七章#12 トリックオアトリート
トワイライトタイムの街は、ノスタルジー色に染まっているように見える。雨も昼頃に止み、辺りはキラキラ輝いていた。
もしかしたら、と思う。
この時間は神様がくれたプレゼントみたいなものなのかもしれない。朝や昼間ほど明るくはなくて、けれど夜ほど昏くはない。夕日に綯い交ぜになることを許してくれる、素敵な時間のように感じるのだ。
もっとも、そう感じるのは隣を歩くのが指摘で素敵な人だからなのかもしれないけれど。
時雨さんは歩きながらきょろきょろと色んなものを見遣って、たとえば枝から飛び立つ小鳥だとか、夕日に染まった雲だとか、そういうものを宝物みたいに見つけている。きっとこの人には、世界が特別に見えているんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら向かったのは、時雨さんの家の近くにあるお店。
そこには洒落たお菓子も置いてあり、今日の俺の目的を果たすにはぴったりだった。
「それで? キミはどうしてここまできたの?」
時雨さんは店に入るなり、可笑しそうに聞いてきた。
少し照れ臭いが、わざわざ隠すことでもない。俺は素直に口を開いた。
「今日はハロウィンで、あの三人とハロウィンパーティー? みたいなことをするらしくてさ。それなら俺も何かしらお菓子を用意しておいた方がいいかなって」
「ふぅん……? てっきりボクは、キミは悪戯されるのが好きな子だと思ってたんだけど」
「てっきりで俺をドМ扱いするのやめてね?」
確かに振り回されていてちょっと楽しいな、と思うことはあるけれども。
だからと言って、ハロウィンでわざわざ悪戯待ちするつもりはない。大河と雫はまだしも、澪はかなりエグイことしてきそうだし。
くくくと微笑を浮かべると、時雨さんは商品を眺めながら言う。
「でも、ハロウィンでお菓子を用意するなら、こういうところのじゃないんじゃない? スーパーとかのお菓子売り場にあるようなものだと思うんだけど」
「あー……まぁそうなんだけどさ。なんかそういうのをわざわざ買いに行くのもかっこつかないし、だったら美味しいものを食べてほしいなって思って」
もちろんここにあるお菓子も、めちゃくちゃ高いわけではない。スナック菓子ほどリーズナブルではない、ってだけだ。高いお菓子をばんばん買っていられるほど小遣いに余裕があるわけでもないしな。
けれどそれでも、少しは背伸びしたものを買っていきたい。
そんな考えは紛れもなくかっこつけで、かっこ悪いのだと思う。でも俺は学んだのだ。かっこ悪くなることを恐れていてもしょうがない。かっこ悪くても、かっこつけたいときにはかっこつけるべきなのだ。
「そっか。きっとあの子たちも喜んでくれるんじゃないかな」
「そうだといいな、って思ってる。ハロウィンの趣旨から離れてる気はするけど」
「いいんだよ、そういうのは何でも。結局は見る人、楽しむ人がどう考えるかなんだからさ」
その通りだな、と思う。
というか日本人は、まさにそういうテキトーさを文化に取り込んでいると言えるのではないだろうか。
クリスマスを祝ったと思えば、その一週間後には神社にお参りしに行くわけだし。日本以外の宗教観を知ってもなかなかピンとこないのも、おそらくはそれが原因だ。
「ま、そんなわけだから。三人が喜びそうなもの選ぶの手伝ってよ」
「うん、任せて。大河ちゃんと澪ちゃんのことならボクもそれなりに知ってるしね」
その言葉を聞いて、ああ、と今更ながら納得する。
時雨さんは雫とそれほど関わっている回数は多くないのだ。せいぜい学級委員会と夏くらいのもの。それは澪も同じ気はするが……まぁ澪は、以前美緒について聞きに行ったらしいからな。
「時雨さんは、雫に遊びに誘われたりしなかった? あいつならそれくらいしそうな気もするけど」
何の気なしに俺が聞くと、時雨さんはやや渋い顔をした。
「うーん。あんまり誘われてないかな。というか、あの子は誘う手段を持ってないんだと思う」
「……?」
「ほら、RINE。大河ちゃんや澪ちゃんとは交換してるけど、あの子とは交換してないから」
「あ、そうなんだ」
それこそてっきり、夏にでも交換しているものだと思っていた。むしろ澪が交換していることの方が驚きだ。
別に雫と仲悪いってわけでもないはずだが……ま、気にすることでもないか。
そんなこんなで俺は時雨さんと商品を物色し始める。
三人に同じものを買って行ってもいいのだが、それでは芸がない気がする。あの三人って好みもバラバラだしな。
そういうわけで一人一人に選んでいると、あっという間に時間が過ぎていった。20分ほどかけ、時雨さんからもアドバイスを貰ってようやく俺は選び終える。
「こんなところかなぁ……」
「うん、いいんじゃないかな。喜ぶと思うよ」
「そっか。時雨さんが言うなら、信じられるかもね」
「そんなにボクのことを信じてくれるんだ?」
「そりゃもちろん。時雨さんが言って間違ってたことなんて、ほぼないし」
それに、俺自身きちんと選んだのだ。これで喜んで貰えないのであれば、それだけでも大丈夫だと信じられるし、信じたい。
まぁ……そもそもお菓子程度で文句を言われるかは分からんけど。澪あたりは言いそうだがな。
「あと、時雨さんの分も買ったから。渡し忘れると嫌だし、今渡してもいい?」
会計を済ませて聞くと、時雨さんは目を丸くした。
それから頬を緩め、髪を耳にかけながら、ありがとう、と言って受け取ってくれる。
「キミってそういうところあるよね」
「そういうところ?」
「ちゃんと女の子が喜ぶときに喜ぶことをするところ」
「今のってそんなに好感度高い? 選ぶの手伝ってもらったんだし、当然だと思ったんだけど」
「そもそもプレゼントするハードルが高いって男の子は多いと思うよ」
「それは時雨さん相手だからなのでは」
と苦笑しつつ、歩き出す。
ここから時雨さんの家まではさほど遠くない。辺りは黄昏時よりも夜寄りになり、縒り合わせるような夕闇に包まれていた。
「まぁ。雫のおかげで女の子慣れした、ってのはあるのかもね」
「ふぅん?」
いざ口にしてみると、その言葉が少しざらざらとした舌触りを伴っていることに気付く。
きっとそれは……始め方が間違っていたことを、分かってしまっているからだろう。
最初、俺は雫を女の子としてではなく妹のように庇護の対象として見ていた。守るべき対象だとして、半ば依存していたのだ。
でも、とも思う。
この言葉が多少はざらついても苦くはないのは、女の子として見ていた時期だって確かにあるからではないか。
始まりは間違っていたけど、少なくとも俺は、綾辻雫という女の子と触れ合ってきた。関わって、救われてきた。
「キミにとっては、あの子も大切な存在なんだね」
時雨さんはそんな風に、優しく言葉を返してくれた。
「そうだね」
「そっか……ボクには――かな」
何かを、時雨さんは確かに言ったはずなのだけれど。
まるで神様が邪魔をしたみたいに風が吹いて、車が通って、消し去ってしまった。
「え?」
「ううん、なんでもない。四人仲良しが一番だよね、って思っただけ」
時雨さんの白銀の髪は沈みかけの陽を編んで、綺麗に流れていた。
四人仲良しが一番。
うん……そう、だよな。
「ありがと、時雨さん。俺もそう思うよ」
「ふふっ。ハーレムを形成してる子は言うことが違うね」
「形成してないからね⁉」
「今はまだ、でしょ?」
「俺が最低にしかならない但し書きをつけるのはやめてぇ」
二人でくつくつと笑って、俺は時雨さんを家まで送り届けた。
◇
「ボクにはその気持ち、分からないかな。あの子は――《《偽物だよ》》」
◇
家に着く頃には、すっかり暗くなっていた。
今日は生徒会自体がいつもよりやや早めに終わったからよかったが、それでもそろそろ夕食時だ。ぐぅぅと腹の虫が鳴りだしている。
さて三人は帰ってきているだろうかと思いつつドアノブを捻り、抵抗なく回ったことに僅かな安堵を覚える。
ドアを開くと、玄関には三人分の靴が並んでいた。
「ただいまー」
リビングに行ってから言うと、キッチンでわちゃわちゃしてる三人が顔を上げた。
早速大河と澪が言い争ってた気がする件についてはさておいて。
「あ、友斗。おかえり。遅かったじゃん」
「まぁ、ちょっと寄るところがあったからな」
「お、おかえりなさいユウ先輩……お邪魔してます」
「ふっ。邪魔するなら帰ってもらおうか」
「そうやって定型文に茶々を入れるのはどうかと思います」
「流れるようにそれを言ってくるあたり流石だわ」
肩を竦め、こういうのいいな、としみじみ思った。
やや緊張している様子がある大河だが、もうそこそこには馴染んでいる。きっと雫が色々とやってくれたのだろう。
さんきゅ、と見遣ると、華やかな花みたいな笑顔が咲いた。
「先輩っ、おかえりなさいっ! 今ご飯作ってるので手、洗ってきてくださいね」
「了解」
「あ、ねぇねぇ先輩! 今の奥さんっぽくないです?」
「はいはい、っぽいな。じゃあ俺、手洗って着替えてくるから」
「はーい! いってらっしゃいです、先輩っ♪」
四人仲良しが一番。
時雨さんの言葉が、俺の頭の中で残響していた。




