六章#26 事件は会議室で
街路樹の紅葉を見て、あぁ10月も中旬に入ろうとしてるんだな、と思った。いいや、日付だけを見れば既に入っているのか。
今年の秋は、かなりの優等生らしい。残暑も流石に退散し始める土曜日。
明日から四日間は中間テストが始まるわけだが、あいにく、今の俺にはテスト勉強に集中する余裕はない。睡眠時間を削って軽く復習してはいるが、今回ばかりは澪のライバルにはなれないだろう。
さてはて、そんな今日。
俺は駅前で待ち合わせをしていた。ちなみに多摩川駅にはとある公園があり、そこは都会とは思えないくらいに木々が茂っていて割とレジャー目的で来る人が多かったりする。
と、最近は地元ディスしてたからたまにはいいこと言ってみました。
「百瀬先輩、お待たせしました」
くだらないことを考えている間に待ち人が到着した。
まぁ待ち人なんて誤魔化し方をする必要はないな。大河である。
「別に、そこまで待ってねぇよ」
「そこまでって……待つことには待ったんですね」
「まぁな。でも待ってる間も作業してたから問題ない」
「そう、ですか」
嘘じゃない。
つーか、待っている間じゃなくても最近は割と作業が多い。選挙って何かと手間がかかるし、手間をかけないと如月たちには手も足も及ばないのだ。
「あの、百瀬先輩。今更なんですけどお宅にお邪魔してもいいんでしょうか……?」
「本当に今更だな、それ。昨日電話で話しただろ」
「それはそうなんですけど……でも、百瀬先輩たちのお宅は、百瀬先輩たちのお宅なわけですし」
「当たり前のことを言ってどうした」
妙に弱々しく渋る大河を見て、あぁなるほど、と俺は理解した。
「さては大河、初めて行く友達の家だから緊張してるんだろ」
「えっ……そ、そうですね。それは、あるのかもしれません」
「ふっ、流石はぼっちだな。だが安心していい。我が家に家族以外を招き入れるのも初めてだ」
厳密には、家族じゃなかった頃に澪を招き入れてたけれど。
それはノーカンってことでいこう。馴染みっぷりだけで言えばあの時点で家族感あったしな。
しかし、俺の説得は空しく、大河はまだ険しい顔のままである。
「だからこそ、困るんじゃないですか」
「困る……困るほどか? 心配性すぎるだろ」
「百瀬先輩には分かりませんよ。……分かっていただかなくて、結構です」
大河は何かを堪えるように唇を噛み、そっぽを向いた。
「ま、あれこれ言ってる時間もない。行くぞ」
「……はい。今日はよろしくお願いします」
どうしてテスト前だというのにこんなデート紛いなことをしているのかと言えば、理由は単純。
テスト後に控える討論会の準備をしなければならないからである。
◇
「お、お邪魔します」
「大河ちゃんっ! おっはよー!」
「う、うん……おはよう」
「先輩も大河ちゃんのお迎え、お疲れ様ですっ。おかえりなさい♪」
「あぁ。雫も出迎えごくろうさん」
挨拶もそこそこに、俺は大河と家に上がる。
大河はきょろきょろと新鮮そうに家を見渡していた。なんだか、傍から見ていてくすぐったい。それは雫も同じだったようで、二人で顔を見合わせて笑った。
「本当に三人以外はどなたもいらっしゃらないんですね……」
「まぁな。二人とも仕事が忙しい上に放任主義なんだよ」
「なるほど……三人、なんですね」
意味ありげに呟く大河。
その横顔を見ていたら胸が苦しくなって、咄嗟に口を開いた。
「ま、厳密には三人じゃないかもな。美緒は俺の心の中にいるし」
「……? そんなに、澪先輩のことが大切なんですか?」
「は? いや大切ではあるけど、今言ってるのは美緒のことで……」
お互いに「何言ってんだこいつ」的な視線を交わしてしまう。何故急に澪の話が出た?
首を捻っていると、はぁぁぁ、と溜息が聞こえた。しかも二つ。
「友斗。会話の中で美緒ちゃんと私を聞き分けられるのは、美緒ちゃんのことを知ってる人だけだから」
「そーですよ、先輩。発音はおんなじなんですから」
「あ゛。そ、そうか」
部屋から降りてきた澪、呆れた様子の雫に言われてはたと気付く。
よく考えればそうだな。すまん、と大河に謝ってから説明した。
「今言った美緒ってのは、俺の妹の話な。美しい玉の緒と書いて美緒。どうだ、綺麗な名前だろ」
「確かに綺麗な名前だとは思いますが……そんな自慢げに語られると、少し困ります」
「うん、それが真っ当な反応だから大丈夫だよ大河ちゃん」
「そ、そうなんだ……」
やかましい。美緒のことを褒めたたえることの何が悪い。
死程度で分かたれるほど、俺たちの想いは安くない。シスコン上等である。
「はいはい、そういうくだらないことは話してないで会議するぞ」
「くだらないこと話し始めたのは友斗だけどね」
「澪のマジレスはさておくぞ。いちいち拾ってたらキリがないからな」
「マジレスとは認めるんですね」
雫が苦笑する。うるさいやい。四人揃うといよいよ話が進まなくてやばいな。いつまでもだらだらと話していたい衝動に駆られる。
が、今日を休日にするわけにはいかない。手洗いを済ませて荷物を隅に置き、リビングでリビングテーブルを四人で囲う。
「さてと。じゃあ第二回選挙対策会議を始めるぞ~」
「わーい」
「はいはい、ぱちぱち」
「……急に投げやりですね」
「自宅だからな」
「おうちだしねぇ」
「どうでもいいし」
「澪先輩だけおかしいんですが」
それな。苦々しい顔のまま小声でツッコむ大河に心の中で同意しつつ、この会話の流れが気持ちいいな、と思った。このメンツで大河がいると、大河がツッコミ役に回るんだな。
――キミだって、そっちで一緒に準備してて、楽しいって思わない?
やっぱり楽しいけれど。
今はそれ以上に、勝つことが大切だから。
こほん、と大仰に咳払いをして話を進める。
「さて諸君。来たる来週の金曜日、ついに討論会がある。そして昨日、この討論会の議題が発表された」
もちろん三人とも知っているが、俺は改めて厳かに言った。
「『球技大会の競技、残り一つはサッカーか野球か』。これが議題だ」
「「「…………」」」
リビングを、静寂が蓋をした。
沈むように黙した後、ねぇ、と大河が口を開く。
「あの……百瀬先輩。どうしてこんな議題なんでしょうか」
非常に真剣なトーンの質問をされて、もう俺は堪えきれなくなった。ぷっ、と吹きだしてケラケラ笑う。
「え、今ってそんな笑うところでしたか……?」
「いや、すまんすまん。軽い深夜テンションだから気にしないでくれ。そもそも俺って変だしな」
「それは万も承知ですが」
「強調されて言われるのも複雑だなぁ」
言って、俺は笑うのをやめた。大河の質問はもっともなものだし、雫や澪だって思っていたことだろう。大河があんまり深刻そうに言うから可笑しかっただけで、質問自体は何も間違いではない。
「この議題は、割といつも使われてるんだよ。選挙管理委員会なんて、所詮は選挙ギリギリに集められて急に『はい仕事して』って感じで任されるわけだから。そうなると、前年度までのことを踏襲しやすい」
「だから球技大会の競技、なんですか」
「あぁ。どっちにしろ決めなきゃいけないからな。選挙が終わってから生徒会がアンケートを取るか、それとも討論会で白黒つけるのかっていう違いでしかないし、楽だろ」
討論会の結果は、終了後に投票で決まる。そういう意味では、実質的なアンケートにもなって手っ取り早いのだ。
もちろんこの議題が選ばれた理由はそれだけではないと思うのだが。
三人とも一応は納得したようで、めいめいに頷いた。まぁこの先を話せばもう少し分かってもらえるだろうし、今は先にいこう。
「前提として、球技大会のことは分かってるか?」
「んー。なんかクラスの男子が話してた覚えはありますけど、私はよく分かんないです」
「すみません。私もです」
「あー、まぁ一年生はな」
澪は去年のことを覚えているらしく、頷いていた。運動は好きだって言ってたし、去年も活躍していた覚えがあるし、当然だろう。
「球技大会ってのは、11月に行われるイベントだ。て言っても、これは生徒会主催じゃない。体育科の先生が丸一日かけて運営してて、生徒会もその補助って形で動くことになってる」
「なるほど。授業の一環なんですね……」
「ま、だからって成績とかに関わるわけじゃないけどな」
球技大会が始まった経緯にはちょっと面白いエピソードがあるらしいのだが、ここは割愛する。関係ないしな。
「実施競技は、例年四つ。体育館でバスケとバレーをやって、グラウンドではテニスともう一競技をする」
「そのもう一競技がサッカーと野球のうちのどちらか。そういうことですよね?」
「そういうこと。例年、何かしらの形で意見を集めて決めてる」
ちなみに、球技大会ではいずれの競技も短縮版で実施される。バスケならクォーター単位の時間が短いし、バレーなら一セットを取るために必要な点数が下げられている。よってサッカーの場合は時間短縮、野球の場合は三回~五回までで終わると見ていい。
「ふむぅ……それを討論会で話すって、なんかきつくないですかー? 答えないですし、討論の上手い下手じゃなくてどっちの競技が好きかで決まっちゃうような」
「だからこそ、なんじゃないかな。雫ちゃん」
「え、どーゆこと?」
大河がこちらを不安そうに一瞥する。多分考えていることは正しいので、俺は首肯してやった。
「討論会で明確に勝ち負けが出てしまう議題だと、その時点でほぼ結果が決まる。それだとあと一週間設けている意味がないから、あくまで結果が濁されるような議題が選ばれてる。違いますか、百瀬先輩」
「ああ、合ってると思う」
『思う』としか言えないのは、これ以外の議題の中にはもうちょっと白黒はっきりとつくようなものもあるからだ。事実、時雨さんが一年生のときの選挙では入江先輩や上級生と共に、かなり熱い議論を交わしたらしい。
選挙管理委員会が大河に同情したのか、それとも時雨さんの手心か。
厳密には言えないが、俺は後者な気がしてる。
「とはいえ、それでも『どっちでもよくね?』って層は存在する。つーか、そっちの方が多い。そんな奴らの心を動かして討論で勝てば、ラスト一週間は追い風が吹く。最初はダメだった奴に逆転の目が出ると応援したくなるのが人情だからな」
「あんまり売れてなかった作品がプチブームになってきたところで自分も買って、もっと人気になったときに古参ぶるあれですね」
「間違ってないけど多分に悪意がこめられているからやめような」




