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六章#35 LOSING DOG

 SIDE:友斗


 思い立ったが吉日。

 昨日雫に色々と言われて、恥ずか死にそうになりながらも何とか眠り、そうして目を覚ましたのがついさっき。

 目覚ましがてらシャワーを浴びているとき、大河の家にいこう、と思い立った。


 雫と話して、大河ときちんと向き合うべきなのだと気付いてはいた。

 が、流石に昨日の今日で行くのは早計すぎる気もするし、大河だって暫くは放っておいてほしいんじゃないか。

 そう頭では分かっているくせに、それよりも先に大河を驚かせる作戦ばかりが頭に浮かんで、気付けば着替えて家を出ていた。


 メリーさんごっこは案の定大河を驚かせることができて。

 しかし、断られることを危惧して駅前や公園といったステップを省いていきなり『家の前』から始めた結果、ぴしゃりと大河にお説教されてしまった。


【しずく:先輩、ばかなんですか?】

【MIO:ばかなの?】


 俺と雫と澪。

 三人で作ったRINEグループでその旨を報告すると、二人から同じ反応が返ってきた。二人とも家にいるはずなんだし、わざわざ別々に同じ感想を送ってくる必要なくない?

 まぁそれはともあれ。

 二人に思いつきまみれの案を伝えていると、30分が経過した。


【ゆーと:じゃあ、そろそろ時間だから行くわ】

【MIO:別の女との待ち合わせの時間に二人の美少女と話すとはいいご身分だね】

【しずく:ほんとですねー。これでちゃんと話してこなかったら、おうち入れてあげませんから】

【ゆーと:分かってるっつーの】


 当たり前だろ、もう逃げたりしない。

 強敵相手に『逃げる』コマンド連打したところで、逃げられないうえにノーガードでダメージをくらうのがオチなのだから。

 スマホをしまって再度大河の家に行き、こんこんこん、と戸をノックした。


「もしもし、私メリーさ――」

「しつこいです。そういうの、大声で言おうとするのやめてください」

「ふっ。引きこもられたら困るなぁって思ってさ」


 言い終わる前にがらっと扉を開けた大河を見たら、自然と頬が緩んだ。

 ああよかった、大河だ。

 化粧は……いつもと違いが分からん。そもそもしてたってことにも気付かなかったし。服は、パジャマほどじゃないが、部屋着っぽい。薄いピンクのトレーナーと明るい茶色のハーフパンツが、可愛かった。

 髪はいつものように、高めのポニーテールだ。


「おはよう、大河」

「今はもうお昼すぎですよ。こんな時間まで寝てらしたんですか?」

「いやそうじゃないんだけどな……ほら。最近は大河と会ってから一日が始まってたからさ。さっきまではまだ、始まったなって感じがしてなかったんだよ」

「っ……そういうの、セクハラだと思います」

「の、割には嬉しそうだけど?」

「……っ! セクハラ加害者は、皆さんそうやって都合よく解釈なさるそうです」

「さいですか。ならすまん。……けど、本当に大河と会えて嬉しいんだよ。もう大河は、俺の日常の一部になってたんだな」


 夏休み、絶えずRINEをして。

 夏休みが明けたら生徒会の手伝いで一緒にいて。

 それが終わったら、選挙活動をやって。

 一緒に住んではいないけど、一緒の時間はとても長かった。


 大河は何とも言えない顔をすると、口元だけをふにりと歪め、こちらに背を向けた。


「玄関で話すのもなんですし、とりあえずお入りください」

「おう、悪いな」

「本当に悪いと思っているなら帰っていただきたいですね」

「その、代わりばんこで俺に対して冷たくなるのやめてくんない? 俺も割とメンタル弱いのよ? そういうとこは澪に似てるよな……」

「べ、別に、冷たくしてるわけじゃ……ごめんなさい」


 しゅん、と罪悪感を背負ったような顔になる大河。

 なんと大袈裟な……。俺は苦笑しつつ、首を横に振った。


「そこまで気にすることねぇよ。こっちこそ、急に押しかけてすまん。でもって、急いで準備してくれてありがとな」

「いえ……」


 ぷいっと顔を背けて、大河は家に入っていく。

 俺も靴を脱いで、その後を追った。

 この距離感も……いいな。



 ◇



「それで、百瀬先輩は何をしにきたんですか」

「その前に聞いていいか?」

「……なんでしょう」

「どうして部屋に通されたんだ? 普通にいつもの居間でいい気がするんだけど」


 家に入ると、俺は以前風邪を引いた大河を運んだ部屋に通されていた。

 ミニテーブルに二人分のコーヒーを置いて向き合ったところで俺が聞くと、大河はばつが悪そうに顔をしかめる。


「それは、その……30分では、足りなくて」

「足りない……あぁ。っていうか、そんなに散らかってたのか? この前来たときはそこまで酷くなかった気が」


 と考えて、思い出す。

 前回は普通に大河の風邪とか言われたこととかで頭がいっぱいで、この部屋と台所以外に意識がいかなかっただけだ。視界の隅に捉えていた部屋をあえて細かく思い出してみると、確かに意外と散らかっていた気がする。


 そんな俺の思考を読んだのか、大河は見る見るうちに顔を赤くしていった。

 ついくすっと笑うと、赤面したままギロリと睨んでくる。


「先ほど、散らかったままでもいいって仰ってたのはどなたですか」


 その声は、拗ねる子供みたいな声で。

 あんまりに可愛いものだから、ついついにやけてしまう。


「別にダメなんて言ってない。むしろ、意外性込みでポイント高いな」

「っ。何のポイントですか」

「Uポイントってところかな。100ポイント貯まると何でも一つ願いが叶う。ちなみに、もう既に300ポイントくらい貯まってるぞ」

「そんなにあるなら、ありがたみゼロです」

「それな」


 あえて冷たくしようとしているのか、声が妙に固い。

 私怒ってますって言っているみたいな声色が可笑しかった。


「まあ片付けが間に合わなかったならいいけど。女子的に、部屋に男子を招き入れるのはいいのか?」

「…………それ、百瀬先輩が言いますか?」

「あー。うん、それはまぁ、そうなんだけど。いざ『いつもここに寝てるんだな』とか思うと、居た堪れなくなるって言うかさ」


 言うと、大河は複雑そうに顔を歪めてから答えた。


「別に、いつもここでは寝ていないです。ほとんど居間に布団を敷いて寝てるので」

「ほーん……? いい感じのベッドがあるのに、なぜ?」

「それは、その……寝すぎてしまうので。寝心地が悪いくらいの方がいいんです」


 堪らず、俺はぷっと吹きだした。

 なんだそれ。けらけらと笑い続けると、大河はムッと眉間に皴を寄せた。


「そんなに笑うことないじゃないですか」

「いや、笑うところだから。お前どこの社畜だよって思ったら、可笑しくてな」

「社畜って……別に、そんな大層なことしてません。生徒会のお手伝いとか、勉強とか、この前までは文化祭とか、最近なら選挙のこととか、考えなきゃいけないことが多くて。家事と両立するためには、こうするしかないってだけです」


 真面目腐って言うのを見て、なるほどな、と思った。

 どうやら俺は、本気でこの子のことを神聖視しすぎていたらしい。

 俺の間違いを指摘してくれたから、強くて眩しくて、どこまでも正しい子だと思っていたけれど。

 きっと、そうじゃなかったんだな。


 まずは、分かり合うことから始めなきゃいけない。


「そんなに大変なら、どうして一人暮らしなんて始めたんだ? 姉の方は、実家暮らしなんだろ?」

「それは……自立、したかったんです」


 白状するように、大河はぽつりと言った。


「私、姉に勝てたことがないんです。勉強も、運動も、カリスマ性とか、演技とか……あの人はいつも凄くて、家でも比較されて、自分でもあの人と自分を比べてしまって。敵わない、って思って」

「うん、それで?」

「嫌だったんです。姉を見て、後ろめたく思うのが。こんな妹でごめんなさい、って思いたくなくて……一人で生きていけたら、少しは後ろめたさは消えるのかもって」

「なるほどな」


 やっぱり、と思う。

 大河は入江先輩に、劣等感を抱いていた。これは俺が思っていた通りだったのだ。

 いつぞやの園芸部での一件から考えても察しがつくし、そうでなくとも、優秀な妹とチート性能な従姉がいる俺には分かる。


「きついよな、優秀な家族がいるのってさ」


 気付けば俺は、そう口にしていた。

 え、と大河が目を丸くする。俺は自分が何を言おうとしているのか、何を伝えたいのかを探るように、ゆっくりと続けた。


「話しただろ、俺の妹のこと」

「……美緒ちゃん、でしたっけ」

「そう。あの子が死んだのは、小三の春でさ。実際に生きてたのは八年くらいで、小二の頃までの成長しか見れなかったんだけど。それでも、凄かったんだよ。めっちゃ頭よくて、きっとあのまま成長してたら時雨さんでも敵わなかっただろうなーってくらいに」

「そう、なんですか」


 用意してくれたコーヒーを口にして、その苦みに甘い笑みが零れた。


「それに、身近に時雨さんがいるからな。あの人に敵うこととか、マジでないし。なんならつい昨日、完全にしてやられたし」

「あっ、あれは私が――」

「いやいや、あれは完全に俺のミスだから。時雨さんの思惑通りに動いて、結果として()()をかけられた。マジで完敗だわ。チート性能すぎて、ロシアの血が恨めしい」


 一晩経った今だからこそ、はっきりと言える。

 俺は()()をかけられた。一から十まで時雨さんの掌で動かされたのだ。

 考えてみれば、である。

 立候補挨拶のときにあえて討論会のことを意識させるような発言をしたのも、俺が策を弄そうとすることを狙っていたんじゃないか。


 そういうやり方をしかねいほどに、時雨さんは飛びぬけて優秀なのだ。


「それはさ、大河も同じなんだよな」

「えっ……?」

「大河にも、俺は敵わないな、って思うことがある。クソ真面目なところとか、真っ直ぐなところとか、優しいところとか」

「そんなこと! ……ないです」


 後ろに行くにしたがって声が小さくなる。

 揺蕩うコーヒーに視線を落とした大河に、俺はふっ、と微笑んだ。


「だよな」

「へ?」

「だよな、って今日改めて思ったよ。きっと俺は、大河に幻想を押し付けてたんだろうな」


 大河は、美緒に似ていた。

 真っ直ぐなところが似ていて、だから無意識のうちに、大河を見る目に憧れが混じっていたのだと思う。

 

「だから、今日は話に来たんだ。

 入江大河と百瀬友斗。負け犬同士、吠え合おうぜ」

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