六章#01 白銀の妖精と金色の獅子(破)
SIDE:時雨
秋の夜長。世界を包み込む宵闇の中で、白銀の髪が月の光を編んでいた。
お母さんから継いだ、人とは違う髪。
人と違うことが嫌だと思ったことはない。だってボクのこの髪は、こんなにも煌めくから。さらさらと、まるで天の川みたいに風で靡く様は、自分で見てもうっとりするくらいだった。
ことこと、ごうごうとキャンプファイアーが燃えている。
空気がほんのりと焦げた匂いは、後夜祭特有の匂いだ。これでもう八度目になる後夜祭。最初に一度を除いてはずっと運営に回ってきたけれど、だからって億劫だと感じたことはただの一度もない。
喧騒から離れた隅っこにいるのは、大抵が恋人かそれ未満の関係の子たちだ。
うちの生徒会の如月白雪さんも、同級生の男の子に誘われていた。あの子の名前は確か……八雲晴彦くんだったかな。大切な従弟の同級生で、しかも友達だから、よく覚えている。
折角の後夜祭だ。生徒会の子にだって、楽しむ権利はある。みんなに、行っておいで、と伝えたボクは一人後夜祭に浸っていた。
……のだけれど、隅っこの方にいるのに一人ぼっちな子を見つけて、ボクもそちらへ向かう。
「やぁ。終わっちゃったね、文化祭」
「……霧崎時雨」
「あはは。フルネームで呼ぶのはやめて、って言ってるんだけどなぁ」
「今年もあなたが勝ったらやめてあげる、という約束だったはずよ」
ツンケンした様子で答えるのは、ボクの大切な友達だ。
三年F組入江恵海さん……なんて仰々しい呼び方ではなく、普段は恵海ちゃんと呼んでいる。その度に馴れ馴れしいと言われてしまうけれど、ボクにはこの呼び方がしっくりくるんだからしょうがない。
「んー。ボク、一応恵海ちゃんには勝ったと思うんだけど。ミスコン2位だったわけだし」
「っ……私の方は、準優秀団体賞を取ったわ。引き分けよ」
「どういう計算なのかな、それ」
ボクが苦笑すると、恵海ちゃんはムスっとした。負けず嫌いだなぁ……。
そんなところも含めて、ボクは恵海ちゃんが好きだった。三年の時を一緒に歩んで、ボクの高校生活を語るうえで欠かせない存在になっている。
だからこそ、ボクはしみじみと言う。
「まぁ……確かにそうだね。負けちゃった。ボクも、恵海ちゃんも」
「…………えぇ」
一年生のときから、ボクらはミスコンで1位と2位を競い合っていた。
これまでの戦績は2勝0敗。今年で3勝0敗になるかも、なんて思っていたけれど、その考えはあっさりと破られてしまった。
誰に? 答えた簡単。ボクの大切な従妹に、だ。
「まさかあの子が二冠を取るとは思っていなかったわ。演技力で負けるとも思わなかったし、私や霧崎時雨と比べればあの子は地味だったもの」
「それは、そうかもね」
「その結果、一本取られたわけだけれどね」
恵海ちゃんが言っているのは、最優秀団体賞の方だろう。
恵海ちゃんたち演劇部が去年までとっていて、今年は二年A組のミュージカルが獲得した賞。
ボクは演劇部も二年A組も見ていたけれど、どちらも完成度は高かった。クオリティで言えば、おそらく前者が勝っていたと思う。
けれど、これは文化祭。
二年A組のミュージカルは、ミュージカルの体を取ったリサイタルに近くて。
歌を交えたエンターテイメントは多くのお客さんを魅了し、それに加えて主演であるボクの従妹の輝きも評価されて、最優秀団体賞を取った。
相当に悔しいらしく、恵海ちゃんはぎゅっと唇を噛んでいる。
リハーサルの前日、わざわざ発破をかけにいったくせに……そういうところが、彼女の魅力だった。
だからボクは、
「ボクは一本取られたけど、恵海ちゃんが取られたのは二本じゃない?」
とあえてからかう。
「はぁ……あなた、そういうことばかり言ってると友達なくすわよ」
「大丈夫。ここまでのことを言うのは限られた人にだけだから」
「そう。その中に、あの男の子も入っているのかしら?」
恵海ちゃんは話を変えて、ボクを試すように言った。
あの男の子が誰かは……考えるまでもないかな。ボクの周りって、男の子が少ないから。
「そうだね。あの子には、もしかしたら恵海ちゃんより色々と言ってるかも」
「へぇ……随分と信頼しているのね」
「まぁボクの従弟だし」
「ふぅ――ん?! ちょっと待ちなさい、霧崎時雨! 今何て言ったのかしら?」
「えっ、ちょっと……」
急に顔色を変えると、恵海ちゃんはボクの肩を掴んだ。
ぎゅっとホールドされて迫られるボク。
「きゃー、やめてっ。無理やり何てダメ」
「あなたそんなキャラじゃないでしょ」
「てへっ。ついうっかり」
あの子ほどじゃないけど、ボクもノリは同じだからね。こんなにも美人な女の子に迫れると、ついつい悪ノリしたくなる。
それにしても、恵海ちゃんって本当に綺麗だなぁ。睫毛も長いし、お日様みたいな金髪にも見惚れそうになる。ボクと二人で、ギンさんキンさんコンビになるのもありな気がする。
「ねぇボクと漫才を――」
「ふざける前に、私の質問に答えてほしいのだけれど。学年1位の天才さんは、そんなことすらできないのかしら?」
「む……学年2位の秀才ちゃんに言われたくはないなぁ」
と苦笑しつつ、流石にふざけるのはやめる。
恵海ちゃんが聞きたいことは分かってる。ボクはこういうところで天然のボケをかますほど馬鹿じゃないのだ。
「あの子はボクの従弟だ、って言ったんだよ。どう、びっくりした?」
「びっくりって、それは……! 当たり前でしょう?! 今までどうして言わなかったのよ」
「えー、だって聞かれなかったし」
「あなたは本当に……っ!」
あー、怒ってる怒ってる。
まぁ、気持ちは分かる。去年から恵海ちゃんにはあの子との接点があったし、そうでなくとも今年になってからあの子のことが気になって仕方がないはずだ。
理由は二つ。
一つは、まさにこの文化祭。団体の代表者として文出会で恵海ちゃんに啖呵を切ったのが彼だった。
そしてもう一つは――
「ねぇ。彼とうちの妹はどんな関係なの?! 恋人同士? いや、でも彼はあの1位の子とも仲良さげだったわよね? というかあなたとも仲がいい感じだし……」
溺愛している妹ちゃんとあの子が仲良しさんだから。
恵海ちゃんの妹――大河ちゃん――は、あの子が体育祭の前に連れてきて、補佐にしようと言い出した子だ。どうやら生徒会に興味があるらしく、それ以来、ずっとあの子にひっついて頑張っている。
今回の文化祭でも二人が一緒にいることが多かったから、お姉ちゃんとしては気になってしょうがないのだろう。
そうくると思っていたので、ボクはちょびっと優越感に浸る。
「ふふっ、ど~しよっかなぁ。ボクは教えてもいいんだけど、ボクの口から言うのは、ねぇ?」
「あなた、本当に性格が悪いわね。いい? 私にはあの子に近づく悪い虫を殲滅した後に防虫剤をふりまくという使命があるの」
「随分と過激な思想だね……そんなこと言ってるから姉妹仲が上手くいってないんじゃない?」
「…………」
自覚はあるらしい。もちろん、それ以外にも理由があることはボクも恵海ちゃんも知っているけれど、恵海ちゃんの過保護ぶりも充分な理由になっていると思う。
もっとも、恵海ちゃんの気持ちはボクだって少し分かる。
だって――ボクも、従弟には同じくらい過保護になってしまうから。
「しょうがないなぁ。じゃあボクが知ってることを教えてあげるから、その代わりフルネームで呼ぶのはやめてよ。『シグシグ』って呼んでほしいな」
「それは絶対に嫌」
「ちぇっ。なら『時雨』で妥協してあげる」
「…………それなら呼んであげるわよ。きちんとあの二人のことを教えてくれたら、だけれど」
「もちろん。約束は守るよ」
とはいえ、ボクだって全てを教えてもらっているわけじゃない。むしろあの子は、ボクになかなか相談してくれなくて、そのことに胸がチクチクと痛むこともある。
けれどボクはボクで、あの二人を見てきたつもりだ。
春頃から今日にいたるまでの二人のことを、ボクの言葉で伝える。
二人が生徒会を手伝っている経緯、夏休み前のプチ喧嘩のこと、よく一緒に帰ってること。
「――というわけで。ボクはあの二人がお似合いだな、って思うよ」
「~~っ!」
「そんな悔しそうな顔しなくても」
「あなたが余計なことを言うからでしょう?」
余計じゃないもん、と胸の内で呟く。
ちっとも余計ではない。あの二人は、本当にお似合いだから。あの二人の傍にいて、お姉さんをしてあげたい、って思うくらいに。
夏休みの、プール掃除を思い出す。二人にお説教して、それから二人にしてあげて、帰り際になんだかいい感じになっていた二人を見て、ボクは懐かしい気持ちになった。帰り道に駄菓子屋さんに寄って、昔馴染みのぽっきんアイスを買って帰ったのだ。
「余計なことって言うけど……でも、あの子はボクの従弟だよ。結構優良物件じゃないかな」
「あなたの遠縁になるって考えただけでもゾッとするけれど、それはさておいて。優良物件かどうかは、誰の何かではなく、私の目で確かめるわ」
「そういう意味なら文化祭であの子に一杯食わされてない?」
「………………あれはノーカウントよ」
うわっ、大人げない。
ぷっと吹きだすと、恵海ちゃんは睨んできた。
そういうとこだよ恵海ちゃん。ま、今はそんなことより、一つ恵海ちゃんに提案をしなければ。今日話すつもりはなかったけれど、どうせ明日か明後日には電話するつもりだった。
「ねぇ恵海ちゃん。《《夏祭りのときに言ってたアレ》》、《《手を貸してあげようか》》?」
「えっ」
「文化祭ももう終わったからね。老兵にできるのは、次世代への引継ぎくらいでしょ?」
恵海ちゃんは眉間に皴を寄せながらボクの提案を聞いてくれた。
咀嚼するように瞑目すると、そう、と頷く。
「そのプラン、乗らせてもらうわ。時雨との共闘なんてとても不服だけれども」
「そうかな。好敵手との共闘なんて一番燃えるパターンじゃない?」
「ほんと、そういうところは苦手よ」
「ボクは恵海ちゃんのそういうところも好きだよ」
ボクらは、胡散臭く握手をした。
太陽と月が仲良くする……なんて、ちょっと詩的すぎて格好悪いかな。
何はともあれ。
文化祭は終わって、いよいよ、ボクの引退の時が近づいている。