六章#05 友達と期待と
30分ほどが経ち、俺はトイレに向かった。
みんなが好き勝手に雑談していて騒がしかったこともあり、トイレに入ると一気に静かになる。合コンのときにトイレに行くのは作戦会議らしいが、そうじゃなくてもトイレに逃げたくなりそうだな、とちょっとだけ思う。
誰かといることは楽しいし、ワイワイしているのも心地いい。
けど根はインドアで、ぼっちなんだろう。陰キャって言葉の型にはめるのは嫌いだしそれとは少し違う気がするけれど、100%陽キャになりきれるわけじゃないのは確かだ。
ま、だからなんだ、という話。
主義主張も感覚も異なっていても、人は一緒に生きていく。
澪と俺にだって趣味嗜好に大きな差異があるし、そもそも俺は異性の前で平然と自慰をする変態じゃない。……って、ダメだ。トイレでそういうことを考えるのはNG。
「あ、友斗」
「ん……あぁ、八雲か」
「おう。連れションみたいになっちゃったな」
「八雲ってさ、絶対そっち系の空気にしようとしてるよな。確信犯だよな」
「違ぇよ?!」
ほんとか……?
如月のために『可愛い子ランキング』の運営をできちゃうくらいベタ惚れだからな。フリでいいからそういう雰囲気を出せって言われたらやりかねない。どういう雰囲気かは明言したくないけれど。
が、どうやら今のはマジだったらしい。八雲はやや真面目な顔で、はは、枯れた笑みを浮かべる。
用を足し終えたので俺は八雲に小便器を譲り、蛇口を捻って手を洗う。冷え始めたからか、水も思いのほか冷たい。
「あのさ」
「ん?」
「さっき、すまん。場の流れで色々言っちゃったけど、あんな風にいじられるのはまずかったりしたか?」
真剣なトーンの問い。申し訳なさのようなものを孕んだその声に、俺は小さな笑みを零す。
あんな風に、というのがなんのことを言っているのかはすぐに分かる。伊藤と一緒に俺と澪にあーだこーだと言ってきたアレだ。
わざわざそんなことで謝るなんて……とも思うが、八雲の考えも理解できた。
八雲には、未だに俺や澪、雫の関係について説明できていない。俺だけのことではない以上好き勝手に話すわけにもいかないけど、八雲と親友になろう、と決意したのは事実だ。
その俺の決意を汲み取ってくれているからこそ、軽々に恋愛方面でいじったことに後ろめたさを覚えているのだろう。
つくづくいい奴すぎて、友達百人ってのも夢じゃなさそうだな、と胸の内でこっそり呟き、俺は首を横に振った。
「別に、そんなことはねぇよ」
「そう、なのか……?」
「あぁ。その辺は、すまん。こういうところで流れですべき話じゃないし、また今度ゆっくり話したいんだけど」
おうそれは分かってる。
そう言うと、八雲も手を洗い始めた。
そっと端に避けると、鏡に映る自分が目に入る。思っていたよりもにやけているそいつを見て、少し照れ臭くなった。
「とりあえずあんな風に誰かをいじったからって誰かを傷つける、ってことはないと思う」
「そっか」
「うん。けど……澪と何にもないかって言うと、それも違うから。俺は真剣に考えてるつもりだし、茶化されすぎるのも困るかな」
親友になりたい。心からそう願うからこそ、正直に言う。
別に澪との関係をいじられるのは嫌じゃない。澪だって満更じゃなさそうだったし、何なら利用しようとしていた。なら別に大丈夫だろう。
だからいじられるのはいい。でもいじるだけに留まらず、不用意に触れられ続けるのも困る。知らないところで不本意な噂が流れるのは誰の望むところでもない。
「了解。まー、その辺の微調整は任せとけ。俺ってば友斗より友達は多いからさ」
「さてはお前ケンカ売ってるな?」
「まーな。友斗のベストフレンドになるためにはこんくらいしねぇと」
「テクニカルすぎる」
ぷっ、と二人で吹き出して、トイレを出た。
騒がしさが肌に触れるなか、あっ、と俺は思い出す。みんなの元に戻る前にこれは確認しておかなきゃな。
「ところで八雲。昨日の後夜祭、しれっと抜け出してたけど」
「ぎぐっ」
「反応が分かりすぎかよ……上手くいったんだな。よかったじゃん」
文化祭でキスをしたい。
そんな切なる願いが叶ったのなら、友達として嬉しく思う。あとオタクとして推せるなーって思う。
急に口をぱくぱくさせる八雲を横目に、俺はテーブルに戻った。
◇
一時間ほどが過ぎると、何となく惰性で箸を動かすことも増えていく。
食事よりも会話に重点が置かれ、打ち上げ感が出てきた。俺も飲み物を炭酸からアイスコーヒーに切り替え、サラダやら肉やらをちみちみ摘まみつつ駄弁っている。
ミュージカルのことにはじまり、文化祭で行った面白かった出店やら早くも3分の2の縁を結んだカップルがいることやら、高校生って感じの話題が繰り広げられる。
「それにしてもさー」
会話の流れは、基本的に伊藤か八雲によって始まる。俺と澪は話題を提供することはしない。経験の差である。
今回口を開いたのは伊藤だった。太らないためにと野菜をむしゃむしゃ食べつつ、何かを思い出しながら続ける。
「ミスコン、凄かったよね。霧崎先輩とか……あと、あの演劇部の人とか」
「そこで顔をしかめるな。あの人だっていい先輩だぞ」
「そーは言っても、ウチらのみおちーに酷いこと言ったのは事実だしぃ」
伊藤は未だに入江先輩にいい印象を持っていないらしい。俺は演劇の脚本に素でガチ惚れしてから『怖くて凄い人』という尊敬の念を抱いているんだが……伊藤はそうでもないらしい。
「演技は、そりゃ凄かったよ? 演出も、脚本も、ウチなんかじゃ絶対叶わないなーって思った。まさに才能ウーマンって感じ」
「けど入江先輩、三年生の中でも人気者っぽいぜ。姉御って感じで、慕われてるらしい」
「へぇ……そうなんだ」
八雲が口にした情報に、伊藤は何とも言えない顔をする。
まぁ俺も、入江先輩が人気だってことは分かってる。どんなに美人でも嫌われていたらミスコンで上位になれないし、『可愛い子ランキング』でも2位になれないはずだ。
私も、と言うのは澪だった。
「入江先輩にはいい印象はないけど……悪い人ではないと思う」
「えー? そうなの⁉」
「ん。まぁほら、結果として勝てたわけだし。だから言われたことは全部気にしてない」
「なるほど……けどそっか。勝ったんだもんね。ざまぁって思ったら、その後は引きずりっこなしだよね!」
パァ、と明るい顔を作る伊藤。
切り替えるようにぶんぶんと首を縦に振るのを見ていると、伊藤に友達が多い理由も分かってくる。ただの粋人じゃないんだよな。
「そうそう。ウチが言いたかったのは、あの二人に勝ったみおちーが凄いよねって話」
言うと、澪はどこか満足げに頬を緩めた。
昨日あれだけ色んな人に褒められていたが、まだ飽き足りていないとは……欲深ぇ。
伊藤は目をキラキラと輝かせ、澪への賞賛を続けた。
「ミュージカルでのみおちーもすっごく凄かったんだけど! ミスコンでのみおちーもやばかった! ね、この気持ち分かるっ?!」
「え、お、俺……? んー、まぁそーだな。白雪も超興奮してたし」
「だよね⁉ なんか一気に印象が変わってたじゃん。ネクタイつけて、かっこいい感じになって」
伊藤の言葉と共に、俺も昨日のミスコンのことを思い出す。
入江先輩、時雨さんと華やかな二人が登場した後に舞台に姿を現した澪は、女も男も惚れるクールな美少女、って感じだった。
「俺はミスコンの運営だったから開票したんだけど……パッと見た感じ、女性客の票は半分以上が澪に入ってたな」
「あー、やっぱそうなんだ。だよね、だよねぇ……! ウチだって惚れそうになったもん。なんなら惚れたもん。ねぇみおちー、ウチと付き合おー」
「急な告白……。ごめんね鈴ちゃん、私好きな人がいるから」
「うぅ、知ってるけどぉ! いいじゃんいいじゃん、愛人でもオッケーだよー?」
あはは、と澪が枯れた笑みを浮かべる。
酒でも飲んだかのようなテンションだが、伊藤が飲んでるのはただの乳酸菌飲料だ。具体的にはカル〇ス。
流石に隣でこんな話をされると対応しかねる。ネタにするってことはさほど気にしてないってことなんだろうけど、一度は伊藤に告白され、振ってるわけだし。
それ以上に澪の好きな人云々が他の奴に聞かれたら大変なことになりそうなので、こほん、と咳払いをした。
「まぁ結局、この文化祭は澪の一人勝ちで終わったわけだし。当初の目的は達成できたよな」
「あー、それねー。みおちーを輝かせまくったし、何なら輝かせすぎて直視できないレベルだったし! そーゆう意味ではウチらが大勝利した文化祭だったね」
うんうん、と伊藤は満足げに頷く。
すると、今度は急に空気がしんみりとした。改めて、このクラスでやる三大祭のうちの3分の2が終わったことを実感したからかもしれない。
とはいえ今年度だけでもまだまだイベントはたくさんある。そのうちの一つを思い返すように、八雲がしみじみと言った。
「文化祭が終わったってことは……もう、生徒会長も引退なんだよな」
「あ、そっか。なんか、入学したときからずっと霧崎先輩が会長だったし、不思議な気分だよね」
「だよなぁ。絶対的って感じがするし」
二人の話に、内心で同意する。
時雨さんは、絶対的で圧倒的な生徒会長だった。一年生のときから生徒会長になる前例はゼロじゃなかったけれど、近年は二年生が生徒会長になる通例だったのだ。
それを打ち破り、二年連続で生徒会長になり、しかも幾つも新しいことをしてきた。身近にいると分からなくなるときもあるけど、あの人は本当に凄い。美緒と姉妹かもしれない、と思うほどに。
「次の生徒会長かぁ……百瀬くん、やらないの?」
「へっ? えと、なんで?」
思わぬ発言に、変な声が出た。
「なんでって……だって学級委員長なんでしょ? 頼りにもなるし、てっきりウチは立候補するのかと思ってたんだけど」
「あー、なるほど」
そういえば文化祭の準備のとき、如月も似たようなことを言っていた気がする。
「俺は、白雪から色々聞いてるけどさ。友斗がなるんじゃねーかな、って思ってたりもしたぜ。頼まれたら応援演説者として頑張る気も満々だし」
「八雲も、か……」
意外、というわけではないのかもしれない。少なくとも傍から見れば。
そんな俺の思考を代弁するように、澪はオレンジジュースを飲んでから呟いた。
「まぁ学級委員長で、生徒会にも入り浸ってて、……あとなんだっけ。霧崎会長の弟子?」
「あれは時雨さんの冗談だ」
「そ。けどそれでも、もう生徒会長になりそうな要素は揃ってるじゃん。政治に詳しくなくても何となく次の総理大臣を予想できるみたいな感じ」
ころん、とアイスコーヒーの中の氷が音を立てる。
薄まったコーヒーに口をつけ、ふぅ、と溜息を零した。
「そう思われてるのは嬉しいけど、俺は生徒会長って柄じゃないしな。それに今年生徒会長になろうって思ってる奴はいるから」
「それって、この前の……?」
「あぁ。大河は、生徒会長を目指すつもりのはず」
「大河? ドラマ?」
「違う。俺が面倒見てる後輩」
「面倒見られてる、の間違いでしょ」
「俺をいちいち貶すな。生徒会では一応面倒見てるから」
幾らハイスペックと言えど、経験の差をすぐに埋めるほどではない。まだ俺は面倒を見てやれてるはずだ。来年には追い抜かれてそうだけど。
「へぇ……なんか勿体ないね」
「え?」
「あ、気を悪くしたらごめん。別にその大河? って子を貶すつもりはないし、百瀬くんを責めてるわけでもないよ」
ただ、と漏らす伊藤の横顔は、どこかアンニュイで。
きっとそれは打ち上げが折り返し地点を超えたからこそ生じる、センチメンタルな気分のせいなんだと思いたかったけれど。
「百瀬くんってみんなの中心にいるのが似合う気がしたから。生徒会長やったら最後の一年、楽しくしてくれるんだろうなーって期待してた」
何か、と思う。
しょうもないジョークでも、情けない苦笑でも、何でもいいから返せたらよかった。
なのに口は思うように動かなくて。心は答えを見つけられなくて。
俺もまだまだ弱いな、と心から思った。




