六章#24 差
澪が手伝ってくれることになって、数日が経った。
俺の読みか、はたまた澪の読みか。その辺は定かではないが、とりあえず俺たちの作戦は功を奏している。
朝立ちに澪が参加することで、生徒会役員選挙は一気に人気投票色が濃くなった。選挙のスポットライトは完全に立候補者ではなく推薦人に当たり、正直に言えば、あまり健全な状態ではない。
しかし、如月がなろうと大河がなろうと、きっと生徒会自体は正常に動くはずだ。
上手くいかないことはあるかもしれないけれど、なんとか、上手くやっていく。だから許してくれよ、と一般生徒に対して思う謎の生徒Mくんでした。
ともあれ、である。
澪のおかげで俺たちもようやく公約などの話を聞いてもらえるようになり、なんとか如月たちと『戦っている』と言えるような状態に達することができた。如月と大河の知名度はさほど変わらず、むしろ大河の方が入江先輩の妹であるおかげで目立ち、一応記憶に残ることはできているらしい。
なお、この辺りは伊藤談である。
彼女曰く、
『みおちーが応援してるのはそれはそれでアリだからちょっとだけ手伝ってあげる。その代わりノート貸してくんない?』
とのこと。しょうがないので全教科のノートを貸してやった。手伝いっていうかただの取引では……?
ま、まぁそれはいい。別に俺は困ってないしな。テストはもう数日後だし、ノートの貸し借りはなんだか友達っぽい。
友達、か。
不意に浮かんだ単語は思っていたよりザラザラしていて、俺の視線はつい動いてしまう。
視界の隅には如月と、時雨さんと、入江先輩がいて。
どうしても、辛気臭さがせりあがってくる。
「友斗、原稿ってこれでいいんだっけ?」
拠り所なくふらついていると、澪が声をかけてきた。
原稿というのは、立候補挨拶の際の原稿だ。
何を隠そう、今日はこれから立候補挨拶が行われる。一足先に体育館にやってきた俺たちは、今から準備をしているというわけだ。
……それは、如月たちも同じで。
って、今はそれを考えるべきじゃないな。八雲は中立にいてくれる。それだけが、今の救いだ。
「ああ、大丈夫だ。ぶっちゃけ立候補挨拶は定点観測的な意味合いしかないし、推薦人はそのまんま挨拶だけで充分だぞ」
「なるほどね」
「っていうか、澪は去年もいただろ。なんで『初めて知った』みたいな感じなんだよ」
「だって面倒だったし。人数多いし、時間かかるし、どうでもいいしで、ろくに聞いてなかったから」
「あっ、そう。絵に描いたようなありがちな生徒像を見せてくれてありがとよ」
まぁ実際、澪みたいな奴だっている。他の高校よりはイベント色が強い選挙だが、それでもあくまで選挙。退屈だと感じられても仕方がない。
「ま、そういう意味では今年は人数が少ないから楽」
人数ね。確かに、今年は人数も少ない。
現在競っているのは会長のみ。一年生用の枠でも競合は起きず、副会長に至っては立候補者がいない。ちなみに、総務クンは書記に立候補していた。
雫曰く、一年生は大河が先輩と戦っているのを見て、少し消極的になっているらしい。副会長についても、おそらく似たようなことが起きているのだろう。大半の生徒は如月たちによって、投票する側だという意識を刷り込まれているのだ。
ちなみに雫は今回、推薦人にはならないことで話がついた。俺が推薦人をやめてもよかったんだが、一応現学級委員長って肩書は武器にできそうだからな。先輩に推されてるってなった方が大河の権威付けにもなるだろう、との判断である。
「少ないってことは、トリを飾る会長候補の出番もすぐに来るってことなんだけどな……大河、大丈夫か?」
隅で原稿を確認している大河に尋ねる。
そろそろ開始時刻は近く、体育館にやってくる生徒もちらほら見られる。短縮授業の上で七時限目っていう立ち位置でこの行事は開かれているため、生徒は全員参加だ。
「大丈夫です。原稿は何度も練習しました。百瀬先輩にもアドバイスいただいて、澪先輩にもこうして来ていただいて」
大勢の前で話すことになる。
そんなのは分かっているはずなのに、大河の表情には緊張の色がない。
肝が据わってる奴だ。この辺りは入江先輩に似たのかもな。
「今日はよろしくお願いします」
「おう」「ん」
雫はこの場にいないけれど、その分原稿を考えるのはめちゃくちゃ手伝っていた。
いる場所は違えど、心は一つだ。
ぱちっ。
時雨さんと目が合うと、ふっ、と微笑が返ってくる。
その表情の意味はやっぱり分からない。
いる場所は違えど、心は一つ。
そんなわけがないことなんて分かっていながら、それでも日々は、光陰の如く進んでいく。
◇
「こんにちは、みなさん。生徒会長候補の二年F組如月白雪です。白雪ですよ、白雪。文化祭では二人の美少女が『白雪姫』を演じていて、実はかな~り興奮してました」
如月の挨拶は、そんな一節から始まった。
生徒の半分くらいがくすっと小さく笑う。それまでの立候補者の挨拶が退屈だったこともあり、笑いのハードルはかなり低い。一気に緩やかな空気になった。
「なんて、その二人がすぐそこにいるんですけどね。一人は私を推薦してくれていて、もう一人は私ではない候補を応援してます。つまり二人の『白雪姫』に取り合われちゃってるんです。贅沢ですね、ふふっ」
こんなに上手かったのか……。
素直に衝撃を受け、しかし、よく考えてみれば当然だと思う。
普段の如月はコミュニケーション力が高く、ノリノリでボケにいくタイプだ。この手のスピーチだって下手なはずがない。
感心しているのは俺だけではなく、他の生徒も同じ様子だ。時雨さんと入江先輩にばかり焦点が当たっていたから、『本人も意外といいじゃん』みたいに思われているのだろう。
「さて、冗談はさておいて。私の公約を説明させていただきます――と言っても、今掲げている公約は二つだけですね。しかもそのうちの一つは、具体的ではありません。もしかしたら『中身が薄いじゃねぇか』と思った方もいるのではないでしょうか?」
一つ、間を置いて。
「しかし、そもそも考えてもみてください。私は人間ですよ? 前会長のような圧倒的な存在ではありません。何でもなんてできないですし、やろうとした結果、今よりも不便になってしまうかもしれません。それに、少なくとも私の目には、皆さんはそこそこ学校生活に満足しているように思います」
確かに、といった空気が満ちていく。
「ならば、今ある不便を消すことよりも、着実に一つずつ楽しいことをしていくべきだ。そう私は考えます。何故なら、現状で解決されていない不便の多くは、前会長ですら解決できなかった問題だからです。ですよね、霧崎先輩」
「んー? そうだね。悔しいけれど、ボクにも変えられなかったものはたくさんあるよ」
まさに時雨さんの威を借る如月。
だが借り方が上手い。上手くて、たまらない。
「なら! ミスターコンを開催しようではありませんか。ミスコンは、毎年とても盛り上がります。皆さんも覚えているはずです。先日のミスコンでの、霧崎先輩と入江先輩の活躍を。普段は見ることができない一面や美しさを知って、眼福だったはずです!」
「確かに!」「めっちゃ幸せだった」「写真が神々しすぎるしな」
ちらほらと楽しげな声が聞こえる。仕込みではないだろう。事実として、ミスコンはそれほど大きなイベントだった。
「女子の皆さん。身近な男子の、普段は見れないかっこいい一面を見たくありませんか? 男子の皆さん、ミスターコンでいい結果を出した後に最後の三大祭で告白したくありませんかっ?」
空気は見事に、掌握されている。
俺ですら、立場が違えば同意していたかもしれない。いいじゃないかミスターコン。ミスコンがあるならミスターコンがないのはおかしいし、俺はイケメンも嫌いではない。
そう思わされてしまう時点で、公約の作り方が上手いのだと思う。
「というわけで。私はミスターコン開催のために頑張りたいと思います。今後も詳しい私のビジョンをお伝えしていきますので、霧崎先輩と入江先輩の握手会を兼ねて、ぜひ朝挨拶をしているところにいらっしゃってくださいね」
以上で終わります。
そう言うと、如月が下がる。
続いて、入江先輩が舞台の中心に立つ。立ち姿は、やはり女優だった。ぱねぇっす。
「こんにちは。三年F組、入江恵海よ。本当は話したいことがあるのだけれど……どうやらこの場では挨拶だけのようだから、一つだけ」
嫌な予感がする、と思った。
歴史上の悪女を彷彿とさせる妖艶な笑みのまま、告げる。
「もしもミスターコンが開催されたら――1位を取った人の頬にキスをしてあげようかしらね」
「「「「おおおお!!!」」」」
一瞬で会場は湧いた。
あ、一手で詰まされた。もはやそう思ってしまうくらいに、入江先輩は強かった。人気面以外では脅威じゃないかも、とか思っていたのは見当はずれだったみたいだ。
「ずる……」
「それな」
「姉さん……ッ」
俺たち三人は、ぼそぼそっと呟いた。もうちょっと大声でも問題がない気がするくらい、会場中の男子が湧いている。
入江先輩ははにかみ、時雨さんと代わった。
――しん
と、静かになるまでにかかったのは、二秒だった。
時雨さんがたった二秒何も話していなかっただけで、騒めきは鎮まる。チート性能もいい加減にしろよ。
「やあこんにちは。元生徒会長の、霧崎時雨です。あ、まだ引退していないから現生徒会長かな」
無邪気に笑うと、時雨さんは入江先輩を一瞥する。
「ボクの大親友がとてもハードルを上げちゃったせいで、なんかボクも気が利いたことを言わなくちゃって気になるんだけど……困ったなぁ。思いつかないや」
だから、と時雨さんは続けた。
「朝、ぜひ会いに来てほしいな。ボクも引退するからね。みんなとたくさん話したいんだ。来週からはテストが始まっちゃうけれど……テストが明けたら、会いに来てくれると嬉しい。あ、そうそう。それとは別に――後輩諸君と、あと三年生の皆。テスト頑張ろう!」
「今の録音したかったんだが」「ふっ、甘いな」「いつの間にスマホを」「ずる」「盗聴乙」「データくれよ」
王手ではないし、チェックでもなかった。
詰みであり、チェックメイト。
ひっくり返りようがないくらいに湧く会場を見ながら、俺は、くそったれ、と思った。




