七章#01 負けヒロイン
SIDE:雫
後悔は山ほどある。
けれども後に悔いるのだから、全てが『後』になっていない今、後悔をすべきではないのだと思う。まだ何も終わってはいなくて、きっとようやく始まったのだから。
だからきっと、積み重ねられた後悔が山を作るとしたら、その頭には『きのこの』とつくのだと思う。ぱくっと食べて、それで済んでしまうくらいの、甘くてちっぽけな後悔たち。
「俺は切り株派なんだよなぁ」
「うわぁ。そーゆうの、捻くれ者アピールって言うんですよ」
「うっ。そういう年頃なんだからいいでしょ。っていうか、雫は?」
あれは、そう。ハロウィンのときだった。
お菓子を持って来ちゃダメだぞって注意してる先生の話になって、それから何故かチョコのお菓子の論争になって。
だから私は、あのとき言った。
「私はいたずら派です」
「は?」
「だからハロウィン! 山も里もいらないので、いたずらしてください!」
「ハロウィンってそういうのじゃないからな?! っていうか話の流れ分かってる?」
「分かってますよ。先輩と違って友達多いので」
えっへんと胸を張った私を見て、先輩はどんな顔してたっけ。
……『たっけ』ってつけて、覚えてないふりをすることでもないかな。今でもよく覚えてる。先輩は嬉しそうにしていたんだ。
「そっか。よかったな」
「よかったな、じゃないですよー! それよりいたずらです、いたずら! 先輩がしてこないなら私がしちゃいますからね。なんて言ったって、小悪魔なので」
「ふっ、まだそれやんの?」
「やりますよ、ずっっと!」
ずっと、ずっと、好きだった。
先輩のことが大好きで、好きになってほしくて努力してきた。
先輩の毎日を照らしてあげたくて、一生懸命笑ってた。
それは――今も、同じことだ。
◇
「私は未熟です。今回の選挙で痛いほど思い知りました。経験も才能も可愛げもちっともなくて……本当にダメダメです。それでも、私は生徒会長をやりたいです。こんな私でごめんなさい。でもどうか――私を応援してください。頑張ります。それしか今は言えないけれど……たくさん、たくさん、頑張ります」
ステージの上で、私の大切な友達が話している。
生徒会役員選挙、最終演説。先週までは大河ちゃんは劣勢で、当選するのは如月先輩だって空気ができていた。けれども火曜日になって如月先輩が副会長に立候補し直し、それから流れは一変している。
火曜日から今日の朝まで、大河ちゃんは粘り強く伝えていた。
それとおんなじことを愚直に、笑っちゃうくらいに正直に話す姿は、ともすればとてもかっこ悪く見えて。
それなのに全校生徒の誰も大河ちゃんのことを哂いはせず、いつの間にか応援する温かい空気が生み出されていた。
「私の公約は、これまでも挙げていた通りです。他の役職に立候補した人の公約も全てを達成するのは大変で、もしかしたら全部が青写真で終わってしまうのかもしれません。そのときは、ごめんなさい。心から謝ります」
公約を達成できないかも、だなんて。
そんなこと、本当は言っちゃいけない。言うにしてももっと冗談めかして、巧くやるべきだ。
嘘はよくないかもしれないけれど、世の中には真実の伝え方がある。こんな風に闇雲に正直になるのは、きっと正しくない。
――それなのに。
ストレイトな光の如き大河ちゃんの言葉は、よく響く。
たかが生徒会だと思って、どうでもいいって感じてる人だって山ほどいるはずだけど。
そんな人ですら「まぁいいじゃん」とちょっとだけ応援したくなるような、そんな強さに満ちていた。
「それでも! 皆さんの力をお借りして、これまでの生徒会長よりも立派で学校生活をより楽しくできるような生徒会長になりたいです。だからお願いします。私の背中を押してください」
大河ちゃんはそう告げると、深々と一礼をして下がった。
ぱちぱちぱちぱち。
誰からともなく拍手が起こる。ぱちぱち、ぱちぱち。私も一生懸命拍手をした。本当に凄いと思ったから、すごいなぁさすがだなぁ、って思いを込めて拍手をした。
「――続いて、応援演説に移ります。推薦人の方は二人合わせて3分以内に演説を終えてください」
司会の人のアナウンスの後にマイクの前に立ったのは、真夜中みたいに綺麗な髪を靡かせる人――っていうか、お姉ちゃんだ。
いつも私や先輩に見せているのとは違う、お人形さんみたいな笑顔でお姉ちゃんは言う。
「こんにちは。入江大河さんの応援演説をする二年A組の綾辻澪です」
完成された声色。
どこにでもいる優等生のように清廉とお姉ちゃんは続けた。
「入江大河さんは真面目で、正直で、嘘がつけない性格で非を認められる人です。一年生という身ではありますが、その経験不足を補って余りあるほどに、彼女は生徒会長に向いていると思います」
大河ちゃんを絶賛する、どこか作り物めいた口調。
先ほどの大河ちゃんの演説との温度さに空気が軋んでいると、にやぁ、とお姉ちゃんは魔性の笑みを浮かべた。
私ですらドキッとしちゃう、色っぽい顔。
みんなが息を呑むのと同時にお姉ちゃんは、なんて、と自嘲気味に言った。
「推薦人を引き受けた段階でかなり一生懸命推薦する理由を見つけて原稿を考えていたんですけど、ダメですね。ここ数日だけで一気に状況が変わって、挙句の果てに本人が『私は未熟です。今回の選挙で痛いほど思い知りました。経験も才能も可愛げもちっともなくて……本当にダメダメです』とか言うんですもん」
一瞬だけ大河ちゃんの真似をして見せると、お姉ちゃんは顔をしかめた。
あー、これは絶対に「あんな子の真似をするとか最悪」って思ってる顔だ。何故かお姉ちゃんと大河ちゃんは相性最悪だから分かる。
が、その表情をもお姉ちゃんは話を進めるパーツとする。
「そんな風に自虐されたら、一生懸命見つけたことが全部台無しですよね。実際、私も思います。経験も才能も可愛げもない! でも、鮭を焼くのは悔しいけど上手なんですよ」
内緒話をするようなひっそりとした声はマイク越しに体育館中に響く。
すると、どっ、と笑いが起こった。
「私も実は、鮭に買収されたクチなんです。まぁ私も和食で負けるつもりはありませんが、入江さんは私が、まぁいいかな、って納得できるくらいには鮭を焼くのが上手なんです……って、これじゃあまるで姑ですね」
けらけら、くすくす。
そんな風に笑いが起こるたびに、大河ちゃんに抱く愛着が膨れ上がっていく。
上手だな、と妹ながら思う。本当にお姉ちゃんは巧い。変幻自在に自分を変えて人の心を掴んでいく様は、私のセルフプロデュースとは似て非なるものだ。
「まぁ、そう考えてみると。他のところも、確かに未熟ですが、まぁいいかな、って思えるくらいの水準ではあると思うんです。春先から生徒会の見習いみたいなことをしてるらしいですから。能力的には足りなくとも、やる気はきっと過去の生徒会長に負けていません。やる気さえあれば能力が足りない分を量で補って、なんとかしてくれる気がしませんか?」
さやさやと吹く風の如く微笑を浮かべると、お姉ちゃんは最後に、
「というわけで。私は入江大河さんを生徒会長に推薦します」
と告げて、もう一人の推薦人と場所を交代する。
その人はお姉ちゃんと一瞬視線だけで何かを伝えあうと、全体をぐるりと見渡した。
そして、はぁぁぁぁ、と溜息をついた。
「だからどうして俺がトリなんですかね⁉ 俺ずっと思ってたんですけど、これって立候補者が後で推薦人が先の方がよくないですか? そうでもしないと俺みたいな奴がトリを飾ることになるんですけど男子の皆さんどう思います?!」
「引っ込めー!」「美少女コンボの余韻を壊すなー!」「百合に男を挟むなー!」「女体化したら許してやるー!」
「一部っつうか半分くらいおかしくないですかねぇ⁉」
なんて、先輩らしいやり方で演説を始めた。
先輩がこんなことをできるってこと、高校に入学するまでは知らなかった。人前に立つのは苦手ではないけど、好まないタイプだと思っていたから。
けど、今の先輩は生き生きしてる。
くくくと口の端を上げて小さく笑ってから、こほん、と大仰な咳払いをした。
「と、まぁ、ふざけてばかりだと時間がなくなるというか厳密にはあと30秒しか残ってないので言いたいことだけ言います」
一気に真剣なトーンになると、自然と全校生徒は黙り、耳を傾けた。
先輩はマイクスタンドからマイクを取って、すぅぅと息を吸ってから言う。
「俺こと百瀬友斗は、入江大河が生徒会長になるのを全力で応援します。当選した暁には学級委員長としても、助っ人としても、めちゃくちゃこき使われる予定です。っていうか庶務って役職自体、俺を体よくこき使うためみたいな部分ありますし」
後ろで大河ちゃんがばつが悪そうに、けど嬉しそうに笑うのが見えた。
「皆さんはどうですか? こんな茶番、付き合ってられない? お前らの青春ごっこに巻き込むな? ええ、至極ごもっともです」
ステージ横に置かれたタイマーは、残り時間が10秒であることを報せている。
先輩はとても重大なことを言う風に、重々しく口を開いた。
「でも……そんなところが癖になるんで、これからの大河の活躍を楽しみにしといてください」
にかっと挑発的に笑うと、ぴーぴーと時間終了のアラームが鳴った。
マイクスタンドにマイクを戻した先輩は、お姉ちゃんと大河ちゃんと共に並ぶ。
三人に向けられた拍手の中で、私は一人、目を細めた。
すごいなって思う。眩しくて直視できないな、って。
笑われたりうざがられたりすることを厭わずありのままで突き進む大河ちゃん。
見せる姿を巧みに変えて、けれども自分の欲望を貫こうとするお姉ちゃん。
私は、二人みたいな“何か”を持っていない。
絶対に曲げられない“何か”も、曲げてでも貫きたい“何か”もない。
想いしかない私はきっと、負けヒロインにはなれないんだと思う。
だって、負けヒロインは負けるからこそ輝くだけの魅力がある。エンドロールのその後で煌めける“何か”を持っている。
その“何か”を持っていない私が負けヒロインになることは、絶対にできないのだ。
私にあるのは恋心だけ。
好きになってもらいたい。私の努力は全て、そこに帰結する。そこ以外に帰結できない。
ずっと、ずっと、好きだった。
先輩のことが大好きで、好きになってほしくて努力してきた。
先輩の毎日を照らしてあげたくて、一生懸命笑ってた。
それは――これからも、同じことだ。
だって私は三人みたいに変わることができないのだから。




