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七章#33 八雲との話

 SIDE:友斗


 一週間は瞬く間に過ぎていった。

 光陰矢の如し、だのといつだったか思った覚えがあるけれど、改めて今それを痛感している。今週は本気で忙しかった。


 何せ来週には生徒総会と修学旅行が控えている。その準備が本気でやばかった。

 そもそも日程的にこの二つの行事が並ぶのはどうなんだよと思うところはあるけれど、例年の生徒総会はさほど大変ではないため、しょうがない。

 今回の生徒総会がここまで忙しいのは、庶務創設を本気で狙っているからだ。


 他のことならともかく、生徒会に関する事項は年に一回の生徒総会で採決しなければならないという決まりがある。来年に見送りにするわけにもいかない以上、何としても間に合わせなければならなかった。


 そんなわけで庶務創設のメリットや問題点へのカウンターを書類にまとめ、関係する先生に提出。

 そして同時に生徒を説得するようなリーフレットを用意し、各クラスに配布したり……。


 だがそんな多忙な一週間も、ようやく終わりを迎えた。

 家に持ち帰ることができるような仕事はほとんどないため、日曜日はきちんと休むことができそうだ。

 と、土曜登校である今日、せこせこと放課後に仕事しながら思っている俺。


「ユウ先輩、もうそろそろ終わりですよ」

「んあ? あー……時間か」

「はい。こちらはほとんど終わりましたが、ユウ先輩に頼んでいた方はどうですか?」


 大河に仕事の進捗を尋ねられ、俺はパソコンの画面に目を落とす。


「こっちもほぼ終わりだな。昨日まで飛ばしてた分、今日は余裕あったし」

「それはよかったです。……じゃあ、皆さんも。今日は解散ということにしましょうか」


 大河は時計を一瞥してから、他の生徒会メンバーに言う。

 俺と大河が庶務創設に動く一方、他のメンツには生徒総会自体の準備をしてもらっている。おかげで一年生もだいぶ仕事に慣れてきていた。

 大河の言葉で、生徒会メンバーはめいめいに帰宅準備をし、解散していく。

 外を見れば、空は紺色に染まり始めている。いつもよりやや早いが、今日は土曜日だしな。解散にはちょうどいいだろう。

 俺も上がりだな。今日も大河を送って行こう。


 そう思っていると、


「ねぇ百瀬くん。少しいいかしら?」


 と、如月が声をかけてきた。

 パソコンをシャットダウンしながら、あぁ、と返事をして顔を上げる。


「どうかしたか?」

「晴彦がね、百瀬くんと話したい、って。RINEも送ったらしいんだけど」

「え、マジで?」


 RINE、というかスマホには全然意識を向けてなかった。慌てて確認すると、授業が2時間ほど前に八雲からメッセージが送られてきている。


【HARUHIKO:どうしても今日、二人で話したい】

【HARUHIKO:生徒会が終わるまで待つから、話せないか?】


 その文面には、切迫した雰囲気が滲んでいる。気付かないうちに眉間に皴が寄った。


「来てた。これって……真剣な話だよな?」

「そうね。真剣で、緊急の話」

「そっか」


 なら、行かないわけにはいくまい。

 大河を見遣ると、こく、と頷かれた。


「ユウ先輩。そういうことでしたら今日は一人で帰ります。まだ少し明るいですし、これくらいの時間なら問題ないですから」

「悪いな」

「いえ。いつも送ってもらっている方が贅沢なんです」


 言って、大河も帰り支度を始める。

 まぁ、大河は俺が送らなければダメな弱い子ではない。もしもの場合にも自分で対応できるだろうし、俺が過保護になりすぎている節はある。

 今は八雲に集中することにして、俺は返信を打った。


【ゆーと:悪い、スマホ見てなかった】

【ゆーと:分かった、話そう。どこ行けばいい?】


 すぐに既読がつき、近場のファミレスの名前が送られてくる。

 一体、何の話なのか。

 喉奥が乾くような感覚に苦笑しつつ、俺も帰る準備をした。



 ◇



 ファミレスに行き、店員に待ち合わせだと伝えて探すと、八雲はすぐに見つかった。

 待たせて悪い、と一言告げると、八雲はかぶりを振る。

 ひとまずドリンクバーを注文し、サイダーを持ってきて人心地つく。


「ふぅ……」

「お疲れさん、友斗。なんか大変そうだな」

「ああ、ちょっとな。生徒総会と修学旅行のダブルパンチはきつい」

「そういや白雪も言ってた。生徒総会潰れろって」

「ほんとそれだわ」


 苦笑しつつ、雑談を軽く交わす。

 八雲と共有できる話題は多い。出会ったときからずっと、八雲はつくづく良い奴だった。友達百人も納得だ、と何度思ったことだろう。

 だからこそ、今日呼び出された理由が気にかかる。こんなことは今までなかった。


 ……いや、一度だけあったか。

 夏休みのとき。俺と雫、そして澪の関係について問われたのだったと思い出す。思えば俺は、あのときの答えを未だにちゃんと告げられずにいる。文化祭の打ち上げのとき、あの場で言えることだけ言ったのだったか。


「それで、話って?」


 口からまろび出た声は、思っていたよりもずっと苦くて重かった。

 八雲は、メロンソーダにちびりと口をつけ、小さく頷く。


「綾辻さんの妹……雫ちゃんの話だ」

「雫の?」

「ああ」


 思わぬ方向の話題で、少し驚く。

 俺の記憶の中では、八雲と雫にはさほど交友はない。以前行った勉強会くらいだろうか。あとは『可愛い子ランキング』や噂で一方的に知っているだけだったように思う。

 同時に、夏休みの話が脳裏にチラついた。


「時間を取ってもしょうがないし、単刀直入に言うぞ?」


 俺は首を縦に振ると、八雲は口を開いた。

 その声は――芯が強く、耳に残るもので。


「雫ちゃんがある男子と付き合ってるって噂が流れてる」


 だから、その話はどうしようもなくざらざらと聞こえた。


「は……?」

「その反応、やっぱり知らなかったか」

「そりゃ、な」


 そもそもそういった類の噂自体、俺の耳にはほぼ入ってこない。

 それに……雫は、そんなことを言ってなかった。付き合い始めた様子はなかったし、今朝だって。


 ――先輩と一緒に居られなくても平気です! そもそも、こーやってご飯は一緒に食べられてますからねっ


 あの笑顔は、嘘じゃなかったと思う。

 俺を『好き』だと言ってくれるあの子を、その気持ちを、俺だけは絶対に疑ってはいけないはずだ。


「詳しく聞いてもいいか?」

「ああ。今日、その話をしにきたんだしな」


 言って、八雲は雫の噂について教えてくれる。

 噂が出始めたのは、今週の頭頃だったらしい。

 それ以前からジワジワと、俺と雫が別れたという話が流れていた。俺も雫も聞かれたら嘘は言わない程度の感覚でいたため、それ自体は驚くことではない。付き合い始めたときに比べて小規模な噂で収まってたな、と思うべきだろう。

 そんな雫は球技大会のとき、同級生に告白されたらしい。雫はそのとき断ったが、同級生の男子はそれでも諦めず、毎日声を掛けていた。

 その努力が実ったのか、土曜日に二人はお試しでデートをすることになったそうだ。

 俺への未練が捨てられなかった雫はデートを機に吹っ切れることができ、その男子と付き合うことを決めたのだとか。


 突拍子のない話だ、と思う。だが筋が通っていない話でもない。少なくとも論理や理屈でこの噂を崩すことはできないように思えた。

 雫の感情を考慮しなければ、ありえない話じゃない。そう言えてしまうからこそこれは噂たりえて、ゆえに広まっているのだろう。


「雫は、否定してないのか?」

「してないらしい。授業の合間の休み時間に聞いても笑って誤魔化されるし、昼休みには教室からいなくなるんだって」

「なんだそれ……」


 雫らしくない行動だ。

 雫ならすぐに否定する気がするし、休み時間に教室にいないってのも分からない。俺や澪、大河のところには来てなかった。他のクラスの友達のもとに行っているのならそんな噂も出ないように思える。


「本当だと思うか?」

「いや。思わない」

「それは――雫ちゃんが、友斗のことを好きだから?」


 今更否定するのもおかしな話だから、俺は肯う。

 だって、雫は言っていた。


 ――最初がどうとか、そーゆう単純なことで好きが続くわけないじゃないですか。何年片想いしてると思ってるんですか? 今年で六年目とか、そういう次元ですよ? それだけ長続きする『好き』が、始まり方程度で揺らぐわけないじゃないですか


「どうして、そう言い切れるんだ? こう言っちゃなんだけどさ。俺から見ると、友斗ってそっち方面では雫ちゃんに結構酷いことしてる気がするんだよ」

「……それは」

「綾辻さんと仲良くして、新しく生徒会長になったあの子とも仲良くして。あの二人からも、恋愛的な意味で友斗は好かれてるだろ?」

「っ……そう、だな」

「一方の雫ちゃんとは一度付き合って、でも別れた。色々事情があるのは分かるけど、別れたって事実は残る」


 違うか?と視線で問うてくるので、俺は首を横に振った。

 何も違わない。

 俺は雫に、どうしようもなく酷いことばかりしている。それでも照らしてくれるあの子は、ともすれば《《都合が》》いい子に見えてしまうだろう。


「それでも――好きでいてもらえるって、自信あるか?」


 俺の言葉を待たず、八雲は続ける。


「俺は自信、ねぇよ。目が覚めて明日になったら白雪に嫌われてるかも、って思う。だからこそ、好きになってもらい続けられるよう努力してる。努力して、『好き』をぶつけ続けて、そうしてる自分には自信が持てるから――結果的に、好きでいてもらえるかもって思えてるだけだ」


 それに比べて、俺はどうだろう。

 俺はあの子に好かれる努力も、届けられる『好き』もない。酷いことばかりをしているのに、どうして好きでいてもらえると思っているのか。


 ――それでもなお、俺は思うのだ。


「自信なんて、あるわけないだろ。俺があんな眩しくていい子に好かれるとか、そもそもそれ自体が世界のエラーかよって話だし」


 酷いことしたし、支えてもらってばかりだし、告白を保留し続けてるし、あのおでこへのキスも延滞しまくってるし、ゴールを決められなかったし、澪や大河と仲良くしてるし、それに、それに……――。


 幾らでも嫌われる理由はあって、なのに好かれる理由はどこにもなくて。

 ああなるほど。物語ならきっと、これは間違っているのだろう。

 恋心には理由があって、フラグがなきゃいけない。無償で理由のない恋心なんて、ただの童貞の妄想だもんな。


「でも人の恋を勝手に終わらせるのは、違うだろ。いつだって『好き』の有効期限は自分で決めなきゃいけない。誰かに押し付けられるものじゃないし、まして恋してもらった俺が決めるのは絶対にダメだろ」


 ――なんて、かっこつけた台詞を吐いて、苦笑した。

 ふるふるとかぶりを振り、サイダーを呷る。しゅわしゅわと苦くて甘い炭酸が喉を潤した。他でもない俺が、ついこの前雫にしてしまったことだ。どの口で言ってるんだ、とつくづく思う。


「友斗って、クズいよな」


 八雲はくくくと笑って、言う。


「下手したらストーカーとかになりそうだし、ちょっと色んな女の子を泣かせそうって感じする」

「いや、流石にストーカーにはならないと思うが」

「でもそーゆう友斗は、嫌いじゃない。クズだけどバカでピュアで。友斗って人たらされだよな」

「人たらされ……?」

「人たらしの逆。すぐに人を好きになって、ほだされる」

「そんなことはなくないか?」


 嫌いな人種はごまんといる。むしろ好き嫌いは多い方だ。

 しかし八雲は、いーや、と否定する。


「そんなことあるね。人懐っこいっていうより、たらされやすいんだよ、友斗って。友斗のことを大切に思う奴を本能的に判別して、ほだされてるんだろうな」


 違うと思う。

 俺の周りに、優しくていい人がいるだけで。

 俺は色んな人に甘えて、求めてもらっているだけにすぎない。

 八雲は、ふぅ、と吐息を零すと、俺を真っ直ぐに見て言った。


「そこまで言うなら、しっかり雫ちゃんを守ってやれよ。勝手に終わらせられてる恋心、どうにしかしてやるのが友斗の役目なんじゃねぇの?」


 レンズ越しの瞳は、どうしようもなく、綺麗で。

 俺の友達は本当にかっこいいな、と強く思った。

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