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六章#31 チェック

 ――それから、25分ほどが経った。

 戦局は、イーブンといったところ。今のところ大河も致命的なミスをしているわけじゃないし、逆に決定的な一手で攻めることができたわけでもない。

 しかしそれでいいのだ。

 二年生の先輩と対等に討論している。それだけで大河の株は上がるし、来週に繋がる。あとは最後の一手で『おかわり球技大会』の話を出せばいい。そのための伏線も、ところどころに仕組んでいた。


 おかげで、周囲の反応もそれなりだ。

 激戦とはいかないまでもかなり実のある議論ができているため、感心した風に目を向けている面々も多い。


「――双方ともに質問がないようなら、質問時間はここで終わりにします。よろしいでしょうか?」


 司会者の言葉に、大河と如月は頷いた。

 制限時間よりは早めに終わったが、別に特殊な事例ではない。質問を出尽くしてるのにダラダラと続ける方が見え方が悪いからな。下手に延ばして失言してしまう方が恐ろしい。


「分かりました。では今から5分間、結論をまとめる時間をとります。討論を踏まえて補足したい事項などがあればこの時間にまとめ、改めて後程発表してください。討論者以外の生徒は5分間休憩となります。但し、緊急の用事でない場合にはその場からなるべく離れないようにしてください」


 アナウンスを聞き、ステージ上の二人の空気は強張り、全体の空気は弛緩した。

 その対照的な変化にもどかしくなりつつも、俺はその場で祈る。どうか作戦が上手くいきますように、と。


 ぶるる、ぶるる。

 少し待っていると、胸ポケットに入れていたスマホが振動した。このタイミングで……? SNSとかスマホゲーの通知か?

 不思議に思いつつ一応確認して、驚いた。


【rain:終わったね】


 rain――即ち、時雨さんからのRINEだった。

 あの人は、あまりメッセージを送ってくるタイプではない。誕生日のときとか、その他どうしてものときじゃない限りは口頭で伝えてくる。

 まして、わざわざこのタイミングでメッセージを送ってくるなんて、時雨さんらしくはない。


【ゆーと:まだ終わってないよ】

【rain:おや、なにか企んでる返信だね】

【ゆーと:企まないと勝てないからさ】


 何も終わってはいない。

 討論会も、生徒会役員選挙も、何一つ終わってはいないんだ。

 大河は努力した。澪や雫も手伝ってくれた。俺だって、人事を尽くした。

 だからきっと――


【rain:ならこの負けを踏まえて、また企んで】

【rain:大河ちゃんを離しちゃ、ダメだよ】


 は……?

 一体、時雨さんは何を言って――


「――それでは時間になりました。これから最終弁論を始めます。最終弁論は先ほどの逆、一年A組入江さんから始めてください」


 考えている間に、討論会が再開してしまった。

 ジリジリと胃からせりあがってくるような嫌な予感に顔をしかめ、掌にかいた汗を握る。

 はい、と返事をしてから、大河は最終弁論を始めた。


「改めまして、一年A組入江大河です。私は――」


 それから、大河は説明し始める。

 まずは最初に述べた二つの理由。それに、如月からされた質問を踏まえたうえでのカウンター的な意見を付け足していた。

 即興にしてはかなり出来がいいと思う。これまでのことを全部忘れ去ってこの討論会だけで判断するのなら、大河が勝っていたかもしれない。


 が、時雨さんにも告げたように、まだ終わりではない。

 これはあくまで、来週への布石なのだから。


「――以上の理由から、球技大会にはサッカーを実施すべきであると考えます」


 終わったか。

 そう言いたげな空気を引き締めるように、強く強く、


「しかし」


 と大河は続けた。


「如月先輩との討論を経て、そしてそれ以前に野球をやりたい人が大勢いることを踏まえて、私は本来ならば両方の競技をやるべきだとも思いました。野球もサッカーも、非常にポピュラーな競技です。本校の校風を鑑みても、行事に係る活気は非常に大切なものでしょう。そこで私は、一つ提案をしたいと思います」


 弛緩していた体育館中が、僅かに騒めく。

 その騒めきは、次第に伝播し、ざわざわ、ざわざわと騒がしさへ変わっていく。

 ゆえにこそ、一本槍の如き大河の言葉が突き刺さる。


「球技大会は、予定では15:00に終了するそうです。その後、各クラスの希望者で生徒会主催の球技大会を行うのはどうでしょうか。希望者のみの参加ならば、時間の目途が立ちにくい野球でも問題なく行えるのではないか、と考えます」


 終わるのはだいたい19時頃になるだろうか。

 そうなってくるとやや遅い時間になるが、この時期でもグラウンドで練習できるようにナイター施設は整えられている。希望者のみの参加であれば、問題はないだろう。


「おおおおお!」「ありじゃね?」「割とありっしょ」「延長かー、うーん」「けど折角だし野球もやりたいかも」


 うんうん、手応えもある。

 行事に前向きなうちの校風がちょうどよく追い風になっているみたいだ。

 追い打ちをかけるように、大きく息を吸った大河が口を開く。


「実は、このことについて、実施の可否のみではありますが先生方に確認させていただきました。そうですよね、有馬先生?」


 大河の視線の先には、ガタイのいい男の先生がいる。

 全校生徒の視線がそちらに集まったところで、有馬先生は深く頷いた。


「まだ詳しいことは何にも言えんが、企画書はよぉく練られていたからな。もし本気でやる気なら先生たちも応援しようじゃないか」

「「「「FOOOOOO!」」」」

「――先生、ありがとうございます」


 アホな陽キャが盛り上がりを見せ、ノリを作ってくれる。

 大河を支持する空気が、着実にできていった。

 決定的だ、とは言わない。だがこの一手で切り開いた可能性をあと一週間で強引に広げることができれば、きっと――。


「そして、このことがあるからこそ、授業としての球技大会ではなるべくスケジュール通りに進行するサッカーを行うべきだ、と考えます。

 私からの発表は以上になります。ありがとうございました」


 光が、見えた。

 大河は晴れ晴れとした表情でパイプ椅子に座る。それでも未だに熱は残っていた。ちらほらと「あの子よくない?」「割と可愛いしな~」「一年生なのに頑張ってるじゃん」と好意的な反応が聞こえる。


「続いて、二年F組如月さんの発表です。討論者以外の方は、静かにしてください」


 司会に呼ばれて、壇上に立つ如月。

 彼女と、不意に視線が合う。八雲を見ていた……わけじゃ、ないはずだ。

 眼鏡の奥でキャンディーのように転がる瞳は、不思議と苦くて寂しげだった。まるで、コーヒー味みたいに。


 口の中に、生徒会室で飲んだコーヒーの味が広がった。

 大河はよく、コーヒーを入れてくれた。俺にも、如月にも、時雨さんにも。

 春先に見習いとして入ってからはずっと、生徒会みんなの妹分みたいになっていたように思う。やめてしまった二年生二人とはそれほど仲良くなかったが、それでも充分に可愛がられていた。


 ――まずい


 直感的に思った。

 俺は色んなものを読み違えてしまった。

 根拠のないその直感に、如月の言葉が呆気なく根拠を与える。


「ここまでの討論にお付き合いいただき、ありがとうございます。改めまして、二年F組の如月白雪です。本来ならば野球の利点を挙げるのが筋なんですが……ふふ、ごめんなさい。可愛がっていた後輩と、まったく()()ことを考えていたのが嬉しくて」


 ぴりぴりと、頭の奥が痺れる。

 嫌になるほど苦い痺れだ。生徒会室で飲むブラックコーヒーよりもずっと苦い。

 それでも如月は、告げた。


「実は私も、入江さんと同様に生徒会で球技大会の延長ができないか、って考えていたんです――って、これではよさそうな意見に便乗しているように見えてしまいますね。でも安心してください。私と入江さんのは、完全に別口です」


 如月は、どこからかファイルを取り出した。

 全体に見えるようにそれを掲げると、ふっ、と笑う。


「ここに、校長先生、各学年の学年主任の先生、体育科の先生、野球部の顧問の先生、野球部長さん、球技大会当日と翌日にグラウンドを使う部活動の部長さんにお伺いを立てた結果が書かれた、書類があります。まだあくまで企画段階なので詳細な話はできていませんが、皆さん快く受け入れてくださっていました」


 加えて、とファイルを置きながら言った。


「新規生徒会だけでは急遽の球技大会を上手く運営できないことも考え、現在の生徒会長である霧崎時雨先輩に手伝っていただくつもりです。この点についても先輩にご了承いただいています」

「すげぇ」「完璧じゃん」「流石じゃね」「やっぱ二年生だわ」「それなー」「やっぱり一年生には早かったんでしょ」「経験って大事だしねぇ」


 ゾッとした。

 こうもあっさりと、人の作戦を逆手に取ることができるのか。

 こっちのプランを提示させ、格の違いを示して。


「――と、ごめんなさい。討論会の趣旨に反してしまいましたね。しかし私は、討論会本来の在り方以上に、学校生活がより楽しくなることが大切だと思います。なので……これくらいのおイタは許していただけると嬉しいです。以上で終わります」


 かくして、如月白雪は。

 如月白雪と霧崎時雨は、俺たちのプランを上回り、俺たちの選挙戦にトドメを刺した。

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