五章#46 大河とお化け屋敷
三年B組は、一言で言えば普通のクラスだった。派手なわけでもなく、やる気がないわけでもなく、実に平均的。
時雨さん、何だかんだ生徒会長の仕事で忙しそうにしてたもんな。クラスのことに気を配る余裕はなかったのかもしれない。
――と、思っていたのは僅かな間だけだった。
しれっとたこ焼きがロシアンルーレットだったり、焼きそばに激辛味が用意されていたり、普通のメニューはめちゃくちゃ美味しかったりと、随所に時雨さんが参加したであろう痕跡が見え隠れしていた。タコの着ぐるみを着てる人がいるのは、絶対時雨さんのアイディアだ。
「ふぅ……美味しかったですね」
「ん。だな。流石は時雨さんって感じだ」
「作っていたのは他の先輩方でしたけど……百瀬先輩の気持ちはちょっと分かります」
あの人が凄いのは、分かりやすくて目立つ点で楽しむ一方、目立ちにくい点も実はちゃんと押さえていることだ。
今回で言えば、容器とか、店のシステムとか、そういう地味なところがかなり考えられていて、そこに時雨さんの本気を垣間見た気がする。
「あ、すみません。少しお手洗いに行ってきてもいいですか?」
「ん? あー、了解。悪い、気が利かなかったな」
「こんなことに気が利いたらそちらの方が嫌です。……では行ってくるので」
「おう。この辺で待っとく」
人が少なめのところまで移動し、俺は壁に寄り掛かってスマホをチェックする。
生徒会のアカウントでは昨日までにもばっちり投稿を続けている。昨日の様子なんかを何件か写真つきで投稿したりもしているが、概ねいい反応が返ってきている。多少は宣伝に繋がっているだろうか。
自分のアカウントからの投稿に限定して、投稿を検索する。
キーワードはミスコン。
ミスコンの情報は、SNSアカウントでも発信している。出場者それぞれのことを発信した投稿を見ると、その反応によってぼんやりと下馬評が浮かび上がる。
時雨さん、入江先輩、澪。
この三人が抜きん出ている、といった感じか。時雨さんと入江先輩は気に入ったや拡散が多いのに対し、澪の投稿にはコメントや引用コメントが多い。これが結果にどう反映されるのかは何とも言えないな。
と、そんなことを分析している間に大河が戻ってくる。
最後の一押しとばかりに参加者全員分の投稿を生徒会のアカウントで拡散し、スマホをしまった。
「すみません。生徒会のことでしたら別にスマホを見ていても構いませんよ。それくらいは待ちます」
「あ? いやもう大丈夫だぞ」
以前、一緒にいるのにスマホを使っていたら気を悪くする、みたいな話をされた。俺がそれを気にしたからスマホをしまった、とでも思ったのだろう。律儀な奴である。
そのことを思い出したのは事実だし俺も同感だったからこそ急いでしまったが、別に気にすることではない。俺は首を横に振った。
「さてと。じゃあ次はどこに――」
と言いかけて、ついさっきSNSに流れてきた情報が頭をチラついた。
ふむ……。
「なぁ大河。俺、ちょっと行きたいところができたんだけど」
「行きたいところですか」
「あぁ。ただちょっと好みが別れるところでな……」
まずは説明をして、それから行った方がよかろう。
そう思う俺とは対照的に、それなら、と大河は話を進めた。
「私はどこでも構わないので、百瀬先輩についていきます。とりあえず行きましょうか」
「え、ああ……けどその前に確認をしておいた方が――」
「確認ですか?」
俺より数歩先に歩く大河が、こてと首を傾げながら振り向いた。
やや釣り目気味の、端正な顔立ち。
……要らぬ心配だろうな、と胸の内で断じる。
「何でもない。今ならちょうど人も少なめらしいし、急ぐぞ」
我ながら微妙にフラグを立てている気がしないでもないけれど。
俺は大河と共に三年F組に向かった。
◇
三年F組の出店内容は、ずばりお化け屋敷である。
SNSでは「本気で怖すぎる」「ちょっと泣いた」「ガチ危険」などと好評(?)の声が上がっていた。なんでも、入江先輩も脅かし役をやるらしい。あの演技力でお化けとか、絶対怖いだろ……と思い、実は前々から気になっていたのである。
「…………」
「大河?」
「な、なんですか百瀬先輩」
「なんか顔が固いから……そんなに姉のところには来たくなかったのか?」
「いえ、そういうわけではなくて」
ならどういうわけなのか。
それを説明しようとはせず、大河は、ふぅ、と覚悟を決めるように息を吐いた。
「何でもないです。百瀬先輩、来たかったんですよね? なら私も入ります。お化け屋敷みたいなところは、安全性の面でも確認しておくべきでしょうし」
「まぁな」
危険な目に遭うことはないだろうが、問題があれば今からでも指摘する必要はある。
もっとも、おそらく誰かが昨日来ているし、問題なんて多分ないけれど。
そうこう言っている間に俺たちの番になった。
入口に立っていた先輩はペンライトと手錠を渡してくる……手錠?
「中は暗いので、ペンライトで照らして進んでください。スマホなどのライトはご遠慮ください」
「あ、はい。あの、これは……?」
「ああ、それはペアのお客様に渡しているものでして。これを嵌めて入ることをおすすめしているのですが……強制はしません」
使わなければそのまま手に持って、出るときに返せばいいらしい。
あー……そういや三年生の企画書をチェックしたのって時雨さんと如月だよな。あの二人ならこういうのを思いっきり推奨しそう。
「大河、どうする?」
「えっと……なら、つけますか。検証ということで」
「あー、そうか。了解」
何故か声は震えていたが、大河の言うことには肯う。
こういう馬鹿っぽいノリも文化祭みたいで悪くない。手を繋ぐのと同じようなもんだしな。
かしゃ。手錠が俺の右手首と大河の左手首を繋ぐ。
「それではお気をつけて~」
そんな風に見送られ、俺たちは教室の中に入る。
教室といっても、三年F組の教室ではない。少し大きめの空き教室を使っているのだ。
部屋の中は、作られた暗闇に満ちていた。しょぼいペンライトで足元を照らすが、それでも夜の街よりよほど暗い。
恐怖心を煽るBGMが不気味に鳴っている。出たよ、子供が歌う歌詞が不気味な童謡。それだけで怖く感じるよな……。
「とりあえず真っ直ぐ進めばいいか。行くぞ」
「――ぃ」
かしゃかしゃと手錠の音も聞こえる。
こつ、かつ、と地味に手が触れる。その度に大河の方を横目で見るが、どんな顔をしているのかは分からない。
見えない分、他の感覚に神経が鋭利になる。音、匂い、触感、味……最後のは違うか。
僅かに大河の息は荒くなっていた。
荒くなった息を隠すように、ん、と不規則な声が漏れ聞こえる。
「えっと……大河。もしかしてホラー系苦手だったりするのか?」
「な、なんでそう思うんですか……? そんなことあるわけないじゃないですか。しかもここは姉が脅かし役をしているんですよ? 実の家族がお化け役をやると分かっているのに怖がるわけ――ひゃっ」
首のあたりをヌメっとした感触が通り過ぎた。こんにゃくか、或いはそれに類する何かか。雰囲気とは対照的に古典的な仕掛けに苦笑するが、一方の大河にはそんな様子はなかった。
びくっと跳ね、大河は勢いよくしゃがみこむ。
手錠をつけているため、俺もそれに引っ張られてバランスを崩しそうになった。
「おっと……あぶねぇ」
「あっ、す、すみません」
「謝らなくていい。まぁ苦手なら苦手って教えてほしかったけどな」
「に、苦手では――」
「その議論はいいから。声めっちゃ震えてるし」
たかがこんにゃくへのこの反応。これで苦手でなければ何が苦手だと言うのか。
「うっ……違うんです。お化けとかが苦手なわけではなくて。ただ、お化け屋敷は……」
「そっか。すまん、今からでも戻るか? 引き返せそうだけど」
「いえ、大丈夫です。今から引き返すと後ろの人とぶつかってしまうかもしれないですし」
今ならまだ次の客が入っていない気もするが、暗いので断言はできない。大河が大丈夫だと言うなら、それを信じるか。
とはいえこのままってわけにもいかない。こんにゃく程度でこの反応なら、人が来たらどうなるか……。
少し考えて、俺は手錠で繋がれている手を、きちんと掌で繋いだ。
「手錠だけだと手首痛めるかもしれないから……嫌か?」
「っ」
どんな顔をしているのかは分からないけれど。
握り返された力は思っていたよりも強くて、言葉よりも先に質問の答えを得る。
「了解。本気で耐えられなくなりそうだったら言えよ」
普段の大河の振る舞いから、大丈夫だろうと勝手に判断したのは俺だ。
だから俺にも非はあるけど……その話をすると大河が気に病む気がして、口を噤む。代わりにぎゅっと手を握った。
仄かに伝わってくる熱。
おもちゃの手錠がわざとらしく、かしゃ、と鳴った。
「ひゃっ」
「…………」
「ひゃうっ」
「…………」
「きゃっ、やだっ」
「…………」
ずんずん進んでいくこと暫く。
おもちゃの蛇が出てきたり、ゾンビが出てきたり、人体模型の顔が転がってきたりと、色んなものが俺たちに襲い掛かってきた。若干世界観がよく分からない気もするが、大河はめちゃくちゃ怖がっている。
俺も怖くないわけではない。入江先輩がアドバイスをしたのか、それとも三年生の経験が活きているのか、お化け屋敷を最大限に怖くする演出が施されており、ちょいちょいビビってはいる。
が、大河がこうも怖がっていると、こっちはむしろ冷静になってしまうのだ。手を繋いでかっこつけた手前、一緒になって声をあげるのはダサいし。
「うっ……離さないでくださいね」
「っ、分かってる。もうすぐゴールだからな」
「は、ぃ」
まさかあの大河がここまで弱々しくなるとはな。思わぬ弱点を発見した。まぁお化けではなくお化け屋敷が苦手なのだとすれば、日常生活でからかうのは難しい気もするけど。
なんて考えていると、明らかに怪しいスポットに辿り着く。ちょうど曲がり角だし、なんとなく人の気配も感じるんだよな。もうすぐゴールだってことを考えると……。
「うち――もうとと――んて――きょうじゃない」
小さく、本当に小さく、途切れ途切れの声が聞こえた。見えない分、耳に集中していたのが功を奏したのだろう。
或いは真逆、裏目に出た、と表現すべきなのかもしれない。
だって、今の声って完全に入江先輩だろ⁉
うちの妹と手を繋ぐなんていい度胸じゃない、って言ってたよな!?
お化け的な意味ではなく、普通に怖いんですけど⁉ どんな顔してんの⁉
「百瀬先輩……?」
大河が縋るような声を零す。
ぐぬぅ、すごい庇護欲を駆り立てられる。普段は強気なドーベルマンに甘えられている気分だ。いやそんな経験ないけど。
あー、ったく。
流石に入江先輩の本気には俺もビビる気がしていたが、怯えてなんていられなくなったじゃねぇか。
ここに入る前に大河がしていたように、ふぅ、と俺も覚悟を決めて息を吐く。
大河と共に、怪しいスポットに踏み入れる。
案の定、さわ、と何かが動く気配がした。
「う~ら~め~し~や~」
「――ッ」
「きゃぅっっっ!」
台詞はあくまでありきたり。
が、入江先輩の演技力は流石だった。マジで恨めしく思っている女が化けて出たんじゃないかと思うほどである。
それでもギリギリで声を我慢すると、大河が助けを求めるようにぎゅぅぅぅと手を握ってくる。
手を握る力の強さに顔をしかめそうになるが、ぐっと堪えた。
「ふぅん」
と、入江先輩が小さく呟き、引っ込んだ。
もはやその『ふぅん』に込められた意図を考えるだけで怖くなりそうだけど、次に控えているミスコンに差し支えそうなので考えるのはやめた。入江先輩、マジ怖い。
大河に余裕ができたところで、再び歩き始める。
見立て通りさっきのところが最後だったらしく、すぐにゴールにたどり着いた。
ペンライトと手錠を返すと、出口で控えていたスタッフの人が白い紙を渡してきた。
「えっと、……これは?」
「入江さんがあなたに渡すように言っていたので」
「え゛」
追い打ちとかえぐすぎる。
大人しく受け取って中身を見ると、そこには力強い字でこう書かれていた。
『見てるわよ、ずっと』
怖ぇよ。この世界にはシスコンしかいないのか?
「あの、も、百瀬先輩? それは――」
「大河は見ない方がいい。これは俺と、お前の姉との話だから」
「……? 余計に気になるんですが」
不服そうにしながらも、大河は目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。
出会った当初は大河の方が目つきが鋭い、なんて思っていたけれど、今はそのときと逆のことを思っているな、と苦笑した。




