五章#25 文化祭前々日の
「あーッ! 許せない! やっぱりもう一回文句言ってくる」
「ばっ、待てよ伊藤。そんなことより今は明日のための確認をしようぜ。お前がいなかったら収拾つかなくなるだろ!」
「そんなことないよ。ウチがいなくてもみんなちゃんとやれる。八雲が仕切ってくれればいいじゃん。むしろ明日は八雲たちが頑張るターンでしょ」
「そーいうことじゃなくて! 今まで引っ張ってきたのは伊藤だろ!? ちゃんと頭がいてくれなきゃしょうがねぇだろうが」
教室に戻ると、伊藤が女子たちに羽交い絞めにされていた。
吠える伊藤を八雲が言葉で引き留めようとし、その周りではクラスメイトたちが気まずそうに俯いている。
おおよそ最悪の空気と言ってもいいはずなのに、澪だけは申し訳なさそうな微笑を浮かべていた。心配してくれるクラスメイトには『大丈夫だよ、ありがとう』なんて気軽に答えている。
がらりと扉を開くとみんなが、あっ、と声を上げてこちらを見た。
「友斗……! 頼む、伊藤に言ってやってくれよ。今文句を言いに行ってもしょうがないって」
「っ! 百瀬くんは分かってるよね?! 綾辻さんは今まで、いっぱい頑張ってきたんだ。それを急に出てきたよく分かんない先輩に馬鹿にされて黙っていられるわけないでしょッ!」
「そうかもしれねぇけど! だからこそ、今は綾辻さんと明日のことを話すべきなんじゃねぇのかよッ!」
こんなにさ、と思う。
八雲も伊藤も澪のことを考えてくれてるのに、どうしていつまでも独りぼっちなふりをしてるんだよ。
いい加減気付けよ、分からず屋。
澪への言葉をぐっと押しとどめて、今は優しいみんなに対して言葉を紡ぐ。
「落ち着け二人とも。伊藤、明日はリハで明後日が本番だって言ったのはお前だぞ」
「ッ……ごめん」
「八雲も。止めようとするお前がヒートアップしてたらそれこそ収拾がつかなくなるだけだから一回深呼吸しとけ。さもなければ如月に引き取ってもらうぞ」
「悪ぃ。確かに、そうだよな」
「みんなも、暗い顔しすぎだ。もうちょっと明るく行こうぜ。こんなんじゃ明後日から三日間持たないぞ」
ぱんぱん、と手を叩く。
努めて明るく、へらへらと笑って言う。俺には時雨さんのようなカリスマ性も、入江先輩のような豪傑さも、雫みたいな底抜けの明るさもない。
だからできる限りの、空っぽで。
――みんなきっと、そうしてありあわせで生きてるんだから。
「けど……! 百瀬くんだってあの先輩の話は聞いてたでしょ? あんなの……あんなの酷いじゃん」
「あぁ、そうかもな」
「そうかもな、ってさぁ! そりゃ、百瀬くんはほとんど練習に来てなかったから分かんないのかもしんないけ、ど――ごめん。今のは、違くて」
自分が昂ぶりすぎていることに気付き、伊藤が口を覆う。
大丈夫だ、と俺は首を横に振る。
「分かってる。綾辻に色々背負わせたのは俺だし、それなのに練習には顔を出してなかった。今日も俺が足を引っ張ってたのは事実だよ」
「友斗! 別にそんなことはねぇよ。友斗は脚本も歌詞も書いて、学級委員のことだってやってて……すげぇ頑張ってただろ。今のは伊藤が言い過ぎただけで――」
「ありがとな、八雲。けど別にそういう話がしたいんじゃないんだ」
庇ってくれるのは嬉しいし、伊藤だって本気で思ってたわけじゃないのだろう。
だって伊藤は、準備期間中、俺を気にかけてくれた。
締切には厳しいし無茶な提案もしてきたけど、歌詞で困ったとき相談に乗ってくれたし、演出プランや脚本の解釈について積極的に話をしてくれた。
それでもなお、澪のことを庇うために言うべきじゃないことまで口にしてくれた。
そのことが、すげぇ嬉しい。
「確かに俺はクラスにいる時間が少なかったし、ぶっちゃけ今日も地味に疎外感覚えてた。が、まぁそれでも俺は脚本家兼総責任者で、このクラスの代表だ」
だから、と言って笑う。
「そんな総責任者として、改めて入江先輩にケンカ売ってきた。今度は余計な打算も御大層な理由もない。正真正銘、ただの宣戦布告だ」
うちのクラスのミュージカルのコンセプトを忘れてはならない。
元よりみんなで決めていたことだ。
『打倒・演劇部!』はあの場のノリで決めたことだし、本気で信じていた奴は少ないだろうけれど。
少なくともただ一人、俺は最初から本気だった奴を知っている。
時計を一瞥してから、俺はクラスメイト全員に告げた。
「最終下校時刻まであと一時間。明日も含めたって残り時間は少ないんだ。くだらない言い争いするより、ギリギリまで準備してやろうぜ。衣装も道具も、まだ手入れられるだろ? 俺も演技まだまだだし、演出関連だってもっと話し合っといた方がいい」
な? とみんなに呼びかける。
それでもまだ戸惑うみんなを見て、八雲がくしゃっと笑いながら言った。
「それもそーだな! 友斗が無茶言うせいで衣装も道具も準備がすっげー大変だし! こんなこと話してる場合じゃねぇわ。だろ、伊藤?」
「……うん。そーじゃん、そうだよ、そうだ。綾辻さんを舞台に上げたのはウチらだもん。今はこんなことより、ギリギリまで調整しなくちゃ」
二人の声を受け、うんうん、とみんなも頷き始めた。
気まずくて停滞していた空気は、ぐぐぐぐと音を立てて動き出す。
「みんな、マジごめん。ウチのせいで空気悪くしちゃったけど……最後まで、頑張ろ! 」
「そんなことないよ。私たちだって同じこと思ってたし」
「そうそう。僕たちが言えないこと言ってくれてかっこよかったよ」
ぱらぱらと声が上がる。
……なんだよ、いいクラスじゃねぇか。そこはかとなく青春っぽい。え、これがうちのクラスとか普通に嬉しいんですけど?
まるで他人事のようにジンとして、それから自分事としてグッときて、俺も和の中に入っていく。
「さてと。じゃあ百瀬くん、やろっか。王子様の演技、あんまりだったしねー」
「それな。もうちょっとかっこよくやってくれよ、友斗。緊張しすぎだから」
「そりゃあんだけ恥ずかしい台詞を吐いてたら誰でもそうなるわ!」
「書いたの百瀬くんじゃん」「書いたの友斗だろ」
「……だな」
どっと笑いが起こって、けらけらと楽しい空気で教室が満ちる。
正しく青春が紡がれるなか――澪はただ、柔らかな笑みを浮かべているだけだった。
◇
「ねぇ百瀬くん。さっきの、改めてごめん」
帰り際。
練習や準備を終えて教室を出ていくメンツをよそに、伊藤が声をかけてきた。
後ろめたそうな顔を見て、俺はくしゃくしゃと笑う。
「そう思うならもうちょい優しく演技指導してくれませんかねぇ」
「それはそれ、これはこれだから。百瀬くんだってそーゆうの望んでないでしょ。厳しくされたかったくせに」
「その言い方は色々と語弊が生まれるからやめような?」
それねー、と伊藤がけたけた肩を震わせる。
まぁ厳しい演技指導のおかげでそれっぽい演技ができたからいいんだけどな。
そう思っていると、伊藤はアンニュイな表情を浮かべていた。
「さっきさ」
「うん」
「綾辻さん、何も言わなかったね。なんか、置いてけぼりにしちゃってる感じがあった」
「……かもな」
言いたいことは分かる。
それで? と視線で話の先を促す。
「よくないことだけど……でもちょっと思っちゃったんだよね。もしかしたら本当なのかな、って」
「入江先輩が言ってたことか」
「うん。綾辻さんの演技って、なんというか……怖いっていうか、寂しい感じがしたんだよ。分かる?」
「ああ、分かる。綾辻がどっか行っちゃうんじゃないか、消えちゃうんじゃないか、みたいな」
「そうそう。たかが高校生の劇で何を言ってるんだよって思うかもしれないけどさ」
たかが高校生で、プロなんかには遠く及ばない。
そんなことは分かってるのに、なおも大袈裟な表現になってしまう。それくらいに澪は凄くて、怖い。
「ウチとか、みんなとかと話してても、なんか本音を話してないなーって分かって。そりゃ友達って言っても文化祭になってからたくさん話すようになったから本音話してもらえないのは当たり前だよ。ウチだって人によって態度くらい変えるし」
「そうだな」
「けど、思うんだよね。綾辻さんに素ってあるのかな、って。素を出せる相手とか、場所とかじゃなくて、素そのものがあるのかな、って」
そっか、と思う。
澪と伊藤の間には俺も知らない物語があって、ちゃんと見逃さないように読み解けば気付いてしまうんだ。
「百瀬くん言ってたじゃん。綾辻さんに楽しんでほしい、みたいなこと」
だから澪に期待するんだ、と俺は告げた。
あれは一か月ほど前だっただろうか。
「今の綾辻さんは……楽しんでくれるかな。ミュージカルでも、それ以外でもいいんだ。後夜祭のとき、心から笑ってくれるのかな」
綾辻は今、楽しんでいるだろうか。
答えは――否だろう。あいつはちっとも楽しんでいない。
「さあ、どうだろうな。俺には断言できねぇよ。フラグ建築士だからな」
「っ」
「けど、笑わせたいって思ってやれるなら……明日も明後日も、全力で駆け抜けてやってくれ。あいつって面倒だけど意外と単純な奴だからさ」
にかっと破顔して、俺は言う。
「なにそれ。無責任じゃん。総責任者のくせに」
「友情の責任までは取りたくねぇよ。ただでさえ酷い目に遭ってんのに」
「ちぇー。ケチだなぁ」
伊藤はけらけら笑うと、スクールバッグを手に持った。
教室を出て行こうとするので俺も続くと、しみじみとした声で呟く。
「百瀬くんってさ、意外といい男だよね。スルメみたいと言うか、一緒に関わり続けると惚れると言うか」
「長く関わってるはずの綾辻には嫌われてるけどなぁ」
「ははっ。それはあれだよ。嫌よ嫌よも好きのうち、みたいな。大好きだけど反抗したくなる、みたいな。あとは……拗ねてる、みたいな。そーゆうのでしょ」
「ふっ。だといいな」
「そーだよ、きっと。そーじゃなかったらウチが告白してもいいかなーって思うくらいだし」
「…………」
唐突な言葉の意図を汲み取りかねて、押し黙る。
伊藤は窓の外を見ながら、たはー、と枯れた笑みを浮かべた。
「ごめんごめん、今のはじょーだん。さっきのが地味にかっこよかったから中てられちゃっただけだから」
「…………そか」
冬服のブレザーの裾に指先で触れてから、ううん、と俺は首を振った。
「俺は別に彼女がいるわけじゃないし、好きな子がいるわけでもないけど……『好き』って思えるかもしれない子たちがいるんだ」
「……たち、なんだ」
「あぁ。だから、ごめん」
「…………冗談だって誤魔化しても、ちゃんと振るんだね。そーゆう責任は取るんだもんなぁ。ズルいなぁ、ほんっと。ま、ウチもズルいけどね。百瀬くんが彼女いるって話、知らないふりしてたんだし」
えっ、と思う。
けれど同時に、そりゃそうか、とも思った。
今は噂にされないし取り立てて聞かれることもないから別れたとは言ってないけれど、雫と俺が付き合い始めたときはそれなりに話題になった。たった数日だったけどな。
「いや。けど、今は――」
「うん、分かってる。さっきのが嘘じゃないってことはよーく分かってるし、ワンチャン狙っても意味ないなってことも分かってるつもり。だから安心していいよ。ウチ、そこまでがつがつ恋愛にのめり込むタイプじゃないもん」
窓の外、染みみたいなカラスがかぁかぁと鳴いて夕暮れを報せる。
友達は言った。
「いい文化祭にしよーね。誰にとっても最高の思い出にして、その後、親友になりたいな。まだまだ青春は長いんだし」
「あぁ……だな」
差し出されたグーに、俺はぶきっちょなグーを返す。
こつんと出来上がったグータッチは、ちょっとだけ可笑しかった。
「あ、ちなみに。今ので吹っ切れたからもうウチに恋愛対象として見られてるとか思わないでね。そーゆう勘違いは痛いから」
「えぇぇ……いや、そう言ってくれた方がぶっちゃけ楽だけど、えぇぇ……」
「女心は秋の空って言葉、もう少しよーく考えたまえよ。王子役クン」
「それって遠回しに脚本のラストディスってるよな? なぁぁっ?!」
「まーね」
「今更ぶっちゃけないでくださいマジで泣くから!」




