七章#06 バッティング
「――ぐあぁぁぁ。マジできつい」
放課後。
そんなこんなで俺は、当然の如くこき使われていた。目下、詳細な『おかわり球技大会』の計画を資料にしたり、いつもの球技大会でも用意する各クラスに配る資料を用意したりと、めっちゃパソコンに向かい合っている。
ブルーライトカットの眼鏡がなかったら、マジで目が悪くなってるだろうなぁ。
そんなことを思いながら軽く目をマッサージしていると、テーブルにマグカップが置かれた。いい香りのするコーヒーが入れられており、少し気が緩む。
「お疲れ様です、ユウ先輩」
「ああ、本当にな。こんなことなら俺が一年生の教育係に回りたかったよ」
燦々と微笑む大河の笑顔にも癒されつつ憎まれ口を叩くと、嫌です、と返ってきた。
ダメです、じゃなくて、嫌です、なのが大河らしい。
教育係の割り振りは会長である大河が決めた。如月と現書記クンがマンツーマンでつくことになり、俺は現在、大河の直轄の部下のような形になっている。見事に先日までと立場が逆転した状態だ。下剋上である。
「ユウ先輩が教育係になったら、その……困るので」
「お、おう」
「ですから、ユウ先輩は私のことを支えていただくようお願いします。私だって会長は不慣れなんですから」
ったく、そんな緊張した声で言われて断れるはずがないだろうに。
分かったよ、と不貞腐れて答えると、大河はパァと笑顔を咲かせた。先輩冥利に尽きすぎてやばい。
居た堪れなくなった俺は、大仰にこほんと咳払いをして、さっきから微笑ましそうにこちらを見ている時雨さんを睨んだ。
「時雨さん、働いてくれない?」
「働いてるよ~? でもほら、今は正規のメンバーじゃないからさ。やりすぎない方がいいかなーって」
「むしろやりすぎてくれてもいいくらいだよ。時雨さんのせいで増えた仕事が大半なんだから」
「その言われ方は不本意だなぁ。ボクは楽しいって思うことを提案しただけなのに」
にこにこしながら言う時雨さん。
この人は本当に相変わらずすぎる。今更文句を言っても変わってくれないことは分かっているので、代わりに大河を見遣った。
「いいか大河。こんな風に人の大変さを理解できない人になるくらいならある程度劣等感を抱いてた方がいいんだぞ」
「ユウ先輩の言いようが酷いとは思いますが……ちょっと、今は同意したい気分です」
「二人とも酷い⁉」
言うと、時雨さんは嬉しそうにたはーって笑う、
何故だろう。ここ数年見てきたものとは違う、どこか懐かしさのある笑顔のように見えた。なんだかんだ、時雨さんも会長の重みを背負っていたかもしれないな。
「それはそうとユウ先輩。先ほど職員室に行ったら、この書類を処理するように言われたんですが……」
「んあ? うわ、めっちゃ多いじゃん」
「すみません」
「いや、大河が謝ることじゃねぇよ。分かってたことだしな」
ふるふると首を横に振り、大河が持っていた書類の半分を受け取った。
ちらっと見た感じ量は多いがさほど時間がかかりそうなものではないし、今日中に終わらせてしまおう。
「じゃ、さっさとやりますか。あんまり暗くなると面倒だしなぁ」
「ですね。よろしくお願いします」
「うい」
大河が入れてくれたコーヒーに口をつけると、懐かしい苦みが広がった。
ぐぐーっと伸びをして作業を再開しようとしたところで、時雨さんがぼしょりと呟く。
「やっぱりいいなぁ、二人は」
どういうわけか。
時雨さんはそのとき、少し哀しそうに見えた。
◇
「今日も疲れたなぁ」
「そうですね、お疲れ様です……って、この会話、昨日もしませんでしたっけ?」
帰り道。
しみじみと呟くと、大河は苦笑しながら指摘してきた。こうして送る日もかなり続いているためか、大河が隣にいることにもかなり慣れてきた気がする。
「昨日どころか明日も明後日もするな、絶対。毎日疲れすぎてやばいし」
「あはは……お手間おかけしてすみません。でもユウ先輩にはとても助けられているので。ありがとうございます」
「どういたしまして」
こんな風に直球にお礼を言われるのも、だいぶ慣れた。昨日今日だけでも随分と礼を言われているからな。明日も明後日も、やっぱりお礼を言ってもらえるのだろう。
きっとそういう『いつも』を繋げていった先に、何かがあるのだと思う。それが素敵なものだといいなと願うばかりだ。
「そういえばユウ先輩。来月ですよね?」
「来月って……どれがだ? 来月にやらないといけないことは山ほどあるんだけど」
眉間に皴を寄せて言うと、大河はムスッと不機嫌な顔をした。
はぁと溜息をついてから答える。
「ユウ先輩は、私を仕事以外の話ができない子だと思ってませんか? だとしたら少し複雑なんですが……」
「うっ。べ、別にそういうわけじゃないぞ。今のはただ話の流れっていうか」
「そうですか。ならいいんですが」
大河は、どうも腑に落ちなさそうな感じでぼそぼそと零す。非常に気まずいので、話を進めよう。
「で、来月って?」
「誕生日ですよ、雫ちゃんの」
「あー! 言われてみれば、もうその時期か」
日頃はさほど誕生日を気にせずに生きているのがぼっちって生き物だ。友達の誕生日を祝うべきなのか分からなくてとりあえずRINEでメッセージを終わらせて済ませた八雲の誕生日は記憶に新しい。
そんなわけで意識していなかったが、別に忘れていたわけではない。むしろよく覚えている。雫とは去年までも誕生日プレゼントのやり取りをしていたのだ。
「雫の誕生日は、そうだな。来月の22日だぞ……ん?」
日付を口にした瞬間、俺は妙な引っかかりを覚えた。
待てよ。来月の22日ってことは、11月の22日だよな? つまりいい夫婦の日で――
『そういや雫の誕生日っていつなんだ?』
『むぅ。RINE見てくださいよ。登録してありますから』
『え、マジで? ――ああ、ほんとだ』
『私の誕生日は11月22日です。いい夫婦の日です! キューピッドって感じがして素敵ですよねっ!』
と、小学校の頃に話したのを覚えている。
うん、ってことは日付は間違っていない。なら何が問題だ……? 頭の中でスケジュールをチェックして、俺はようやく重大なバッティングに気付く。
「まずい、大河」
「ど、どうしたんですか?」
「一年生の大河は詳しくないだろうけどな。21日から23日までの三日間、二年生は修学旅行だ」
「……あ」
大河は目を丸くし、次に気まずそうに顔をしかめた。おそらく俺も似たような反応をしていると思う。
「完全に失念してた。なんだこのバッティング、神様の悪意がこもってるとしか思えないんが」
「本当ですね……よりによっても二日目ですか」
「それな。一日目か三日目なら会えるのに」
修学旅行で向かう先は京都。新幹線に乗れば容易く行き交うことのできる便利な世の中になったとはいえ、流石に修学旅行の最中に帰ってくることはできない。
つまり、である。
今年は雫の誕生日当日を一緒に祝ってやれないのだ。
「マジかよ……割とショックなんだけど」
「そこまでですか――って聞くのは、変ですけど。ユウ先輩がそんな風になるのは、少し意外ですね」
「そうか?」
と言って、気付く。
大河は俺と雫の歴史を知らないのだ。普段の俺の行動を見ていたら、誕生日にここまで必死になる俺は違和感があって当然かもしれない。
「まぁ、あれだ。雫は俺が初めて肉親以外で誕生日を祝った相手だからな。もっと言うと、初めて肉親以外で誕生日を祝ってくれた相手でもある」
最初は、俺が小学五年生だったときの10月だった。
ふと俺に誕生日を聞かれてもう過ぎたと答えると、大河は満面の笑みで言ってきたのだ。
『遅れちゃったのは残念ですけど……誕生日、おめでとうございますっ! 先輩がいてくれて私は……その、嬉しいです!』
あの言葉に、俺はどれほど救われたか分からない。
同時に罪悪感にも苛まれたけれども。
それでも俺は、あの子の眩しさに感謝している。
「そう、なんですね」
「ああ」
「なら一緒に祝えない分、プレゼントに力を入れてはいかかですか? 私も買うつもりだったので、よろしければ探すの手伝います」
大河は隣で、優しく笑っていた。
そうだな、と俺は頬を綻ばせながら肯う。
「プレゼントも、パーティーも、とびきり豪華で楽しいのにしてやるか」
「はい! 忙しくなりますね」
「だな」
既に忙しいし、本当なら簡単に済ませてもいいのかもしれない。
けれど雫は文化祭のときも、選挙のときも、俺たちを照らしてくれた。お日様の雫みたいな眩しい女の子に報いることを、どうして躊躇うというのか。
あの子の光で輝く月にくらいはなれますように、と祈りながら。
俺は雫の誕生日のための計画を練り始めた。




