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五章#29 狐が見たくて

 SIDE:澪


【ゆーと:(写真添付)】

【ゆーと:今、ここにきた】

【ゆーと:(写真添付)】

【ゆーと:今度はここ】


 ぶー、ぶー、ぶー。

 パーカーのポケットに入れたスマホが、しつこく震える。ついさっき既読だけつけたけれど、それでも送信主はやめようとはしない。だからもう面倒になって、通知でチラと確認することすらやめてしまった。


 ――とぅるるるるる


 メッセージが止んだと思えば、今度は着信。マナーモードにしておいてよかった。もし着信音が鳴りでもしたら、スマホを叩き割ってしまっていたかもしれないから。


 9月末、文化祭前日。

 今日は舞台発表のリハーサルであり、最後の詰めをする日でもあった。クラスですべきことはもちろんあるし、それが終わったとしても学級委員として助力すべきことは山ほどあるだろう。


 それなのに私は今、学校に行くことを拒否して動物園に来ている。


 制服を着ていれば妙に勘繰られるから、家を出る直前に制服を脱いだ。

 代わりに手に取ったのは、シンプルな長袖シャツ。それだけではもう寒かったから、いつもの癖で、クロークから彼のパーカーを取り出してしまった。

 かといって、あえて脱ぐのも癪で。彼のことは嫌いだけれども匂いや温もりは心底落ち着いてしまうから、もういいか、と彼のパーカーを羽織った。


 慣れない電車に揺られても、行く当てなんてなくて。

 乗り換えもよく分かんないから、以前小学校の遠足で行った動物園に向かった。

 動物園は嫌いじゃない。動物は大好きだ。見ていると落ち着くし、自分が誰か、なんて考えずに済む。


 パンダを見て、像を見て、キリンを見て。

 ライオンを見て、ヒグマを見て、ケープペンギンを見て。


 ぶー、ぶー、ぶー。

 折角ペンギンの可愛さに癒されていたのに、また彼からのメッセージで気分が害される。

 ムッとして通知を確認しようとしたら、ぽつ、ぽつ、と雨滴が画面に落ちた。


「あっ、雨……」


 天気予報にはなかったのに。

 これすらも彼のせいに思えて雑に通知をスワイプしようとして――間違って、RINEを開いてしまう。


「っ」


 表示されるのは彼とのトーク画面。


【ゆーと:(写真添付)】

【ゆーと:(写真添付)】

【ゆーと:(写真添付)】

【ゆーと:(写真添付)】


 何件も、何件も、色んな場所の写真が送られていた。

 そのどれもが、この春に彼と暮らし始めてからよく行ったところで。

 まるで見透かされているような気分になって、苛立った。


【ゆーと:あ、既読ついた】

【ゆーと:どこにいるのか教えてくれ】

【ゆーと:ヒントだけでもいいから】


 チッ、と咄嗟に舌打ちをする。

 その間にも雨脚は徐々に強くなっていく。

 ぽつ、ぽつ、ぽつ。

 ぽつ、ぽつぽつ、ぽつ。

 彼のパーカーも濡れ始めて、そこでようやく彼のを着てきてよかった、と思った。ざまぁみろ、雨でぐしょぐしょになってしまえばいいんだ。


【ゆーと:もう4時近くだぞ】

【ゆーと:リハの時間、分かってんのか?】

【ゆーと:俺はお前と違って頭よくねぇんだよ】


 うるさい、うるさい、うるさい……!

 うっさいなぁッッッ!


【MIO:狐を連れてきてくれたら帰る】


 八つ当たりだ、なんて分かってる。

 彼は何にも悪くない。彼の判断は正しいんだ。あの夏祭りの夜、彼は正しいことをした。しかもその正しさに『正しさ』とは別の名前をつけて、自分の意思で前に進んだ。


 元はと言えば、彼が間違えたのは私のせいだ。

 私たちは始め方からして間違えていた。

 友達にすらならずに、セフレになって。肉欲を満たすと嘯きながら、その実、互いに性行為を目的にはしていなくて。

 そんな関係を二年続けた後に、今度は義理の兄妹になった。彼にとっての妹の代わり(義妹)なんてよく分からない立場を得て、絡まりすぎた無色の糸を故意にぐちゃぐちゃにした。


 間違えたのは、私だったのに。

 義妹ゲームで彼は()()()()、そこで過ちは終わるはずだったのに。

 私が()()()()()()()ことにして、過ちを延長させたのに。


 彼は勝手に、私の間違いを正した。

 そうして私は間違えたまま、模範解答を覗き見るように“関係”ごとに仮面を着けかえることしかできなくなった。


 素顔を探す機会を失くして、残ったのはのっぺらぼうだけ。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()


 当たり前だ、私はどこにもいないのだから。


 ――澪先輩は一体どこにいるんですかッ?!


 むしろ私が聞きたいくらいだ。その真っ直ぐな瞳で、映せるものなら映してみればいい。私の在り処を見つけてみろよ。

 そんなこともできないくせに……解法を教えてもくれないくせに、勝手に横から口を出すな。


 ぽつぽつぽつ、ぽつぽつぽつ。

 ざーぽつ、ざーぽつ、ざざーざー。


 平仮名の雨が降り注ぐ。


 ザーザーザーザー。

 ジーザージーザー。


 片仮名の雨が針のように刺す。

 パーカーはぐっしょり濡れて、雨水はシャツにまで侵食してきた。あー、ブラまで濡れ始めてる。履き心地がよくて好きだったデニムパンツも、すっかり変色している。このままじゃショーツも濡れかねない。気持ち悪いなぁ。


 気付けばもう、私以外にお客さんはいなくなっていた。帰ったのか、それとも屋内展示に行ったのか。

 私も屋内展示に行こうかと思うけれど、どうにもこうにも気が進まない。


 雨で引っ込んでしまった動物も多くて、空っぽな動物園を歩く。

 ふと目についたカバは、雨でも元気がよさそうだった。むしろ普段よりも元気そうに見えて、じくじくと胸が膿んだ。


 体の芯が冷えていく。

 まだ秋は始まってないのに、夏は終わってないのに、勝手に涼しくならないでほしい。

 雫も、彼も、みんなも、誰もがどんどん先に進んで。


 ――綾辻も分かってると思うけど……俺と綾辻は歩く速度が同じなんだよ


 歩く速度が同じ?

 ふざけんな、ふざけんな……っ。

 先に行ったのは自分じゃんか。

 ばか、ばか、ばか、ばかばかばか――


「ばかバカバカ馬鹿馬鹿……ッ。ばかぁぁぁっ」

「大声で叫ぶなよ、馬鹿女。折角動物園に来たんなら、動物のことをよく見ろよ。お前が見てんのは馬でも鹿でも、まして馬鹿でもない。カバだ」

「っっっ?!」


 聞こえたのは、どうしようもなく温かい声。

 世界で一番、好きな声。本当は聞くだけで胸がざわついて、とくとくって心臓が鳴って、体の芯がぽかぽかする。

 そんな――ここで聞こえるはずのない声が傍にいた。



 ◇


 SIDE:友斗


【MIO:狐を連れてきてくれたら帰る】


 ヒントはただ、これだけ。

 最悪の問題だった。こんなクソ問題、クイズ番組で出したら放送局に苦情の電話が来ることだろう。

 それほどまでに()()()()る問題だった。


 澪は電車に慣れていないから、乗り換えはできて一回。

 その範囲内で狐がいない動物園を考えればいいのだ。それだけで一気に選択肢は狭まる。

 加えて、乗り換えができると言っても、そのやり方が複雑であれば澪は断念するだろう。今の澪が駅員に聞いてまで電車に乗るとは思えない。

 その点、蒲田駅ならば俺と行ったことがある。路線は幾つかあるが駅はさほど広くないし、スマホを使えば乗り換えは容易だろう。


 多摩川駅から蒲田駅までは電車で一本、始発駅から終着駅まで乗ればいいのだから頭を使うことはない。あとは蒲田駅から上野駅までだが、こちらもそれほど難易度は高くないはずだ。上野駅で降りる奴は多いだろうしな。


 で、上野駅を降りたら誰もが知る通り動物園がある。

 近くには国立科学博物館もあるから、動物園に飽きたらそっちにもいける。歩くなり電車に乗るなりすれば秋葉原だって近いんだし、サボりにはちょうどよかろう。


 場所が分かれば、後は澪の望みに応えればいい。

 狐なら、我が家にいる。

 夏祭りで買ったお面と、ついでにもう一つとあるものをバッグに詰め込んだときには、もう4時過ぎで。

 リハーサルには間に合わないと悟った俺は、私服に着替えてからここまできた。

 だってもう、汗と雨でぐちゃぐちゃだったから。


 斯くて、俺は動物園にまでたどり着き。

 動物園をぐるぐると走り回って、カバの展示コーナーに辿り着いたとき。


「ばかバカバカ馬鹿馬鹿……ッ。ばかぁぁぁっ」


 澪はへなへなと地面に体育座りをして、雨と同じくらいぐしゃぐしゃに叫んでいた。

 髪も、服も、顔も、声も、全部が水浸しで。

 独りぼっちな子猫みたいに蹲っている澪を見て、俺は家から持ってきた傘を畳んだ。

 自分だけ濡れないなんて、そんなこと卑怯に思えたから。

 折角着替えたのに、とか。どう考えても危ない奴だろ、とか。あまりにも野暮な考えは青春にそぐわないから捨て去って。


 隣に座り込みながら、言った。


「大声で叫ぶなよ、馬鹿女。折角動物園に来たんなら、動物のことをよく見ろよ。お前が見てんのは馬でも鹿でも、まして馬鹿でもない。カバだ」

「っっっ?!」


 しとしと、しとしと。

 じゅんわりと体が濡れていく。

 澪と背中合わせになった。


「どうして、ここに……ッ?!」


 どうして、か。

 もうなんか、俺もよく分からなくなっている。

 御大層な理由も、低俗で身勝手な理由も、走り回って雨に打たれて綯い交ぜになった。澪に背中を預けながら、もういっそ、と空っぽな頭で答えてみる。


「そんぐらい分かれよ、馬鹿」

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