担当の一年生が今期および次期の生徒会予算の概要を説明していた。
生徒会予算については、既に部活などの代表者を集めて説明している。あくまで生徒総会では最終報告、という形だ。
緊張した様子の一年生が舞台袖に戻ってくると、代わりに大河が出ていく。
「頑張れよ」
「はい」
小声のやり取りの後、大河はステージ中央に立った。
ふぅ、と一呼吸してから、大河はマイクの前で口を開く。
「こんにちは。生徒会長の入江大河です。これから今期生徒会の活動についてご説明します」
よく通った声だ。
よどみのない、真っ直ぐな言葉。何度も何度も練習して、入江先輩にもアドバイスを貰ったのだ、と昨日のリハーサルで口にしていた。
舞台袖で応援しながら、俺は大河の言葉を確かめるように聞いていく。
話の内容は、大河が今言った通り。
今期の生徒会の活動についてである。
まず、例年行っていること。これに関しては生徒会が何をやっているのか分かっていない人のためにも、ある程度詳しく語っていく。
そして続いて、今年から始めること。
これは大きく分けて三つだ。
「まず一つは、SNSの活用です。前期までの生徒会でも、SNSを利用して情報発信していました。この情報発信はそれなりに反響をいただいています」
俺が運営している例のアカウント。
あれの運用方法を変えることがまず一つ目の施策である。
「今期からはこのアカウントにて、匿名で意見や要望、質問などを受け付けることができるようにしたいと思います。具体的には当該SNSの機能の一つであるDMを利用して――」
大河の公約の一つである、目安箱の設置と活用。
これを落とし込んだのがこの案だ。目安箱を設置したところでわざわざ紙に書いてくれる生徒がどれだけいるか分からないし、それならSNSでやった方がコストもかからなくていいだろう、ということになった。
SNS担当者が大変だよなって話はしないでおこうと思う。あーあー見たくなーい。
「二つ目は、来月実施予定の冬星祭についてです。こちらは先ほど説明した通り例年と同じく行いますが……その際、生徒会主催でミスターコンテストを実施します。詳細はまた追ってお知らせしますが、文化祭のミスコンテストと同様に伝統的な生徒会行事になれるよう、尽力するつもりです」
ミスターコンがあるから修学旅行が終わっても大変なんだよな、とも考えないでおく。
忙しいけど、冬星祭は文化祭に比べると楽だからな。
おおお、と舞台下にいる生徒たちが湧く。公約に言っておいてダメだった、みたいなパターンもたまにあるからな。生徒総会で話に出ればほぼ確実となるので、喜ぶのも分かる。
「そろそろね、百瀬くん」
「ん……ああ」
最後の一つを大河が言う前に、舞台袖で俺と同じく控えていた如月が囁いた。
ああ、そろそろだ。最後の一つは、他でもない俺に関わることなのだから。
「これで百瀬くんも、生徒会の一員ね」
「今までもそうだって言いたいくらい働いてたよな、とは言わないでおく」
肩を竦めると、如月は苦笑した。
庶務に就任したからといって、何が変わるわけでもない。今まで通り生徒会として尽くすだけ。
けれども大河が作りたいと願った役職で。
可愛がっている後輩の思いの結晶みたいなその立場になれることが、嬉しくないわけがない。
「三つ目は……生徒会に新しい役職を設置する、ということです。これについては既に事前にリーフレットを配布し、お知らせしていると思います」
庶務の設立意義はこれまでの演説で言ったとおりだ。
大河は改めてそれを説明し、そして舞台袖を見遣る。
「じゃ、行ってくる」
「ええ。行ってらっしゃい」
友達に背を押され、後輩に視線で呼ばれ。
俺は舞台袖から外に出た――。
◇
SIDE:雫
大好きな男の子と大好きな友達が、舞台の上で隣り合っている。
「こほっ」
零れた咳が周りの邪魔をしないように、私は咄嗟に口を押さえる。
ずきんずきんと頭の奥を沈殿するような重い痛みは、自己嫌悪と名付けていいように思えた。
「そして、生徒会五人で話し合いをし、二年A組の百瀬友斗くんを今期の生徒会庶務に任命したい、という結論に至りました。彼は今回の生徒総会はもちろん、これまでの学校行事でも生徒会を有志で助けてくださっています」
生徒会長と、それを支えるために寄り添う庶務。
太陽と月とか、光と影とか、そんな感じ。
お決まりのセットで、隣り合っているのがよく似合っている。
「どうも、ご紹介に与りました。二年A組の百瀬友斗です。今生徒会長はめちゃくちゃ良い感じに言ってくれたので、逆に俺が話すのは申し訳ないなぁって感じなんですけど」
マイクの前に立った先輩は、くしゃっと無邪気に笑って言う。
くすくすと小さな笑いが起こった。
ああ、うっさいなぁ……。
笑い声も、マイク越しの声も、頭にがんがん響く。
でも顔をしかめるべきじゃないから、無理にでも笑顔を作って周りに合わせる。大丈夫だ。私は大丈夫。
「でも、少し真面目になって……俺は誓いましょう。ここにいる不器用で未熟な生徒会長を、庶務として全力で支えます。なのでまぁ、庶務創設に賛成いただければ幸いです」
先輩が深々と頭を下げると、大河ちゃんもそれに続いて頭を下げた。
ぱちぱちぱちぱち、と拍手が起こる。
その反応を見れば、生徒総会の結果なんて簡単に窺い知ることができた。
「それでは、決議に移ります。ただいま説明した生徒会の活動を承認していただける方は、その場で挙手をしてください」
大河ちゃんがそう告げると、全校生徒のほとんどが手を挙げた。
挙げてないのは学校行事に一切興味がないごくごく一部の人たちだけ。
もちろん私も、手を挙げる。
先輩と大河ちゃんが隣り合うことが嫌だとは、少しも思っていないのだから。
なのに、挙げた手はやけに重くて。
鉛みたいな体は、ぐにゃんと体育館の床を曲げて沈んでしまいそうだった。
「賛成票が3分の2を超えたので、承認されました。ありがとうございます」
大河ちゃんはそう言って、頭を下げて。
そして生徒総会は終わる。
明日は修学旅行だから、それが終わったら少しは先輩との時間もできるだろうか。隣に、いてもいいんだろうか。
――どんな顔をして?
体育館を出る人の波に呑まれながら、ふとそんな疑問が浮かんだ。
どんな顔をして、私は先輩の隣にいるんだろう。
この一週間強、ずっと見ていた。
クラスの人と楽しそうにしてる先輩。生徒会で忙しそうにしてる先輩。〈水の家〉で話しているときも、お姉ちゃんや大河ちゃんと話しているときの方が楽しそうで。
「重いなぁ」
何がって、それはもちろん、私が。
私の体と、私の想いが。どうしようもなく重い。
えっ、体……?
一度意識して、気付く。なんだかすっごく寒気がする。気分も悪いし、気持ち悪くて……体が、重い。
風邪、引いた……?
何それって思うけど、そりゃそうだよ、って納得してる自分もいた。だってこの一週間、ずっと気分が悪かった。杉山くんとの根も葉もない噂に嫌気が差して、昼休みは逃げるように屋上の前の階段でご飯を食べて、夜もあんまり眠れなくて。
「先輩、看病してくれるかな」
と口にした瞬間、ぞっとした。
それはあまりにも浅ましい。風邪を引いたから看病してもらって、それでここ最近抱えていたモヤモヤごと助けてもらえる?
そんなの、都合がよすぎる。
なにより――先輩は、修学旅行をすっごく楽しみにしてる。
先輩が変わって、一歩進んで、本当に大切な友達ができて。
その人たちと行く修学旅行を楽しみにしてるんだ、って。
「隠さないと」
私はお姉ちゃんや大河ちゃんとは違う。
分かりやすく「助けて」って言うような逃げは許されない。
そういうのは、ヒロインの特権なんだから。




