六章#12 敵
金曜日、朝。
昨日のうちに無事大河の立候補者届を出せたので、ちゃんと受理されているかを確認しようと思い、俺は廊下の『生徒会役員選挙立候補者一覧』を見に行った。
無論、この表は昨日も確認してはいた。
そのときにはまだ誰も並んではいなかった。もしかしたら総務クンもやめるつもりなのかもしれない。あくまで続投するのは通例でしかないため、大変さに嫌気が差してやめる、ってこともありえる。
まぁ単に急ぐ必要はないって思ってる線が濃いけどな。
それでも今週中には出しておくべきだし、もしかしたら今日はそっちも載っているかもしれない。
――そんな俺の、日常じみた思考に冷や水をかけたのは、会長の欄だった。
『役職:会長
立候補者:二年F組 如月白雪
推薦人:三年B組 霧崎時雨
三年F組 入江恵海
役職:会長
立候補者:一年A組 入江大河
推薦人:二年A組 百瀬友斗』
意味が分からない。
ただただ、頭の中はそれに尽きた。はてなマークが氾濫を起こして、まるで決壊寸前のダムみたいにぎゅうぎゅうと頭が痛む。
分かるのはせいぜい、大河の立候補届が受理されたことくらいだ。そこはホッとした。不備があったら急いで直さなきゃいけないからな。
けれど今となっては、そんな安堵は疑問符の氾濫に呑まれてしまっている。
「友斗……?」
「……澪。伊藤たちとは、もういいのか?」
「ん。というか、私のことはいいから。酷い顔じゃん」
「ははっ、俺の顔が酷いのはいつものことだろ」
流れるように出た自虐を、しかし、澪は咎めるように睨んできた。
「私は友斗の顔、好きだし。って、なんでこんなツンデレじみたこと言わなきゃいけないわけ」
「悪ぃ」
「謝ることでもないし……はぁ」
澪は溜息をつくと、俺の視線を辿った。
あっという間に『生徒会役員選挙立候補者一覧』の表にたどり着くと、眉間に皴を寄せた。
「如月さん……なるほどね」
「なんか聞いてたりするか?」
「ううん、なんにも」
「そっ、か……」
「まぁ、お昼とかじゃないかぎりそんなに話してなかったから」
澪の言葉が、ぼやけて聞こえた。
きゅっと唇を噛み、瞑目する。一度状況を整理しよう。
あの如月が生徒会長に立候補した。しかもその応援演説に、時雨さんと入江先輩の二人が登録されている。
つまり――このままでは大河と如月、どちらかが落選する。
否。十中八九、どちらか、ではない。大河だ。実績もなければ推薦人でも見劣りしている大河が落選する。
「友斗、大丈夫?」
「……すまん。とりあえず落ち着けた」
「そ。なら八雲くんにでも聞いてきたら? 何か聞いてるかも」
「だな」
澪がいてくれたおかげもあって、少し落ち着いた。
ふぅ、と改めて息を吐き、教室に戻る。
ぱちり、八雲と目が合った。
「八雲、なにか知ってるなら教えてくれ」
単刀直入に言うと、八雲は困ったように笑った。
「直球かよ。俺だって、割と複雑な気分なんだぜ」
「それは……すまん。けど、余裕がないんだ」
「そっか。だよな。まぁ、座れよ」
言われて、俺は自分の席についた。
八雲と向き合い、そしてふと考える。
余裕がないと言ったが、どうしてこんなにも焦っているのだろうか。
大河が負けて、生徒会長になれないから?
普通に考えたらそうだ。でもそうではない気がする。もちろんそれもあるけれど、それだけなら対策を考えればいい。
ならどうして――そう考えると、答えは呆気なく出てきた。
もしかしたら俺は如月を無意識のうちに傷つけていたかもしれない。俺はそれが嫌なのだ。
「如月は、生徒会長になりたかったのか?」
八雲の言葉を待っていられなくて、俺はそう尋ねた。
もしも如月が生徒会長になろうとしていたなら。
俺はそんな奴の前で、まるで大河がなることが既定路線であるかのように語っていたことになる。
けれども八雲は俺の質問に、いや、とかぶりを振った。
「白雪はそういうタイプじゃない。書記とか、そっちの方が向いてるって自分で言ってた」
「そうなのか……なら、今回立候補した理由は聞いてるか?」
こく、と八雲は重々しく頷く。
「でも俺の口からは言えない。つーか、すまん。座れとか言ったくせに悪いけど、俺はこのことについて何にも言えないし、言うつもりもない」
「……ッ」
「あ、けど、友斗と敵対するとかそーいうことじゃねぇから。今回は中立でいるって決めたんだよ」
八雲は、はっきりと言い切った。
ひとまず、その言葉にほっとする。あのメンツに加えて八雲もあちら側に回れば、いよいよ俺と親しくしてくれてる奴のほとんどが敵になっていた。
いや、そもそもまだ敵なのかも分からないのか。
「だからまぁ、気になることがあるなら白雪と話してくれ。それから霧崎先輩と、入江先輩だな」
「分かった、そうする。朝からすまん」
「こっちこそ。今日まで何も言えなくてすまん。口止めされてたんだよ。友斗を試したいから、って」
「俺を……?」
試すってなんだ?
そう聞きたくなったけど、八雲は教えてくれそうになかった。今のは、友達としての唯一漏らせるヒント、ってところだろう。
あとは自分で聞きにいくべきだ。
と、思っていると。
――ぶー、ぶー、ぶー。
ポケットの中のスマホが震えた。
RINEの通知だ。送信主は、如月。
【FEB:放課後、屋上で話しましょう】
【FEB:大河ちゃんにも連絡しておいたから】
如月はいつも、やけにハイテンションでRINEをしてくる奴だった。スタンプの使用率で言えば、雫と並ぶほどである。
が、今日の如月は至って淡泊だった。
『ゆーと:了解』
ちゃんと、話そう。
強く思った。
◇
授業に集中できるはずもなかった。
再来週からは中間テストだと分かってはいる。夏休みのうちに予習はしていたし、追いつけなくて困るということはない。
けれどこんな有様じゃ、学生の本分を果たせているとはとてもじゃないが言えないだろう。
きっと、と思う。
今日の俺のことを話したら、大河は叱るはずだ。ちゃんと授業を聞くべきです、って。私のことと授業とは別問題です、って。
そんなところが、大河らしくて、素敵なのだ。
生徒会長の適正ではないかもしれないけれど。ただ融通が利かなくて口うるさい委員長キャラでしかないのかもしれないけれど。
だから、俺は。
半ば祈るような形で、屋上までの階段をのぼっていた。
「……百瀬先輩。あの」
「ん?」
「どうして如月先輩は――」
「言わなくていいし、悪いけど俺には分からん。話して聞くしかないだろうな」
「っ……です、よね。すみません」
大河は、明らかに動揺している。昼休みは雫と昼食を摂っていたらしいが、いつもより食欲がなかったと聞いた。
当然だろう。彼女の姉が如月の応援演説に回っているのだから。
「謝らなくていい。行くぞ」
「はい」
大河と頷き合って、屋上と廊下とを隔てるドアのノブに手をかける。
きぃぃぃ、と心みたいに軋んで、扉は開く。
内と外との境界を超えると、真っ先に視界に入ってきたのは――女児向けアニメの敵役のお面を被った存在だった。
……繰り返そうか。
女児向けアニメの敵役のお面を被った存在が、そこにいた。
つーかお面では隠しきれない白銀の髪から察するに、どう考えても時雨さんである。
「ふふふ。よくきたね、二人とも。さぁ話をしよ――」
「いやちょっと待てッ⁉ 俺たちかなり真剣な話をするつもりできたんですけど?! なんで時雨さんは平然とコメディをやってるの?!」
「む、失礼だねキミは。ボクだって真剣だよ」
「真剣にコメディをやりすぎなんだよ! どこから持ってきたそのお面!」
「友達にこういうのが好きな子がいるんだ」
「あっ、そう……」
俺たちの緊張を返してほしい。
そんな気持ちで時雨さんの隣に立つ二人に目を遣ると、苦笑いが返ってきた。入江先輩に至っては、ややお怒りの様子である。
「霧崎時雨。いい加減になさい」
「あっ、またフルネームで呼ぶ……!」
「あなたがふざけているからでしょう? 私も姉として、威厳を保ちたいのよ」
「あの入江先輩。それ言ったら負けでは?」
「……一瀬くん。お黙りなさい」
残念だ。残念すぎる。
が、そのおかげで重苦しい雰囲気も霧散した。時雨さんはそれを狙ったのかもしれない。
けふん、と如月が場を整えるように咳払いをする。
それを合図に、時雨さんはお面を外した。
そして、俺と大河に言う。
「ボクたちは、降伏勧告をするよ」




