六章#38 宿泊
RINEグループ〈水の家〉。
これは今朝、家を出る前にふと二人に提案したものだった。
俺と雫と澪と大河。四人で一緒に話せるようなグループを作りたい、的なことを言った気がする。具体的にどんな風に提案したのかはすっかり忘れてしまった。起床後の謎テンションだったのだ。
名前の由来は、誰の名前にも水に纏わる字が入っていること。
俺も『斗』がお酒を量る単位だし、それ以前に百瀬の『瀬』が水っぽいのでいいかな、と強引に解釈した。
さて、そんな〈水の家〉にて。
【ゆーと:そんなわけで大河の家に泊まることになった】
【雫:つまりセクハラですね。把握しました】
俺が泊まることになった旨を説明すると、流れるように雫がセクハラ認定してきた。あながち否定できない気がするから釈然としねぇ……。
【大河:違うの雫ちゃん。私が頼んだことなんだ】
【大河:ごめんね】
夕食の支度を始めた大河は、煮物の片手間でスマホを操作している。
続いて返信してきたのは澪だった。
【MIO:つまり友斗が心配してくれたのを利用して泊まらせた、と】
【MIO:役得だね】
明らかに嫌味な文面を見て、大河がぐぬぬ……と渋い顔をする。
【大河:澪先輩に言われる筋合いはないと思います】
【大河:文化祭のとき、二人で過ごしたんですよね?】
【MIO:あのときは友斗がわざわざ来て、もう帰ってもしょうがなかったから。不可抗力に多少の実益が挟まってるだけだよ】
【大河:今日だって百瀬先輩が来てくれました。外は暗いですし、妥当な理由があるんじゃないでしょうか】
【MIO:無理やりすぎだし。論理的思考ができてないんじゃない? そんなんで生徒会長とか大丈夫?】
【大河:ご安心ください。自分本位な澪先輩よりずっとマシです】
【MIO:ブーメランが刺さる音が聞こえたけど大丈夫?】
【大河:心配していただきありがとうございます。大丈夫です】
ぽん、ぽん、ぽんぽんぽん――。
大河と澪がメッセージとスタンプの応酬を繰り広げる。
え、なんでこいつらこんなナチュラルにケンカに突入してるの……?
「なぁ大河。もうちょっと落ち着こうぜ」
「落ち着いてられませんよ! 澪先輩、ほんっと性格悪いんですから……!」
「大河がそこまで言う⁉」
色々と考えて吹っ切れた、ってことなのだろうか。
正真正銘、二人は不倶戴天の敵になったのかもしれん。
まぁ同族なんて嫌悪しあって当然だからな……って考えて、今は納得しておこう。
【ゆーと:とりあえず、今日は泊まるから。悪いけどそこに変更はない。もういざ泊まるってなったら帰るの怠くなってきたし】
【雫:それはそれでダメ人間ですよね】
【MIO:地味にクズ】
【大河:そのなし崩し感はどうかと思います。私が言うことではないですが】
【ゆーと:お前ら俺を罵倒するときだけ団結するのやめてくんない⁉】
三人だと二対一だが、四人でも二対二になるわけじゃないらしかった。
もういいや。男女の境ってあるものね。これだから女子って嫌だわ(お嬢様声)。
「大河、そろそろじゃないか? いい感じの匂いしてる」
「え……あ、本当ですね。ありがとうございます」
「いんや。こっちこそ、夕食も作ってもらって悪いな」
「泊まってほしいって言ったのは私ですから。それに……食べていただくのは、嬉しいですし」
「お、おう」
最近はこう直球に言われることが少なくなってたから耐性が薄れてきてたけど、そうだよな。大河は大河でこう、めちゃくちゃストレートに言ってくるんだよな……。
料理に戻る大河の背中を見て苦笑しつつ、俺は〈水の家〉のやり取りに一度ピリオドを打つべく、メッセージを送信する。
【ゆーと:そんなわけだから。ほんと、悪い。今日はマジで泊まるから】
【雫:そこまで言うなら、別にいーですよ】
【雫:っていうか、さっきのはあくまでじょーだんですしね】
そう言っている雫の顔が浮かんで、くすりと笑った。
【MIO:私のは別に冗談じゃないけど、まぁ、泊まってくればいいと思う】
【MIO:間違いだけは犯さないようにね】
【雫:あ、そうそう!】
【雫:そーゆうことはやっちゃだめですからね】
……なお、『間違いだけは~』の澪からのメッセージ以降は個人チャットにて送られてきたものである。
〈水の家〉でそんなこと言われたら流石に気まずくて帰るしかなかったので、助かった。それはそれとして俺がいるのに一人でシた誰かさんには言われたくないけれど。
【ゆーと:するわけないだろアホ】
二人に同じ文面のメッセージを送って、俺はスマホの電源を落とした。
――ちなみに。
ここまでのやり取りをお送りする前に、大河宅の居間を片付けるという大仕事があったりした。20分かかった。
◇
夕食は、和食だった。
ほっこりする煮物と焼き鮭、ほうれんそうのお浸しと味噌汁。それから白いご飯。
カルチャーショックがあったとすれば、味噌汁にトマトが入れようとしていたことだろうか。非常に申し訳ないがケチャップとかにされない限りトマトはNGなので、大河に謝り、入れないでもらった。
まさかトマトイン味噌汁とは。予想外なところから奴らは現れる。
大河が作ってくれたものはどれも美味しく、本当に落ち着いた。
代わりってことにはならんが洗い物をしていると、その間に大河は俺の分の着替えをもってきてくれた。新品の歯ブラシやバスタオルを見て、二個セットで売ってるのも多いんだよな、と何となく思う。特に歯ブラシはセットで売ってるやつの方が高いから、去年までの俺もセットで買っていた。で、新しくする頃にはどこに置いたかを忘れるんだよな。
ともあれ、そんなこんなで二人とは言いつつも平和に過ごせていたのだが。
いよいよと言うべきか、とうとうと言うべきか、あの時間が来てしまった。
「百瀬先輩、お湯沸かしたので先にどうぞ」
「お、おう……いや一番風呂とか悪いし、大河が先でいいぞ」
「でも、百瀬先輩はお客さんで――」
「女子が入った後の湯船とか浸かれないから、マジ頼む」
「……すみません、配慮不足でした」
「別に。謝ることじゃねぇよ」
純粋に、やましいことを考えてしまう俺が悪いわけで。
なんだか居た堪れない気分になりつつも、浴室へ行く大河を見送った。
「でもあんまり順番は関係ないんだよなぁ……」
一人、ぽしょりと呟く。
この前、澪と二人で〇〇ホテルに泊まったときとおんなじだ。非常に気まずい。シャワーの音とかだけで妄想できる男子高校生を舐めてはいけないのだ。
そういや、大河もスタイルよかったよな……プール掃除と海。俺はこの夏だけで二度も大河の水着姿を見てるわけで。
まして、女の子の裸を知っている身だ。
人それぞれだということは重々承知しているものの、やはり知るのと知らないのとでは妄想の解像度が変わってきてしまう。
ぐふぅ。
よく同居モノってラノベにも漫画にもあるけど、あれってマジで主人公はどうやって性欲発散してるんだろうな。家にいるって分かってる以上自分でするわけにもいかないし……。
「お待たせしました。百瀬先輩もどうぞ」
と、考えている間に。
パジャマに着替えた大河が浴室から出てきた。
濡れたままの髪を束ねるわけにはいかなかったのか、今はポニーテールではなく、下ろされていて。
気の抜けた格好も相まって、普段とはがらりと印象が変わっていた。
いつもは気を張っている鋼乙女の、オフショット。
ふとそんな印象が頭をよぎったら、もう正視していられなかった。
「お、おう。じゃあありがたく入らせてもらうわ。シャンプーとかって、あるのを使っちゃっていいか?」
「はい、もちろんです」
急いで浴室に向かおうとすると、それと、と大河に呼び止められてしまう。
ぐぬぅ。確信犯か、確信犯なのか……ッ⁉
「寝る場所なんですけど。布団が、二人分あるのでそれを居間に敷く感じでもいいですか?」
「…………そうだな」
「分かりました。じゃあ百瀬先輩は入っている間に用意しておきます」
「そ、そか。任せた」
話を終えて、とたとたと脱衣場に滑り込む。
服を脱いで浴室に入ると、ほわほわと湯気が肌を撫でた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
あまりに展開がアレすぎて、当然のように同じ部屋で寝ようとしている点をツッコむことすらできなかった。
非常によろしくない。
澪のときは、まだよかった。状況が切迫していたし、当時の澪に好かれているとは思ってなかったし、お互いに子供の水遊びみたいなびしょ濡れ具合になった後だったから。
でも、今は違う。
明日はまったり休日で、大河は明白に好いてくれていて、ともすればカップルや夫婦のような平穏な時間を過ごしていた。
否が応でも、そういう展開を想像してしまう。
「クソ野郎だなぁ、ほんっっと」
熱湯を頭から被った。
仮に大河は、それを拒まなかったとしても、そんなことが許されていいはずがないのだ。
そうでなくては、誰の願いも叶わない。
胸の奥底で吠える醜い獣をブラックアウトさせて、俺は無心でシャワーを浴びた。




