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五章#43 開幕、澪

「すっげぇ……え、なにこれ。俺って気付かないうちに演劇系漫画の世界に転生した?」

「落ち着け友斗。ついさっきの悪い顔を取り戻すんだ」

「そうだよ落ち着いて百瀬くん。脚本家の差はしょうがないって」

「そうそう、落ち着きな。百瀬の脚本じゃ足元にも及ばないなんてこと、分かってたことでしょ」

「三人揃って俺を貶すうえにそのうち二人が脚本のことを言うとはどういう了見だァ?!」


 演劇部の劇『白雪姫は森で眠る』が終わった。

 俺たちのミュージカルまで、あと5分。既に準備を終えた俺は、あっさりと演劇部の劇に圧倒されていた。


 『白雪姫は森で眠る』――そのストーリーは、純愛であり、おとぎ話のアンチテーゼと呼ぶべき名作だった。

 大筋は『白雪姫』と変わらない。主人公である白雪姫が、原作ほど性悪ではなく、ディ〇ニー版ほど無垢すぎるわけでもない、一人の女性として息を呑むほど魅力的な人物造形がされていたのが大きな違いか。


 しかし、そのストーリーは小人たちと出会ったところから少しずつ確かに変容していく。

 白雪姫は、なんと小人のうちの一人と本気の恋に落ちてしまうのだ。

 小人の中では一番若く、疎まれていて、けれどとても優しい小人。彼と白雪姫は、ゆっくりとその距離を縮めていく。


 その関係性の変化に時間をかけつつ、ちっとも飽きさせることのない密な物語にしているのは流石だと言えよう。

 入江先輩や演劇部員の演技力、照明や音楽、台詞回しのテンポ感など。

 どれを取っても素晴らしく、マジですごかった。


 が、そんな風に幸せな恋に浸っていられるのも一瞬のこと。

 物語にヒビを入れるように魔女が登場する。しかも、魔女は他六人の小人と結託し、白雪姫の殺害を企てるのだ。


 魔女は白雪姫を、六人の小人は一人で幸せになる小人を、それぞれ妬んだ。

 毒林檎を食べてしまう白雪姫の愚かさも、小人たちの計略ということで処理していた。

 斯くて白雪姫は毒林檎をかじり、倒れてしまう。


 けれども小人が彼女にキスをし、永遠の愛で結ばれて――なんて展開ではなかった。

 なんとそこに現れたのは王子だったのだ。

 王子は、実は白雪姫が幼い頃に社交界で出会い、その頃から白雪姫のストーカーのようになっていた。

 そして自分がキスをして白雪姫を助ける、と言うのだ。


 二人がキスをすることに苦しむ小人。

 されど白雪姫の死の原因が自分だと考えもするから、彼は何も言わない。現実を受け止めて、王子と幸せになってくれ、と身を引くことを決意する。

 果たして、王子のキスによって白雪姫は目覚めてしまう。そのまま王子に連れていかれそうになる白雪姫。小人に突き放され、あろうことか王子のキスによって目覚めてしまい、彼女は彼女で苦しむ。


 そんななか、目覚めた理由が王子のキスではなく、王子がキスの前にそっと飲ませた解毒剤であったことが明かされる。彼は小人六人と結託していたのだ。


 そんな奴を許しておけるか、と憤怒する小人。

 一方の白雪姫も、自己嫌悪の中で、それでも自身の想いが確かであると感じる。


 その後は、まぁ、色々あって。


『私、あなた以外とキスをしてしまったわ。こんな私を……あなたは、好きになってくれる?』

『白雪姫! 世界で一番綺麗なのは君だ。もうこの手を離したりはしないからそばにいてくれないかっ!』


 と、言って、二人は結ばれる。

 最後には森の小屋で二人寄り添い、幸せそうに眠って――ハッピーエンド。

 そんな、幸せな物語だった。


「普通に小説にして売ってほしいまであるだろ、今の。入江先輩、マジでぱない」

「はぁ……はいはい、分かったって。まぁ百瀬が好きそうな話だったしね」

「そうなんだよなぁ……俺の好みど真ん中の話だったんだよ」


 こくこくと力強く頷くと、澪がムッとした表情でデコピンをしてきた。

 ずがん、と抉るようなデコピン。

 大声をあげそうになり、俺は咄嗟に口を塞いだ。


「いったぁ……何すんだよ」

「何するんだよ、じゃないから。私たちの番始まるし、そろそろ集中して」


 まぁ緊張させないためにあえておどけてるんだろうけど、と澪が小声で零した。

 ちぇっ、見透かしてんじゃねぇよ。ばつが悪くなり、俺はこほんと咳を払う。


「ま、そうだな。冗談はほどほどにしておいて……みんな、頑張ろうな」


 舞台裏に来れているのはクラスの半分以下。ぐるりと見回すと、誰も彼も、いい顔をしていた。俺があれこれ言う必要はなかったかもしれないな、と苦笑する。


「焼肉、食いに行こうぜ」


 その苦笑いを、満面の笑みに変えて。

 クラスの一員らしく俺は言った。澪は俺の前に出て、女王みたいに、にかっと笑った。


「みんなが決めてくれた通り、私は輝いてくるから」


 そう言い残し、舞台へと進んでいく。

 スタッフ総員が澪に倣って位置について人心地つくと、俺は観客の数に圧倒された。


 演劇部の劇の満足度が高かったからか、俺たちがトリなのでどうせなら最後まで見ていこうと思ったからかは分からないが、演劇部の劇を見ていた観客の七割以上が残っている。


 とはいえ、全員が全員、このミュージカルを見ようと思っているわけではない。

 惰性でいるだけだったり、ただギリギリまで休憩所として使ってから出ようとしていたりするだけの人だっている。

 高校生で、しかも下手すれば劇よりお寒いミュージカル。演技力は演劇部に遠く及ばない。冷笑される可能性だって否定できない。


『それでは続いて、二年A組の発表です。ミュージカル「八面鏡の白雪姫」。どうぞお楽しみください』


 けれども、それでもやはり幕は開く。

 舞台の中央に立つのは、赤いドレスを身に纏う王女()。それはそれは綺麗で、華やかだ。『白雪姫』の冒頭を飾るのが王女だなんて、可笑しな話だ。


 されど、観客は絶対に魅了されるだろう。

 『だろう』という推量は、もはや不要かもしれない。間違いなく、観客は聞惚れる。


 ぎぃぃぃぃ、と幕が開いて。

 その刹那、綾辻澪の歌声が体育館の空気を痺れさせた。


 『八面鏡の白雪姫』

 第一曲目は、開幕速攻の王女の歌だ。タイトルは『鏡よ、鏡』。

 バラード調の、澪の歌声を充分に聞かせる歌によって、本来ナレーターが担うべき物語の導入を全て済ませる。


 与えられた時間は45分。俺の拙い脚本でナレーションを入れようと思うと、どうしても退屈で見飽きる時間ができてしまう。

 だからこそ、澪の歌声に全部任せてしまおうという判断をした。


「よし」


 案の定、観客は澪の歌に聞惚れている。

 当然マイクを使ってはいない。されど体育館中に澪の声ははっきりと広がり、しかもその一音一音が確かに耳に染み入る。


 俺の判断は間違ってなかった、と確信する。

 身振り手振りは最小限に、語り手であり詠み手でもあるかのように歌い、しかし絶妙な表情やステップによってきちんと物語を纏っていた。


 王女は、さほどよい家の出ではなかった。それでも持ち前の美しさから王に見初められ、結婚することになった。

 見事な玉の輿。愛されて幸せを感じた彼女は、しかし、やがて一つの悩みを抱えることになる。


 子がなかなかできなかったのだ。

 若いうちは愛されているだけでよかった。けれども次第に、愛だけではどうしようもないことを実感する。

 そんな彼女は、ある冬の日、窓際で雪を見遣ったときに針で指を刺してしまう。


 ぽたぽたと、白雪に零れる血。

 彼女は願った。

 雪のように白い肌と血の如く赤い唇を持った子がほしい、と。

 その願いは叶い、そして白雪姫が生まれる。


「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだれ?」


 『鏡よ、鏡』の一番を終えて、王女が鏡に尋ねる。

 ようやく俺の出番だ。

 心を込めて、()はマイクを通して答えた。


「王妃様、あなたです。世界で一番美しいのは王妃様」


 王女はその返答に、満足な様子を見せる。

 刹那、暗転。

 暗闇の中、すたすたと黒子が移動する。衣装チェンジだ。澪は紫色のマフラーを巻く。


 澪は舞台の端へ移動。中央には白雪姫の恰好をした伊藤と白雪姫を囲むモブが現れる。

 準備が整うと、再びライトが点いた。

 突如現れた白雪姫とモブ、そして王女の衣装チェンジに観客は戸惑う。

 が、戸惑う必要なんてないからついてこい、と言わんばかりに、澪は『鏡よ、鏡』の二番を歌い始めた。

 スポットライトは、未だ王女へ。


 成長した白雪姫が多くの者に愛され、あろうことか王すらも彼女に惹かれ始める。

 そんな王女にとっての悲痛な現実を、しかし、全て澪の歌によって説明し尽くす。


 ミュージカルとしては、観客を置いてけぼりにしていると言われても仕方がないだろう。幾ら『白雪姫』が多くの人に知られているとはいえ、物語の展開が雑すぎる。

 そんなの百も承知だ。こっちは脚本も演出も演技だって、全員が素人だぞ? 伊藤は音楽方面で詳しいかもしれんが、それ以外はクラス全員、ミュージカルについて一齧りもしていない。


 そもそも、である。

 ミュージカルをやりたいという声が上がったきっかけは、体育祭の打ち上げで行ったカラオケなのだ。誰一人、演技なんてものに目を向けていない。


「鏡よ、鏡~♪ 魔法の~かが~み♪」


 息を呑むほどの、澪の歌声。

 俺たちの本命は、演技などではなく歌声なのだ。

 もっと言えば、これはミュージカルであってミュージカルではない。

 これは――。


「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだれ?」


 二番が終わり、白雪姫たちが舞台を去る。一言も発することなく、あくまで王女の歌の世界を広げるためのオブジェクトとしての役割を全うした。

 たった一人きりになり、黒薔薇の如く妖しくなった王女は魔法の鏡に尋ねる。


「答えなさい、魔法の鏡よ。世界で一番美しいのは……だれ?」


 しん、と体育館から音が消えたように錯覚する。

 しかし誰も、この静寂を“静”と認識していなかった。むしろ“動”だと感じているはずだ。

 観客が息を呑むのと同時に、


「ここでは王妃様、あなたが一番美しい。けれどこの世で一番美しいのは、白雪姫。王妃様の娘の、白雪姫です」


 と()は答えた。


「っ……なんですって? 嘘よね、嘘だとお言いなさい」

「いいえ、王妃様。この世で一番美しいのは白雪姫です」

「お黙りなさい! もう結構よ!」


 激情が声に乗り、空気を焼く。

 やはり、俺は不意に怖くなった。入江先輩の演技とは違う、鬼気に迫った演技。瞬いたらすぐに消えているような、そんな風に感じてしまう。


 けれど――それは澪の演技が上手いとか下手だとか、そういうことではなくて。

 まして澪が自分を見失っている、とかそういうくだらない精神論でもなくて。

 ただ彼女の輝きの本質が、その危うくも儚い眩さにある、というだけのこと。


「もういい……あんな子は、殺してしまいましょう。私から愛を奪ったあの子を、殺すのよ」


 演者でも、仮面師でもなくて。

 人前に立つ綾辻澪は――偶像(アイドル)なのである。


「ミュージカルなんてやるかっつーの」


 そしてこれは――ライブで、リサイタルで、綾辻澪というアイドルを輝かせるためのステージなのだ。


 ……だからまぁ、俺の脚本はそのおまけみたいなものなわけで。

 入江先輩に負けてるかどうかなんて、それほど大切ではないのである。

 …………負け惜しみじゃないよ?

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