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七章#04 日常

 10月も下旬を迎え、街を歩けば赤ちゃんの掌みたいな紅葉が見られるようになった。田園調布という街は、その名の通り『田園』に満ちた街だ。この辺りに住んでいると、街を作ったのは渋沢栄一だとか、家を建てる際には景観保護の観点でルールが厳しいとか、そういうよく分からない知識を自然と身に着けていく。特に小学校だと、やたらと勉強させられるからな。


 俺はあまりこの街が好きではないが、紅葉でこんがりと赤く焼けた公園は割と好きだ。大河を送り、公園を眺めながら帰ってきた俺は、ふと思い立った。


「栗ご飯を作ろう」


 秋と言えば栗ご飯。しかしよく考えてみればこの秋は一度も栗ご飯を食べていない。そうして考えると、なんだかそこはかとなく食べておかねばならない気がしてきた。

 そうだ、栗ご飯を作ろう。

 つっても、去年までは適当に弁当を買ってたんだよな……流石に今年はそうするわけにもいかないので、自炊せねばなるまい。


「スーパー寄っていくか」


 栗ご飯の素を使う分には問題ないだろうし、そもそも素を使わない栗ご飯は大変過ぎる気がする。

 少し遠回りになるなぁとは思いつつも、俺は近場のスーパーに向かうことにした。こんな風に無駄な時間を過ごせるのも久々だしな。


 そんなことを考えて歩くこと暫く。

 スーパーに入ると、店頭にはハロウィン向けの商品が並んでいた。なかにはちょっとしたコスプレまで置いてある。すげぇな最近のスーパー。マジでスーパー()って感じじゃん。


「仮装なぁ……」


 少し前まではそれほど大袈裟ではなかったように思うハロウィンも、いつの間にか一台行事と化してきた。

 生徒会ではハロウィンイベントをやらないものの、部活の中には何らかのハロウィンに纏わる活動を行うところも多い。

 なんてことを考えていると――


「あれ、先輩じゃないですか。コスプレ衣装なんて見て……もしかして先輩、私にそれ着てほしいんですかー?」


 と、悪戯っ子めいた声が聞こえた。

 チラっと見遣れば、レジ袋を持った雫と澪がいる。雫はニヤニヤと笑い、澪はふぅんと目を細めていた。


「別にそういうわけじゃねぇよ……っていうか、二人ともどうした?」


 そっち方向の話をし続ければ絶対に雫のペースに乗るだけなので、すぐに話を切り替える。

 一緒に暮らしている三人がたまたまスーパーで会うという、偶然なのか会話不足なのか分からない状況を指摘すると、雫はレジ袋をがさごそと漁り、何かを取り出した。


「今日お姉ちゃんと一緒に帰ってたんですけど、その帰り道で栗ご飯食べたいよねーって話になったんですよ。で、思い立ったら吉日ってことで買いに来たんです」

「ちょうど今日は友斗が当番だし、作らせればいいかな、って思って」

「おお、マジか。凄い偶然だな。俺も栗ご飯が食いたくて買いに来たんだよ」


 目的が同じならRINEで意思疎通した方が合理的だったようにも思うが、それよりもおんなじことを思えたというささやかな幸せに目を向けることにした。

 三人住んでいて、好みも違って、けど同じものを食べたいなって思うなんて。

 なんだかとても家族らしくて、胸がぽっと温かくなった。


「ねぇ見たお姉ちゃん。今の、絶対コスプレ見てたことを誤魔化すために私たちの理由に乗っかったんだよ」

「だいたい、そんな偶然あるわけないんだし、無理筋すぎるよね」

「ほんとそれー!」

「……俺はお前らと分かり合えてない気がするよ、マジで」


 温まった胸はすっかり冷まされて。

 結局俺は、何も買わずに家に帰ることになった。



 ◇



 そして家。

 炊飯器からは、ほかほかと甘やかな匂いが漂ってくる。栗ご飯の素を使ったのは人生で二度目だが、なんとか上手くいってくれたらしい。まぁ書いてある通りにやるくらいのことはできるようになってきたしな。


 ぴーぴーと鳴ったら、炊飯完了の合図だ。

 そのタイミングを見計らっておかずも仕上げに入る。今日は久々に時間をかけて作ったので品数も多い。一汁三菜よりやや多め、って感じだ。


「友斗、そろそろできた?」

「おう。運ぶの手伝ってくれるか?」

「ん。その代わり、栗多めね」

「はいはい……ほんとお前、欲に忠実だよな」


 澪のこんな一面を、俺は少し前まで知らなかった。前から冷たかったり身勝手なところはあったけれど、それは無愛想で孤独気質だからこそのものだと思っていた。

 でもいざこうして関わってみると、ちょっぴり人より欲深くて本能的な部分がある女の子だ、と分かる。


 まぁ、それはそれ、これはこれ。

 一人に栗を集めたらバランスが悪くなるので、澪を特別扱いすることなくご飯をよそる。その間に雫も部屋から降りてきて、食器を運ぶのを手伝ってくれた。


 俺も席につき、三人で手を合わせる。


「「「いただきます」」」


 そう口にできることが、そこはかとなく嬉しい。

 一緒なんだな、と思えるから。


「ん~。美味しい。栗、好き」

「ねー! 秋だーって感じするよね」

「だなぁ」

「コスプレフェチさんは黙っててください」「コスプレ好きは黙ってて」

「姉妹仲がよくて嬉しいけど俺を針のむしろにするのはやめてねっ?!」


 あと、コスプレフェチじゃねぇから。

 ……いや、どうだろ。コスプレ自体は好きかもしれない。雫のメイド姿や大河の執事姿、澪の白雪姫モードもグッときたし。

 ま、それはどうでもいいか。俺も栗をポンと口に入れる。ほくほくとした甘みが口に広がって、ご飯と混ざった。日常の幸せって感じがして、頬が綻ぶ。


 ごくんと飲み込んでから他のおかずに手をつける。

 まずはシンプルな小松のおひたし。何の変哲もない味だが、栗ご飯にはよく合ってくれた。めっちゃご飯が進む。


 次は、茄子のみそ炒めだ。先日多めに買った茄子を使ったみたんだが……うん、これも思いのほか美味い。茄子が柔らかくなって、味もちゃんとついてくれた。


「ん……これ美味しい」


 口もとについたタレをぺろりと舐めとってから澪が呟く。その目は心地よさそうに細まっており、本当に美味しいと思っていることが分かる。

 雫もうんうんと頷き、美味しいですよ、と微笑んでくれた。


「先輩、何だかんだ料理が上手くなりましたよね。今日も私が教えることなかったですし」


 半分ほど食べてから、雫はしみじみと言った。

 澪もうんとかああとか適当な返事をしているが、多分あんまり聞いていない。今日は体育があったせいでお腹を空いているらしく、食事に集中している。


「まぁ今日は、そんな特別なもの作ってないからな。レシピを調べたら難しい感じでもなかったし」

「でも、そーやってレシピを見たら作れるっていうのが成長の証ですよね。4月の先輩なら、そもそもレシピを見ても分からなかったでしょうし」

「あー……それは確かに」


 勉強でも、それ以外のことでもよく言う話だが、基本ができるようになると一気に自分でできることが増える。そうするとグッと成長も早くなるものだ。


 雫は満足そうに笑い、えっへんと胸を張った。


「それもこれもやっぱり師匠の腕のおかげですね」

「そうだな。いつも助かってるよ、雫。これからもよろしくな」

「はいっ! ――って、なんか仲良し夫婦みたいな会話するのやめてもらっていいですかっ? そーゆうのは世界の中心で愛を叫ぶサプライズしてからにしてください」

「ハードルが高すぎる」


 言ってから、ぷっ、と吹きだした。

 けらけらと笑いながら口に入れた栗は、やっぱり仄かに甘い。


 栗ご飯は日常に落ちているささやかな幸せみたいなものなのかもしれない、と思う。

 体は食べたものでできているというのなら、美味しいものを食べ続けていたら、きっとその人は少しだけ優しくて素敵な人になれるのだろう。

 と、何となく和んでいたら――


「ねぇ先輩。もう私が先輩にあげられるもの、ファーストキスくらいしかなくなっちゃいましたね」


 なんて、雫がいきなり言い出した。

 ぶふぅぅと噴飯しそうになる俺。澪の眉をぴくりと動き、俺のことをじっと睨んできていた。


「ばっ、急に何言ってんだよ雫」

「えー、急ですかね? 結構今真面目に言ったんですけど」

「アホか。お前は一度、大河に真面目の極意を教わって来い」

「むぅ。そこで別の女の子の名前を出すのはどーなんですかねー」

「食事中にいきなり()()()()話する方がどうなんですかねぇ」


 言いながら、おでこの辺りが熱くなっているように感じて、苦笑する。


 ――このキスを、預けておきます。


 あの夏祭りの日、雫はそう言っていた。

 返却期限はないけれど、延滞料は高くつく、とも。

 あのときの雫がどんなことを思っていて、今の雫が何を思っているのか。

 考えても分からないけれど、きちんと考えなきゃいけないのだろう。平穏には程遠いにしても、今の多少なりとも日常が戻ってきているのだから。


 胸の奥で妙に蠢く何かを感じた気がして、俺はにへらっと笑って言う。


「まぁいつもの小悪魔ボケは放置しておくとして。言っとくけど、俺はまだまだだからな? 今後も分からないところあったらめっちゃ聞くし。さもなくば食卓が悲惨なことになる」

「ふふっ、それは嫌ですね。ならいつでも聞きに来てください、歓迎しますので。なんならお菓子の作り方とかを伝授してもいーですよ?」

「お菓子か……それもありかもなぁ」


 夕飯を食べ進めながら、心の中で思う。

 雫は色んなものをくれてるよ、と。毎日笑ってくれてるだけで助けられてるんだぞ、と。

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