六章#36 LOSING HERO
『だから、今日は話に来たんだ。
入江大河と百瀬友斗。負け犬同士、吠え合おうぜ』
我ながら、実にダサい文句だったと思う。
何がダサいって、これを言ったその後に、ぎゅぅぅぅと腹の虫が大合唱を始めたのが一番ダサかった。
ぽかーんと豆マシンガンで射撃されたハトみたいな顔をすると、大河は、くすっ、と笑った。
「そういえばもう、お昼ですね。私もお腹空きましたし……何か、食べますか?」
「うっ。面目ない。実はさっき起きて、朝食も食ってきてないんだよな」
「そんな状態でどうして来たんですか……」
「ん? そんなの、早く会いたかったからに決まってるだろ」
「なっ――」
以前、大河に言われたことをもじって答える。
大河は何かを堪えるように唇をきゅっと結ぶと、んんっ、と喉を鳴らした。
「じゃあ、作ってくるので。何が食べたいですか?」
「んー、そうだなぁ。大河が好きなものが食べたいかな」
「それ、何でもいい、と同義じゃないですか……?」
「いいや、全く違うな。俺は大河の好きなものが食いたいんだよ。大河の好きなものが知りたい。同じ釜の飯、って言うだろ?」
にやっと口の端を上げて言うと、大河は目を細めた。
「……同じ釜の飯なら、同じ場所で作る時点でメニューを問わないのでは」
「細かいことを言うんじゃない。先輩が好きなものを作って来いって言ってるんだから作って来い。上司の命令に逆らうのか?」
「パワハラもいいところですね。姉に報告したら、大変なことになりますよ」
「それはマジでやめてぇ⁉」
冗談です、と言って、大河は部屋を出て行った。
一人になった部屋で、さて何が出てくるかな、と考える。
こういうときはあれだよな。意外と卵かけご飯とかお茶漬けとか地味なメニューが出て、「こんなのが好きなの?」「悪いですか?」「全然。むしろありだな」みたいな会話を交わすんだろ?
「……にしては、遅くね?」
待つこと、30分ほど。
別に普通の料理ならこれくらい待っても当然なのだが、予想していたのが5分とかからないようなメニューだっただけに、ちょっと長く感じてしまう。
つーか、可愛がってる後輩の部屋で一人待つって、なかなかにアレだよな。
休日に押しかけて、昼飯作らせて……我ながら、かなりクソ男すぎる。
「何やってんだろうな、ほんと」
そう呟いていたときだった。
きぃと戸が開き、大河が入ってくる。
「すみません、お待たせしました」
「ん、いや別に待ってないけど――って、おお。なんだそれ」
「なんだそれって、見ての通りです。フレンチトーストですよ」
「フレンチトースト……あー、そういや昔食ったことがあるな」
本当に昔、まだ母さんが生きていた頃だ。
美緒を二人で食べて、美味しいね、って言い合っていた気がする。
大河は、そうなんですね、と呟き、ふんありとはにかんだ。
「フレンチトースト、好きなんです。幸せの味がして」
「そっか」
「……なんですか、その顔」
「え? あー、いや、別に」
言えるものか。
可愛いな、って単に思っただけだなんて。
首を横に振り、俺は食器を受け取った。
「んじゃ、食べようぜ。話すのは食べた後な」
「はい」
二人で合掌して、いただきます。
それから俺たちは、フレンチトーストを食べ始めた。
◇
「ほんと美味かった。マジでありがとな」
「いえ。こちらこそ、洗い物していただいてありがとうございます」
「これくらいはな。つーか、洗い物もしなかったらいよいよ俺がクズ男になるだろ」
「…………」
「『否めないのでは?』みたいな顔すんのやめてね? いきなり押しかけて昼飯たかって、ほんとマジごめんね?」
冗談めかして俺が言うと、大河はふるふるとかぶりを振った。
「い、いえ……百瀬先輩と一緒に食べることができて、よかったです。一人だったら、フレンチトーストなんて作らなかったでしょうし」
「あー、それ分かる。俺も雫と澪がいないときはろくに自炊しなかったからなぁ」
食べてくれる誰かがいる。
それだけで、幾分か料理に前向きになれるものだ。
「そういう意味じゃ俺と大河は一人暮らし経験者みたいなところあるし、分かり合える部分も多いのかもな」
「そう、でしょうか……」
「さぁ、知らん。かもなって話。メイビーだ」
「なんて適当な」
「いいだろ別に、今日は休みの日なんだからさ」
最近は、ちょっとばかしキリキリと頑張りすぎていたように思う。
相手が相手だったのでしょうがないことではあるけれど、せめて休日くらいはきちんと休むべきだった。
部屋に戻って腰を下ろし、ぐぐーっと伸びをする。
「いっそ、このまま寝たいくらいだ。最近は、マジで寝不足だったからなぁ」
「それって……私のせい、ですよね」
「そうだなぁ」
違う、と嘘をつくのは違う気がした。
それでは大河のためにって思って不器用で身勝手に費やした時間を否定してしまう気がしたから。
「大河のせいじゃなくて、大河の《《ため》》だよ」
「――ッ」
くふ、と堪えていた息を零す大河。
そのまま彼女は、しょぼしょぼと呟く。
「今日の百瀬先輩は、ほんと……なんなんですか。気障な台詞ばっかり吐いて、かっこつけて」
「それは、まぁあれだ。かっこつけにきたんだよ、俺」
「……私にそんなことしても、意味ないですよ。そもそも、それにしてはかっこついていないですし」
「そんなの、百々承知してるよ。それでもかっこつけにきたんだ。かっこよく思われたいからな」
「なっ……どうして」
大河は、絞り出すように、落とし物をするように、そう口にした。
どうして。
俺はきっと、真っ先にその答えを口にすべきだったのだと思う。
「大河が好きって言ってくれたから、だよ」
「――……っっ」
ああ、本当にかっこ悪い。
でもさ、しょうがないだろ。今の俺にある答えはこれだけなんだから。
「今かっこつけるのも、大河を生徒会長に推すのも、それからそれ以外の大河にしたことも全部、ぶっちゃけるとそれが理由なんだよ」
「っ、なんですか、それ」
「ほんとそれな。けど、しょうがないだろ? 好きって言われたら、意識しちゃうし。それが見どころがあるなーって思ってた、しかもとびきりの美少女の後輩なら尚更だ」
「~~っ?!」
「『好き』とか、そういうのはまだ分からなくても……それでも、好きって言ってくれた女の子の前でかっこつけたくなるのはしょうがないだろ。力になってあげたいって思うのは、しょうがないだろ。男の子なんて、そんな生き物なんだから」
最低だよな。まだ大河に『好き』をあげられるわけじゃないのに、それでもかっこつけたがるなんて。
でもさ、それでもかっこつけたかったんだよ。いいところを見せたかったんだよ。
大河はきっと、姉と対等になりたいんだろうな、って思った。何か一つでも勝てるところがあるって言いたいんだろうな、と。
大河にとってそれが、もしかしたら生徒会長なのかもしれなくて。
ならたとえ茨の道でも、応援したい、って思った。
「でも――俺にとって、大河は軽く憧れの存在で、手が届かない存在だったんだよ。だからせいぜいできるのは背中を押すぐらいだろうって、勝手に決めつけてた」
「私が憧れ、ですか……?」
「そう。だってさ、大河は俺を叱ってくれただろ? あれがもう、俺にとってはヒーローみたいだったんだよな。夏休み、ずっと話を聞いてくれて。会えた回数はほんと少ないけど……傍にいてくれたおかげで、すっごい救われた」
臭い言葉を吐いてるな、と思う。
でもいいんだ。
今日はかっこつけにきたんだから。
これは負け犬の遠吠えなんだから。
「けど、その憧れのせいで、大河の意思を確認しようとしなかった。向き合おうとしなかった。そのせいで――こうなった」
「別に、今回のことは百瀬先輩のせいじゃないです。私がもっと早く諦めていたら、それで済んだ話なんですから」
「それは、うん、知ってるよ。早々に諦めてたら、こんな大敗せずに済んだ。大河が副会長になったところで、変わらないもんな。つーか、それが自然なんだと思う」
世の中には秩序があって、順番がある。
「だからもう、過去の話はやめよう。後悔なんてしたってしょうがない。反省したらごめんなさいしてリスタート。そうしなきゃ、俺なんて恥の多い人生すぎてやばいぜ?」
「なら……何を、話すんですか? これからの話ですか? 明後日から、また頑張ろうって? そんなの……無理ですよ。雫ちゃんにも澪先輩にも手を貸してもらって、それでもあんな風になっちゃったのに、まだ諦めずに頑張るなんてできません」
「普通そこは、手を貸してもらったからには諦められない、っていうところじゃないのか?」
「それは……勝つ見込みがあるときだけの話です。もう、無理じゃないですか。今から頑張ったところで、皆さんの手を煩わせるだけです。嫌なんです。迷惑を、かけたくないんです」
大河の声は荒々しいのに、弱々しかった。
そんな彼女の様子に苦笑し、肩を竦める。
「あほ、先走り過ぎたっつーの。誰もそんな話してないだろ」
「なら……なら、なんなんですかっ! こんなタイミングで来て、私にどうしろって言うんですか……っ」
大河の切迫した言葉に、しかし、俺は溜息をついた。
はぁぁぁぁぁ、と。
「大河ってさ、モテないだろ」
「……っ! また、ふざけて――」
「ふざけるよ、当たり前だろ。俺はシリアスな人生相談をしにきたんじゃない。大河を口説きに来たんだからさ」
ギリリ、と大河は睨んでくるけれど。
知ったことか。
そんなにも優しい眼力で怯むはずがないだろ。
「俺は聞きたいんだよ。入江大河っていう一人の女の子が何をしたいのか、をさ」
「そんな……そんなことに、なんの意味があるんですか」
不安げに揺れる瞳には、紛れもなく俺が映っていて。
試されているような気がした俺は、それまでと同じように、心からの言葉を手向ける。
「俺が嬉しい」
「は?」
「俺が嬉しいんだよ。大河のしたいことを知れて、俺がちょっと嬉しい。んで、もしもそのしたいことに手を貸せるなら、もっと嬉しい」
「……それだけ、ですか」
「失礼だな。これはでかいぞ? 俺が嬉しくなると、何だかんだ機嫌がよくなって雫とか澪に普段できないことをする気がするから、あの二人も機嫌がよくなるかもしれない。雫と澪が機嫌がよければ学校の奴らにも影響があるからな。学校全体の空気がよくなって、いじめとか仲間外れが減るかも。誰かがちょっぴり優しくなって、困ってる人に声をかけるかもしれないな。転んだ子供に手を貸したのがきっかけで、その子供が大きくなったときに優しい人になるかもしれん。そうしたら、社会は少し、優しくなる」
「どうしてそう、意味の分からない屁理屈をぺらぺらと……バタフライエフェクトだって、もっとまともですよ」
「そうか?」
くしゃっと笑った俺は、ならさ、と口を開いた。
「ちょっとだけ、大河のことが好きになる」
――本当に、無意識だった。
もっと別のことを言うつもりだったんだ。当たり前だろ。こんなの、あまりにも最低すぎる。
けど、口にした瞬間、確信してしまった。
俺は大河のことを、ちょっとだけ好きになる。
まだ恋には遠いかもしれないけれど、きっと今までよりも大切にできる。
「だから、話してくれないかな」
「…………ももせ、せんぱい」
「うん」
「そういうの、ずるいです。なんでいつも、いつも、いつも……わたしは、がんばってるのに。がんばって、わすれようっておもってるのに」
「うん」
「わたしは……わたしは……っ」
ぽた。ぽた。
大河は、泣いていた。
号泣じゃない。滲むような、ちっぽけな涙だ。
小雨だから傘を差す気にはなれない、そんな涙。
うん、うん、と優しく頷くと、大河はぽしょりと呟いた。
「したいことは……分かんない、ですけど。したくないことはいっぱいあります。聞いてくれますか?」
「もちろん。いつまでも、聞いててやるからさ」




