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六章#02 孤独の温度

 SIDE:大河


「これで片付けも終わりか」

「ですね……お疲れ様でした」

「おう。そっちもご苦労様――って言うのは上から目線になるな」


 文化祭が終わって、二度目の後夜祭も終わった。

 生徒会の助っ人として片付けを済ませ、百瀬先輩と言い合う。百瀬先輩の言葉に、やっぱり律儀だなぁ、と苦笑しつつ、私は首を横に振った。


「不服ですけど、私は百瀬先輩の部下ですから。上から目線でも問題ないです。そもそも、昔は目下から目上の人に使うことが多かったらしいですし」

「なるほどなぁ……まぁ言葉も物事も移り変わるってことか」

「このくだらない会話からよくそんな壮大な話に繋げられますね」

「帰納法ってやつだよ。知的だろ?」

「知的がどうかは分かりませんが……そもそも帰納法と呼んでいいのか疑問が残りますし」

「まぁな」


 くしゃっ、と百瀬先輩は笑う。

 そんな笑顔にいちいち胸が高鳴りそうになるから、私は顔をしかめそうになった。けれどそんな顔をしていれば心配させてしまうかもしれない。

 作り笑顔は得意ではないから、せめて作り真顔を維持しておく。


「あぁ~、疲れた。今って何時だ?」

「時間は……もう9時ですね」

「マジか。どうりで暗いわけだ」


 百瀬先輩は、空っぽの校庭を見渡しながら呟く。

 さっきまでは騒がしかったのに、ものの30分で伽藍洞になった校庭。後の祭りという言葉の虚しさを表すように、どこまでも真っ暗だった。


「あいつら、ちゃんと帰れたかなぁ」

「あいつらって、雫ちゃんと澪先輩ですか?」

「そう。二人で帰るって言ってたからそこまで心配してないけど……こう暗いと、やっぱりな」


 百瀬先輩は、雫ちゃんと澪先輩の二人と一緒に暮らしている。

 それは夏休みに知ったことで、今更何を思うことでもないはずなのに、胸の奥がズキズキと痛む。


「百瀬先輩たちのお宅がどこなのか存じ上げませんけど、この辺りは治安も悪くないですし、大丈夫なんじゃないでしょうか」

「あー、まぁそうか」

「はい。というか、高校生ならこの時間帯に外を出歩くくらいは普通ですよ」

「確かに」


 私だってよく夜に散歩をする。

 夜の公園で澪先輩と会ったこともあるし、さほど特別なことだとは思わない。万一のことを考えれば出歩くべきじゃないのは事実だけど、ちゃんと対策をすれば過剰に心配することでもないだろう。


 ……というか、雫ちゃんと澪先輩なら何だかんだ上手くやる気がするし。

 その辺りのことは百瀬先輩も分かっているのだろう。

 なら大丈夫か、と胸を撫で下ろしていた。


「さて、と……んじゃ、時雨さんたちも帰っただろうし、俺たちも帰るか」

「はい――って、もしかして送ってくださるつもりですか?」

「このやり取りの後で大河を一人で帰らせると思われてんの? 俺って」

「このやり取りの後だからこそ、大丈夫だ、と考えるかと思いました。というか実際、送っていただかなくて大丈夫ですし」


 体育祭の後夜祭でも似たような会話をした覚えがある。

 あのときは、雫ちゃんに悪いから、という理由で遠慮した。


「言ったじゃないですか。これくらいの時間に出歩くのは普通ですし、防犯ブザーも持ってます」

「それは、まぁそうだけど……だからって送れるのに送らないのは違うだろ」


 百瀬先輩は後ろ髪をくしゃくしゃと掻きながら言う。

 それから思いついたようににやーっと笑うと、からかうように続けた。


「お化け屋敷であんなにビビってるところを見せられるとなぁ?」

「~~っ! それを持ち出すのは卑怯じゃないですか⁉」

「そんだけ俺の中では衝撃的な事件だったってことだな」

「そうですか。なら頭に衝撃を与えて記憶を――」

「暴力ヒロインはマジで廃れてるし復古しなくていいからやめようなッ⁉ 悪かった、俺が悪かったから……!」


 ぶんぶんぶんと勢いよくかぶりを振る百瀬先輩。

 その様子に、自然と笑みが零れてくる。ああ、卑怯だな。こういうところも好きだって思ってしまう。好きになる前はなんてことなかった一面が、好きになるだけでキラキラして見えちゃうのだ。


 こほん、と咳払いをすると、百瀬先輩は真面目な顔で言った。


「今のは流石に冗談だけど、マジな話、送るだけ送らせてくれ。つーか、この前まで送ってたんだし、いいだろ?」

「それは、まぁ……」


 確かに、この一か月間は送ってもらうことも多かった。百瀬先輩にそうしたいと言われてしまえば、断ることなんてできない。乙女的に。

 けれども――さっき、見てしまったから。

 百瀬先輩が澪先輩といるところを見てしまったから。


 雫ちゃんならまだ、割り込むことが許されていると思う。

 でも私はそうじゃない。

 私と百瀬先輩はここ数か月だけの付き合いで、知らないことも山ほどあって、どう取り繕っても他人だ。


 なにより、澪先輩の指摘が今も心にこびりついている。


 ――それなのに雫と彼の関係に口を出して、あまつさえ別れさせるように仕向けて


 あれは、一面的な見方でしかない。

 あのときの私は、心から百瀬先輩と雫ちゃんのことを思って、正しいことをしたつもりだ。想いが伴わない“関係”のままじゃ苦しいから、終わりにすべきだ、と告げた。


 でも見方を変えれば、こうもとれる。

 私が入り込む余地を作るために、言葉を駆使して雫ちゃんと百瀬先輩を引き裂いた、と。


 この想いをこのまま持ち続ければ、その見方が正しくなってしまいかねない。

 最初の意図がどうであろうと結果が全てなのだから。


 なのに、


「ほら行くぞ」

「っ、はい」


 初めての恋だから、この気持ちを持て余して、絆されて、流されてしまう。

 スクールバッグを手に持った私は、百瀬先輩と並んで下校路についた。


「終わっちゃったな、文化祭」


 歩いていると、百瀬先輩は呟いた。

 アルバムを眺めて昔を惜しむようなセンチメンタルな口ぶり。

 気付けば、ですね、と相槌を打っていた。


「澪先輩、凄かったです。私の姉に勝って、霧崎会長にも勝って」

「だなぁ……まぁどっちもあの二人の先輩にお膳立てされた感あるけどな。二人がガチで勝ちに来てたら二冠はきつかった気がする」

「えっと、どういうことですか?」


 はてと首を傾げると、百瀬先輩は解説してくれる。


「まずミスコンの方は、インタビューで時雨さんがわざわざ()の名前を出してくれた。そのおかげで注目が行って、下馬評でもそれなりに名前が浮上してたんだよ」

「そ、そうなんですか……っ」


 いちいち呼び方が変わっていることに気付いて言葉が詰まるけれど、すぐに痞えを押し流す。


「最優秀団体賞の方も入江先輩が目を付けてくれたし、そもそも対立構造に持ち込めたのだって入江先輩のおかげだ。あれがなきゃ、そもそも集客が危うかった節もある」

「なるほど……」

「ま、あの二人は事前の評価が高すぎるからハンデ代わりに色々やってもらってようやくフェアな勝負になった、って感じだけどな。実際、この文化祭での澪は凄かった。あの二人に負けてなかったよ」


 キラキラと、誇らしげに語る。

 悔しいけれど私も同意だ。今までは澪先輩のことを、捉えきれない人だ、と思っていた。でもこの文化祭を通して、何となく実像が見えて、代わりに底知れない輝きを持っていることを知った。

 やっぱり雫ちゃんの姉なんだな、って思った。


「凄かったです。霧崎会長もそうですけど……私は、姉に勝てる人がいるなんて思ってもいませんでした」


 もちろん、真っ向から戦ったかと言えば疑問は残る。

 けど今回の文化祭、霧崎会長や姉よりも澪先輩が輝いていたのは、紛れもない事実だった。


「だなぁ。そんな相手に不倶戴天の敵扱いされた感想は?」

「感想って言われても……私は不倶戴天の敵のつもりはないですから。戦う場も、戦う気も、そもそもありませんし」

「それもそうだな。戦う戦うって、どこの戦闘民族なんだよ、って話だし」

「本当ですよ」


 苦笑すると、この話はそこで終わる。

 その後は明日からの振り替え休日の話とか、今日のご飯の話とか、そういう他愛のない話をして、あっという間に家に着いた。


「無事送り届けられたな。もう10時近いんだし、これから出歩こうとするんじゃないぞ?」

「そんなこと千も承知です。安心してください、今日は大人しく寝ますから」

「そっか」


 じゃあおやすみ。

 百瀬先輩の声は、甘く耳朶を打つ。

 おやすみなさい。

 そう返して、私は家の中に引っ込んだ。


「……一人、か」


 一人暮らしは、私が望んだものだ。

 それなのに最近は、どうしようもなく寂しい。


 あの三人は、一つ屋根の下にいて。

 私だけが、離れていて。


「寒いな」


 孤独には低温火傷してしまいそうだ、と思った。

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