七章#16 大河に零れ落ちる雫
SIDE:雫
みんなと遊んで、すっごく楽しい日がもうすぐ終わる。
最初は昨日、先輩が寂しそうな顔をしていたのを見て、心配になったのが始まりだった。なんとか元気づけてあげたくて、でも私にはお姉ちゃんや大河ちゃんのような“何か”があるわけじゃないから笑うことくらいしかできなくて。
結局朝は、無理をさせてしまった。
だからこそ、大河ちゃんを呼んでハロウィンパーティーをしよう、なんて提案をした。
私じゃ先輩の力になってあげられないから。
けどそうやって先輩のためを思って始めたことは、いつも私のためにもなってくれる。今日のこの楽しさも、先輩への恋心がくれたものだった。
お風呂上がり。
お姉ちゃんと大河ちゃんが仲悪そうにするのを見て、とっても嬉しくなった。
二人とも、なんだかんだ先輩を好きだからかな。仲良しさんで、息もぴったり。
――けど、私は。
そんな風によぎりかけた思考を吹き飛ばすみたいに、ぶぉぉぉんとドライヤーで髪を乾かす。
パジャマを着て脱衣場を出ると、先輩がこちらを向いていた。
だから、なんとなくからかってみたら、ちょびっと嬉しいことが聞けた。私のことも、そういう目で見てくれてるらしい。
“何か”がない私でも、外身は魅力的だって感じてもらえてるのなら、よかった。
と、思っていたら。
先輩は真面目な顔になって、
「なぁ雫」
って、私の名前を呼んだ。
びくんって肩が跳ねてしまう。だって怖いから。俺は雫を『好き』になれない、とか。そういうことを言われちゃったら、それでこの恋が終わっちゃったら、もう私はダメになるから。
「あのさ。少し話したいことがあるんだ。結構真剣な話」
「っ……それって、私にだけ、ってことですか?」
「え、ああ。そうだな。雫にだけ」
ズキンと胸が痛む。
でも、多分誤魔化せない。聞かない選択を取らせては、もらえない。
なら。
「そーゆうことなら、二人っきりのときにお願いします」
「ああ。だから今なんだけど……」
「今はお姉ちゃんも大河ちゃんもいるじゃないですか。二人とも、そんな長く耐えられないと思いますよ」
「そういうことか。悪ぃ、考えが及ばなかった」
「いえいえ」
この期に及んで、お姉ちゃんや大河ちゃんを言い訳に使う自分に嫌気が差す。
けど、今日は嫌だったのだ。
「なので明後日、デートしませんか?」
「デートか。どっか行きたいところでもあるのか?」
「バスケの練習、付き合ってほしいんです。球技大会で選手になっちゃいまして。クラスのみんながやる気満々なので、足手まといにならないようにしたくて」
「なるほど……バスケねぇ」
これはほんとのこと。
先輩が訝しげな視線を向けてくるので、私は急いで続ける。
「どーしても女子のバスケが集まらなかったんです。こういうときのための学級委員ですからね。任されてきたんですよー! 偉いですよね? ね?」
「はいはい、偉い偉い。……ま、雫は別に運動神経悪いわけじゃないもんな」
「ですです。まぁお姉ちゃんと比べちゃうと全然ですし、中の上いくかなぁくらいですけどね」
「それで充分だろ。雫は頑張り屋さんだしな」
それじゃあ、と先輩が柔らかく微笑んだ。
「明後日、練習付き合ってやるよ。そのときに話もさせてくれ」
「はい! 楽しみですねっ」
もしかしたら、ううん、きっと。
ここで失恋するわけじゃないんだと思う。今の先輩は、女の子を振るのを後回しにしたりしない。本人が求めていなくても、それが誠実だと信じて本心を告げる人だ。
だから先延ばしにできた時点で、失恋ではなくて。
――でも、それに類する何かであることは明白だった。
「あ、先輩。話は変わるんですけど」
「どうした?」
「大河ちゃんって、私の部屋で寝てもらっちゃっていいですよね? それとも先輩がリビングで寝て、大河ちゃんが先輩の部屋使います?」
「そんなややこしいことする必要ゼロだろ……つーか雫だろうが、ちゃんと寝ろって言ったの」
「てへっ」
先輩を照らしてあげたいから。
私は思いっきり、笑った。
◇
SIDE:雫
「はぁ~。疲れたねー!」
「うん、そうだね。ちょっとまだクラクラしてる」
「だからお姉ちゃんと張り合うのはやめて出てきなって言ったのに」
「だって……澪先輩には、負けたくない気がして」
パジャマを着替えた大河ちゃんは、ばつが悪そうにぷいっとそっぽを向く。
そんな姿が可愛らしくて、素敵な女の子だな、と心から思う。
だからこそ『澪先輩には、負けたくない』という何の変哲もないはずの一言が、とてもざらざらとして聞こえた。
無意識なんだと思う。深い意味を込めたわけでも、ないんだと思う。
結局は聞き手の心象だ。
つまるところ、言葉のざらざらとした感触の分だけ、私の性格が悪いことの証左なのだろう。
なにそれ変なのー、とくすくす笑った私は、ベッドの上を片付ける。
お客さん用の敷布団もあるにはあるけど、私と大河ちゃんだけならベッドで充分だ。この方が近くて、あったかい。
「ごめんね、大河ちゃん。ちょっと狭いかもだけど……」
「ううん、そんなことないよ。雫ちゃんと一緒に寝れて嬉しい」
「そっか、ありがと! ……あ、電気消すよ?」
「うん。もう遅い時間だもんね」
「ねー」
時刻は11時。
いつも寝ている時間に比べたらまだ少し早いけど、電気を点けっぱなしでお喋りに熱中するほどの時間でもない。
ぱちんと部屋の電気を消して、私たちはベッドに潜り込む。
やっぱり、二人だと少しだけ狭かった。
でもそれは『狭くて嫌だな』という狭さではなくて、『近くにいてくれるんだな』という狭さだった。
私が大河ちゃんの方を向くと、薄らと大河ちゃんの姿が暗闇から浮かび上がってくる。大河ちゃんもこっちを見ていて、ちょっと可笑しかった。
「なんか、4月を思い出すね」
「4月……勉強合宿?」
「そーそー。あのときもこーやって一緒に寝たよね」
「あのときは別々の布団だったよ?」
「そーだけど! でも、一緒だった」
私が言うと、うん、と大河ちゃんもしっとりした声で答えてくれた。
その声が少し憂いを帯びていたのは……あのとき話したことを思い出したからだろうか。
――やっぱり合宿と言ったら恋バナだよね!
――私ね、好きな人がいるの。小学校の頃からずぅっと好きなんだ
この前の選挙のとき。
大河ちゃんが苦しんでるのに気付いていて、それでも私は何もしてあげられなかった。だって大河ちゃんが苦しんでいた一番の原因は私だったから。
なら私は、
「やっぱりお泊まりと言ったら恋バナだよね!」
と、言うべきなのだろう。
大河ちゃんは言葉を詰まったような声を漏らし、それから覚悟を決めたみたいに口を開いた。
「ねぇ雫ちゃん。私の話、聞いてくれるかな」
「うん、もちろん。大河ちゃんの初恋、聞かせてよ。この前は私だけが話しちゃったもんね」
私のせいで、大河ちゃんは『好き』を口にできなかった。
私みたいな“何か”を持ってない、恋心しかない女の子のせいで、“何か”を持っていて恋心以外にも色んなものを持っている素敵な女の子の想いを封じてしまいそうになったのだ。
私が大河ちゃんの手をそっと握ると、温もりが握り返してくれた。
「あのね。私……ユウ先輩が、好き」
「うん」
「雫ちゃんが好きな人だって、分かってて。澪先輩も好きな人だってことも、分かってて」
「うん」
「それでも好きになっちゃった」
「うん」
申し訳なさそうなのに、誇らしげでもあるその声は、とっても眩しかった。
お日様みたいだった。お月様みたいだった。お星様みたいでもあった。
私とは、大違いだった。
だから私は、にこっと笑う。
「ふふっ、大河ちゃんったらおかしー」
「え?」
「今更だよ、それ。この前先輩を家に泊めた時点で、もう『大好きです』って言ってるようなものだもん」
「そ、それは……」
「それに、今日だってさ。三人とも先輩のことが好きって話をしてたんだし」
「確かに……そっか。もっと早く言うべきだったんだよね。ごめん」
しゅんと声が沈む。
咄嗟に私は、握る手により力を込めた。
「ううん、謝ることないよ。私嬉しいもん、大河ちゃんから言ってもらえて。ようやく恋バナできるぞーって感じ」
「でも私は……雫ちゃんが好きな人を、好きになっちゃったんだよ?」
「それはしょうがないかなーって。先輩がどうしようもなくかっこよくて、完璧超人で、誰もが好きになるような人だったら、怒ってたかもしれないよ?」
けど、と言って続ける。
「先輩はそうじゃないもん。欠点多くて、なんならちょっと最低なところもあって、情けないし、モテモテって感じでもないし」
「それは……確かに」
「でしょ? だから、そんな人を好きになるのは止められないし、止めたくもない。そもそも、彼女じゃないんだから怒る資格もないしね」
嘘は一言も口にしていない。
全て、本心なのだ。
だから――やっぱり、後悔はない。
後悔が生まれるとしたらそれは、もう私が立てなくなってしまったときだ。
“何か”を持たない私が、ついに何もなくなってしまうときだ。
「だから……ありがとね、言ってくれて。それと、私と友達でいてくれて、ありがと」
「私も。聞いてくれて、ありがとう。友達でいてくれて、ありがとう」
「えへへ、なんか照れるね」
「うん、少し気恥ずかしいな」
二人でくすくす笑う。
それから寝るまで、二人で色んな話をした。
その中には、大河ちゃんと先輩の話とかもあって。
それをとても楽しそうに語る大河ちゃんの目はキラキラしていて、本当に可愛い子だな、ともう何度目か分からないことを思った。




