六章#10 mistake
人生はいつだって、何が起こるのか分からない。仮に先に起こることが分かるのなら俺は美緒を死なせてはいないし、夏前にあんな酷い間違いを犯したりしない。くだらない忘れ物で八雲に教科書を借りるハメにもならないし、その他あらゆる間違いも回避できることだろう。
「はっ……? どうして」
だが、こんなことが起こるなんて思ってもいなかった。
否、考えてみれば幾らでも不可解なことはあったはずだ。気にするべき点は線になるほどに並んでいて。それなのに『今は別のことを』とか『タイミングが悪い』とか色々と理屈をこねて、見逃し続けていた。
自分の不器用さに、ほとほと嫌気が差す。
もっと上手くやれる奴でありたかった。周りの人が何を考えているのかを汲み取って、それができなくともきちんと話して、分かろうとする奴だったらよかった。
けれど。
今まで学んだように、IFに価値などない。
だからこそ、後悔ではなく、反省を。
どうしてこうなったのかを確かめるように、俺は昨日のことを思い出す。
大河が立候補すると決めた日の翌日。
週の折り返しを超えた、木曜日のことだった―――。
◇
【大河:百瀬先輩。立候補届の書き方、一緒に書いてもらってもいいですか? 記入事項を確かめながらの方がいいと思うので】
木曜日。午前中の授業が終わると、すぐにRINEに通知が入った。メッセージの送り主は大河だ。
立候補届には、確かに幾つか記入事項がある。HRで説明があったはずだから大河も理解しているだろうけれど、念のため、きちんと話しておいた方がいいだろう。
うちの高校の生徒会役員選挙では、立候補締め切りは設定されていない。強いて言えば最終演説の前日、10月23日だろうか。それまではいつでも立候補可能だし、取り下げだって許されている。
但し、すぐに立候補を取り下げたり再度立候補したりすれば、一気に信用は地に落ちる。そんな優柔不断な奴を誰が使いたいと思うんだ、って話だ。
立候補が受理されれば、その翌日には各フロアの廊下の『生徒会役員選挙立候補者一覧』という表に立候補者、推薦人の名前が記載されている。
ちなみに、推薦人は立候補者一人につき推薦人二人まで登録できる。それ意外にも選挙活動を手伝うことはできるが、演説などの公式のイベントで参加できるのは二人までなのだ。
と、考えてる前に、大河のところに行くか。
他に生徒会長に立候補する奴がいるとは思わないが、早く立候補しなければ空席だと思われてしまう恐れもある。できれば今週中には立候補を終えてしまうべきだろう。
【ゆーと:今からそっち行く。それでいいか?】
【大河:お願いします。場所はどこがいいですか?】
場所か……一年生の教室でやるのも気まずいか。とはいえ昼を食ってないから図書室にも行きにくいし、生徒会室で好き勝手に過ごすのも憚られる。
となると、最近は使ってなかったけど、あそこか。
【ゆーと:なら屋上に行くか。鍵借りてから行くから、先行って待っててくれ】
【大河:屋上ですか】
【大河:了解しました】
大河からの返信を確認して、スマホをポケットにしまう。
机の横にかけてある弁当を手に取り、八雲に声をかけた。
「悪ぃ。今日はちょっと行くところあるから一緒に食えない」
「あー、マジかぁ……なら今日は他のクラス行くかなぁ」
「ん? 普通に三人で食べればいいんじゃねぇの?」
夏休み前から俺、澪、八雲、如月の四人で昼食を食べていた。
それは文化祭の準備期間中、澪と微妙な感じになっていたときでもギリギリ継続していたはずだ。
そう思って見遣るが、如月は教室に来ていなかった。澪はこちらを一瞥し、『どうする?』みたいな視線を向けてくる。
「んー、いや。白雪が今日は用事あるらしくてさ。つーか、暫く一緒に食えないっぽい」
「そうなのか……」
「そーそー。それでも友斗と綾辻さんがいるなら、って思ったけど。流石に綾辻さんと二人で食うのはな。
綾辻さんも他の女子に誘われるだろうし、と八雲は言い足した。
なるほど。確かに四人が二人になれば、それはまた別の意味合いを持ってくる。澪は八雲に悪い印象を抱いていないだろうが、それはそれ、これはこれだろう。
気になるのは如月のことか。体育祭の打ち上げ以降は、ちょいちょい顔を出してたんだけどな……。
「もしかして八雲たち、上手くいってないのか?」
「へ? なんで……?」
「いや、ほら。この前の後夜祭で色々あったわけだし」
八雲と如月の関係が、そう簡単に揺らぐとは思っていない。
が、それでも二人の進展が牛歩であったのは事実だ。一年以上付き合って、イチャラブしまくってたくせにキスはまだだったんだからな。
ならキスをしたことでギクシャクしてしまう可能性は十二分にある。
八雲ははたと首を傾げ、それから慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「違う違う! 別にそーゆうんじゃねぇよ。ちょっと大事な用事があるらしくてさ」
「そう、なのか?」
「そーだぜ。大丈夫、友斗の忠告は胸に刻んでるから」
「そっか」
ならよかった。
ほっと胸を撫で下ろし、俺は出口につま先を向けた。
「なら俺はもう行くから。たまには俺なんかじゃなくて、サッカー部とでも食って来いよ」
「それもいいかもな。じゃ、いってら~」
「ん」
澪を一瞥すると、既に伊藤たちに誘われていた。
こちらの会話は何となく聞こえていたのだろう。肩を竦め、俺は教室の外に出た。まず向かうべきは時雨さんのところだな。
くふぁと欠伸を一つして、三年生のフロアに向かった。
◇
「え、いない?」
「うん、そうだよ。霧崎さんなら生徒会室にいるんじゃないかな。なんか後輩と話すらしくて」
「へ、へぇ……ありがとうございます」
三年B組の教室には、時雨さんがいなかった。
居場所を教えてくれた先輩にお礼を言い、はぁ、と一人で溜息をつく。
まさか時雨さんがいないとは思わなかった。生徒会の仕事がないとき、いつも時雨さんは教室にいたのだから。
『いつも』と違うことが、どうにもこうにも多いな、と思う。
きっとそれだけ、今の日常に馴染んでいるのだろう。そうして馴染んだ日常を手にできていることは、とても幸せのことなはずだ。
「ちょっとイレギュラーが起きすぎな気もするけどな」
ぼそり、独り言ちた。
だって明らかな無駄足だし。こういうのって、最終的に無駄足した先で得た情報が伏線になってたりするパターンだと思うんだけど、俺がここで得た情報なんてほぼゼロなんだよな。
現実は現実、創作の世界は創作の世界。
所詮はそういうことなんだろうな。
「あら、十瀬くんじゃない」
「…………」
「無視をするのは酷いと思うのだけれど。私、一瀬くんに嫌われるようなことしたかしら?」
「はぁぁぁぁ……入江先輩って本当に大河のお姉さんなんですね」
廊下を歩いていると、存在自体がイレギュラーな人が声をかけてきた。できれば俺が呼ばれているとは思いたくなかったのだが、肩を叩かれてしまえば抵抗のしようがない。
振り向くと、挑発的な笑みを浮かべた入江先輩がいる。
「ふふっ、嬉しいことを言ってくれるわね」
「今の発言が『嬉しいこと』カウントされることにドン引きなんですが」
「零瀬くんに引かれようと一向に構わないのだけれど」
「うわ、ついにゼロになっちゃったよ」
その話法は、入江家に代々伝わってるものだったりするのだろうか。自分の名前に数字が入っていることが恨めしい。
「それで百瀬くん」
「あ、正しい名前も知っているんですね」
「当然よ、馬鹿にしないで頂戴」
「舐められてるのは俺なんだよなぁってツッコミはしないでおきますね」
なんだか、今日の入江先輩はこれまでとは少しノリが違う気がする。
俺と話すのに積極的というか、アグレッシブというか。肉食動物に狙われているような気分だ。
「じゃあ俺はこれで――」
「ちょっと待ちなさいよ。折角会ったんだし、少し話さない?」
「……話しませんよ。おたくの妹さんを待たせてるもので」
「そう。なら尚更、話をしたいわ。話すまで行かせるわけにはいかない」
「っ」
声はどこまでも本気だった。
チッ、逃げられないじゃねぇか。なんでこのタイミングでこうなるんだよ。
「分かりました。本当に少しだけですよ」
「ええ、もちろんよ。あの子を長い間待たせるなんて許せないもの」
「さいですか」
澪を連れてきたら何とかこの状況を回避できただろうか。
そんな無意味なIFを思い浮かべながら、俺は入江先輩についていった。




