五章#42 衣装
『占いの館』を出た後も、何軒か適当に回り、あっという間に3時になった。
流石にこれ以上遊び続けるのはクラスの奴らにも悪い。伊藤に渡されたビラもさりげなく配り終えたところで、雫と別れることにした。
「先輩たちのクラスのミュージカル、絶対に見に行きますね!」
「おう。楽しみにしとけ」
「もちろんです! 先輩の王子様役、笑ってあげます」
「泣くからな。そんなことしたら絶対に泣くからな!」
なんてことを話しつつ。
雫は、友達を誘ってぷらぷらと文化祭をエンジョイしに行く。大河とも一緒に回りがってたが、泣く泣く諦めていた。トラブルが起こらないとはいえ、執事役を外せはしないらしい。
そんなこんなで教室に戻り、ドアをノックする。
「暗号をどうぞ」
「……いや、知らないんだけど」
「じゃあ入れられないね」
「何故に?! 俺、同じクラスなんですけど!?」
それは明らかに舞台監督の声だった。あっちだって顔を見ずとも俺の声を分かってるはずなのに、さも当然の如く締め出されたんだけど?
「俺だよ俺」
「あー、知ってる知ってる。オレオレ詐欺でしょ」
「違うよ? 本当に俺だよ? 百瀬友斗だよ?」
「ダレダッケソレ」
「あからさまな棒読み!?」
ここに来ていじめっすか? ぼっちハブりですか?
と、不安になりつつドアと開こうとし、内側から鍵がかけられていることに気付く。よく見たらドアにある小窓にも紙が当てられているし……つまり、そういうことか。
「えっと、もしかして着替え中?」
「そーだよ。え、分かってて突入してこようとしてたんじゃないの?」
「違ぇよ! そんな変態なわけ――」
「だってクラスラインに書いてあるでしょ? 今から教室は女子の着替えに使うって」
「…………すんません」
クラスラインとか見てなかった……!
伊藤の指摘でスマホをチェックし、俺は素直に謝る。
「あ、伊藤さん。百瀬って変なところで抜けてるし、多分わざとでも特別な意図があるわけでもないと思うよ」
ドアの向こうで、おそらく着替えの最中であろう澪が声を上げた。
えーほんと? と伊藤が疑るように言う。口ぶりから察するに、どうやら俺が何か意図があってここに来たんだと思われていたらしい。
ごめんね、マジで素です。
「あー、悪ぃ。完全に綾辻の言ってる通りなんで、とりあえず俺も着替えてくるわ。男子は更衣室でいいんだよな?」
「そだよー。今小人たちが準備してるはず」
「了解」
時間まではまだあるが、白雪姫にしろ王子様にしろ、衣装は派手だからな。体育館に移動する時間も考えたら、もう今のうちから着替えてしまってもよかろう。
いつまでも女子が着替えている部屋の前にいるわけにもいかない。俺はその場を去ろうとして、その前に、と口を開く。
「なぁ伊藤。入口に『着替え中です』ってしっかり書いておかないと色々トラブル起こるかもしれないから気をつけろよ」
「え、そんなアピールしたらむしろ覗いてくれって言ってるようなものじゃん。鍵閉めてるし、鍵開けられるのなんて職員室にある鍵くらいだし」
「あ、そうか……」
ぷっ、と伊藤が吹き出した。
「百瀬くんってヤバいね、めっちゃ抜けてるじゃん。もしかしてポンコツ?」
「うっせぇ!」
確かに、自分でもふとした瞬間にミスるとは思ってるけども!
あんまりそれを言わないでいただきたい。めっちゃハズいから。
逃げるようにその場を去ろうとする俺に、今度は伊藤が声をかけてくる。
「じゃあね、百瀬くん。ちなみに合言葉は『綾辻澪は銀河一』だから。帰ってきたら言うように」
「言わねぇよ!」
以前ならともかく、今の澪ならその合言葉を普通に受け入れそうで怖い。
そして、手の負えないことに。
こと文化祭に於いては、あながちこの合言葉を否定できないんだよな、これが。
◇
「馬子にも衣装、の実例を見た気がする」
王子の衣装に着替えた俺は、鏡を見ながらそう呟いた。
華美だが嫌味な派手さはなく、シンプルに紳士って感じの衣装。それに加えて八雲その他女子の衣装担当が施してくれた化粧やヘアセットのおかげで、ちょっと自分でも引くくらいにかっこよくなっている。
髪型を気にするくらいのことは今までもしてきたが……本気でやるとここまで見てくれがよくなるんだな。これなら気が向いたときには化粧とかしてもいいかもしれん。
鏡の自分と顔を見合わせてうんうん頷いていると、八雲が隣でくすっと笑った。
「いや、友斗は馬子じゃないっしょ。元から割とイケメンだし、夏休み明けくらいからは雰囲気も接しやすくなったし」
「そうか……? って言うのは、流石に嫌味っぽいか」
「まーな。けどまぁ、俺たちのおかげで普段より一気にかっこよくなってんのは間違いないから、驚く分にはいいと思うぜ。武士にも衣装、ってところじゃね?」
「武士にも衣装、ねぇ……」
確かに初期の武士は質素倹約って感じのイメージだったりするし、そういう意味では当たらずとも遠からずな表現なのかもしれない。
そんな八雲も、今日は衣装を着ている。
小人の衣装は地味だし、ぶっちゃけそこまでお金をかけられていない。だが衣装担当のグループが丁寧に作ったこともあって、かなり上等なものになっている。言わずもがな、八雲は上手く着こなしていてイケメンである。
つーか、八雲は八雲で、文化祭準備の最中に割とクラスの女子から好感度稼いでると思うんだよな。裁縫ができて、気配りもできて、クラスの中心で明るくて……如月がいなきゃ、きっと誰かに告白されていたことだろう。
「ま、感想は後にして、とりあえず教室戻ろーぜ。そろそろあっちも着替え終わってるっしょ」
「だろうな……なぁ八雲。なんかこう、ローブみたいのってないか? このまま廊下を歩くの嫌なんだけど」
「ん? こっちにはねーよ。綾辻さんの体育館までの移動用に、教室に置いてあるのがあるだけだから」
「あっ、そう……」
ならそれを借りて来ればよかったかもしれない。
がっくりと肩を落としつつ、駄々をこねるのはやめる。一応ブレザーだけ軽く羽織っておこう。
「いよいよ始まるなー! なんか緊張してきた」
廊下を歩いていると、八雲は小人の恰好のまま、言ってきた。
緊張しているようにはちっとも言えない顔だが、そこを指摘するのはやめておこう。俺だって緊張してるのに八雲が緊張していないってのは癪だし。
「いよいよって言ってもあと一時間以上あるだろ?」
「まー、そうだけどさ。でもそのうちの半分は演劇部の公演だし」
「あー……まぁな」
体育館のステージを使用する団体は、原則として一つ前の団体の発表のときから裏で控えておくことになっている。
その間は練習も打ち合わせも最小限しかできないし、まして一つ前がライバルである演劇部となれば、そんな気にもなれないだろう。下手にギリギリまで準備をしたところで緊張感が増すだけだ。
「昨日、リハで演劇部がフルに通しててさ」
「……悪い」
「別に友斗たちのこと責めてるわけじゃねーって」
晴れた表情で首を横に振り、八雲は続ける。
「俺らも一応は位置とか照明の確認のためにリハに行ったんだけど……ぶっちゃけ、圧倒された。演劇部、マジですごかった」
「だろうな……知ってる」
夏休み前の七夕フェス――だけじゃない。
俺は幾度か、演劇部の劇を見ている。昨年の文化祭はもちろんのこと、その後に行われた演劇部の公演に、時雨さんと一緒に行ったことだってあった。
入江恵海は、すごい。大河が複雑な心境になるのも頷けるほどに。
されど、演劇部は演劇部自体もすごい。演出も、衣装も、脚本も、主演以外の演技力も、高校の文化祭レベルではない。高校の部活の次元にぎりぎり踵だけ残っているかもね、と思う程だ。
「まー、別に最優秀団体賞取れなくてもいいんだけどな。この文化祭、すっげー楽しかったし。でも……綾辻さんはさ、本気っぽいじゃん。今朝もみんなに謝って、その後に『絶対最優秀団体賞取るから』って言ってて……」
けど、現実的には難しいんじゃないか。
八雲はそう言いたいわけだ。
「だから、なんつーか……あれな。友斗がちゃんとするんだぞ? その辺の話は、今度聞くけど……大切な相手なんだろ?」
その声に、本気の色が見え隠れする。
茶化すように浮かべる笑顔とは対照的に、目は真剣だった。
元からこの話をすべきだったのか、話の流れで口をついて出た忠告なのかは分からない。
でも、ちゃんと話さなきゃな、と強く思った。
文化祭が終わったら。
八雲と、親友になろう。腹を割って話して、俺の最低さを打ち明けて、その上で仲良くなろう。
長い準備期間だったのに、俺はあまりにも色んなものを保留しすぎているから。
だから今は、
「俺が慰めたところで綾辻は聞かねぇよ。それに、慰める必要なんてどこにもない」
と言って。
そもそもさ、と俺は言葉を続けた。
「俺たち、真っ向から戦う気なんてないじゃん?」
「……ふっ、それな!」
「そういうこと。つーわけでモブ同士、頑張ろうぜ」
「だなぁ……! あ、でもその笑い方はやめといた方がいいぜ」
「割と渾身の笑顔だったのに……」
ぷふっ、と堪らず二人で吹きだして。
それから俺たちは、教室に戻った。