七章#07 雫の誕生日
「なぁ澪」
大河と話し、澪の誕生日が修学旅行とバッティングしていることに気付いた日の夜。
雫が風呂に入っているタイミングを見計らって澪に声をかけると、やけに真剣に眺めていたスマホをテーブルに置き、こちらを見遣った。
「ん、どうしたの? 告白?」
「違うから。急すぎるでしょ」
「雫のノリ、真似しようと思って」
「あー……あながち間違ってねぇな」
そういえば雫も、ちょいちょい似た感じのことを言ってくる。意味のない真似に苦笑しつつ、いちいちツッコんでいてもしょうがないので話を進める。
「そうじゃなくて、雫の誕生日のこと。修学旅行に被ってるの、気付いてたか?」
「当たり前じゃん。え、もしかして友斗は今更気付いたの?」
「…………まぁ」
「うわ最低」
「言い訳のしようもございません」
ほんとね、修学旅行の日程自体はそれなりに前から出てたのにね。
我ながらこういうところで抜けてるのがダメだよな。澪がガチめに睨んでくるので、俺は床に正座する。
「ともあれ、だ。俺が抜けてるのはいつものことだし、過去よりもこれからどうするかを考えていきたい」
「……まぁ、その通りだけど。物は言いようだね」
「ほんとそうっすね、はい。なのでちょっと相談に乗ってもらっていいですかお姉さま」
俺が頭を下げると、澪は鬱陶しそうに溜息をついた。
「お姉さまはやめて。なんか複雑だから」
「うす。じゃあ澪様」
「……そのノリもやめて。分かったから、もう怒ってないから」
「悪い、ちょっとふざけすぎたな」
んんっ、と咳払いをして話を元に戻す。雫がいつ帰ってくるかも分からないし、あまり声が大きくなりすぎると聞かれてしまうかもしれないからな。
テレビの音量を上げ、本題に入る。
「で、澪はどうするつもりだった?」
「修学旅行休む」
「は? え、本気か? 流石にそれはやりすぎじゃね? いや澪がシスコンなのは重々承知してるけど、だからってそれはやりすぎって言うか、雫だってそんなこと望んでないだろ。俺だって澪と修学旅行行きたいしさ」
言うと、くすっ、と澪が破顔した。
え、何その反応。くつくつ笑い、澪は冗談だよと告げる。
「冗談なのかよ……洒落にならないからやめてくれ」
「いや、妹の誕生日のためとはいえ修学旅行休むわけないじゃん。よく考えなよ」
「うっ」
「ま、友斗が勘違いしてくれたおかげで私的にはいいこと聞けたし、別にいいけどね」
「いいこと?」
そ、と短く区切ると、澪の口の端がニィと吊り上がる。
それから髪を耳にかけ、蕩けるような甘い口調で囁いた。
「私と修学旅行、行きたいんだ?」
「なっ……それは、まぁ、そうだけど」
「ふぅん。そっか。へぇ」
満足そうに頬杖をつく澪。なんか、完全に一本取られている感じがして居た堪れない。澪と修学旅行に行きたいのは本当だから反論もできず、地味に悔しい。
ぐぬぬ……と負け犬らしく唸っていると、澪は話を進めた。
「で、どうするかだけど。今言ったように休むつもりはないよ。友斗が言うように雫はそんなの喜ばないだろうし、姉として妹にエゴを押し付ける気はないから」
「おおお……久々にまともな澪を見た気がする」
「友斗も大概私の扱い酷いよね」
まいいけど、と澪は苦笑。
そこで話を止めることはなく、話を続ける。
「だから、まぁ、後日プレゼントで喜ばせようかな、とは思ってた。あとはパーティー。嫌だけど、雫が喜びそうだからトラ子も呼ぶつもりでさ」
「なるほどな。俺と同じ考えなのか……ん? たんま、トラ子って誰だ?」
急に聞き慣れないワードが出てきた。スルーしそうになりつつも尋ねると、澪は当然のように答えた。
「あの生徒会長だけど。タイガーだし、トラ子でいいじゃん」
「お前な……」
俺、昨日タイガーって呼ぼうとしたら拒否られたんだけど? それより酷い呼び方をするとか、マジで嫌いすぎない?
しかし、それでも雫の誕生パーティーには呼ぼうとしているのだ。嫌いではあるが、気に入ってもいるんだと思う。そう思うことにした。仲良くしてぇ。
「あだ名をつけるだけ可愛がってるって好意的に解釈して、もう考えないようにしとく。……けど、あれだな。考えてたことはほとんど俺と同じだな」
「まぁね。そんな突拍子もない案を思いついてもしょうがないことだし」
「それもそっか」
やたらと凝った結果プロポーズ前にフラッシュモブされても嬉しくないように、何事も工夫すればいいってわけじゃない。
シンプルイズベストという言葉通り、ここは分かりやすいやり方で行くべきだろう。
「そういうことなら、またパーティーの件は話そうぜ。プレゼントも、選ぶの手伝ってくれるとありがたい」
「ん、まぁいいよ。……どうせトラ子とも約束してるんだろうけど」
じっと俺を見つめる澪。
お見通しらしい。隠すつもりもないので、そうだよ、と素直に答える。
「被ってもしょうがないし、三人で買いに行った方が効率いいだろ? かと言って、何度も買い物に行けるほど暇かって言うとそうでもないし」
「ま、ね。別にトラ子はいないものだと思えばいいし。じゃあ、予定決まったら教えて。私は基本暇だから」
「了解。さんきゅな」
「ん」
話が終わると、澪はまたスマホと睨めっこし始めた。やたらと真剣だけど、何を見ているのだろうか。
聞きたい衝動に駆られるが、なんだか聞いたら負けな気がしたのでやめておく。
……それにしても。
しれっと女子二人と出かけようとしてる辺り、我ながらちょっとアレだよな。
◇
SIDE:雫
「先輩たち、ほんと内緒話下手だなぁ。前に聞こえてるって話したのに」
お風呂の中で、私は一人呟く。
ほんのりと反響する自分の声は、ちょっと笑っていた。ちゃぽちゃぽと湯船を叩きながら、くす、と自覚的に笑う。
ほんと、おかしい。
夏祭りのとき、聞こえてたって言ったのに、それでもどっちかの部屋で話そうとはしない。そんなところが、ちょっぴり愛おしい。隠し事ができない関係って感じがして、ふわふわするから。
お湯の中でぎゅっと小さく体育座りをした。
そして、嬉しいな、と思う。
お姉ちゃんも先輩も私の誕生日を祝う気満々で。修学旅行が被るっていうただそれだけのことを深刻に受け止めて、どうしよう、って考えてくれる。そうして喜ばせようとしてくれることが、本当に嬉しい。
七夕の夜、彦星様にお祈りした平和。
夏祭りの夜、先輩が叶えてくれた平和。
ついこの前、改めて先輩が形にしてくれた平和。
笑っちゃうくらいのHAPPY ENDの中にいる感じがして、うたた寝しちゃいたくなっちゃう。
だから後悔なんて、あるはずなくて。
それなのにチクチク胸が痛むのは、気付いているからなんだと思う、
三人は、お似合いだ。
お姉ちゃんと大河ちゃんは先輩のことが好きで、お互いにいがみあっている。でも心から嫌っているわけじゃないから致命的にケンカになることはなくて、先輩は二人のケンカをちょっと困りながら止めて、笑う。
そんな、三人だけの世界をありありと想像できてしまった。
なら私は、どうすればいいのだろう。
先に私が好きになったのに、って恨めばいいの?
私はお似合いじゃないから、って諦めればいい?
文化祭で、先輩と行った占いを思い出す。
『正義の逆位置』――示すのは、自信の喪失や優柔不断。
あんまりにもよくできた占いすぎて、笑ってしまう。
もしもあの占いが当たっているのなら……先輩は私とは逆に、迷うことなく決断を下すことになる。
その決断は、もしかしたら――。
ちょっとだけ、怖くなった。
もしも私のこの想いに終着点があるのなら、私の物語は果たして、エンドロールの後にも続いているのだろうか。
先輩を想わなくなった私は、ちゃんと頑張れるのだろうか。
「っ」
嫌だな、そんなの。
でもいずれ、そういう日が来る。お姉ちゃんか、それか大河ちゃん。どちらが先輩に好かれるとしても、私が先輩を想うことは許されなくなるのだ。そんなことしたら、先輩は困ってしまうから。
「どうすれば、いいんだろ」
ぼんやりと残響した私の声は、思いのほか弱々しかった。
鏡に映る私は、ちっとも笑ってない。
笑う門には福来る。先輩にそう言ったくせに自分が笑わないのは、ダメだよね。
「えへへ」
作り笑顔は、ちゃんと可愛くて。
うん大丈夫と私は頷いた。




