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六章#19 火を見るよりファイガ

 月曜日は、あいにくの()()だった。

 こんなことを思うのはスポーツマンシップに欠けるのかもしれない。それでも晴れを恨みたくなるくらい、戦況は最悪だった。


「おはようございます! 私は、生徒会長に立候補している! 一年A組の入江大河です! おはようございます! おはようございます!」


 朝、登校時刻まではまだ30分ほどある。だがそれでもそれなりに玄関には人通りがあって、本来ならば大河の真っ直ぐで元気な挨拶に一人くらい振り向いてくれるはずだった。


「おはよーございますっ! 私が入江大河ちゃんを応援してるのはっ、大河ちゃんがとても真っ直ぐな子だと思うからですっ!」


 一生懸命な雫の言葉。

 それを聞いていると、なるほど、あざといのは俺に対してだけってのは嘘じゃないんだな、と改めて実感する。

 だからこそ、と思う。

 見てくれ、って。雫のことも、大河のことも、見てくれ。立ち止まって少し話を聞いてくれるだけでいい。


 けれども――その願いは、叶わない。

 登校してきた生徒も、朝練か何かでグラウンドに向かう生徒も、ほぼ全員が別の方に集まっているから。


「おはよう! そのユニフォーム、もしかして朝練かな? 朝から大変だね。怪我をしないように頑張って!」

「あら、おはよう。あなたは……この前、最前列にいてくれた人ね。もちろん覚えてるわよ。いつもありがとう、今日も頑張って」

「おはようございます――なんて、私が言ってもしょうがないですよね。あの霧崎先輩と! 入江先輩の二人との、握手会を開催中です~! ぜひ寄って行ってください!」


 差は、圧倒的だった。

 如月を目的にした生徒はいない。そういう意味では、もしかしたら如月と大河個人の差はむしろ小さいのかもしれない。

 けれども推薦人が、あまりにも人気すぎていた。


 時雨さんと入江先輩、その二人の前には列ができている。

 見れば、わざわざこれ目的で玄関まで戻ってきた生徒もいそうだ。二人は列に並ぶ生徒一人一人に挨拶をし、握手をし、しれっと公約が書かれたビラを渡している。

 ただ挨拶をするだけではなく、きちんと如月を推していることを念押しし、見事に虜にしていた。


「まずいな……カリスマ性が違いすぎる」


 文化祭のとき。

 俺は澪を見て、アイドルだと思った。ミュージカルは綾辻澪という少女のワンマンステージと化し、ミスコンですら彼女がファンにアピールする場であるように感じたのだ。


 けれど、今改めて気付く。

 時雨さんや入江先輩もまた、偶像(アイドル)だった。

 届かない存在。殿上人。まさに触れられない(アンタッチャブルな)存在だったのだ。


 そんな二人はミスコンで澪に敗れ、絶対的な存在ではないと示された。

 完璧ではなくて身近な存在なのかもしれない、と。

 僅かにそんな考えが浮かび始めていたとき、二人が手の届くところに降りてくる、なんて。あまりにもインパクトが強すぎて、やばい。


「雫、大河。俺、ちょっとあっち行ってくる。あの辺が終わってここを通る人を狙えば、きっとビラくらいは貰ってくれるはずだ。きついかもしれないけどやり続けるぞ」

「もちろんです! こんなところでめげるなんてポイント低いですからね♪」

「……諦めるわけ、ありません」


 雫と大河に断わりを入れて、俺は如月たちのもとに向かった。

 向かうと言っても、せいぜい距離は10mもない。だからこそこっちの印象が薄れて余計にやばいんだけどな。


 人だかりに飲み込まれると、今年の始業式のことを思い出した。

 そういえばあのときも、玄関で人がめっちゃいたんだよな。イラっとしたのを覚えている。その辺の不満を上手くつけばヘイトを……って、無理か。


「おはよう、百瀬くん。土日を挟んで、考えは変わった?」

「如月……悪いな。男に二言はないんだよ」


 考えていると、不敵な笑みを浮かべながら如月が声をかけてきた。

 肩から『如月白雪』と名前が記されたタスキが。うちも大河のためのタスキを用意はしたが、タスキの質すらも負けている。くっそぅ、タスキにくらい金と手間をかけるべきだったか?


 ……と、考えていなければ、如月とまともに対面できないのだから情けない。

 金曜日にかけられた言葉が今も頭によぎるのだ。


「二言も三言も、あっていいと思うけれど。それがいい男ってものじゃないかしら」

「あいにく、いい男じゃないもんでな。つーか、推薦人の握手会開いておいて、本人はこんなところで駄弁ってていいのか?」

「もちろん。誰も私の話なんて求めていないわよ。虎の威を借るキツネ、そのまんまね」

「そっか」


 狐、な。

 狐好きな澪は如月を見て、何を思うんだろうか。

 自嘲気味な笑顔に胸が苦しくなった。


「そんなこと言ったら八雲が泣くぞ。自虐はほどほどにしといてやれ」

「ブーメランを投げるのが上手なのね」

「そっちは皮肉をこねるのがお上手なようで」

「あら、嬉しいわ。私料理はからきしだから」


 明確な拒絶の意思を、言葉の端々が伝えてくる。

 対話の機会はもう失われたのだろうか。結果が出るまでは走り続けるしかないのだろうか。

 やるせない気持ちは拳で握りつぶす。


「ま、今更降伏なんてするつもりはない。敵情視察だな。残念ながら俺は人を惹きつけるカリスマ性がないんだ」

「そう……なら、どうぞ。これが私の公約」

「ん、さんきゅ」


 手渡されたビラに目を落とす前に、如月は戻っていった。

 この場にいるのが申し訳なくなって、かといって雫と大河のところに戻る気にもなれなくて、少し隅によける。

 人の邪魔にならないところで公約を確認し、かはっ、と喉奥から息が零れた。


『如月白雪 選挙公約

 1.冬星祭でのミスターコンの開催

 2.その他、学校をよりよくするための活動』


 一つパンチが強い企画を出し、他は保留。だが時雨さんや入江先輩がバッグについていることや打ち出されている企画の強さのおかげで、保留されている部分にも期待できてしまう。


 つーか、ミスターコンとかずるいだろ。

 現状、うちの高校で不満はさほど上がっていない。行事は活発だし、部活にだってそれなりに部費が行き届いている。細々とした不満への対処ではなく、それを打ち消すような楽しいイベントを持ってくる案か。


「はぁ……ったく」

「また辛気臭い顔してる。そんなんじゃミスターコン、勝てないよ」


 零れた溜息を拾うように、澪が言った。

 顔を上げれば、スクールバッグを持ったままそこに立っている。俺と雫は一足早く家を出たが、澪は違う。今登校してきたようだ。


「うっせ。まだミスターコンをやるなんて決まってねぇよ」

「ふぅん……いいじゃん、ミスターコン。私、友斗に壁ドンされたい」

「っ、キャラブレが激しくありませんかねぇ? ていうか、ミスターコンってそういうあれじゃねぇだろ」


 つっけんどんと言うと、澪は肩を竦めた


「ミスコン1位なら審査にも参加するかと思って。好きな人に壁ドンされるのは嫌じゃないし、友斗の場合、そうでもしないと大胆なことしなさそうだし」

「そうかよ……なら、澪も如月を応援するか?」


 口をついて出た言葉は、思いのほか刺々しいものだった。

 いけない。上手くいかないことが多いからって、澪に当たってしまった。

 澪がくしゃっと顔を歪めるのを見て、俺はすぐに謝る。


「すまん、今のは――」

「分かってる。それに、別に私は白雪ちゃんを応援するわけじゃない。生徒会選挙なんてどうでもいいし」


 ただまぁ、と澪は呟く。


「私、友斗の顔好きだし。辛気臭い顔されるとやる気出ないから、やめてほしい」

「なんだそれ……自己中かよ」

「自己中だよ。私がわがままでいいって言ったのは、友斗でしょ」


 澪は肩にスクールバッグをかけ直した。

 もう教室に行くらしい。

 じゃあな、と言うと、去り際に澪は言い残していく。


「一人で登校するの、嫌だから」

「は……?」


 その言葉の真意を測りかねて、俺はしばらくそこに立ち尽くした。

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