六章#28 静電気
――で、二時間ほどが経ち。
あれから二人は、三戦ほど討論を行った。討論に慣れる目的もあるため二戦目からは議題を変え、熱戦を繰り広げている。
現在は、澪が二勝、大河が一勝という感じ。勝敗の判定は俺が行っているが、誓ってどちらかを贔屓したりはしていない。どちらも頑張っているのだ。
四戦目を始めようとしている二人をよそに、俺は席を立つ。そろそろいい時間だからな。何か昼飯を作ろうと思う。
料理を雫に習い始めて、もう半年近くになる。
元々ほとんどしてこなかったこともあって、まだ雫や澪のようにとはいかないが、レシピをいちいち確認しなくとも作れる料理が増えてきた。日常的にやっているおかげで、冷蔵庫を見て何を作るかを考えられるようになったしな。
やべぇ、俺って超成長してない……⁉
自画自賛じみた思考に陥るのは、マジで深夜テンションだからである。
『おかわり球技大会』の企画書や先生への説得資料、その他の選挙準備などをしているせいで最近は少々寝れていない日が続いている。多少はテスト勉強もしておきたいしな。
「って、寝てない自慢はださいな」
ぽつりと呟き、コップに並々と注いだ蛇口の水を飲み干す。
口元についた水をごしごしと拭い、エプロンを着けてから冷蔵庫を漁った。
「この感じなら……ナポリタンか?」
ベーコンとか野菜はあるし、人数もいつもより多い。乾麺はあるので、ナポリタンが無難な気がする。冷蔵庫を見る必要あんまりないじゃんとか言ってはいけない。
ちなみに、ナポリタンは俺の中でプチ得意料理になりつつある。ミートボールを入れるだけで贅沢な気分になれるから割と好きなんだよな。ケチャップでならトマト食えるし。
さてと、じゃあやりますか。
最近は雫につきっきりで見てもらう必要はなくなっている。二回か三回に一回くらい見てもらい、それ以外のときには分からないところがあれば聞く、って形にしている。
そんなわけで雫には勉強を続けてもらい、俺はナポリタンを作ることに決めた。
ぶるる、ぶるる。
考えていると、スマホが震えた。RINEの通知だ。
【HARUHIKO:昨日のあれ。役に立ったか?】
相手は八雲だった。
いい奴だなぁと笑い、返信する。
【ゆーと:おう、もちろん】
【ゆーと:マジで助かった】
【ゆーと:如月より俺を選ばせて悪いな】
悪魔っぽいスタンプを送ると、すぐに慌てた犬のスタンプが返ってきた。
【HARUHIKO:別に友斗を選んだわけじゃねぇからな!】
【ゆーと:そうなのか?】
【ゆーと:八雲を寝取っちゃったかと思ってたわ】
【HARUHIKO:そんなことはぜってーないから安心するんだな】
きりっ、とイケメンのスタンプ。
はいはい、お熱いことで。
チクリと胸が痛んで、俺は少し真面目な文面を打つ。
【ゆーと:悪かったな。中立を破らせちゃって】
どう取り繕おうとも、如月の目的が生徒会長になることではなく大河をさせないことだとしても、八雲のしたことは如月への裏切り行為だ。それは変わらない。
昨日、いきなりRINEで頼み込んだのに、八雲はすんなりと受け入れてくれた。友達として嬉しい一方で、申し訳なさもある。
【HARUHIKO:気にすんなよ】
【HARUHIKO:友達としての雑談の延長だからさ】
そっか、と心の中で呟く。
【HARUHIKO:但し後悔だけはすんな。友斗は友斗らしいのが一番だからさ】
【ゆーと:いい奴かよ】
【HARUHIKO:いい奴だぜ!】
どーんと胸を叩くゴリラのスタンプ。
ぷっ、と吹きだした。いい奴すぎて笑える。RINEのニックネームと同じ名前で呼べたらな、と思う。
【ゆーと:じゃあ俺はやることがあるから】
【ゆーと:そっちも勉強しろよ。赤点になっても助けないからな】
【HARUHIKO:そこは助けてくれよ!】
もちろんだ、と返信して、スマホをポケットに入れた。
いつまでもスマホを弄っていては料理ができない。さっさと作ってしまおう。
「あれ……百瀬先輩?」
作業を始めようとしていたところで声をかけられた。
振り向けば、大河がいる。
「ああ、大河。どうかしたのか?」
「あ、いえ。お手洗いに……」
「なるほど」
そいつはデリカシーのない質問をした。
わざわざ謝る方が空気が読めていない気がするので、するっと流す。
「大河って嫌いなものとかあるか?」
「嫌いなもの……自分、とかですかね」
「え」
「え」
なんか思ってたより重いのが来た。大河なりのジョークか……?
「いやすまん。食べ物の話なんだけど」
「あっ……で、ですよね! すみません。エプロン着けてるんですし、料理の話に決まってますよね。でも――はズルいし、――から」
ぶつぶつと大河は何かを言うが、ほとんど聞こえない。顔も赤いし、詮索しない方がいいだろう。
「で、食べ物。ナポリタン作るつもりなんだけど、食えないものあるか? 嫌いなものじゃなくても、アレルギーとか」
聞くと、大河はふるふると首を横に振った。
だろうなぁ。好き嫌いとかなさそう。くすっと笑って作業にとりかかろうとするが、大河はまだこちらを見ている。
「えっと……大河? 用事でもあるのか?」
「用事はっ……ないです。ただ、百瀬先輩が料理をなさるのが新鮮で」
「あー、そういうことか」
「すみません。失礼なことを言いました」
「別に、気にすることじゃねぇよ。雫と澪と一緒に暮らすようになるまではほとんどしてなかったからな」
「っ。そうだったんですか」
大河は、にへらっ、と似合わない作り笑顔を浮かべた。
胸の、ずきんとした痛みの正体を掴めぬまま、ああ、と適当な声を漏らす。
「雫に教えてもらってるんだ。おかげで、それなりに食えるようにはなってるぞ。それでも男が作ったものを食べるのは嫌だって主義なら無理強いはしないけど」
「百瀬先輩は私をなんだと思ってるんですか……そんなこと言いません。百瀬先輩が千能なのは分かってますし」
「万能ではないのか」
「たまに抜けていることがあるのは、分かってますから」
それは、休日の朝に食べるマーガリントーストみたいにふんありとした笑みだった。
けれども、次の瞬間には、じゅうたんに落とすように霧散してしまう。
「私、そろそろ行きます」
「おう。場所は、澪から聞いたよな?」
「はい。では」
言うと、大河は今度こそトイレの方に歩いていった。
その背中を見送るのもおかしいので、俺は目の前の食材に目を落とした。
そして、不意に気付く。
オムライスとナポリタン。
この前メイド喫茶で頼んだメニューが揃ったな、と。
◇
SIDE:大河
「今日はありがとうございました」
夕方になり、私は百瀬先輩に送ってもらっていた。
断ろうとも思ったけれど、雫ちゃんにも強く言われてしまったから、できなかった――なんて、それが言い訳で、本当は百瀬先輩と二人でいる時間を取れたことが嬉しかったからなのだと分かっている。
本当に、自分が嫌いだ。
卑怯で、正しくなくて、弱くて、負け続きで。
だからせめて、と言い聞かせる。
百瀬先輩と私は、男女の関係ではない。上司と部下の関係だ。推薦人と立候補者の関係だ。そういうのじゃ、ないんだ。
家の前。
あぁ、と言いながら笑った百瀬先輩の顔は、夕日に照らされて綺麗だった。
「大河も、頑張ってたな」
「頑張るのは当たり前です。私のことなんですから」
「それでも、褒めたいって思う気持ちを否定される筋合いはないだろ?」
「……っ。そう、ですね」
そういうところが、ずるい。
まるで無理やり荷物を詰め込んだせいでしまらない引き出しみたいに、何度も何度も、想いが出てきてしまうから。
笑顔を繕って、私は、
「ありがとうございます。励みになります」
と答えた。
百瀬先輩の目が鋭くなる。
訝るような視線に怯みそうになりつつも、私は続けた。
「では、私は家に戻るので」
「おう。じゃあな」
「はい、また」
頭を軽く下げて踵を返し、家に入った。
戸を閉めたら、急に体に力が入らなくなる。それでもこんなところでへたりこんだら百瀬先輩が気付いてしまうかもしれないから、居間までは体を引きずっていった。
「勝たないと……勝たないと……っ」
百瀬先輩にも、雫ちゃんにも、澪先輩にも、手を貸してもらっているんだから。
私は、強く、強く、決意した。




