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七章#32 すれ違う毎日、空白

 SIDE:雫


「悪い。今日から朝、先に行くわ」


 先輩がそう告げたのは、月曜日の朝。

 まだいつも学校に行くには早い時間なのに準備万端で不思議に思っていたら、案の定だった。お姉ちゃんも首を傾げている。よかった。私だけが知らないわけじゃない。


「どーしてですかー? 私、できれば先輩と登校したいです!」

「その気持ちは嬉しいんだけど……すまん。ちょっと生徒会の方でやりたいことがあってな。この時期は下校時刻も早めになるから放課後にできる作業も減るし、その分、朝のうちに作業したいんだよ」

「ふぅん。それってお昼じゃだめなの?」

「ダメっていうか、昼は流石に修学旅行のことを話さないとまずいだろ。八雲と伊藤の予定がつくのも昼くらいだろうし」

「ああ、そっか」


 お姉ちゃんは納得したように頷き、お味噌汁に口をつける。

 どう考えても先輩の言っていることは妥当で、ちっとも間違っていない。時間がないのら、その分削れるところを削るべきだ。

 なら私も早く出れば、と一瞬思うけれど、それじゃあ意味がないだろうな、と気付く。

 一緒に行けば、結局お喋りしながらゆっくり歩くことになって。

 そうすると、先輩は自分のペースになれない。歩く速度って、結構色んなもののリズムに関わってくる。朝から気合を入れて取り組みたいのなら、お喋りくらいしかできない私は邪魔だろう。


「そーですか。すっかり社畜さんですねっ、先輩」

「そういう現実を突きつけるんじゃねぇよ」

「でも、無理はしないでくださいよ? 睡眠不足は禁物です」


 指でばってんを作って言うと、先輩はくしゃっと笑った。


「分かってるよ。なんだかんだ、こうやって忙しなくしてるのは楽しいしな」


 言って、先輩はさっさと朝食を食べ終え、登校してしまう。

 まだまだ残っている朝食は、私が先輩と同じ歩幅で歩けないことを嫌というほど思い知らせてきた。



 ――そして、昼休み。

 いつもはお昼を一緒に食べてる大河ちゃんは、生徒会の仕事があると言って行ってしまった。

 朝の先輩の言葉から察していたけど、やっぱりこうなるんだな、とちょっと寂しくなる。

 でもしょうがないことだ。

 大河ちゃんは、今や生徒会長。真っ直ぐに時雨先輩やお姉さんにぶつかって、一年生で生徒会長になった凄い人なのだ。


「なぁ雫。もしよかったらお昼、俺たちと食べない?」


 いつからか当然のように『雫』と呼んでくることに、ムッとしつつ。

 振り返ると、杉山くんがいた。学年の人気者が声をかけたということもあって、少し周りもざわつく。


 そうやって外堀を埋めるのも、卑怯だと思う。

 断りにくい空気を作って、いつのまにか既成事実みたいにしようとする。杉山くんにその意図があるのかは分からないけれど、実際にそうなっていて。


 他でもない私が先輩にしたことじゃないか、と胸が痛んだ。


「えっと、ごめん! 一緒に食べるって約束してる人がいるから」

「っ、それってあの先ぱ――」

「待たせちゃうから、行くね」


 言ってから気付く。

 こんな風に強引な言い方をせず、『お姉ちゃんと食べるから』とでも言えばよかった。どうせ向かう先は同じなんだから、その方が絶対に波風立たなかったのに。

 私らしくない。

 外面のセルフプロデュースは得意なくせに。外身を変える努力をいっぱいいっぱいしてきたくせに。


 自然と歩くのが速くなる。

 逃げるみたいに向かうのは、二年A組の教室。


 先輩と一緒に、ご飯を食べたい。

 修学旅行の話をすると言っていたけど、邪魔にならなければ傍にいるくらいは許してもらえるはずだ。

 そう思って二年A組の教室を覗くと――


「あー、友斗照れてる」

「照れてねぇよ。根も葉もないからかいを受けて不服に思ってるくらいだね」

「とか言いつつ、すっごい色々プラン考えてきてくれてるじゃん? ウチらとの修学旅行、それだけ楽しみにしてくれてるってことでしょー?」

「ぐっ、それは、まぁ……そうかもだが」

「そこで変につっかえるからダメなんだよ、友斗」

「うっせぇ!」


 先輩が、とっても楽しそうにしていた。

 あんな先輩を見たことない――わけじゃ、ない。

 私の前でも、ああやって笑ってくれてはいる。別に私の前では見せてもらえない顔ってわけではなくて、そもそも先輩がそんな風に色んな顔を使いこなせるほど器用じゃないことも知っている。


 楽しいから零れる笑顔。

 ただそれだけだ、って分かってる。

 分かってるのに足が竦んだ。


 あの場に、私が入ったらダメだ、って。

 何も難しい話ではない。

 先輩と後輩の恋の、チープで陳腐な悩みだ。


 たった一年の違い。

 それがすっごくもどかしいんだよ、っていう。ただそれだけの話。


「……行こ」


 踵を返して、私は屋上に向かう。

 鍵を借りに行ったら大河ちゃんに気を遣わせてしまうかもしれないから、鍵は借りない。それでも充分だろう。階段にでも座って食べればいいのだ。


「慣れてるもん、大丈夫」


 こういうの、久々だったけど。

 初めてではない。だって先輩が私を見つけてくれるまで、私はずっとこうだった。一人ぼっちで、隠れてて、意地が悪くて、嫌な奴だった。


 だからこそ、抱いてはいけないドロドロとした思いをゴミ箱にしまい込む。

 お姉ちゃんや大河ちゃんのように、分かりやすく逃げられたらいいよな、なんて。

 助けてって言うみたいに逃げられる人はいい。


 私には『好き』しかない。

 逃げたら、そこで全部終わってしまうのだ。


 そんな気持ちを捨てて、代わりに真っ暗な階段で蹲った。



 ――放課後。

 せめて放課後は一緒に帰りたくて、私は図書室で本を読んで待っていた。

 大河ちゃんと先輩は一緒に帰るはずだから、私もそれについていこう。大河ちゃんを送ったら、その後は先輩と二人で帰る。

 日中に話せなかった分、そこで甘えてもいい。もうちょっと構ってほしいです、みたいに言えば、先輩は頭を撫でてくれる。


「そろそろ、かな……?」


 下校時刻まで、あと10分。

 ちょっと早いけど、生徒会室に行って待たせてもらおう。簡単な雑用をお手伝いしてもいい。

 そう思って生徒会室に向かうと――


「ユウ先輩、もう下校時刻まで時間がないです」

「あーっ、言われなくても分かってる! ちょっと待てこれだけは今日中に仕上げるから」

「あはは……すみません、負担を強いてしまって」

「気にすんな。そっちはそっちで頼むぞ」

「もちろんです」


 先輩と大河ちゃんが忙しそうにしていた。

 先輩は一人でパソコンに向き合って、大河ちゃんは他の生徒会の人と何か話し合いをしていて。

 同じことをしているわけじゃないけど、協力している。

 まさに共闘。肩を並べるその姿を生徒会室のドアの隙間から覗いてしまって、どうしようもない罪悪感に苛まれた。


「ダメだ、私」


 あそこに一緒にいることもできない。

 帰ろう、と思った。


 ヒロインという言葉は、決して主人公に攻略される女の子を指すわけじゃない。

 ヒロインとは、女主人公を意味する。

 ヒロインだって主人公なのだ。


 たとえば、そう。

 先輩と大河ちゃんの物語に名前を付けるのなら、『慕ってくれていた後輩の親友と仲良くなった件』とかになるんだろうか。

 先輩とお姉ちゃんの物語の名前は、『小悪魔な後輩の姉は、俺のことを好きらしい』とかかな。


 いずれにせよ私は、《《設定のための存在でしかない》》。

 人はそれを《《負けヒロインとは呼ばない》》。


 ヒロインたる大河ちゃんやお姉ちゃんにはバックグラウンドがあり、信念があり、物語に奥行きを出すための魅力があるのだから。



 ――そうして。

 先輩と関われない日々は火曜日も、水曜日も、木曜日も、金曜日も。

 ずっと、続いた。


 頭の中では、名作と名高いノベルゲームのタイトルを冠する曲が流れていた。


「悪い、雫。今日も早く行くから」

「分かってますよ、先輩。忙しいんですもんね」


 土曜日の朝、私はにへらっと強がって笑った。

 それしかできないから。


「先輩と一緒に居られなくても平気です! そもそも、こーやってご飯は一緒に食べられてますからねっ」


 お願いだから、どうか。

 この虚勢に溜息が混じっていませんように。

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