五章#38 メイド喫茶
雫たち一年A組はメイド喫茶を行っている。
店名は『萌え萌え♡ メイド喫茶』と、寸分の捻りもないドストレートなもの。主導しているのが雫ということもあってか、無意味に捻って分かりにくくなる……なんて失敗を犯してはなかった。
文化祭と言えば。
そう言い切ってしまってもいいくらい、純度120%のメイド喫茶。
それは、外観からも伝わってきていた。
「雫……すごい」
「別に雫だけが作ったわけじゃないと思うけどな」
「それでも雫が学級委員として仕切ったんだから雫の功績でしょ。雫はすごい。異論は?」
「出たよ、シスコン」
「うっさい、シスコン」
お互い様すぎた。
苦笑いしつつ、そうだな、と澪の言葉に同意しておく。
何だかんだこの文化祭ではろくに雫の力になってやれなかった。それでも立派にやってのけているのを見せられると、俺は過保護すぎたな、とつくづく思う。
そもそも、雫は能力だけで言えばそれなりに高い方だ。
コミュ力は高いし、頑張り屋さんだし。実務面では経験不足かもしれないが、支えてくれる存在はクラスに幾らでもいることだろう。
「立派になったよなぁ……」
「本当にね」
「雫は昨日、綾辻のことを心配してたからな。もはや姉と妹が逆転してるんじゃね?」
「それ、本当に中身の話してる? 体のサイズで判断してない?」
「綾辻ってその話だけはマジで食い気味だよな」
「まぁね」
まぁ、色んなところが雫の方が立派だったりしますけども。
別にどっちもどっちでいいと思いますよ?
「……見すぎ」
「見てねぇよ?!」
「どうだか」
と、くだらない会話をしているうちに俺たちの番が回ってくる。
入口に立っていたスタッフの子に促されて店内に入ると、
「おかえりなさいませ。お嬢様、旦那様」
真っ先に、最高に可愛いメイドが出迎えてくれた。
――っ!?
完全に不覚だった。考えていたことが全部吹っ飛んで、そのメイドに目を奪われてしまう。
露出は、文出会で言っていたように控えめだった。
スカートは長めだし、胸元だって開いていない。サイズがぴちぴちでスタイルを強調しているってこともなくて、クラシカルで本格的なメイドに近いように思う。
俺もメイド界隈には詳しくないが、ヴィクトリアンスタイルってやつだろうか。
にもかかわらず、上品さより先に萌えが伝わってくる。
それは――と萌えの発生源を探して、すぐに気付く。メイド服に刺繍がしてあるのだ。可愛らしい動物の刺繍。その刺繍が、クラシカルなメイド服に『背伸び』の三文字を付与する。
露出は控えめ、けれど決して可愛さを諦めはしない。
露出しないからこそ生じうる、古典的なメイド服ゆえの萌えがそこにあった。
加えて、呼び方だ。
『ご主人様』と言えばシンプルなところを、あえて『お嬢様』『旦那様』としてきた。
一目で性別が分からなかったり、性別に対して複雑な事情を持っている可能性だって十二分にある今の時代に、あえて性別で区分けするような呼び方をしてきたのだ。そこには並々ならぬこだわりを感じる。
文化祭のメイド喫茶で『ご主人様』と言ってしまうのは、はっきり言って、しゃらくさいのだ。
『メイド喫茶なんてこんな風にやっとけばいいんでしょ? はいはい、萌え萌え』って感じがしてしまう。学生の適当なノリ感が滲んでしまえば、客は萎えてしまいかねない。
だが『お嬢様』『旦那様』ならばどうだろう。
こだわりがあるっぽく見えるうえ、『ご主人様』以上に仕えている主人の姿を彷彿とする。そしてその主人に対して奉仕する一生懸命さが伝わってはこないだろうかっ?!
兎の刺繍の入ったメイド服を着た雫は、えへへ、と頬を綻ばせる。
「お嬢様にも旦那様にも気に入っていただけたみたいでよかったですっ。それではこちらへどうぞ」
そう言って、俺たち二人を窓際の席に案内してくれる雫。
後ろ姿も正しくメイドらしくて、すげぇな、と改めて思う。脱帽だ。ここまでハイクオリティに萌えを追及してくるとは思わなかった。
席につくと、
「こちらがメニューになります。どうぞ、お受け取りくださいっ」
と言いながら、メニューを渡してくれた。
澪と二人でそのメニューを眺めつつ、雫に話しかける。
「その恰好、似合ってるな。マジでメイド喫茶のメイドって感じがする」
「ふふふー、ですよね! ありがとうございます、旦那様♪ って、えへへ……先輩に旦那様って言うと、なんだか別の意味っぽくなっちゃいますね」
ぽりぽりと気恥ずかしそうに頬を掻く。
うっ……なんか、そう言われるとこっちまで照れてしまう。さっきまでの澪の冷たい態度との落差のせいだろうか。『北風と太陽』的なアレかもしれん。
雫は、今も俺のことを好きでいてくれて。好意を隠そうともしないし、時々ドキッとさせようともしてくるわけで。
主従ではない関係で、旦那様、と呼ばれる未来があったのかもしれないし、今の延長線上には未だにあるのかもしれない。
そう思ったら、不思議と――ふわふわしてきて、
「雫はほんと、可愛いな」
なんて呟いていた。
雫を褒めるのはいつものことだし、ちっとも特殊なことじゃないけれど。
思っていたよりもずっと本音っぽい声になると、雫の顔がぽかーっと赤く染まった。
「っっ……そ、そうでしょ! えっへん。こ、こだわりましたから」
「うん、それはすっげぇ分かる。メニューもかなり計算してるんだろ? サービス込みでも高くなりすぎないように配慮してる。量が少なめなのは、他のお店も楽しめるようにって考えてるんだろ」
気恥ずかしくて、ぺらぺらと饒舌に褒め言葉を並べたてる。
そんな俺の胸中を見透かしてか、雫はふっとはにかんだ。そういう大人っぽさもずるいんだよな、雫って。一枚上手だな、って思う。
と、考えていると。
こほん、と大きめの咳払いが聞こえた。
「お客様。スタッフとの会話を楽しんでいただけているところ恐縮ですが、お早めにメニューを選んでくださると助かります」
力強く凛とした声。
聞き馴染みのあるその声の主の方を向くと――
「えっ? 大河はどうして執事服なんだ?」
そこには、執事姿の大河がいた。
髪型はいつものまま。クラシカルながらも可愛らしい印象のメイドとは対照的に、大河は可愛さを一切排した黒い執事服を身に纏っている。
が、執事服は決して地味なわけではなく。
まして大河の華やかさを包み隠せるはずもなく。
結果的に男装してる美少女って感じの、オタクが好きな感じになっていた。惜しむらくは、さらしを巻いていないせいで胸元が完全に女の子なことか。男装するならさらしを巻いてほしかった。
「…………」
「百瀬。フォークで眼を突き刺すよ?」
「あ、うす。すんません」
澪の方が男装は似合うよな、とか思ってたら怒られてしまう。
素直に謝りつつ、なんで執事服? と大河と雫の方を見つめた。
「ほら、プレゼンのときに執事服の男子を常駐させるって言ったじゃないですか」
「あー、言ってたな」
「けどうちのクラスの男子、割と監視役というかトラブル対応ができそうな人が少なくて。裏で料理作ってもらったり宣伝に行ってもらったりしたら、特に今日は人が余らなかったんですよ」
「その点私にはメイドなんて似合わないですから。明日は一日オフにさせてもらう分、今日は丸々執事としてトラブル対応をすることになったんです」
「ほーん……」
大河は若干顔も怖いし、男勝りにも見える。どうりでどこにも男子がほとんどいないわけだ。
「私的には大河ちゃんにはメイド服着てほしかったんですけどねー。絶対似合いますし」
「し、雫ちゃん……私には似合わないよ。ですよね、百瀬先輩」
「ここで『似合わない』って言い切ったらそれはそれで不機嫌になるじゃんってツッコミはさておき……大河ならメイド服も似合うと思うぞ。やや無愛想なメイドってのも乙だからな」
「それを言っても私が不機嫌になるだろうとは思わなかったんですか」
大河がジト目を向けてくる。でも、その声はちょっとだけ嬉しそうだった。なんだこいつ、可愛いな。
「まぁ執事服もそれはそれでめっちゃ似合ってるしいいんだけどな」
「ですよね! 流石は先輩、お目が高いです! 大河ちゃんをプロデュースしたのも私なんですからねっ」
「ふっ、分かってるじゃねぇか。マジで大河のことを分かってるな。あとはさら――」
「『ご主人様。スタッフへのセクハラは程々にして、そろそろメニューを選んではいかがでしょうか』」
「「「えっ」」」
大河を剽窃した、澪の言葉。
俺たち三人が不恰好な声を漏らすと、澪は、ん、とメニューを差し出してきた。
大河がきまりが悪そうな顔をする。早く選べって注意しにきたのに、自分も雑談に興じまくってたわけだしな。どんまい。
「私はオムライスで。百瀬は?」
「え、あー……ならナポリタンで」
「承りましたっ。少々お待ちください!」
「……少々お待ちください」
そう言って、大河と雫が引っ込んでいく。
雫は、大河にこそこそと耳打ちをしている。二人とも、なんだかんだ仲がいいよな。学年が違うから二人が一緒にいるところってなかなか見る機会がないけど。
「綾辻、なんか拗ねてる?」
「別に。どうせ私も後でコスプレするし。みんなのことを褒めなきゃだもんね、ハーレム主人公さん?」
冗談めかして言うと、澪はふふっと微笑む。
俺もそれにつられてくつくつと笑った。