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六章#32 BAD END

 全てが終わった。

 紛れもないBAD ENDだった。

 俺は、全てを間違えたのだ。夏に間違いを正し、今度こそ間違えずに進もうと思っていたのに。


 結局分かり合うことから逃げ、ただ目の前にあることに集中して。

 最悪の終わり方をしてしまった。


 討論会は、あっさりと幕を下ろした。

 投票の結果は聞いていないが、おそらくサッカーで決まりだろう。最終的には如月までもが野球を延長版の球技大会で行った方がいい、というような文脈で話したのだから当然だ。


 事実、授業の球技大会ではサッカー、延長版では野球をやるのが合理的だ。これが逆だと、そもそも延長版ができなくなる恐れがある。

 それを分かっていながら球技大会の延長を企画し、しかもこちらよりも遥かに広く深く根回しをし、最後には討論会よりもよりよい学校生活がいいなどと宣った如月には、完敗の一言だ。


 否、おそらくだが、今回のアレは全て時雨さんの策だろう。

 俺の手を読み切り、その上で完全なる上位互換である策を繰り出されたのだ。こう言っては申し訳ないが、如月では思いつかない。これは紛れもなく時雨さんのやり口だ。


 あまりにも、と思う。

 これは酷すぎる。オーバーキルだ。普通のやり方でも勝てる可能性は大いにあるのに、ここまでする必要があるのか、と。

 けれど、とも思う。

 この程度で躓いていては、一年生の大河が会長になるのは難しいのだ。だって、この先、彼女は時雨さんと比べられることになる。今回球技大会についての案が比較されてしまったように。


 討論会が終わった後、俺は家に帰った。

 大河に話しかけることは躊躇われて、それでも話しかけようとして、


「ごめんなさい。今日は、帰ります。百瀬先輩に会わせる顔がないです」


 と言われてしまった。

 時雨さんたちとは、話す気になれなかった。

 話したら当たってしまう気がした。酷すぎるだろう、と。

 否、当たることが怖かったのではない。当たった後に、冷静な時雨さんに言われるのが怖かったのだ。


 ――キミが考えたプランのせいでしょ


 って。

 おそらく時雨さんは、俺が球技大会について余計な口を出さなければ、あんな手を取るつもりはなかったのだろう。如月にも、大河が案を出さなければ口にしないように言っていたに違いない。こちらが何も言っていないのに急に新しい案を出したところで、あっちにメリットはないのだ。

 逆に、こちらが何かを言ったからにはあっちも対応しなければいけない。だからカウンターとして、策を読み切った手札を用意しておいた。それだけなのだ。


 つまり、このオーバーキルは俺のせいで。

 俺が大河に手を貸したせいで、大河は余計に傷ついた。


 ううん、それだけじゃない。

 俺が大河を応援しなければ、こんな風に傷つけずに済んだ。素直に副会長の座を薦めればよかった。或いは、また二人で助っ人として参加してもよかったのかもしれない。


 夕食を摂るとき、澪や雫は「大丈夫?」と聞いてきた。

 けれど、大丈夫じゃないなんて言えるわけがなかった。俺が全て悪いのに暗い顔をしていたら、手を貸してくれた二人を裏切ることになる。


 折角作ってくれたカツを食べても、風呂に入っても、テレビでやっている映画を見ても、体がどうしようもなく重くて。

 二人が部屋に戻るまでは部屋にこもって、ずっと大河に連絡を続けた。


【ゆーと:今日はすまなかった】

【ゆーと:完全に俺の失態だ】

【ゆーと:大河は完璧にやってたのに】

【ゆーと:本当に、ごめん】


 既読はついている。

 でもいつかみたいに、返信がないから体調を心配する、なんてことにはなるはずがなかった。返信がなくて当然なのだ。


 今でも耳に残っている、大河に向けられたたくさんの言葉。

 如月と大河を比べて、大河じゃダメだ、と断じる言葉。

 あんな場でそんな言葉を向けられたら傷つくに決まっている。悪意ではなく真実だから、言い訳なんてちっともできなくて、じくじくと胸が膿むのだ。


 ――それでも、大河を離したくない。


 途中式なんてすっ飛ばして答えだけが存在し、それゆえにみっともなくメッセージを送り続ける。


【ゆーと:来週からのこと、話し合おう】

【ゆーと:電話してもいいか?】

【ゆーと:明日でもいい。一度、きちんと話をしよう】


 既読はずっとついている。

 見てはくれているんだな、と思う。それだけ大河は律儀で、いい子で、クソ真面目なんだ。

 そんな子を、俺は……。


「くそっ」


 何が来週のことだ。来週、何をすればいい? アホか。もう詰んでる。この状況を覆すことができるのは頭脳バトルモノの主人公くらいだ。あいにく俺は、そんな世界には生きていない。


 そもそも、覆すべきなのかすら定かではない。

 きっと、全てを終わらせる前の如月のあの瞳は、哀しさを堪えているものだったのだと思う。大河が傷つくことを知っていて、そのうえでああいうやり方を取った。

 大きい傷をつけるくらいなら、今のうちに、って。

 その思いを踏みにじって、なおも大河を生徒会長に推す理由がどこにもない。


 そうだ、どこにもないのだ。

 入江大河が生徒会長になる確固たる理由は、どこにもない。

 俺は大河の頑張るところが見たかっただけで。

 そんなの、どう考えてもエゴの押し付けで。

 なら俺は―――。


【ゆーと:本当にごめん】

【ゆーと:声だけ聞きたい。ダメか?】


 なら俺は、何をしてやれるのだろう。

 大河の手を離さないために。

 最低な俺の最低さを指摘してくれた、強くて優しいあの子のために。


「ああ、くそ……ッ」


 悔しい。悔しい、なぁ……っ。

 まだ、強くなりきれてなくて。弱くて、ださくて――悔しい。


【ゆーと:何でもない】

【ゆーと:ちゃんと飯食って、温かくして寝ろよ】

【ゆーと:そうしないと風邪引くぞ】


 既読がつくかどうかは、確かめなかった。

 確かめる前にスマホをベッドに放って、部屋を出る。ふらふらと体を引きずるようにリビングに降りて行った。雫も澪も、寝てくれたらしい。真っ暗だった。


「ははっ」


 なんでリビングなんかに来たんだろう、って考えて。

 美緒に縋りに来たのだと気付いて、自嘲した。太腿にごつんと拳骨を食らわせて、最悪の甘えを咎める。

 代わりに倒れ込むようにソファーに腰かけて、暗闇の奥の天井を見上げた。


「考えないとな」


 せめて、考えないと。

 大河がまだ頑張りたいと言ったときに、ラスト一週間で打てる手を。

 道理がなくとも、屁理屈すら覚束なくとも、あの子の正しさを邪魔してはいけないから。


 表層的な人気では、まず間違いなく勝てない。時雨さんと入江先輩の二人に対して澪が叶うかと言えばそうではないし、そもそもスタートダッシュで遅れてしまった。


 公約の面でも、勝てていない。今から帰ることは不可能だし、やれるとすれば、一つ目の公約を強引に拡大解釈してミスターコンテスト開催と繋げることだろうか。あまりにも邪道すぎて効果があるかは不明だが。


 あとは……この際、どうだ。俺がいなかったら前の生徒会は大変だっただろ、とでもスピーチしてみるか。俺の評判は地の底に落ちるだろうが、推薦人を雫に任せればなんとかなる。


 もっと絡め手で、SNSでも使うか? 陰湿で卑怯にやれば、今からでも勝ち目があるかもしれない。

 後半二つの問題点は、大河に悟られないことだな。あいつは絶対にNOを出すし。


「だせぇ……どこの自己犠牲ヒーローだよ」


 汚れ仕事は自分でってのは、あまりにもかっこつけすぎている。

 自身を嘲笑う声は思いのほか大きかったらしく、真っ暗なリビングにひんやりと響いた。


「本当ですね。さっきからぶつぶつ独り言呟いたり、溜息ついたり、そーゆうシリアスな空気は先輩に似合わないですよ」

「――……ッッ⁉」


 ぱちん、と四段階のうちの三番目に明るい電気が点いた。

 雲に隠れた夕焼けみたいなLEDの灯りは、微睡みのようにリビングを包む。

 聞き馴染んだ明るい声は、それこそ、生まれてからずっと空にいる太陽みたいだった。


「あーあー、ひっどい顔。美少女二人と同棲してるんですから、もうちょっと見た目に気を遣ってくださいよね」


 つーっ、と。

 気付くと頬を、()が伝っていた。

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