五章#26 前日になって
翌日、文化祭リハ。
まぁ文化祭リハと言っても、本格的なリハを行うのは舞台発表をする団体くらいだろう。他のところは接客のシミュレーションをする以外は、ギリギリまで内装を準備したり、普通にただ駄弁って時間を過ごしたりするはずだ。
宿泊が許可されている今日は、ある意味で前夜祭のようなものだと言えよう。
実際、作業がひと段落着いた夜には寝る前にプチ決起集会を各クラスで開いたりする。そのために買い出しに行くこともあるので、前夜祭という表現は決して比喩ではないだろう。
もっとも、誰もが宿泊するというわけではない。全校生徒の4分の1ほどは家に帰るし、そういう奴を咎めたりはぶったりする空気もない。こういうところ、うちの学校は民度が高いよな。
――と、そうして分数が頭に浮かんだところでふと思い出す。
『3分の2の縁結び伝説』。三度にわたる後夜祭のうち、二回で儀式をこなせば永遠の愛で結ばれるとかいう、例のあれだ。
体育祭のときと違い、誰かと約束したわけではない。そういうことを考える気分でもなかった。今回はクラスで楽しみますかねぇ。
「ねぇ委員長。これってどっち?」
「ん? あ、悪い。それはあっちな。生徒会の奴が待ってるはずだから指示に従ってくれると助かる。任せたぞ」
「りょーかい! 任せといて」
さてはて、そんなわけで文化祭前日の今日。
昨日の流れで二年A組につきっきりになれたならよかったのだが、そうもいかない。明日に向けて、学級委員で運ばなくちゃいけないものが色々とあるのだ。
まぁ、後夜祭の前に考えないといけないことは多い。
今はせこせこ準備しますか。昨日、伊藤とも約束したわけだしな。
ぱんぱん、と頬を叩き、今は目の前の仕事に集中する。
「せーんぱいっ!」
「……なぁ雫。そのワンパターンの声かけ、飽きないか?」
「その反応は流石に冷たすぎませんかね。倦怠期ってやつですか? 付き合ってもないのに倦怠期とか気が早いですよ♪」
「そのポジティブシンキング、本当に尊敬するわ」
作業をしていると、キラキラと明るい声が聞こえた。
言わずもがな、相手は雫である。
振り向けば、昨日までは着ていなかった冬服を身に纏っていた。今日は昨日までより更に冷えるし、雫も冬服に切り替えたらしい。
「えへへ、先輩に尊敬されちゃいました。今後は雫先生と呼んでもいいですよ」
「いや呼ばねぇから」
「むぅ……リピートアフターミー、『雫先生大好きです! 俺のこと、生徒じゃなくて男として見てください』」
「割とありがちだけど王道で面白い設定をいきなりぶちこむなっ!」
教師モノのストーリーは、卒業すれば終わる期間限定の身分差だから萌えるし燃えるんだよな。法ではなく目に見えないしがらみが二人を邪魔する分、実に熱い展開になる。
って、そーでなくて。
「で。雫は何しに来たんだ?」
「……ねぇ先輩。私のこと、ちょっと軽んじすぎじゃないです? ぷんぷんしちゃいますよ」
「そんだけ鬱陶しくあざとアピールするならミスコンに出てくれてもよかったよなっていう女々しいツッコミはさておき。雫、クラスのことで忙しいはずだろ? 学級委員の方に顔を出す余裕はないと思ってたんだが」
雫たち一年A組はメイド喫茶をやる。文出会で提出していたような防犯対策のほか、メニューにも結構力を入れた本格的なものを準備していたはずだ。
ふっふー、と満足そうに笑ってから雫は答える。
「んー、まぁ確かにそーなんですけど。今はちょっと休憩なので先輩に会いに来たんです。っていうかむしろ、どーして先輩は休んでないんですか?」
「は……? あー、そっか」
時計に目を遣って、あぁ、と納得する。
気付けばもう昼時になっていたらしい。明確に昼休みが設定されているわけではないが、どこの団体も既に休みを取り始めていることだろう。
ついつい目の前の書類仕事に集中しすぎていた。肩を竦め、そうだな、と苦笑する。
「言われてみれば時間だし、休むか。時間まだ大丈夫なら一緒に昼食おうぜ」
「はいっ! そー言ってくれるのを待ってましたよ、先輩♪ ……と言っても、今日はお弁当持ってきてないんですけどね」
「まぁ今日は朝から忙しかったしな。購買行くか」
「ですねっ」
俺も澪も雫も、昨晩から今朝にかけて忙しくしていた。夕食も朝食も手抜きにしたので、誰も弁当を作っていないのだ。
ま、今日は購買もいつもより多めに商品を用意してくれているらしいし、最悪コンビニにでも出かければいいだろう。
手元の書類をファイルに仕舞い、雫と共に会議室を出る。
廊下を歩いていると、教室からげらげらと楽しそうな声が漏れ聞こえてきた。歌を歌ったり気の早い恋バナが聞こえたりもして、なんかだ『文化祭だぞ』ってひしひしと感じる。
「なんかいいですよね、こーゆうの。気分がふわふわします」
「だな。文化祭ってそれだけで気分が上がる」
「先輩ってなんだかんだお祭り男ですもんねー」
そうだな、と思う。
学校行事はいつだってクラスの奴らと関わる“理由”をくれるから、学校行事のときだけは特別にはしゃいだりしたけれど。
そうでなくとも、やっぱり俺はお祭りが好きなんだと思う。
ひりひりとした肌の感覚と、どきどきとした高揚感。不思議な緊張とちょっぴり照れ臭いワクワクが一日ないし二日に凝縮される。
小さい頃、買い物についていったときに買ってもらったキャラメルを思い出す。
一粒一粒大切に舐めればいいのに、買ってもらえたことが嬉しくて、何粒もいっぺんに食べたっけ。口の中が甘さでいっぱいになるあの感覚は、なんだかお祭りに似ている気がする。
「ねぇねぇ先輩。先輩は生徒会とか学級委員とかクラスのことにつきっきりで知らなかったかもですけど、私は私でたくさん頑張ってたんですよ?」
「知ってる。ごめんな、ほとんど見てやれなくて」
「……むぅ。なんかその言い方だと私が構ってもらえなくて拗ねてるみたいになっちゃいませんかねぇ」
「だってそういう顔してたし」
「先輩のばか、女たらし、気障男」
「いやほら。雫は分かりやすいから」
表情がめちゃくちゃ不服そうだったしな。気付くなという方が無理な話だ。
むぅとむくれつつも満足そうな、ちょっと複雑なお年頃の雫と一緒に歩くこと暫く。
到着した購買は、やはりと言うべきか、かなり混雑していた。
「……先輩、あそこに飛び込みます? 漫画みたいに」
「俺がそんな戦闘民族に見えるか?」
「でも、私もこの後メイド服着て接客練習するつもりなので、あんまり髪とかぐちゃぐちゃにしたくないんですよね」
「…………素直にコンビニ行くか。休み時間、まだ大丈夫そうか?」
「えっと……はい、あと40分くらいはオッケーです」
根っこはインドア派である俺たちは素直に白旗をあげる。
二人で顔を見合わせてぷっと吹きだし、そのまま玄関に向かった。
◇
「そういえば。先輩たちのクラスって、明日のトリなんですよね?」
「ん? あー、そうだな。一日目のラスト。16時開始だったはずだぞ」
近所のコンビニでテキトーに食事を買った俺たちは、わざわざ学校に帰るのも面倒だから、と近場のコンビニで昼食を済ませていた。
雫の問いに答えつつ、俺は頭の中で明日のプログラムをぺらぺらと開く。
結局、俺たち二年A組と演劇部の舞台は連続で行われることになった。順番も文出会で話した通り、演劇部の後に二年A組がやる、と言った感じである。
別に同系統なんだから別日にすべきでは、とも思ったが、二日目は例年プチミュージックフェスタを開き、その後ミスコンが始まるという流れが定着している。それをわざわざ変える必要はないと判断したようだ。
ま、文出会での話に嘘はないし、並んだところで問題はないんだけどな。
むしろうちのクラスの奴らは昨日のアレコレのおかげで燃えてるし、分かりやすく対立構造になっていた方がよかろう。
はむ、はむ、と小さな口でサンドウィッチを食みながら雫は言う。
「お姉ちゃんと先輩がミュージカルって、不思議な気分です。なんかこう、気恥ずかしいというか」
「あー、それは分かるかもしれん。特に今回はネタに走ってないわけだし、知り合いに見られるのは確かに恥ずかしい」
「先輩、歌お下手ですもんねぇ」
「俺は歌わないからね? あと、音痴ならともかく『お下手』とか言うのやめろ、マジで泣きたくなるから」
ちなみに雫は雫で結構歌が上手い。澪ほどではないが、歌っているところを見れば『頑張ってるJK』感があってさぞかし可愛いことだろう。
こうなると俺の周りが歌うまばっかりでムカついてくるな。大河あたりがおもくそ音痴であってほしい。ジャイ〇ン並みに。
「ミュージカルやって、ミスコンにも出て。お姉ちゃんが文化祭でこんなに活躍するなんて、思ってもみませんでした。今までは……って、先輩の方が知ってますよね」
「……あぁ、そうだな。綾辻は行事なんて知るかって感じのぼっちだった。それでも言われたことはやってたし、何気にクラスのことは見てたけど」
「ふふっ、そーなんですよね。お姉ちゃんって、そういうとこあるんです。どうでもいいって思ってるように見えて、実は気にかけてたり。興味ないって言いつつ、地味に興味があったり」
昔ね、と雫が続ける。
「お姉ちゃん、小学校の運動会で選抜リレーの選手になったらしくて」
「うん」
「『運動会なんて興味ない』とか言うくせに、ちゃんと練習してるんですよ。それでいざ本番が近くなってアンカーが別の人になったら、なんか分かりやすく拗ねてて」
ぷっ、とつい吹きだしてしまう。
今の澪からはかけ離れているように見えて、けれど容易に想像できる光景だった。
「後ねあとね! 前にお母さんが、ケーキ買ってきたことあったんです。モンブランとショートケーキ。お姉ちゃんはモンブランの方が好きなんですけど、そのときはまだ私が子供だったのでモンブラン選んじゃって」
「うんうん。それで?」
「そしたら、お姉ちゃんすっっごい不機嫌そうになって。けど、口には出さないんですよ。態度にもほとんど出さないで、そのままショートケーキを食べたんです。でももうすぐ私も食べ終わるなーって頃になって、声をかけてきて」
「『最後の一口頂戴』とかか?」
「そう! そーなんですよ、先輩。お姉ちゃんって、実はすっっごい面倒なんです」
雫はそれはもう楽しそうに語る。
それからもひとしきり澪のことを話して。
昼食を摂り終えて学校に戻ろうとしたとき、だから、と雫は意味ありげに言った。
「お姉ちゃんを巻き込んでくれて、手を引いてくれて、ありがとうございます。まだ拗ねてますし、きっと色々思うこともあるでしょうけど……でも。絶対にこの文化祭はお姉ちゃんにとって大切な思い出になってくれる気がします」
「そっか」
そうなればいいな、と思う。
だからこそ俺はかぶりを振った。
「だとしたら、そのお礼は俺に言うべきじゃないな。綾辻の手を引いたのは、俺じゃなくてあいつの友達だよ」
「っ……そう言ってくれる先輩だから、お礼を言ったんです。そうしたらこの後、先輩は私のお礼に見合う働きをしなくちゃいけなくなりますからね」
「……は? それってどういう――」
意味だ、と尋ねる前に。
――とぅるるるる
と、スマホが震えた。
ブレザーのポケットから取り出して確認し、それが伊藤からの電話だと分かる。
雫を一瞥すると、こくと頷き返される。まるで電話がくることが分かってたみたいな態度に疑問を覚えつつ、俺は通話に出た。
「もしも――」
『百瀬くん、大変だよ! 綾辻さんが登校してきてない!』
「は?」
今しがた雫に対して放ったばかりの言葉を、俺は再び口にすることになった。