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六章#23 不倶戴天の敵

 SIDE:大河


「屋上選んだの、友斗でしょ」


 屋上に着くと、澪先輩は開口一番にそう聞いてきた。

 その通りだ。昨日私が澪先輩に頼んでみると言うと、百瀬先輩は屋上の鍵を借りてくれた。本来なら申請書を出す必要があるのだけれど、百瀬先輩は顔パスでよく借りているらしい。


 隠すことでもないので肯うと、そ、と小さく笑みを零した。


「ほんと、馬鹿となんとかは高いところが好きだよね」

「百瀬先輩は、馬鹿ではないと思いますが」

「そう? 私には大馬鹿に見えてるけど」

「そう、ですか」

「ま、どうでもいいけど」


 澪先輩は腰を下ろし、お弁当を広げ始める。

 私もその正面に座ってお弁当箱を開けた。


「それ、手作り?」

「えっ……あ、はい」

「ふぅん。その鮭、少し切ってちょうだい。玉子焼き一個あげるから」

「え、……え?」


 脈路にない提案に驚いていると、澪先輩は眉間に皴を寄せる。


「ダメなの?」

「だ、ダメじゃないですけど。なんでそんなことを、と思いまして」

「なんでって……鮭食べたいからだけど。この前スーパーに行ったら、いい鮭がなくて。かといって冷凍食品は好みじゃないから」

「そうなんですか」


 冷たいわけでもない……?

 これはこれで、澪先輩のことが分からなくなってくる。前とは少し違うけれど、チグハグというか、マイペースというか……。

 とはいえ、澪先輩がそこまで言うのなら鮭を渡すくらいは構わない。


「分かりました。そういうことなら鮭は差し上げます」

「ん」


 お弁当の鮭を3分の1くらいに切り分けて澪先輩のお弁当箱に乗せると、澪先輩は玉子焼きを一つくれた。

 まるでどこにでもいる女子みたい。雫ちゃんもたまに「交換しよ」って言ってくるから、慣れていないわけじゃないけど……少し戸惑う。


「あ、あの」

「言っとくけど、別に深い意図はないから」

「そうですか」

「うん、そう。私はわがままだから。それだけ」

「は、はあ」


 嘘をついてはいなさそうだ。変な人だな、と思う。

 でも夏休みやその前に話したときよりも、親しみは持てる。それはそれとして少しマイペースすぎる気もするけれど。

 澪先輩はお弁当に箸をつけ始める。

 何口か食べてから、で? と話すように促してきた。


「今日お呼びしたのは、お願いしたいことがあったからです」

「お願いね」

「はい。私は今、生徒会長に立候補しているんですが」

「ああ、それは知ってる。白雪ちゃんと競ってるんでしょ」


 そうです、と私は頷いた。


「雫と友斗が手伝ってるのは、知ってる。一緒に登校できてないし、家帰ってきてからも忙しそうにしてるし」

「それは……すみません」

「別に謝ることじゃないでしょ」


 興味なさそうに言うと、澪先輩は鮭を一口大に切って食べた。美味しそうに目を細め、もぐもぐとふりかけがかかったご飯を口に運ぶ。

 美味しそうに食べる人だな、と思った。この人と一緒に暮らして食卓を囲めたら、きっとご飯が美味しく感じる。一人ぼっちよりも、ずっと。


 なんて、くだらないことを考えるのはやめて。

 私は話を進める。


「話を戻します。二人に手伝ってもらってはいるんですが、それでもまだ勝機はほぼゼロです。そこで――澪先輩に、ご助力いただきたいんです」

「それは、人気目的?」

「はい。霧崎会長と姉にミスコンで勝った澪先輩なら、って。そう思ったんです」

「ふぅん」


 隠しても意味がないから素直に答えると、澪先輩の目がすぅと鋭くなった。

 見定められているような気がして背筋を伸ばす。


 それでも澪先輩は何も言わなくて。

 一分、二分と刻むように沈黙が過ぎ去った。


「一つ質問」


 ウインナーを咀嚼してから、澪先輩は告げた。


「なんでそこまで、勝ちたいの?」


 ふと浮かんだ理由は、幾つもあった。何度も自問し、質問され、考えてきたから。

 けれどそれらが嘘であることは明白で、澪先輩には見抜かれてしまうだろう。

 私は何度も澪先輩と話そうとして、拒絶されてきた。

 ならば私は、誠実であるべきだと思う。嘘をついてはいけないと思う。


「百瀬先輩への気持ちを、諦めたいからです」


 ああ言ってしまった。

 最初にそう思ったのは頭ではなく心で、その次はお腹だった。澪先輩の方を見るのが怖くてお弁当に目を落とし、ずーんと沈むお腹を誤魔化すように澪先輩から貰った玉子焼きを口にする。


 それは、玉子焼きというよりだし巻き玉子だった。

 舌の先で温かい味がする。卑怯な自分を咎められている気分になった。


「それは、皮肉?」

「皮肉って、どういうことですか?」

「遠回しに私のせいだって言ってるのかと思って。ほら、入江さんって嫌な女でしょ」

「っ」

「その図星って顔も、嫌い。自分のことを嫌な女だとか思う乙女感がね」

「――ッ。どうして、そんな風に言うんですかっ」


 声を荒げてしまったのに気付いて、唇を噛む。

 澪先輩は冷静に私を見つめると、別に、とだけ呟いた。


「どうしてとかじゃなくて、感想を言っただけだし。だいたいなにそれ。気持ちを諦めるために生徒会長になりたいとか、意味分からない」

「だからそれは……ッ。私が生徒会長になって、百瀬先輩が庶務になればッ! 一緒にいるのはあくまで仕事が“理由”で、そういう“関係”じゃないってことになるじゃないですかっ」

「あっそ。人が大切にしてたものを壊しておいて、自分が欲しくなったときには無理やりでも手にしようとするんだ? 随分と身勝手で都合がいいんだね」

「――……ッッ」


 冷笑が、じんと胸に染みる。

 あまりにもその通りすぎて、何にも言えない。

 罪悪感で千切れてしまいそうだ。千切れてしまえればよかった。


 ――変われない奴ってさ、多分世の中にたくさんいるんだよ。変わりたい、前に進みたい、こんな自分でいたくない。そんな風に思って、変わろうと努力して。それでもやっぱり変われない奴は、絶対にいる


 百瀬先輩の言葉が頭をよぎった。

 私こそが、変われない側の人間なのだ。姉には勝てず、正しくも在れず、ただ正しさを演じるだけの卑怯者。


「それでも……雫ちゃんだけは、傷つけたくないんです。雫ちゃんは眩しくて、優しくて、温かいから」


 初めての、友達だから。


「お願いします。手伝ってください。澪先輩は私のことを嫌いだって分かってます。私が悪いってことも、重々承知です。でも雫ちゃんだけは傷つけたくない。恋を優先して大切な友達を傷つけたところでッ! 私はどうせ、勝てないから――ッ!」


 ぷはぁ。

 そんな声が聞こえて顔を上げると、澪先輩は飲み物を飲んでいた。口の端を伝うサイダーの味は、私も知っていた。


「私が嫌いなのは、本当は私と同じくらい身勝手なくせに、その身勝手さを威張るみたいにご立派なラベルを貼りつけるところだよ」

「っ……」

「結局のところ類は友を呼ぶし、同族は嫌悪しあうんだろうね。鬱陶しいなぁ」


 フェンスに寄り掛かると、澪先輩は苦笑した。

 まだキャップを閉めていないペットボトルを床に置き、手元でキャップを弄ぶ。ひっかかっていたらしいサイダーが僅かにぱらっと散らばって、ブレザーに染みを作った。


「ま、いいや。雫を悲しませないようにって思ってることだけは評価できるし、男の趣味もいいし、鮭の焼き方も気に入ったし、食べ方綺麗だし」

「え」

「友斗といる時間作りたかったし、三人で登校したかったし、雫が頑張ってるところを合法的に眺めたかったし、テストは結構余裕だし」


 だから、と言って。

 澪先輩はこちらを見ずに、退屈そうに答えた。


「手伝ったげる。推薦人になった方がいいなら、そうするから。書類とかの処理はやっといて」

「……! い、いいんですか⁉」

「ん。どうせなら友斗とのデート一回くらいの条件をつけようと思ってたけど、あなたが来ちゃったならしょうがないし」


 ちぇっ、と冗談めかして舌打ちを打つと、澪先輩は変わらずにお弁当を食べ続ける。

 心に突き刺さった言葉は、まるで黒ひげ危機一髪のカットラスみたいに抜けなくて。

 どうしようもなく痛かった。



 ◇


 SIDE:友斗


「――で、手伝ってくれることになったと」

「そういうこと」

「ほーん。なぁ澪、やってることが半ばかつあげなんだけど」


 火曜日、自宅にて。

 澪から大河との話を大雑把に聞いた俺は、思わずそう言った。


 大河が手伝ってくれと頼むと、澪は「その鮭をくれるなら」と条件を出した。大河はそれを断るわけもなく、鮭を献上した。澪は満足し、手伝うことを了承した。

 そんな、あまりにも澪らしすぎる経緯は……きっと、八割がた嘘だろう。

 澪だって嘘だとバレるのは分かっているだろうし、見抜かれないようにしているとも思えない。一応は大河に義理立てして嘘をついているってだけだ。


 そのベールをはぎ取るべきでないと思う。

 だからこの話を正史として処理することにしたのだが……そうなると、澪ってかなりアレな性格になるよな。気付いてはいたけども。


「うっさいなぁ。魚食べたかったんだし、しょうがないでしょ」

「本能の赴くままにも程があるだろ……」

「別にいいじゃん」


 それに、とどうでもよさそうに澪は呟く。


「あれは後輩っていうより――だし」

「……? 今、あえて聞こえないように言っただろ」

「たまにはミステリアスキャラもほしかったからね」

「雑なんだよなぁ。一ミリもミステリアスじゃないんだよなぁ」


 聞こえないふりをして、見えないふりをして、俺は誰かの何かに蓋をするよう強制しているだけなんじゃないか。

 ふとそんな風に思ったら、口を付けたコーヒーが嫌に苦く感じた。


「あ、今日はブラックだから」

「ただ苦いだけかよ!」

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