六章#11 mistakes
【ゆーと:お前の姉に捕まった】
【ゆーと:もうちょっと時間がかかりそうだ、すまん】
流石になんの連絡もなしというわけにはいかないので、大河にRINEを送る。
そうしてスマホをしまうと、今自分が置かれている状況を冷静に受け止めざるを得なくなった。
人気の少ないところへと歩いていった結果、幸か不幸か、生徒会室の近くの廊下にやってきていた。
いつだったか、澪が告白されていた場所だ。
そういう話じゃないのは分かっているが、あのときのことを思い出して苦々しい気分になる。
「それで、話ってなんですか。わざわざここまで来るほどのことなんですよね」
「えぇ、そうね。大切なことよ。あなたの回答次第で、私の行動が変わる。この入江恵海の行動に影響を及ぼせるなんてよかったわね」
「そうですね。一ミリも嬉しくないですけど」
俺の回答次第で行動が変わる?
なんだよそれ。ちっとも理解できない。が、聞いたところで答えてはもらえないだろう。休み時間はまだまだあるが、大河を待たせたくはない。
はぁ、と諦めごと吐き出して、入江先輩の言葉を待った。
「私が聞きたいのは三つ」
「多いですね」
「むしろ少ないくらいよ」
それにしても、話ではなくて質問なのか。
まるで尋問だ。或いは拷問かもしれない。目の前に獅子の女王が待ち構えてる中で質問される拷問。えげつねぇ……。
どうぞ、と視線で先を促すと、入江先輩は指を一本立てた。
「まず一つ。ミスコンで優勝した……綾辻澪、と言ったかしら。あの子は、あなたのなに?」
「なに、とは?」
「友達、親友、恋人。色々あるでしょう?」
つまり『あんたあの子のなんなのさ』的なこと。
だが、その問いへの答えを俺は持っていない。
否、持つことを放棄したのだ。澪と友達になりたいと思ったけれど、彼女との関係をそんな風に名付けてしまうことには嫌悪感がある。
もう、“関係”で間違えたりはしたくないから。
迂遠だし求められている答えだと分かっていても、はっきりと言った。
「綾辻澪は、綾辻澪です。俺の、なんて所有格付きで語っていい相手じゃない」
或いは、ほとんと全てであると言えよう。
他人であり、クラスメイトであり、友達であり、セフレであり、義妹だった。だからこそ俺たちは、何でもない。俺と澪。それだけだ。
入江先輩は、案の定、怪訝に眉をひそめる。
「……そういう躱し方をするのね」
「失礼なことを言わないでほしいです。誤魔化してなんてないですよ」
「そう」
伝わらないのは分かってる。
それでもテキトーな言葉ではぐらかさなかったのは、軽々と口にした言葉が呪いのようになってしまう気がしたからだ。
入江先輩は険しい目つきのまま、二本目の指を立てた。
「二つ目。うちの妹は、あなたのなに? 今と同じ答えは許さないわ」
「っ。今と同じ答えが真理なんですが?」
「そんなのは許さない、と言ってるの。言葉にしなさい」
「どうして、そこまで……」
なんとなく、言いたいことは分かる。俺と大河の関係を知りたがっているのだろう。主に恋愛方面の。さっきの質問も、おそらくはその繋がりだ。
けど、何故このタイミングで?
喉の奥で蟠る何かを飲み込んで、ならば、と今手元にある代わりの答えを口にした。
「後輩です。大切な、後輩」
「――……そう」
表情を変えず、特別にコメントを付け加えるわけでもなく、入江先輩は三本目の指を立てる。
「最後に――あなたは自分のことを、どんな人間だと思う?」
「アバウトな質問ですね。どういう意味か、分かりません」
「どう答えるかは、聞き手に任せるわ」
見定めるような視線に怯みそうになった。
事実、背筋はピンと伸びる。窓から差し込む昼陽を吸収する金髪は、太陽のカーテンみたいに見えた。
目を細めながら、それでも、と俺は笑って答えた。
「それこそ、俺を見る側に任せますよ。入江先輩が思う俺が、入江先輩の中での俺です」
「……あなたは、似てるのね」
「似てる?」
「霧崎時雨に、よ」
その表情は、どこか寂しげに映る。
え、寂しげ……?
「分からないならいいわ。時間を取らせてごめんなさいね」
「い、いやいいですけど」
「それじゃあ、失礼するわ」
去り際、入江先輩はらしくもなくぼそりと零した。
ざらざらとした耳触りのせいか、その言葉は嫌に胸に残った。
――あなたたちって、迷子みたいだわ。
もしかしたら俺にとって、誰よりも先輩だと感じているかもしれない相手は。
確かに、そう言ったのだった。
◇
入江先輩と別れ、俺はすぐ近くにある生徒会室に向かった。
時計を見遣れば、思いのほか時間は経っていなかった。あの人の威圧感のせいで時間を異様に長く感じただけで、話していたのはほんの少しだったみたいだ。
扉の前に立つと、時雨さんと如月が何かを話しているのが聞こえた。
あの二人が、しかも昼休みに話しているんだなんて珍しい。盗み聞きしてみたい衝動に駆られるが、流石に悪趣味なので大人しくノックをする。
「はぁーい。誰かな?」
いつも通りの時雨さんの声。
がらがらとドアを開くと、ああキミか、と呟いた。
「百瀬くん……どうしたの? 忘れ物?」
「いや違う――っていうか、どうしたの、はこっちの台詞なんだが。二人揃ってどうしたんだ? もしかして、トラブったとか?」
如月は俺の問いに、迷ったような顔をした。
彷徨う視線は、やがて時雨さんの方を向く。時雨さんは如月に優しく微笑みかけると、俺の問いに答えた。
「ううん、違うよ。ちょっと話してただけ。ボクが如月さんの教室に行くと、目立っちゃうからね」
「そっか……話って――」
「それより、キミは? 忘れ物じゃないのなら、ボクに用事があるのかな?」
ふんありと時雨さんの髪が揺れる。
この話はもう終わり、ということか。無理に踏み込むべきではないだろうし、今は大河を待たせている。
これ以上話すのはやめて本題に移った。
「うん。屋上の鍵、借りたくて。ちょっと大河と生徒会のことを相談したくてさ」
「そうなんだね。なら……いつも通り、ボクの方で手続きは済ませておいてあげるから。昼休みが終わるまでには返しに来てね」
「了解」
時雨さんは、まるで鍵を使うのが分かっていたかのように、スムーズに手渡してくれた。まぁ時雨さんのことだ。俺が考えることくらいお見通しなのかもしれない。
「ねぇ百瀬くん。大河ちゃんと相談するってことは……生徒会長、やる気はないの?」
立ち去ろうとすると、如月が聞いてきた。
そういえば昨日、きちんと答えられてなかったよな。おお、ある意味無駄足が役に立った。全てはこのためだったのか……。
苦笑しつつ、あぁ、と頷いた。
「俺は助っ人に徹する。柄じゃないけど、俺は応援演説をやるつもりだ」
「そう……」
「そっちこそ、八雲に応援演説頼んでないんだって? 続投の場合は大抵落ちないとはいえ、こういうときくらいあいつを頼ってやってもいいと思うぞ。その方が喜びそうだ」
余計なお世話だとは思いながらも、最後に言い足しておく。
如月は曖昧に、そうね、と笑った。それきりだった。
「じゃあまた」
「えぇ。あ、そうそう。今回はテスト前の勉強会、開かなくても大丈夫そうだから。澪ちゃんにも言っておいてくれるかしら」
「え? あー……了解」
そっか、今回は勉強会もなしか。
そいつはちょっと、寂しいな。この前は大人数でやった分、余計に。
だがまぁ、一人でやった方が集中できるときだってある。赤点ギリギリの如月が要らないという以上、無理強いする方がおかしいだろう。
「ま、それはそれとして、また四人で昼は食おうな」
「そうね、そのうち」
言って、俺は生徒会室を後にした。
屋上に行き、大河と合流し、昼食を摂りながら立候補届を埋めていく。
そうして提出できるようになった頃には、もうすっかり頭から抜けていた。
本来なら気にするべきだった色んなことが、抜けていたのだ。
そのしっぺ返しを食らうように、翌日。
金曜日の朝、堂々と貼りだされていた『生徒会役員選挙立候補者一覧』を見て、俺はぽつりと漏らした。
「はっ……? どうして」
人生はいつだって、何が起こるか分からない。
過ちに気付かず、そのせいで大切な人を傷つけたことだってあったのだ。今更過去のミスで驚くのは筋違いかもしれない。
けれど、それでも。
『役職:会長
立候補者:二年F組 如月白雪
推薦人 :三年B組 霧崎時雨
三年F組 入江恵海』
ようやく仲良くなれたと思っていた同僚と、よく知っているつもりだった従姉とのすれ違いは――あまりにも、胸を軋ませた。




