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七章#31 むすんで

 がたんごとん、がたんごとん。

 電車に揺られながら、俺たちは帰宅の途についていた。


 あの後は百均でパーティーグッズを買い、その後雑貨をテキトーに見て、陽が沈み始めた頃に川崎を出た。俺は後日、ネットショッピングで買う予定だ。アクセサリー類も服も雑貨もピンとこなかったのだからしょうがない。


 すぅ、すぅ、すぅ。

 こつんと俺の肩に寄り掛かって眠る澪の寝息を聞いて、確か電車の音と揺動が胎内にいた頃を思い出させるんだっけ、と思う。


「澪先輩、こうして寝てるときは子供っぽいんですね」


 と、俺の隣で大河が悪戯っぽく囁いた。

 彼女が澪に向ける慈愛に満ちた視線を見て、そうだな、と俺は笑った。


「顔も性格も似てないですけど、寝顔だけは雫ちゃんに似てますよね」

「あー。言われてみれば、そうかも」

「そこで同意するってことは、雫ちゃんが寝ているところを見たことあるんですね。自白ありがとうございます」

「帰りに居眠り程度だからな? 犯罪紛いのことはしてないからな?」


 分かってますよ冗談です、と大河が微笑混じりに返す。


「本当に、関わってよかったです。澪先輩のことは好きじゃなくて、むしろ私の方から不倶戴天の敵だって言いたいくらいですけど」


 それでも、という言葉と共に、大河の頭も俺の肩に載った。


「関わってよかった。澪先輩は、百人じゃなくて五人の方に入る人でした。素敵で、良い人で、雫ちゃんのお姉さんなんだなって思います」

「その割にケンカしまくってるけどな?」

「それが澪先輩とのコミュニケーション法なんですよ」


 どこの戦闘民族だよ。

 ぽかんと頭に浮かんだその言葉は、しまっておくことにする。

 澪と大河が仲良くしているのは、俺にとっても喜ばしいことなのだ。その在り様がどうであれ、関わっていいと思ってくれているのならよかった。


「それもこれもユウ先輩と……それから、雫ちゃんのおかげです」

「俺の貢献がどれだけあるのかは知らんが、まぁそうだな。雫がいなきゃ、大河は澪と関わってなかっただろうし」

「そもそも、ユウ先輩とこうして関わるきっかけをくれたのも雫ちゃんでしたしね」

「あぁ……そうだな」


 澪や大河と出会うのが遅ければきっと、雫と付き合っている。

 それはつまり、雫がいたからこの三人が仲良くなれたとも言えるわけで。

 素敵なことだ、と思った。

 意味のないIFが、ありきたりな今に色をつけてくれる。現実と夢が零す《《雫》》のような奇蹟に思えた――なんて言うのは、ちょっとばかしセンチメンタルになりすぎかもしれないけれど。


「雫ちゃん、喜んでくれますかね?」

「どうだろうな。あいつの場合、嬉しくなくても喜んで見せる気がするし」


 でも、と続ける。


「喜ぶだろ。大切な友達がいて、大切な姉がいて、心からお祝いしてくれるんだ。生まれてきてくれてよかった、って」


 誕生日おめでとう。

 ただそれだけの言葉には、意味なんてないのかもしれない。

 でも俺は、知っている。

 誰よりも雫が、俺に教えてくれた。


「もしそうなら、嬉しいです。雫ちゃんは正真正銘、私の大切な友達なので」


 がたん、ごとん、がたん、ごとん。

 電車は揺れて、揺れて、揺れて。

 ノスタルジーな夕暮れも、闇色のコートを羽織り始めている。


「なぁ大河。いつでも泊まりに来ていいからな?」

「はい。今日は雫ちゃんにバレないためにも荷物を家に持って帰りますけど……また今度、泊まりに行きます」

「おう」


 ふと、いつか大河に告げた言葉が頭の中で反響した。


 ――すべからくぼっちって人種は、自分のことを一ミリも客観視できないんだ


 何故かその残響は、嫌に痛くて。

 はぁ、と吐いた溜息の重さに俺は顔をしかめた。



 ◇


 SIDE:雫


「はぁ」


 溜息をつくと幸せが逃げる、なんてありきたりなフレーズを思い出す。

 酷いものだ。

 溜息が零れるほど不幸なのに、更に幸せが逃げていくなんて。全く平等じゃない。きっとこの説を考えた人は幸せで、溜息をつかずに済んで、一滴の恵みの《《雫》》程度に頓着する必要がない人だったのだろう。


 その人は強くて、一人ぼっちじゃなかった。

 私とは真逆だ。


『先輩。お姉ちゃんとどこ行くんですか?』


 今朝、お姉ちゃんと出かけようとしていた先輩に私は聞いた。

 先輩は少し焦った様子で苦笑いし、


『あーっと、ほら。修学旅行で必要なものを買いにな』

『へぇ。あ、じゃあ私も行っていいですか⁉』

『えっ……い、いや、それは困る』


 そんなあからさまな反応をされた時点で、先輩の用事が何なのかは察しがつく。

 きっと私の誕生日プレゼントを買いに行く。大河ちゃんも今日は外に出かけるって言っていたから、多分三人一緒だ。


『あ、すまん。別に雫と一緒なのが嫌ってわけじゃなくてな。ただ色々と事情があって』

『むぅ。なんだか釈然としませんけど、私はいい子なので察しておきます。楽しんできてくださいね、先輩っ!』

『楽しむ……かどうかは分からんけど、頑張ってくる。いい子に待ってろよ?』

『はーい! って、私を子供扱いしすぎですからぁっ!』


 なんて、話してからはずっと、自分の部屋のベッドに丸まっていた。

 何にもやる気が起きない。

 暇なら勉強すればいい。本を読むのでもいいし、ゲームをやってもいい。友達にRINEしてもいい。やれることなんて幾らでもあるのに、手が伸びなかった。


 自分の誕生日プレゼントを買ってるってことに気付かず、彼氏や周囲の人に嫉妬。

 そんなよくある勘違いをするつもりはない。

 分かってる。ちゃんと分かってるのだ。三人とも私のことを大切に思ってくれていて、だから本気で誕生日のために色々考えてくれてる、ってこと。


「でも、理屈じゃないんだよなぁ……」


 嫉妬じゃなくて、虚しさが先に立つ。

 お姉ちゃんと違って。

 大河ちゃんとも違って。

 私は空っぽだ。何もない。

 先輩に好き好き言ってるだけのキャラ。ゲームなら選択肢をミスしても絶対にその子のルートには突入できるキャラだろうか。


【杉山:雫。今って空いてる?】


 ベッドに投げっぱなしだったスマホが振動して、RINEの通知を報せた。

 送り主は杉山くん。アカウント名はKEIだったけど、いちいち下の名前から上の名前を連想するのも億劫で、こちらから見れる名前を弄った。

 杉山くんは球技大会のあの日を経て、今なお私に関わってくる。恋を諦めないその様子まで否定するつもりはないけれど、流石に休日にまでRINEをしてくるのは鬱陶しかった。


 ――ああ、酷いなぁ私


 自己嫌悪が、心の中で土砂降る。

 寒いな、と思った。

 秋だからか、一人ぼっちだからか、それとも他の理由か。

 答えは分かり切ってるくせに延々と自問する自分に、更に嫌悪の雨が降り注ぐ。


【しずく:忙しいよ】

【しずく:家事しなきゃだから】


 だから、連絡してこないでよ。

 そうやんわり伝えたつもりだ。我ながら、よく我慢できたと思う。直接的に言わずに済んだのは、セルフプロデュースが身についていたからだった。

 小悪魔なヒロインは、場合によっては疎まれる危険がある。だからヘイト管理は慎重に。周りには天使って思われるくらい優しくていい。


『学園の天使な後輩は、俺にだけ小悪魔らしい』なんて、それっぽいし。

 そう考えて、はは、と枯れた笑みが零れた。

 あれだけ本を読んで文字の泉に浸って、それでも、こういうときに零れる言葉は、どれもこれも陳腐なものだった。

 知的さも、個性も、どこにもない。


【杉山:雫って一人暮らし?】

【杉山:いやお姉さんがいるんだっけ】


 ああもう、うるさいなぁ……っ。

 返信が面倒で、面倒くさがっている自分がまた嫌いになって、私は毛布に潜り込んだ。

 暑苦しくて、窒息しそうになって、すぐに飛び出す。

 逃げることすら半端にしかできないんだな、と自嘲した。


【しずく:お手伝いしてるだけだよ】

【しずく:やらなきゃいけないことあるから、もういくね】


 スマホの電源を落として、私は眠ることに決める。今日はもう寝て、嫌なことを全部忘れてしまおう。

 シリアスに自己の内面のことで悩むのなんて、思春期ならありがちなこと。特別なことではないのだから、どうせいつか治る。熱病みたいなものだ。


 なら別の病で、たとえば恋煩いで、上書きし続ければいい。

 バカになって、先輩のところに行こう。甘い展開で何かもを上塗りしてしまえば、苦しさなんてどっかに消えてくれるはずだから。



 ――そんなことないなんて、分かっているけれど。私はバカで、子供で、ちっぽけだから。

 神様にお祈りすることしか、できない。

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